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第三章 過去、未遂、特別な女。
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「これは、早急に何らかの対処をとるべきです」
ピリピリと殺気立った空気が、会議室一帯に立ち込める。
ホワイトボード前を陣取る主任の顔は既に鬼の形相と化していた。机に喰らい付くようにわななく両手の指が今にもめり込みそうで、隣に座る中吉ちゃんはあからさまに恐れおののいている。
主任が鬼に変貌するのも無理はない。何故なら私も全く同感だからだ。
ここ最近、図書館で貸し出した書籍に対する「いたずら」が、立て続けに発見されていた。
書籍の毀損とともに乱暴な書き込みが相次いでいる。その内容がまた酷かった。
特定人物への誹謗中傷や私生活の暴露。そのまことしやかな書込みの被害者は、学生や教授陣に至る大学関係者全域にわたっていた。
最近は噂を聞きつけてか、図書館利用者の人数は連日うなぎ登りだ。それに比例して私たち司書の仕事が増える一方、書籍調査作業が深夜に及ぶことも珍しくない。
でもせめて、図書館を悪意の温床にしたくはない。それはきっと、ここに集まる司書仲間の誰もの心中にあることだ。
「っていうか普通に器物損壊でしょ。折角ヒットした私の選書まで……!」
怒りに震える今野さんに、先輩たちが同調して頷く。
「でもねぇ。ぶっちゃけ犯人を捕まえるなんて雲を掴むような話よねぇ」
「んー。さてはてどうするべきか……」
「あれ? 小野寺さーん? 何してるんですかぁ?」
「一応、今までのいたずらの内容をまとめてるの」
「へっ?」
中吉ちゃんがひょこっと肩の向こうから顔を出す。私はエンターキーを弾いた後、キャスター付きの椅子ごと振り返った。
「いたずらが見つかった日付、本のタイトルと著者と出版社、保存書架の場所、最後に借り入れしていた利用者の名前と所属学年学部」
「……」
「被害者の氏名と所属学年学部、抽象内容と犯人の心当たり。まあ、これは聞ける範囲内だけど」
中には今回の被害のことは口にしたくないという人もいる。自分の恥を明かされたんだ。無理もない。
「いまのところ被害者は文系学部関係者が八割以上。まぁこの図書館は文系棟と繋がっていて利用者の割合からいっても特に不思議ではないね。他の分館は被害を受けていないようだし犯人は確定ではないけど文系学部棟内関係者かな。最後の借入れ利用者は、学生が殆どだったけど残念ながら学年も学部もばらばら。保存書架の位置も、カウンター前から奥まった場所に至るまで無差別に被害に遭っているようで――、」
一息に説明を続けていた私は、そこでようやく、殺伐としていた辺りの雰囲気がぴたりと止んでいることに気付いた。
不思議に思い顔を上げる。次の瞬間、こちらに向けられているたくさんの視線に、私は目を丸くした。
「えっと。どうかしましたか」
「小野寺さんすごいです! 何かすごい! 格好良い!」
「は?」
いつもハイテンションの中吉ちゃんが、両手を拝むように組みながら瞳をキラキラさせてこちらに詰め寄る。
思わず辺りに視線で助けを求めるも、それは無意味だと早々に理解した。
「小野寺さん、すごいわねー! 仕事が速いとは思っていたけれど、分析能力も凄まじいわぁ! 探偵みたいな!?」
いやいや。こんなので探偵と言っていたら推理小説もドラマもただの日常ものに成り下がりますよ。
「いや~、私一瞬感動で意識飛んじゃった! 小野寺ちゃんさすが! 頭脳派! っていうか、もともと小野寺ちゃんってこの大学出身だから生徒視点の考えも色々詳しいし!」
先輩。あなたもここに十年以上勤務しているでしょうが。
「“美人司書・小野寺杏の事件簿”。よし、これだね!」
な・に・が・で・す・か。
一体何が「これ」なんですか、何でそんな爽やかな笑顔を漲らせているんですか、教えてください今野さん……!
「小野寺杏さん」
「――っ、は、はい!」
反射的に肩を強ばらせる。
声の主は、この図書館で最大の権力を掌握している先ほどの鬼の化身。
「犯人探し、やってくれるわね?」
主任の笑顔は意外にも柔らかなもので、かえって私たち司書全員の恐怖を煽った。
きらりと表面を撫でるように反射する主任の眼鏡。後頭部に夜会巻きでまとめられているはずの髪が、邪悪なオーラになびいている幻が見える。ああ、こめかみがズキズキ痛む。
一体全体、どうしてこんなことになったのでしょうか――。
ピリピリと殺気立った空気が、会議室一帯に立ち込める。
ホワイトボード前を陣取る主任の顔は既に鬼の形相と化していた。机に喰らい付くようにわななく両手の指が今にもめり込みそうで、隣に座る中吉ちゃんはあからさまに恐れおののいている。
主任が鬼に変貌するのも無理はない。何故なら私も全く同感だからだ。
ここ最近、図書館で貸し出した書籍に対する「いたずら」が、立て続けに発見されていた。
書籍の毀損とともに乱暴な書き込みが相次いでいる。その内容がまた酷かった。
特定人物への誹謗中傷や私生活の暴露。そのまことしやかな書込みの被害者は、学生や教授陣に至る大学関係者全域にわたっていた。
最近は噂を聞きつけてか、図書館利用者の人数は連日うなぎ登りだ。それに比例して私たち司書の仕事が増える一方、書籍調査作業が深夜に及ぶことも珍しくない。
でもせめて、図書館を悪意の温床にしたくはない。それはきっと、ここに集まる司書仲間の誰もの心中にあることだ。
「っていうか普通に器物損壊でしょ。折角ヒットした私の選書まで……!」
怒りに震える今野さんに、先輩たちが同調して頷く。
「でもねぇ。ぶっちゃけ犯人を捕まえるなんて雲を掴むような話よねぇ」
「んー。さてはてどうするべきか……」
「あれ? 小野寺さーん? 何してるんですかぁ?」
「一応、今までのいたずらの内容をまとめてるの」
「へっ?」
中吉ちゃんがひょこっと肩の向こうから顔を出す。私はエンターキーを弾いた後、キャスター付きの椅子ごと振り返った。
「いたずらが見つかった日付、本のタイトルと著者と出版社、保存書架の場所、最後に借り入れしていた利用者の名前と所属学年学部」
「……」
「被害者の氏名と所属学年学部、抽象内容と犯人の心当たり。まあ、これは聞ける範囲内だけど」
中には今回の被害のことは口にしたくないという人もいる。自分の恥を明かされたんだ。無理もない。
「いまのところ被害者は文系学部関係者が八割以上。まぁこの図書館は文系棟と繋がっていて利用者の割合からいっても特に不思議ではないね。他の分館は被害を受けていないようだし犯人は確定ではないけど文系学部棟内関係者かな。最後の借入れ利用者は、学生が殆どだったけど残念ながら学年も学部もばらばら。保存書架の位置も、カウンター前から奥まった場所に至るまで無差別に被害に遭っているようで――、」
一息に説明を続けていた私は、そこでようやく、殺伐としていた辺りの雰囲気がぴたりと止んでいることに気付いた。
不思議に思い顔を上げる。次の瞬間、こちらに向けられているたくさんの視線に、私は目を丸くした。
「えっと。どうかしましたか」
「小野寺さんすごいです! 何かすごい! 格好良い!」
「は?」
いつもハイテンションの中吉ちゃんが、両手を拝むように組みながら瞳をキラキラさせてこちらに詰め寄る。
思わず辺りに視線で助けを求めるも、それは無意味だと早々に理解した。
「小野寺さん、すごいわねー! 仕事が速いとは思っていたけれど、分析能力も凄まじいわぁ! 探偵みたいな!?」
いやいや。こんなので探偵と言っていたら推理小説もドラマもただの日常ものに成り下がりますよ。
「いや~、私一瞬感動で意識飛んじゃった! 小野寺ちゃんさすが! 頭脳派! っていうか、もともと小野寺ちゃんってこの大学出身だから生徒視点の考えも色々詳しいし!」
先輩。あなたもここに十年以上勤務しているでしょうが。
「“美人司書・小野寺杏の事件簿”。よし、これだね!」
な・に・が・で・す・か。
一体何が「これ」なんですか、何でそんな爽やかな笑顔を漲らせているんですか、教えてください今野さん……!
「小野寺杏さん」
「――っ、は、はい!」
反射的に肩を強ばらせる。
声の主は、この図書館で最大の権力を掌握している先ほどの鬼の化身。
「犯人探し、やってくれるわね?」
主任の笑顔は意外にも柔らかなもので、かえって私たち司書全員の恐怖を煽った。
きらりと表面を撫でるように反射する主任の眼鏡。後頭部に夜会巻きでまとめられているはずの髪が、邪悪なオーラになびいている幻が見える。ああ、こめかみがズキズキ痛む。
一体全体、どうしてこんなことになったのでしょうか――。
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