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第二章 再会、司書、幼馴染み。

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「小野寺さーん。お昼行きませんか……って、ありゃ。もしかして、レファレンス中でした?」
 蔵書検索ホームページを洗い出す手がぴたりと止まる。
 一瞬パソコン画面を隠そうとして、やめた。これも立派な蔵書検索依頼――つまりレファレンスだ。勤務時間内でも問題はない。
「うん。もう少しで終わるから、先に行っててもらえるかな」
「わっかりましたー!」
 敬礼付きの返答を残し、後輩の中吉ちゃんがスキップするように事務室を後にする。その背中を見送った後、私は腕を目一杯に伸ばして脱力した。
 奴が血眼になって探しているという書籍探索――個人的に言い表すと「お姫様探し」――は、意外にも困難を極めていた。
 職場の大学図書館に無いことは想定の範囲内だった。
 続いてネットからお姫様の正確な書籍名および著者名を洗い出し、書籍のデータベースの要であるISBNを書き留める。近隣の市営図書館や学校図書館、ネットで検索できる古本屋の蔵書までも確認してみたが、いずれも結果は芳しくなかった。
 周囲に人気がないのをいいことに大きく舌打ちをする。
「絶版っていうのは、どうやら本当か……」
 調べていくうちに知り得た情報。歴史ある図書館をしらみつぶしに探してみたが、お姫様は相当に隠れん坊がお好きらしい。
 奴はこの本に、どんな思い入れがあるというんだろう。
 小説でも実用書でも参考図書でもない。作者の歴史見聞がまとめられた二十年も昔の書籍だ。もしや、私のレファレンス能力を試すための罠だったりして。
「なんて、自意識過剰か」
「小野寺さんーっ! 大変! 大変ですよ~!」
「ッ!」
 先ほど出ていったはずの中吉ちゃんが、唐突に再び作業室に飛び込んでくる。
 再度舌打ちを響かせようと思った矢先、心臓が大きく飛び跳ねた。
 やばいな。最近の自分はやけに隙が多い気がする。例のカフェで変に油断が生まれているのだろうか。
「どうしましょう小野寺さんっ! 大変なお客様が来ちゃいました!」
 あー。心の中で疲弊の声を上げる。
 恐らく、いつものクレーマーおばさんか構っておじさんだな。状況を飲み込んだ私は、慌てふためく後輩を笑顔で宥めた。
「あのお客さんはしつこいし時間もかかるしで手強いからね。任せて」
「は、はいっ!」
「ご健闘を!」
 叫ぶように口にした中吉ちゃんに苦笑しながら、私は窓口に歩を進める。
 急ごう。処置が遅れるのは色々と面倒だ。
 息を整え背筋を伸ばし、窓口前に立つ人影に声をかけようとしたが――。
「よ。昼メシ、まだだよな?」
 その人影の正体は、ここ数日間姿を目にすることはなかった人物で。
「あー……ほらっ! 昼の弁当、どうせ同じ大学なんだからって、母さんが二人分作っちまったんだ。杏姉にも渡すようにって」
「……」
「杏姉の好物。出汁巻き卵も入れてあるって。だからさ」
 昼、一緒に食べねぇ?
 尻すぼみに告げられた幼馴染みからのお誘い。
 そして何より周囲から注がれる驚愕と好奇の視線に、私は今度こそ盛大に舌打ちをかましたくなった。



「昼前から張り込んでたんだよ。杏姉の後輩? みてーな子に呼び止められるまでずっと」
「なのに杏姉、なかなか出てこないんだもんよー」ぼやきながら手元のおにぎりを頬張る薫が横にいる。
 こやつの話を総合すると、二限目開始時間あたりからずっと図書館の入り口横に座り込み、私のことを待ち伏せしていたらしい。
 中吉ちゃん、頼むから天然の尾ひれを付けた噂話を拡散させてくれるなよ。無駄な願いと知りつつも願わずにはいれなかった。
 人目を憚って決めた場所は学部棟の外れ。ベンチの周りには人っ子ひとりおらず、安堵の息をつく。
 そんな私をよそに、このバスケ馬鹿は何とも暢気なものだ。いつの間にかお弁当の半分以上が消費されている。
 こめかみに痛みを覚えながら、私は手渡されていたお弁当のふたを開けた。途端、時が逆流したかのような錯覚に呑まれる。
 薫のおばさんに作ってもらったお弁当の彩りは、昔とちっとも変わっていなかった。いつもの定位置につめられていた出汁巻き卵をそっと頬張る。味も食感も学生の時に戻ったみたいで、思わず頬が緩んでしまう。
 きっと、二年ぶりに帰ってきた息子のために腕によりをかけたんだろう。おばさんらしい喜びの表し方だ。
「うまい、か?」
「……!」
 そしてようやく私は、お弁当箱の中でこちらを窺っているりんごのウサギに気付いた。
 先端が小さく欠け、左右の大きさが違っている耳。その不格好なウサギには覚えがあった。
 例えば、誰かさんと喧嘩した翌日。
 例えば、誰かさんの前で泣いた翌日。
『ごめんな』『元気出せ』まるで誰かさんが口にできない言葉を代弁するように、いつもちょこんとこちらを見上げていたのを思い出す。
「……ん。美味しい」
「! そ……そっか。美味いよな。うん」
「りんごはイマイチだけどね」
「ん、なッ!」
 悟られたことを、悟られたらしい。
 勢いよく振り向いた薫は、大きな瞳をさらに丸め頬は真っ赤に染まっていた。
 それでも、言い返したい反論を無理やり抑え込んでいるらしい。似合わないことを。
 悔しそうに髪の毛をくしゃりと押さえつける横顔も、口をへの字にして押し黙る仕草も。そんな幼馴染みとの時間は、本当に久しぶりだった。
「……ふふ」
 肩の揺れを押さえきれず、気付いたら私はくすくすと笑っていた。
 笑いながら、目尻に浮かんだものを指のひらに隠す。
「何だよっ! なに笑ってんだよ杏姉……!」
「だって誰かさんがやけに腰が低いんだもん。気持ちわる」
「気持ち悪いだあっ!? どういう意味だコラ!」
 嬉し涙だった。
 薫もまた、後悔して苦しんできた。
 そして何より、またこうして会いに来てくれた。それを伝えにきたのだと知って。
「にしてもよー。杏姉が本好きなのは知ってたけど、まさか図書館のおねーさんになってるとはなぁ」
 すっかり調子を取り戻したらしい薫に、「おねーさんじゃなくて司書」と短く訂正する。「秘書?」「司書」馬鹿なところも相変わらずだ。
「杏姉は昔から本ばっかだったもんな」
「おじいちゃんがいたからだよ。よく連れていってもらったから。おじいちゃん秘蔵の書籍館」
「あー。町の外れにあるやつな」
 殊勝にも覚えていたらしい。
 とはいえ当時小学校低学年だった薫は、私が夢中で本を読み耽ている傍らで、早々に寝息を立てているのが常だったが。
「じーさんもよく本の為に別荘なんて買ったよな。あそこは結局どうなったんだっけ?」
「亡くなったおじいちゃん名義のまま。将来的に私が継ぐよ。社会人になってそこそこだし、いい頃合いかもね」
「ははっ、さすが。本の虫の孫」
 からかいを含んだ笑い声をあげる。
 おじいちゃんのような年輩者にも物怖じしない様子の薫の横で、私はふと、遠い日のある記憶に焦点がぴたりと重なるのを感じた。
 そうだ。
 まだおじいちゃんが生きていた頃、知り合いの人からやけに難解な書籍探しを何度か依頼されているのを見たことがある。まだ今みたいに、ネットも管理システムも構築されてない時代だ。
 おじいちゃんは依頼された書籍を、どうやって見つけてたんだっけ――?
「また、見に来いよ」
「は?」
「だーからっ、ほら! バスケの試合ッ!」
 こちらが考え事に沈みかけていたとはいえ、薫の話が唐突に飛ぶのも相変わらずだ。それでも表情に若干の照れが含まれているのは、二年の歳月のためだろうか。
「こっちのバスケ部入ったんだ。すでにレギュラー候補。当たり前だけどな」
「候補で胸を張るな。バスケ馬鹿」
 軽口を返すも、薫の実力はちゃんと理解している。
 小さい頃からひたすら本の世界に魅せられていた私と同様、薫も小さい頃からバスケの魅力に憑かれていた。
「バスケ馬鹿上等! 言っとくけど、杏姉が知ってる俺よりもさらにレベルアップしてるから。心して観戦に来るがいい!」
 行くこと前提の話しぶり。それでも、きらきら輝く子供みたいな笑みは、理屈も超越する力を秘めている。
 こいつは昔から、こういう奴だった。
「変わらないね。薫」
 薫の箸が止まる。ゆっくりと細められたその瞳が、胸の奥に懐かしい温かさを灯した。
「そりゃ、杏姉もだろ」
「ふふ。そっか」
「……会えて良かった」
 不覚にも胸が詰まった。
 私も全く、同じことを言おうとしていたから。
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