小樽あやかし香堂

森原すみれ@薬膳おおかみ①②③刊行

文字の大きさ
上 下
43 / 64
第三章 牡丹の香り、化け猫と猫

(3)

しおりを挟む
「え、そうなんですか?」

 紬を安心させるための出任せかとも思ったが、どうやらそうではないらしい。

「ほら。ハルも当たり前のように粥の作り方を指示出ししていたでしょう。今までもこういう時は大体、ハルが粥を作ってくれてたんだよね」
「そうだったんですね。あ、それじゃあ、ハル先輩のお粥の方がお口に合ったんじゃ」
「はは。紬さんは本当に優しいね」

 紫苑の白い手が、そっと紬の前髪をなで上げる。その温もりがいつもよりも冷たく感じて、まだ全快ではないことがうかがえた。思わず心配する感情が視線に乗ってしまったのか、紫苑は困ったように眉を下げた。

「こんなふうに心配されるのは、何年ぶりかな」
「そんなこと。ハル先輩だって口はああですけど、内心はとても心配していますよ?」
「はは。そうか。そうだよね」

 額に佇んでいた紫苑の手が、そのまま紬の頬に降りてくる。僅かに耳の下辺りにかけられた長い小指に、紬は小さく身を捩った。

「紫苑さん……あの、少し、くすぐったいです」
「君もいつか……『ああまたか』って言ってくれるくらいに、俺との時間に慣れてくれるかな」
「え?」

 その声色が意外で、紬は紫苑の顔を見上げた。

「それともやっぱり、君もいつか俺のそばからいなくなるのかな」

 そう零す紫苑は、いつもとはまるで正反対の表情を浮かべていた。
 まるで眼差しだけで相手の身動きを塞ぐような、冷たい氷の瞳。

「紫苑、さん?」
「……ああごめん。やっぱり病み上がりでちょっと気が落ちてるかな」

 頬に触れていた手が離れていく。次に見えた紫苑の表情は、いつもと同じ朗らかな笑顔だった。まるで、今のやりとりが紬の記憶違いと思わせるほどに。

「紬さんとこうして一緒に暮らすのが当たり前になっているからね。体調不良で、ちょっと感傷的になったみたいだ」
「一緒に」
「え?」
「一緒に、いますよ」

 思わず口から漏れ出た言葉だった。

「私でよければ、一緒にいます。紫苑さんがそう望んでくれるのなら……」
「……」
「だから、その」
「そういうことは、あまり軽々しく言わない方がいい」

 頬に滲んでいた熱が、さっと霧散していくのがわかった。

「そんな口約束は、君の足枷にしかならない」
「足、枷?」
「前にも言ったでしょう。あまり純粋がすぎると、それにつけ込もうとする悪人だっている」

 その悪人が、紫苑だと?

 口に出せないまま目を剥いている紬に、今度こそ弁解が返ってくることはなかった。再び垣間見た冷たい表情が変わることはなく、紫苑の背が店の奥へと消えていく。
 相変わらず足音のまるで聞こえないその去り姿が、酷く哀しかった。

   ***

「それはずばり、セーリなのダ!」

 翌日。
 香堂の昼休憩に訪れた中央橋では、浪子の他にも見覚えのある少年の姿があった。
 あっけらかんと口にしたお豆の発言に、隣の浪子が無遠慮にげんこつを落とす。

「痛いのダ浪子姉! だって時々来る体調不良で食欲なくてイライラしてて機嫌が悪くなって……っていったらセーリしかないのダ」
「た、確かに、それなら話が通るかも……?」
「デリカシーのないちびっ子は黙ってなさい。紬も納得しかけるんじゃない!」

 呆れた様子で息を吐いた浪子は、何やらお洒落な飲み物を片手に中央橋のベンチに腰を下ろした。運河をそよぐ風に髪をなびかせる姿は、毎度のことながら惚れ惚れするほど美しい。

「紫苑くんが時々疲れた様子なのは、アタシも確かに見かけたことがあるわ。人間なんだもの、そんなの別に普通でしょう」
「そう、ですよね。あんなにお疲れの紫苑さんを初めて見たので、すこしだけ過敏に驚いてしまったのかもしれません」
「人間っていうけど、そもそもあいつはあの橘家の人間なのだ。普通の人間とは全然違うのダ」
「馬鹿お豆。要らないことを言うんじゃない」

 再びげんこつが落とされ、お豆がしばらく頭を抑えてそこにうずくまる。浪子の素早い反応に紬は目を瞬かせた。

「浪子さんも、もしかして知っているんですか。紫苑さんと橘家の関係みたいなものを」
「まあ、一応噂半分にはね」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた

下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。 ご都合主義のハッピーエンドのSSです。 でも周りは全くハッピーじゃないです。 小説家になろう様でも投稿しています。

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

母が田舎の実家に戻りますので、私もついて行くことになりました―鎮魂歌(レクイエム)は誰の為に―

吉野屋
キャラ文芸
 14歳の夏休みに、母が父と別れて田舎の実家に帰ると言ったのでついて帰った。見えなくてもいいものが見える主人公、麻美が体験する様々なお話。    完結しました。長い間読んで頂き、ありがとうございます。

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。

松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。 そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。 しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。

【完結】Amnesia(アムネシア)~カフェ「時遊館」に現れた美しい青年は記憶を失っていた~

紫紺
ミステリー
郊外の人気カフェ、『時游館』のマスター航留は、ある日美しい青年と出会う。彼は自分が誰かも全て忘れてしまう記憶喪失を患っていた。 行きがかり上、面倒を見ることになったのが……。 ※「Amnesia」は医学用語で、一般的には「記憶喪失」のことを指します。

白い結婚三年目。つまり離縁できるまで、あと七日ですわ旦那様。

あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
異世界に転生したフランカは公爵夫人として暮らしてきたが、前世から叶えたい夢があった。パティシエールになる。その夢を叶えようと夫である王国財務総括大臣ドミニクに相談するも答えはノー。夫婦らしい交流も、信頼もない中、三年の月日が近づき──フランカは賭に出る。白い結婚三年目で離縁できる条件を満たしていると迫り、夢を叶えられないのなら離縁すると宣言。そこから公爵家一同でフランカに考え直すように動き、ドミニクと話し合いの機会を得るのだがこの夫、山のように隠し事はあった。  無言で睨む夫だが、心の中は──。 【詰んだああああああああああ! もうチェックメイトじゃないか!? 情状酌量の余地はないと!? ああ、どうにかして侍女の準備を阻まなければ! いやそれでは根本的な解決にならない! だいたいなぜ後妻? そんな者はいないのに……。ど、どどどどどうしよう。いなくなるって聞いただけで悲しい。死にたい……うう】 4万文字ぐらいの中編になります。 ※小説なろう、エブリスタに記載してます

おにぎり屋さんの裏稼業 〜お祓い請け賜わります〜

瀬崎由美
キャラ文芸
高校2年生の八神美琴は、幼い頃に両親を亡くしてからは祖母の真知子と、親戚のツバキと一緒に暮らしている。 大学通りにある屋敷の片隅で営んでいるオニギリ屋さん『おにひめ』は、気まぐれの営業ながらも学生達に人気のお店だ。でも、真知子の本業は人ならざるものを対処するお祓い屋。霊やあやかしにまつわる相談に訪れて来る人が後を絶たない。 そんなある日、祓いの仕事から戻って来た真知子が家の中で倒れてしまう。加齢による力の限界を感じた祖母から、美琴は祓いの力の継承を受ける。と、美琴はこれまで視えなかったモノが視えるようになり……。 第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。

たこ焼き屋さかなしのあやかし日和

山いい奈
キャラ文芸
坂梨渚沙(さかなしなぎさ)は父方の祖母の跡を継ぎ、大阪市南部のあびこで「たこ焼き屋 さかなし」を営んでいる。 そんな渚沙には同居人がいた。カピバラのあやかし、竹子である。 堺市のハーベストの丘で天寿を迎え、だが死にたくないと強く願った竹子は、あやかしであるカピ又となり、大仙陵古墳を住処にしていた。 そこで渚沙と出会ったのである。 「さかなし」に竹子を迎えたことにより、「さかなし」は閉店後、妖怪の溜まり場、駆け込み寺のような場所になった。 お昼は人間のご常連との触れ合い、夜はあやかしとの交流に、渚沙は奮闘するのだった。

処理中です...