小樽あやかし香堂

森原すみれ@薬膳おおかみ①②③刊行

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第三章 牡丹の香り、化け猫と猫

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 頭がぐらりと大きく揺れたかと思えば、紬の体は再びどしんと大きな尻餅をついている。
 立て続けの移動術か。今日はまあよくあちこちに体を移される日である。

「ここは……」

 辺りには、草原を大きく撫でる風の音が辺りに立ちこめていた。
 地面についた手からは瑞々しい草と土の感触がする。橙と紫を混ぜ込んだ日暮れに染められたそこは、恐らくハルに告げられた場所のどこかなのだろう。

「ここが、天狗山……」

 確か小樽にある有名な山で、北海道三大夜景にも選ばれた観光名所だと聞いたことがある。
 打った腰をさすりながら、立ち上がった紬は改めて辺りを見回す。すぐに開けた場所からは、ちょうど瞬き始めた市街地の夜景が見下ろすことができた。それはまるで地に降りた夜空のようで、思わず紬の目が奪われる。

 一瞬、記憶の琴線に触れたように、目の前の光景が何かと重なった。

「って、見惚れてる場合じゃない……!」

 すぐに我に返った紬は、ふるふると首を横に振り夜景に背を向けた。
 めぼしい手がかりは何もない。それでも、今自分ができることをしよう。紫苑を救うために。

 天狗山の主なら紫苑の症状を抑える法を知っている。そうハルは言っていた。天狗山の主と言われれば。

「天狗、だよね。やっぱり」

 口にしたあと、ぐっと口を締める。
 天狗といえば、山の神との別称を持つ、あやかしの中でも上位の力を誇る存在だ。
 天狗と一言にいえど種類により外観も様々ある。一般的に知られる姿は赤い顔に長い鼻、山伏衣装の鼻高天狗や、烏のようなくちばしと羽を持つ烏天狗だろう。

 紬はいまだ天狗という存在に会ったことはないが、安易に近づくべき存在でないことは理解していた。
 すうと息を吸い、覚悟を決める。
 紫苑はいつもあの症状が出る前に、天狗の元を訪れていた。つまり、天狗はもちろん紫苑とは既知の仲というわけだ。自分が紫苑の使いの者と信じてもらえれば、助けてくれる見込みはある。

 ご丁寧に草履も共に飛ばしてくれたらしいハルに心の中で礼を告げつつ、紬は木々の生い茂る山の中へと入っていった。
 次第に深くなっていく深緑の森。日暮れも徐々に夜へと解けていき、当たりはいよいよ見通しがつかなくなっていく。

「ひとまず、人がいる場所に出なくちゃ。何か、照明のようなものは……」

 通路から離れているためか、中途半端に日の光があるためか。照明のありかがなかなか掴めず、ただただ山道は深くなっていく。

「天狗さん! 天狗さーん! いらっしゃいますか!?」

 どうせ人目はないのだ。遠慮する必要もないのだと気づいた紬は、おもむろに声を上げた。

「天狗さん! 紫苑さんが大変なんです! どうか、どうか姿を見せてください……!」

 声を上げながら、ひたすらに歩みを進めていく。
 考えろ。考えろ。天狗がいる場所を探る方法を。今まで書籍等で得た知識と辺りの些細な感覚をひたすら拾い上げ、紬は頭をぐるぐる回し続ける。

 天狗は神通力を持ち、山に訪れる人に様々な怪現象をみせるとされている。
 例えば、突然に空から石を降らせる「天狗つぶて」や、気の倒れる音で脅かす「天狗倒し」。子どもが森で行方不明になり、戻ると天狗の話をする「天狗隠し」もそうだ。

「あとは……あとは、何だったっけ……?」

 まだ何か書籍で見た怪現象があった気がするが、思い出せない。ひとまず今引き出した天狗の特徴をあれこれ照らしてみるも、結局目に見えた打開策も浮かばなかった。
 こうして声を張るしかできないのか。
 紫苑の香の力がなければ、自分は、何の力も──。

「あ……」

 よろめいた足を支えるため、紬の手が側に植わった木肌に触れる。やや乾いた部分が細かくめくりあがり、手のひらに独特の感触をもたらす。
 今触れた木は紬の両手でも囲えないほどの大きな木だが、周囲には当然まだ若く木々も植わっていた。まだ皮の色も薄く、握れば片手でもどうにか周囲を囲えそうな程の細い木々。

 くらり、と紬の思考が揺れた。

 ──あの者を助けたいのだろう。
 助けたい。だって私の恩人だもの。何とかしてあげたい。

 ──しかし、ここで山を冒す真似をしたら最後、お前の身がどうなるか知れん。
 そんなの構わない。私のことよりも、私は紫苑さんのことがずっと大切なの。

 ──その思いに、偽りはないな?
 ない。あんなに苦しそうにしてる紫苑さんを助けることができるなら。

 ──それならば、
 もしも。

 もしも今この木を手折ることができれば、天狗は姿を見せるだろうか?

 天狗は山の神だ。棲まう山を冒されれば怒りを買い、災いをもたらされることになるだろう。次第に遠くなる意識で考えながら、紬の手がそっと目の前の若い木の一つに伸びる。

 呼吸が浅くなる。いつの間にか周囲が闇に伏され、紬と若い木一本のみが残された。まるでもやがかかった心地の中、自分の心臓の鼓動音だけが耳の奥に響いている。瞬き、呼吸が遠くなっていき、体が冷たくなっていく。

 紬の指先が、若い木にそっと触れた。

「……ごめんね。そんなこと、できるわけないよね」

 触れた指先から力が抜け落ち、紬はただ詫びるように木肌を撫でた。
 熱い息が漏れ出る。目頭にも熱を帯び、紬はぐっと瞼を固く閉ざした。

 ごめん。ごめん。本当にごめんなさい。こんなことを考えるなんて、どうかしている。
 自然を無闇に痛めつけることで天狗をおびき出すなんて、紫苑がどんな顔をするというんだろう。人もあやかしも、全てのものに愛を注ぐあの人が、一体どんな顔を。

「天狗のことは、私が自分の力で探さなくちゃ、意味がないのに……」
「ほう。俺の幻術を破ったか」
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