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第二章 再会、司書、幼馴染み。
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薫との会話中に思い出した昔の記憶は、「お姫様探し」の思いがけない道しるべになった。
「駅前通りからひとつ、ふたつ、みっつ……ってことはやっぱりこの辺のはずだよね」
誰に問うわけでもなく、地図とにらめっこをしながら私はひとり細道を進んでいく。
本がなによりの娯楽だった、今は亡き私のおじいちゃん。
おじいちゃんは、まだ幼い私を引き連れて本が集う様々な場所に連れていってくれた。その中でも特に記憶に残っている、あのお店。
おぼろげな記憶の中を辿り歩いた私はようやく、街の喧噪から身を引いた細道に、覚えのある風景をみつける。
「っ、この建物!」
古さを喜んで染み着けたような木造の壁に、メッキが剥がれ欠けたとたん屋根。おじいちゃんの旧友が経営する、知る人ぞ知る町外れの古書店だった。
突破口を見出せない奴の「お姫様探し」解決の一抹の望みを託し、私は歩みを進める。
「この古書店はなぁ……、もう何年になるかなぁ……」
行き着いた先で教えてもらったのは、不思議でも何でもない事実だった。
古書店の看板が外されていることには、お店の前まで来てすぐに気付いた。それでも期待と懐かしさで辺りをきょろきょろと見回していたところを、気の良さそうなおばさんに声を掛けられた。
古書店「元」店主の娘さんだった。
「父さん。五年前でしょ、お店を閉めたの。ごめんなさいねぇ、お茶くらいしか出せなくてねぇ」
「いいえ。どうぞお構いなく……」
あれよあれよと案内された居間の座布団に正座する。
すぐに姿を見せた元店主のおじいさんは、確かに記憶の中の面影のままだった。私のおじいちゃんに比べて目尻が柔らかく、額が少し前に出ている。
ゆらゆらと風に漂うように身体を揺するおじいさんに、私は改めて深く頭を下げた。
「突然ご訪問で、本当に申し訳ありません。祖父との記憶を辿ってここまで足を運んでしまって……その節は祖父がお世話になりました」
頭を下げると、おじいさんは間を空けながら「うん。うん」と満足げに頷く。
代わって明るく返答をしたのは、傍らに控えていた娘さんだった。
「いいんですよぉ! 父さんもほら、最近は全然人と話す機会もないもんだからねぇ。店のことも覚えててもらって、喜んでますよ。ねぇ、父さん!」
話を振られたおじいさんは、先ほどと同じように「うん、うん」と身体を揺らした。
最愛のおじいちゃんが亡くなったのは、私が高校一年の時。
それから約十年間、この古書店には一度も足を向けることがなかった。永遠とも思えたあの時間も、時の流れに変化を余儀なくされてきたのだと実感する。
微かに沁み入る切なさを胸に秘め、私は湯呑みに口を付ける。さらに深まった目尻の皺に気付き、笑顔で応えた。
「でも凄いわね~。書籍探しにわざわざこんなところまで? 熱心ね。きっとすごく大切な捜し物なんでしょうねぇ」
笑みを絶やさずにお茶を啜る娘さんに、私は曖昧に笑ってみせた。まさか天敵を一泡吹かせるための秘策とは言えまい。
しかしながら、ここまで足を運んだことは無駄ばかりではなかった。十年ぶりに、おじいちゃんの記憶と散歩することが出来たから。
「お忙しいなか本当にありがとうございました。私、そろそろ――、」
「何という本かな」
有無を言わせない厳かな口調に、続くはずだった言葉が途切れた。
「何という本かな」
「……あ、でも、もうお店は」
「ふふっ。教えてあげてくれる?」
隣の娘さんに促され、慌てて記録用のメモを取り出す。
おじいさんの目は先ほどからほとんど開かれていない。きっと視力が低下しているんだろう。
耳を研ぎ澄ますように待ちかまえているおじいさんに、刺繍を丹誠込めて縫いあげるように読んで聞かせた。これまで辿ってきたお姫様についての、すべての情報を。
そしてしばらくの間、おじいさんは相変わらず身体を揺すりながら沈黙を守る。ともに口を閉ざしていた私に、おじいさんはようやく笑いかけてくれた。
「善治郎(ぜんじろう)さんはなぁ。まったく、難儀なお子ばかり求めにくるわ」
善治郎。私のおじいちゃんの名だった。
「佐和子(さわこ)。十二番の棚の、二段目の奥から九冊目の様子を見てきなさい」
淀みなく告げられた。
呆気にとられたままの私に、娘さんは誇らしげな笑顔を浮かべて腰を上げた。
「すみません。あいつ、今日は休みを頂いているんです」
いつもなら歓喜の笑みを浮かべるはずの情報を、まさかこのタイミングで耳にするとは。
「カフェ・ごんざれす」に訪れてすぐさま耳に入った事実に、私は分かりやすく落胆してしまったらしい。すぐに取りなして注文を済ませたものの、栄二さんは終始こちらを気にしてくれているようだった。
奴が捜し求めていた「お姫様」――折角報告してやろうと思っていたのに。
今日は午後からの開店だったためか、人もさほど混みあってはいなかった。
いつものソファー席に腰を沈める。途端、かみ殺せなかったあくびが口から漏れ、慌てて手を添えた。
一日中歩き回っていたから、知らずのうちに疲れがたまっていたらしい。
手元にすり寄ってきたゴンちゃんに気付き、微笑みかける。温い頭を撫でているうちに、動きが緩慢になっていく自分に気付いていた。
やっぱり、疲れてる。早く甘味とカフェインで癒さなければ。
薄いレースから零れる春の日差しが、やけに温かかった。
「杏ちゃん? 起きてる?」
緩やかに開けていく視界。
かけられた声の主を咀嚼するうちに、まどろんだ意識が徐々に浮上してくる。
膝に掛けられた手触りの良いブランケット。体温を移し終えたソファーの背もたれに、私の身体はすっかり埋まりきっていた。
眩しかった日差しはすでになりを潜め、オレンジがかった電灯が店内を控えめに照らしている。
何より、先ほど私を夢の世界から引き上げた聞き覚えのある声は――。
「ああ。起きてるね。失敗した」
「は?」
「無防備な杏ちゃんの寝顔。とっとと写メしときゃ良かったな」
「……」
死ね。物騒な言葉を胸の中で吐き捨てる。
こんな奴のために今日一日を費やしてしまったことに、一抹の後悔が宿った。
……というか此処、どう見てもカフェだよね……?
とっぷりと夜に浸かった外の光景を目にして愕然とする。店内の一角で図々しくも寝こけてしまったという事実が、自分でも信じられなかった。
「気にしないでいいよ。今日はそんな人が来なかったっていうし、もともと十九時で閉店予定だったから」
「っ、今、時間は」
「閉店三十分前。おはようございます。お客様」
見透かしたような台詞と、朗らかな笑顔。そんな奴の過剰な気遣いに、不本意にも救われた気がした。
ただ、それを見透かされるのが悔しくて。
「――っ、これ!」
「へっ?」
目を丸くした奴に、地味な無地の茶封筒を慌てて差し出した。
もっと優位に立ってから手渡す予定だったのに。カサカサと封筒を開ける音に遅れて、息を呑む気配がする。
「この本は」
「貢ぎ物じゃないからね。ただの、お返し」
「え?」
「……サイン本の」
口にするつもりはなかった。でももう後には引けない。
本探しは司書の性分だ。決して嘘ではない。
でもそれ以上にこんなにいい方法はないと思ったのだ。奴への借りを無しにする、またとない機会だと。
「貰いっぱなしは、性に合わないから」
「……」
「何か言えよ」
「……杏ちゃん」
こぼれ落ちた呼び名に、ようやく互いの視線がかち合う。
「本当にありがとう。昔に読んだ本で……もう、半分以上諦めてた」
驚きに遅れた喜びが、奴の顔にじわじわと広がっていく。心なしか頬も仄かに赤い。
「大切な、本なんだ?」
「うん。すごく」
「駅前通りからひとつ、ふたつ、みっつ……ってことはやっぱりこの辺のはずだよね」
誰に問うわけでもなく、地図とにらめっこをしながら私はひとり細道を進んでいく。
本がなによりの娯楽だった、今は亡き私のおじいちゃん。
おじいちゃんは、まだ幼い私を引き連れて本が集う様々な場所に連れていってくれた。その中でも特に記憶に残っている、あのお店。
おぼろげな記憶の中を辿り歩いた私はようやく、街の喧噪から身を引いた細道に、覚えのある風景をみつける。
「っ、この建物!」
古さを喜んで染み着けたような木造の壁に、メッキが剥がれ欠けたとたん屋根。おじいちゃんの旧友が経営する、知る人ぞ知る町外れの古書店だった。
突破口を見出せない奴の「お姫様探し」解決の一抹の望みを託し、私は歩みを進める。
「この古書店はなぁ……、もう何年になるかなぁ……」
行き着いた先で教えてもらったのは、不思議でも何でもない事実だった。
古書店の看板が外されていることには、お店の前まで来てすぐに気付いた。それでも期待と懐かしさで辺りをきょろきょろと見回していたところを、気の良さそうなおばさんに声を掛けられた。
古書店「元」店主の娘さんだった。
「父さん。五年前でしょ、お店を閉めたの。ごめんなさいねぇ、お茶くらいしか出せなくてねぇ」
「いいえ。どうぞお構いなく……」
あれよあれよと案内された居間の座布団に正座する。
すぐに姿を見せた元店主のおじいさんは、確かに記憶の中の面影のままだった。私のおじいちゃんに比べて目尻が柔らかく、額が少し前に出ている。
ゆらゆらと風に漂うように身体を揺するおじいさんに、私は改めて深く頭を下げた。
「突然ご訪問で、本当に申し訳ありません。祖父との記憶を辿ってここまで足を運んでしまって……その節は祖父がお世話になりました」
頭を下げると、おじいさんは間を空けながら「うん。うん」と満足げに頷く。
代わって明るく返答をしたのは、傍らに控えていた娘さんだった。
「いいんですよぉ! 父さんもほら、最近は全然人と話す機会もないもんだからねぇ。店のことも覚えててもらって、喜んでますよ。ねぇ、父さん!」
話を振られたおじいさんは、先ほどと同じように「うん、うん」と身体を揺らした。
最愛のおじいちゃんが亡くなったのは、私が高校一年の時。
それから約十年間、この古書店には一度も足を向けることがなかった。永遠とも思えたあの時間も、時の流れに変化を余儀なくされてきたのだと実感する。
微かに沁み入る切なさを胸に秘め、私は湯呑みに口を付ける。さらに深まった目尻の皺に気付き、笑顔で応えた。
「でも凄いわね~。書籍探しにわざわざこんなところまで? 熱心ね。きっとすごく大切な捜し物なんでしょうねぇ」
笑みを絶やさずにお茶を啜る娘さんに、私は曖昧に笑ってみせた。まさか天敵を一泡吹かせるための秘策とは言えまい。
しかしながら、ここまで足を運んだことは無駄ばかりではなかった。十年ぶりに、おじいちゃんの記憶と散歩することが出来たから。
「お忙しいなか本当にありがとうございました。私、そろそろ――、」
「何という本かな」
有無を言わせない厳かな口調に、続くはずだった言葉が途切れた。
「何という本かな」
「……あ、でも、もうお店は」
「ふふっ。教えてあげてくれる?」
隣の娘さんに促され、慌てて記録用のメモを取り出す。
おじいさんの目は先ほどからほとんど開かれていない。きっと視力が低下しているんだろう。
耳を研ぎ澄ますように待ちかまえているおじいさんに、刺繍を丹誠込めて縫いあげるように読んで聞かせた。これまで辿ってきたお姫様についての、すべての情報を。
そしてしばらくの間、おじいさんは相変わらず身体を揺すりながら沈黙を守る。ともに口を閉ざしていた私に、おじいさんはようやく笑いかけてくれた。
「善治郎(ぜんじろう)さんはなぁ。まったく、難儀なお子ばかり求めにくるわ」
善治郎。私のおじいちゃんの名だった。
「佐和子(さわこ)。十二番の棚の、二段目の奥から九冊目の様子を見てきなさい」
淀みなく告げられた。
呆気にとられたままの私に、娘さんは誇らしげな笑顔を浮かべて腰を上げた。
「すみません。あいつ、今日は休みを頂いているんです」
いつもなら歓喜の笑みを浮かべるはずの情報を、まさかこのタイミングで耳にするとは。
「カフェ・ごんざれす」に訪れてすぐさま耳に入った事実に、私は分かりやすく落胆してしまったらしい。すぐに取りなして注文を済ませたものの、栄二さんは終始こちらを気にしてくれているようだった。
奴が捜し求めていた「お姫様」――折角報告してやろうと思っていたのに。
今日は午後からの開店だったためか、人もさほど混みあってはいなかった。
いつものソファー席に腰を沈める。途端、かみ殺せなかったあくびが口から漏れ、慌てて手を添えた。
一日中歩き回っていたから、知らずのうちに疲れがたまっていたらしい。
手元にすり寄ってきたゴンちゃんに気付き、微笑みかける。温い頭を撫でているうちに、動きが緩慢になっていく自分に気付いていた。
やっぱり、疲れてる。早く甘味とカフェインで癒さなければ。
薄いレースから零れる春の日差しが、やけに温かかった。
「杏ちゃん? 起きてる?」
緩やかに開けていく視界。
かけられた声の主を咀嚼するうちに、まどろんだ意識が徐々に浮上してくる。
膝に掛けられた手触りの良いブランケット。体温を移し終えたソファーの背もたれに、私の身体はすっかり埋まりきっていた。
眩しかった日差しはすでになりを潜め、オレンジがかった電灯が店内を控えめに照らしている。
何より、先ほど私を夢の世界から引き上げた聞き覚えのある声は――。
「ああ。起きてるね。失敗した」
「は?」
「無防備な杏ちゃんの寝顔。とっとと写メしときゃ良かったな」
「……」
死ね。物騒な言葉を胸の中で吐き捨てる。
こんな奴のために今日一日を費やしてしまったことに、一抹の後悔が宿った。
……というか此処、どう見てもカフェだよね……?
とっぷりと夜に浸かった外の光景を目にして愕然とする。店内の一角で図々しくも寝こけてしまったという事実が、自分でも信じられなかった。
「気にしないでいいよ。今日はそんな人が来なかったっていうし、もともと十九時で閉店予定だったから」
「っ、今、時間は」
「閉店三十分前。おはようございます。お客様」
見透かしたような台詞と、朗らかな笑顔。そんな奴の過剰な気遣いに、不本意にも救われた気がした。
ただ、それを見透かされるのが悔しくて。
「――っ、これ!」
「へっ?」
目を丸くした奴に、地味な無地の茶封筒を慌てて差し出した。
もっと優位に立ってから手渡す予定だったのに。カサカサと封筒を開ける音に遅れて、息を呑む気配がする。
「この本は」
「貢ぎ物じゃないからね。ただの、お返し」
「え?」
「……サイン本の」
口にするつもりはなかった。でももう後には引けない。
本探しは司書の性分だ。決して嘘ではない。
でもそれ以上にこんなにいい方法はないと思ったのだ。奴への借りを無しにする、またとない機会だと。
「貰いっぱなしは、性に合わないから」
「……」
「何か言えよ」
「……杏ちゃん」
こぼれ落ちた呼び名に、ようやく互いの視線がかち合う。
「本当にありがとう。昔に読んだ本で……もう、半分以上諦めてた」
驚きに遅れた喜びが、奴の顔にじわじわと広がっていく。心なしか頬も仄かに赤い。
「大切な、本なんだ?」
「うん。すごく」
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