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第五章 デート、浸食、ターゲット。

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「モデル?」
「ほら。あの人っ」
「うっわー、背ぇ高! ほっそー」
 周囲からまとわりついてくる視線自体は別に珍しいものではない。しかしながら、なまじ「待ち合わせ相手がいる」というプラス要素により、妙に胸がざわざわと落着きのない状態が続いていた。
 駅構内は連日絶え間なく人が行き交っている。その駅南口にたたずむ白いモニュメントは特に、待ち合わせの目印として人口密度が濃くなっていた。
 手元の文庫本から時計の針に視線を移す。約束の時間まであと二分。一秒でも過ぎたらここから撤退しよう。
 そう考えた瞬間、視界が薄く陰ったことに気付いた。
「お待たせ。ごめんね。結構待った?」
 周囲からはまるでお約束のように、黄色い歓声が沸き立つ。自然と人だかりを開かせるほどの存在感に、私も一瞬目を見開いた。
 図書館にふらりとやってくる時とはまた違う、シンプルな着こなしに添える程度の洒落たジャケットが重ねられている。涼しげな白い首もとに揺れるネックレスは思いのほかカジュアルなもので、変な魅力に思わず見とれそうになった。
 そんなに待ってない。答えの代わりに、ぱたんと文庫本を閉じる。
「……なに呆けてんのよ。夜遊びで体力がなくなった?」
「ううん。杏ちゃんの、そういう髪型も良いなぁー……ってね」
「!」
 油断も隙もあったもんじゃない。
 別にこいつとの約束だったから手を施した訳じゃない。後頭部を細めに編み込んで、右サイドに弱めに結ったヘアスタイル。たまたま透馬の目に触れてこなかっただけだ。
「毛先ふわふわしてる。触っても良い?」
「良いわけがない。触るな」
 伸びてきた奴の手をぺしっとはねのける。そうなることを分かっていたような奴は笑った。それを睨みつけながらもふと、強ばっていた肩の力が抜けていることに気付く。
「それじゃ。初デートスタートといきましょうか。お姫様?」
 おとぎ話の王子様よろしく、差し出された手のひらと爽やかさ満点の笑顔。ギャラリーの若いおなごたちが再びきゃあっと沸き上がる。
 その中でただひとり顔をしかめた私は、差し出された手をはたくことも放棄してすたすたと駅出口に歩みを進めた。
 デートじゃねぇよ。
 心の中で吐き捨てた独り言とともに、ちっと大きく舌打ちを鳴らした。



(今度の土曜にね。杏ちゃんに、ちょっと付き合ってほしいんだ)
 水をぶっかけたお詫びとして奴が言い出したこと。それ自体、予想の範囲内ではあった。
「杏ちゃーん。ちょっと足早くない?」
「私はこれが普通。合わせろっていうなら合わせるけど?」
「ははっ、それこそ男の役目でしょ」
 何が楽しいのか、隣にひょいっと立ち並んだ透馬は始終楽しそうに口元を緩ませている。どちらともなく人目を颯爽とさらいながら、私たちは曇天の下を突き進んでいた。
 駅前のスクランブル交差点を抜けて、人混みが多少開けた道をひたすら南下する。狸小路を西に行った店に向かうと聞いてから、私は仏頂面を崩さずにひたすら足を止めようとしなかった。
「んー。なんか一雨来そうだねぇ。杏ちゃん寒くない?」
「平気。一応上着も持ってきてるし」
「はは、杏ちゃん、冷え性っぽいもんね」
 冷え性っぽいって何だ。非難を視線に乗せながら、それでも無駄口を叩くことはしない。不自然なほどに。
「ね。もしかして杏ちゃん」
「なに」
「緊張してる?」
「っ、な……!」
 ぐるり、と。まるで音が聞こえるような振り向き方をしてから、はっと我に返る。
 そんな自分に、思わず苦虫を噛み潰したように顔を歪めた。
 デート。異性とふたりきり。そんな経験は幼馴染みの薫とくらいだったから。
 こいつとふたりきりで街中を歩く。そんな状況に自分がこんなにも困惑するなんて、全く想定していなかった。
「……悪かったわね。慣れてないのよ。あんたと違ってっ!」
 大股で踏み出し、奴の一歩手前を闊歩する。羞恥と屈辱で双眼を閉じていた私だったが、次の瞬間、大きく打った胸の鼓動とともにその目を見開いた。
 右手を慈しむように包んだ、奴の手の温もりに。
「離せ。迷子になる人混みじゃないでしょ……!」
「うん。でも、離れたくないから」
「っ」
「杏ちゃんと、離れたくないからさ」
 繋がれた手と柔らかな笑顔。
 底冷えしていた身体の奥の奥が、少しずつ奴の持つ熱で溶かされる。
「いってて!」
「そういう言葉はね。あんたに騙されてくれてる幾多の女の子たちにとっときなさい」
 つまみ上げた奴の手の甲を、ぺっと投げ捨てる。ふんと鼻を鳴らして歩みを再開する私に、透馬はむーと納得いっていないような表情を見せていた。
 良かった。心の中で密かに安堵する。ようやく調子が戻ってきた。
「んで? あんたが付き合ってほしいっていうお店はどんななの」
 駅の姿も遠ざかり、東西に真っ直ぐ伸びる大通公園に踏み入る。噴水に小さな子供たちがはしゃぎ回り、家族連れや観光客らしき人たちで賑わう中、私はそもそもの疑問を口にした。
「それはね、着いてからのお楽しみ」
「イカガワシイところじゃないでしょうね」
「杏ちゃんがご希望なら是非」
「くたばれ」
「ぷっ、はは!」
 もしかして、こいつも浮かれてる?
 ふと頭に降ってきた表現に、私はひとりかぶりを振った。
 隣をちらりと盗み見る。こいつがいつも以上に気遣いをしてみせるのも、笑顔が正直に見えるのも、全部全部女の子へのリップサービスのようなものだ。
「ねぇ杏ちゃん。とうもろこし食べてく?」
「食べません。ほら、早く行くよ」
 相手が私だから。私にだけ見せてくれる奴の顔。
 そんな勘違いを、私は絶対にしてやらないから。
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