小樽あやかし香堂

森原すみれ@薬膳おおかみ①②③刊行

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第一章 寄す処(よすが)を失くした乙女、小樽へ行く

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「浪子さんは、小樽運河に棲まう河童なんだ」

 営む店舗への道すがら、紫苑は口にした。

「見た目はほとんど人間のそれだから、人間として暮らすことも出来るんだけどね。浪子さんはあの運河でのびのび過ごすほうが性に合ってるんだって」
「確かに、運河に飛び込むときの浪子さん、とてもいきいきしていましたもんね」

 それでもやはり、好いた異性の前で美しくありたいという気持ちは、人も河童も変わらないのだろう。
 浪子は、紫苑が来ると知っているときはいつも頭上高くポニーテールをくくっているらしい。それはつまり、紫苑にはできる限り頭上の皿をみせたくないという、乙女心によるものだったのだ。

 先ほどふいに解けたポニーテールに、浪子は紬が見てわかるほどに狼狽した。とっさにかんざしを押しつける形になってしまったが、急場しのぎで再び皿を隠すことに成功した紬に浪子は小声で呟いた。

「ありがとね」──と。

「それにしても、浪子さんへの贈り物は、私のキャリーバッグと引き換えるためだったんですね」

 今隣を歩く紫苑の手には、運河に投げ込まれたはずの紬のキャリーバッグが握られていた。
 かんざしのやりとりもあってか、どうやら浪子は紬の選んだ浮き玉のことも認めてくれたらしい。小樽運河へ華麗に姿を消すと、次の瞬間には再び水面に姿を見せた。
 その腕に、見覚えのあるキャリーバックを抱えて。

「紫苑さんも、それならそうと先に教えてくれても良かったんですよ。そうすれば私自身で、きちんと浪子さんにお詫びの品を用意しましたから」
「浪子さんは初対面の女性には総じて気難しいからね。俺からと言って手渡したほうが互いにいいと思ったんだ」

「それに」といって紫苑は口元に柔らかな笑みを象る。

「その事情を話したら、きっと紬さんは俺とゆっくり観光になんて回ってくれなかったでしょう」
「そ、そんなことは」
「そうかな? それならよかった」

 とっさに否定した紬に、紫苑は満足そうに答える。しかしその笑みは、紬の動揺まで見据えているような気がしてならなかった。

 確かに事情を先に話されていれば、すぐにでも浪子への詫びの品を渡すことに躍起になっていたかもしれない。自分の服も戻ってくるし、いまだにまとったままの着物も紫苑に返すことが出来る。
 そうすればきっと──この小樽の街にここまで惹かれることもないまま一観光客として、笑顔で去れるはずだったのだ。

「着いたよ」

 すっかり夜が更けてしまった星空を背に、紫苑の陶器のような白い肌が艶やかに浮かび上がる。

「はい。ありがとうございます」
「ごおら紫苑! お前店じまいまで俺に押しつけやがってー!」

 店舗裏の屋敷から、先ほども目通しした少年──ハルが眉をつり上げながら飛びかかってきた。
 紫苑は表情を崩さないまま、その小柄な体を手際よく脇に抱える。ハルはその薄茶色の髪の毛を逆立てるようにしてじたばたと暴れた。

「ごめんごめん。紬さんの案内をしていたら、思わず時間を忘れてね」
「ご、ごめんなさいハルくん。迷惑をかけてしまって」
「本当だ! 労働基準監督局に訴えてやろうか。子どもを勤務に従事させるのは本来禁止されてんだぞ!」
「それはよく調べたね。けれど残念ながらお前はあやかしだ。そもそも人の作ったルールには縛られることもない」
「こんのパワハラ店主!」
「なんとでも」

 それでも睨み合った視線が離れるタイミングを見るに、この関係性は互いが納得ずくで築かれたものなのだろう。
 まるで年の離れた兄弟のやりとりを見ているようだ。

 促された紬は、二人の後を追って屋敷の中へと入っていく。
 主人の帰りを待ちわびた屋敷に明かりが灯された光景はどこか幽玄で、紬の胸には一抹の哀愁が過った。
 この街で自分に施された素敵で甘美な魔法も、そろそろ切れる頃だ。

「荷物は、ひとまずこちらの部屋に」
「はい。何から何まで、本当にありがとうございます。服、着替えますね」

 そう付け加えた紬は、努めて笑顔のままその部屋のふすまをくぐった。

 そして次の瞬間──目の前に広がった光景にはっと息をのむ。

「どうかな?」

 斜め後方から静かに問いかける声がした。それにすぐに答えられないほどに、紬は目の当たりにした世界に目を奪われる。
 手入れの行き届いた畳敷きの室内。そこには数え切れないほどの色鮮やかな着物たちが、部屋いっぱいに飾られていた。

 衣紋(えもん)掛けにつるされた着物もあれば、艶やかな糸入りの衣装敷きの上にゆったりと寝かされた着物もある。その柄も様々で、桜、菊、蝶、唐草、八つ手、矢絣(やがすり)、麻の葉と様々な文様がそれぞれに魅力を放っていた。
 それはまるで、愛情たっぷりに育て上げられた木や花たちように感じられ、紬の胸が温かなものでいっぱいになる。

「……素敵、です。まるで異国情緒たっぷりな、この街を表しているみたい……」
「はは、確かに。ここに揃った着物は、どれもどこか懐古趣味な風合いのものばかりだからね」
「あ、確かにそうですね」

 言われてみれば取りそろえられた着物はどれも、昭和モダンとも大正ロマンとも思える鮮やかなデザインばかりだ。それが余計に紬の胸をくすぐったに違いない。
 懐古趣味を差し置いたとしても、紬あたりの年代の女子たちには、きっと溜まらないデザインだろう。

「よかった。気に入ってくれたみたいだね」
「もちろんです。最後にこんな素敵な着物を見せてくださるなんて、本当にありがとうございます」

「見せるだけじゃないよ。この着物たちは、今日から君の好きに使っていい」
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