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第七章 犯人、誘惑、壊れたもの。

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 キラキラと美しい彼女の瞳。
 その中には確かに、冷たく彼女を見下ろす私の姿が映っている。
「小野寺さん……貴女は、人の気持ちを考えたことはありますか。貴女が傷つけた誰かが、心を痛めて苦しんでいるかもしれないということを、貴女は少しでも考えたことがありますか……ッ!」
 冷徹、か。
 確かに、その指摘も一理あるのかもしれない。他人からの視線に怯えることに疲れた中学時代。それ以降は、自分自身の思うままに進んできた自覚はある。省みようとも思わなかった人の気持ちもあっただろう。
 ただし、冷徹と形容するのは語弊があった。胸の奥でぐつぐつと煮えたぎる怒りは、いささかコントロールが出来兼ねる。
「橋本姫乃さん。貴女が私を気に食わないのは一向に構いません」
 人目が多い。公共の場。感情を曝け出すには最悪のシチュエーションだ。それでも。
「だからといって、それが罪もない書籍を傷めつける言い訳になるだなんて、本気で思っちゃいないですよね?」
 呪いを産み落とすような低い声色に、息を飲んだのは一体誰だったろう。
 職場である館内で私は初めて、噛みつくような憎しみを露わにする。これでまた、新規の噂が構内に沸き立つことだろう。それも構わなかった。
 初めて中傷を殴り書きにされた書籍を見たときから抑え込んでいた怒りが、いつも慎重な心のたがを外してしまう。
「あの低脳な文章は一体何? 他人を中傷することで、貴女は何が満たされました? 子供みたいな正義感ですか?」
「あの人たちはみんな人でなしじゃない! 家族や恋人をいとも容易く裏切った! 書かれて当然のことを」
「中傷文で散々人を傷つけた張本人が、それを言う資格はない!」
 容赦など出来るはずもなく、私は目の前の女を縛り付けるような視線で睨み付けた。踏み込んだ足の怪我が鈍く痛んだが、取るに足らないことだ。
「書かれて当然と思うなら、裏でこそこそ小細工するな! それならいっそ学生窓口の掲示板に、正々堂々どでかく載せな!!」
 最後の方はもう、腹の底から声を上げていた。
 昨夜の脚の傷が突っ張って、痛みがじくじくと脈を打つ。それが一層、私の憤りを増長した。
「かぁっこいい~……」緊迫した空気の中、ギャラリーのどこからかそんな呟きが届いた。それがまるで伝染するように、じわじわと賞賛の声が聞こえるようになる中、目の前の彼女の顔は真っ赤に染まり上がっていた。
 初めこそ、窓口業務で彼女を見知っているらしい学生からの声援じみた呼びかけがあったが、今はそれも潰えた。彼女を見知った両手の拳が、痛そうなくらいに固く握られている。
 再度口を開きかけた私だったが、その腕を後ろから引っ張る手に気付いた。
「小野寺さん。もう……これ以上はっ」
「中吉ちゃん」
 振り返った私に、中吉ちゃんは首を小さく振っていた。いつもは眩しいくらいに明るい、あの中吉ちゃんが。
 その懇願の眼差しに、次第に激情が溶かされていく。
「……貴女の行為は器物損壊です。警察に通報されたくなければ被害者一人一人に謝罪してください。私のことは、抜きにしてもいいです」
「器物、損壊?」
「当然でしょう?」
「それなら」
 ひとつ息を吐いた彼女は、俯いていた顔をゆっくりとこちらに向ける。瞬間、胸が嫌な音を立てた。
「貴女だって……壊しましたよね」
「は?」
「二年前に」
 端から見ればその表情は、健気で可憐な女の子そのもの。それでも、その瞳は笑っていた。
「貴女が二年前にしたことも、罪に問われるんじゃないですか?」
 二年前。そう言われてポーカーフェイスを貫くには、心の準備が足りなすぎた。
 動揺をよぎらせた私の表情を見留めるや否や、彼女は予行練習したかのように涙を滲ませた。加害者から、被害者の顔へ。
 そして私は――被害者から、加害者の立場へ。
「覚えていますよね? 二年前……貴女は五歳も年下の幼馴染みに手を出した」
 にわかに周囲がざわめきを取り戻す。
 野次馬の反応は単純なものだ。楽しめそうなゴシップを手にした瞬間、その正否を問わず話題の種にする。私が中学生だった頃から、嘆かわしい風習は少しも揺るぎない。
「女を使って、幼馴染みを慰めた。そうでしょう?」
「……そうだとしても、貴女には何の関係もないことです」
「認めるんですね」
 神経を逆撫でる言葉を、私は無視をした。
 同時に、目の前の女の口から、必要以上に熱く思い吐息が吐きだされる。
「彼女だったんです」
 意味を把握するよりも早く、一筋の涙が女の頬を伝った。
「薫君の……貴女が寝取った幼馴染みの。私、彼女だったんです……っ!」
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