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第11話 沙羅さんは私の想い人―2
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「いったい、林プロの方は何を考えているのかしら!?」
向かった先の料亭で、案の定私は厳しい雷に打たれることになった。
「資料作成もまともに出来ないなんて、仕事を何だと思っているの!?」
「誠に申し訳ございません!」
「ま、まあまあ。落ち着いてよママ」
マネージャーの母親を落ち着かせてくれる朝比奈さんにも、今一度深く頭を下げる。
「朝比奈さんにもご心配をおかけしました!」
「いいえそんな。私が頂いた資料は、特に不備もありませんでしたから」
ふわりと柔らかく微笑んだ朝比奈さんに、ほんの少し救われた心地になる。
それほど、マネージャーさんの怒りは凄まじいものだった。とはいえ、言い訳の余地もない。つり上げられる目の前の眉に、縮みそうになる肩を必死に押さえる。
「まったく。だから甘ったれた女性スタッフは使えないと言うのに」
「っ、も、申し訳ございませ……、」
「そんなことはありませんよ、加世子さん」
低い声が、私たちの張りつめた空気を一蹴した。彼女の背後から姿を現した金髪の長身に、ドキッと心臓が高鳴る。
「現に、女性の貴女がこうしてご立派な女優を育てられている。それだけを見ても、女性を卑下する理由はどこにもありません。でしょう? 加世子さん」
「そ、そんな大したことは……」
わお。どうやら金髪美形小説家モードが発動中らしい。そして“加世子さん”というのは朝比奈さんのお母さんの名前のようだ。
怒りのトゲは容易く消え、加世子マネージャーの瞳は既に私を見てはいない。
さすが日下部先生。清々しいくらいに顔の使い分けがお上手だ。
「堀井さん。私の資料も確認しました。こちらも問題はないようです」
「は、はい。ご確認ありがとうございます、日下部先生……っ」
若干顔をひきつらせながら私はペコリと頭を下げた。そろりと上げた時には日下部先生が目前に居て、私はますます顔を強ばらせる。
背後の女性二人に気づかれない立ち位置。ニヤリと笑みを浮かべ、目の前の口が無音で象った文字は。
ま、ぬ、け、づ、ら。
「……!」
ガキ大将のような横柄な顔が、私にのみ無遠慮に向けられる。
反射的に何か口に出そうになったものの、すんでのところで飲み込んだ。
「そうそう。私も午後からのインタビューで確認したいところがあったんですよね。堀井さん、沙羅君がどこにいるかはご存じで?」
「は、はい。今なら林プロの控え室に……」
「それなら私もご一緒しても宜しいですか? 私も午後のインタビューの流れで少し確認させていただきたいので」
「それでは一緒に行きましょう、朝比奈さん」
「私も監督に少々お話がありますので、この辺りで」
三人が席を立ち、私はぽつんと残される。
「これ以上のミスでうちの子に迷惑をかけることだけは許さないから、そのつもりでね」
「っ、承知しました。誠に申し訳ございませんでした……!」
料亭の出際、加世子マネージャーから再度釘を刺された私は、何度目か分からない頭を下げて三人を見送った。
……だめだめ。落ち込むな、自分。しょぼくれそうになる心を奮い立たせ、再び手帳を見る。
逢坂さんとタイガ君の昼食の予約したのは、五階の個室レストランだ。午後のインタビュー前に資料の確認をすませなくては。
何とか表情を整えた私も、その場を早足で後にした。
「タイガ!」
向かった先の個室レストランに、その声は響いた。
一時騒然とした店内から、私のいる入り口付近に小さな足音が近づいてくる。
「タイガ君?」
「っ!」
私の姿に気づいたらしいタイガ君だったが、そのまま私の横をすり抜けていった。目尻に光る涙に、追いかけようとした歩みが反射的に止まる。
喉に詰まる不安感を覚えながら、私は父親である逢坂さんの個室部屋へと向かった。
「逢坂さん……今、宜しいでしょうか?」
「堀井さんですか。どうぞ」
凪のように穏やかな口調で促され、私は個室の扉を開けた。中にいる逢坂さんは、携帯電話をじっと見つめ席に腰を下ろしていた。
机に広がる昼食は二人分とも、さほど手をつけられていないようだった。
「その、タイガ君と、何か……?」
「携帯を見せろと言われました」
逢坂さんが、か細い自嘲を浮かべる。
「電話は、タイガの目に付かない場所でしていたつもりだったんですが」
「え?」
「どうやら……妻の他の女がいると思われたみたいですね」
(俺、知ってるんだ。父さんが、俺に何か隠し事をしてるって)
昨日、旧校舎の屋上で交わされたタイガ君との会話。それが今、言葉となって逢坂さんにぶつけられたのだとわかった。
「まさか、息子からそんなことを言われる日が来るとはな」
背もたれに背中を預けた逢坂さんが、全てを諦めたように天を仰ぐ。
「ダメだな。やっぱり、こんな情けない父親じゃあ」
「おう、さかさん」
「俺だけじゃ……もう、無理だ」
その時だった。
過去の引き出しを触れられたような感覚が、頭の片隅に響いたのだ。
目の前の逢坂さんの姿が、記憶の中の誰かと重なっていく。昨日にかすかに感じたデジャヴよりも、より色濃く。
あれは確か、私がまだ子供の頃──。
「……!」
ようやくたどり着いた記憶に、私は息をのんだ。電話にすがるような情けない瞳も、我が子に責め立てられて見えた無力感も、すべてに見覚えがあったのだ。
「ッ、おうさ……っ」
ピリッ……。
「Hello?」
一瞬響いた機械音に、逢坂さんはすぐさま反応した。携帯電話を耳に当てた瞬間、瞳がそっと見開かれる。
「……Yeah, I see.」
逢坂さんの口元にふわりと笑みが咲く。同時に、目元から綺麗な滴がこぼれ落ちた。
「お待たせしてすみません、堀井さん」
「今の電話は……奥様からですよね?」
自然と紡がれた言葉だった。
見開かれた逢坂さんの瞳。その中にある真実を見極めたくて、不躾を承知で私はじっとみつめる。
タイガ君の目に付かないように、逢坂さんは入院中の奥さんと連絡を取っていた。そんなことをする理由は、たった一つしか思いつかなかった。
そうだとしたら、きっと、タイガ君のお母さんは──。
「……ああ、そうか」
逢坂さんは、まるで子どものような笑みをこぼした。
「君、本当は瞳は青色なんだな」
予想外の返答に、今度は私が驚く方だった。
「コンタクトをしているね。メガネ越しだったから、今の今まで分からなかったけれど」
「え、ええっと……」
「だからかな。君と話していると、自然とアリスの顔が浮かんでくる」
「……アリス?」
「タイガの母親だよ」
もう切れたはずの携帯電話を眺めて、逢坂さんは笑った。
「大丈夫だって、頭ではわかっているんだ。わざわざこの国まできて、名医と言われる医者に頼んだ。だからこそアリスとも話したんだ。タイガには伝えないでおこう、無駄な心配をかける必要はないって」
「逢坂さん」
「それなのに、大切な子供1人だまし通せないなんて……俳優失格だな」
大切だからこそ、心配をかけたくなくてついた嘘。でもその優しさが今、親子の間をどうしようもなく引き裂いている。
「っ、堀井さん?」
驚きをはらんだ呼びかけを背に、私はレストランを飛び出した。きっと余計なお世話になるだろう。それでも、このまま傍観者でいられなくて、私はタイガ君の姿を探した。
お父さんは、貴方を裏切っているわけじゃないよ、タイガ君……!
まるで、昔の自分の背中を追う心地だった。
ひとまず、取材のために貸し切っている二十階のフロアに向かう。エレベーターのボタンを連打し、到着すると同時に飛び出した。
手当たり次第にフロアをぐるりと駆け抜ける。するとすぐそばの階段で、何か小さな物陰が動くのが分かった。
「タイガ君!?」
逃げられまいと慌てて駆け寄った私は、階段の前までたどり着きその足を止めた。タイガ君は、逃げることなくそこにいたのだ。
小さな身体が階段にもたれるように、ぐったりと気を失って。
「タ、──っ!?」
タイガ君、と悲鳴を上げかけたものの、それはかなわなかった。
誰かに強引に後ろから腕を回され、羽交い締めにされる。反射的に抵抗するも、振り返ろうと捩った身体はいとも容易く封じられた。
足下で、カシャンと何かが落ちる音がする。
「大人しくしろ」
低い声がしたかと思うと、妙な臭いのする何かが口元を覆う。息苦しさと同時に襲ってきたのは、強力な睡魔だった。
意識が……遠く……。
「別に、怪我をさせようってつもりはない」
せめて、タイガ君だけでも。そう思って伸ばした手は、結局途中で力尽きた。
向かった先の料亭で、案の定私は厳しい雷に打たれることになった。
「資料作成もまともに出来ないなんて、仕事を何だと思っているの!?」
「誠に申し訳ございません!」
「ま、まあまあ。落ち着いてよママ」
マネージャーの母親を落ち着かせてくれる朝比奈さんにも、今一度深く頭を下げる。
「朝比奈さんにもご心配をおかけしました!」
「いいえそんな。私が頂いた資料は、特に不備もありませんでしたから」
ふわりと柔らかく微笑んだ朝比奈さんに、ほんの少し救われた心地になる。
それほど、マネージャーさんの怒りは凄まじいものだった。とはいえ、言い訳の余地もない。つり上げられる目の前の眉に、縮みそうになる肩を必死に押さえる。
「まったく。だから甘ったれた女性スタッフは使えないと言うのに」
「っ、も、申し訳ございませ……、」
「そんなことはありませんよ、加世子さん」
低い声が、私たちの張りつめた空気を一蹴した。彼女の背後から姿を現した金髪の長身に、ドキッと心臓が高鳴る。
「現に、女性の貴女がこうしてご立派な女優を育てられている。それだけを見ても、女性を卑下する理由はどこにもありません。でしょう? 加世子さん」
「そ、そんな大したことは……」
わお。どうやら金髪美形小説家モードが発動中らしい。そして“加世子さん”というのは朝比奈さんのお母さんの名前のようだ。
怒りのトゲは容易く消え、加世子マネージャーの瞳は既に私を見てはいない。
さすが日下部先生。清々しいくらいに顔の使い分けがお上手だ。
「堀井さん。私の資料も確認しました。こちらも問題はないようです」
「は、はい。ご確認ありがとうございます、日下部先生……っ」
若干顔をひきつらせながら私はペコリと頭を下げた。そろりと上げた時には日下部先生が目前に居て、私はますます顔を強ばらせる。
背後の女性二人に気づかれない立ち位置。ニヤリと笑みを浮かべ、目の前の口が無音で象った文字は。
ま、ぬ、け、づ、ら。
「……!」
ガキ大将のような横柄な顔が、私にのみ無遠慮に向けられる。
反射的に何か口に出そうになったものの、すんでのところで飲み込んだ。
「そうそう。私も午後からのインタビューで確認したいところがあったんですよね。堀井さん、沙羅君がどこにいるかはご存じで?」
「は、はい。今なら林プロの控え室に……」
「それなら私もご一緒しても宜しいですか? 私も午後のインタビューの流れで少し確認させていただきたいので」
「それでは一緒に行きましょう、朝比奈さん」
「私も監督に少々お話がありますので、この辺りで」
三人が席を立ち、私はぽつんと残される。
「これ以上のミスでうちの子に迷惑をかけることだけは許さないから、そのつもりでね」
「っ、承知しました。誠に申し訳ございませんでした……!」
料亭の出際、加世子マネージャーから再度釘を刺された私は、何度目か分からない頭を下げて三人を見送った。
……だめだめ。落ち込むな、自分。しょぼくれそうになる心を奮い立たせ、再び手帳を見る。
逢坂さんとタイガ君の昼食の予約したのは、五階の個室レストランだ。午後のインタビュー前に資料の確認をすませなくては。
何とか表情を整えた私も、その場を早足で後にした。
「タイガ!」
向かった先の個室レストランに、その声は響いた。
一時騒然とした店内から、私のいる入り口付近に小さな足音が近づいてくる。
「タイガ君?」
「っ!」
私の姿に気づいたらしいタイガ君だったが、そのまま私の横をすり抜けていった。目尻に光る涙に、追いかけようとした歩みが反射的に止まる。
喉に詰まる不安感を覚えながら、私は父親である逢坂さんの個室部屋へと向かった。
「逢坂さん……今、宜しいでしょうか?」
「堀井さんですか。どうぞ」
凪のように穏やかな口調で促され、私は個室の扉を開けた。中にいる逢坂さんは、携帯電話をじっと見つめ席に腰を下ろしていた。
机に広がる昼食は二人分とも、さほど手をつけられていないようだった。
「その、タイガ君と、何か……?」
「携帯を見せろと言われました」
逢坂さんが、か細い自嘲を浮かべる。
「電話は、タイガの目に付かない場所でしていたつもりだったんですが」
「え?」
「どうやら……妻の他の女がいると思われたみたいですね」
(俺、知ってるんだ。父さんが、俺に何か隠し事をしてるって)
昨日、旧校舎の屋上で交わされたタイガ君との会話。それが今、言葉となって逢坂さんにぶつけられたのだとわかった。
「まさか、息子からそんなことを言われる日が来るとはな」
背もたれに背中を預けた逢坂さんが、全てを諦めたように天を仰ぐ。
「ダメだな。やっぱり、こんな情けない父親じゃあ」
「おう、さかさん」
「俺だけじゃ……もう、無理だ」
その時だった。
過去の引き出しを触れられたような感覚が、頭の片隅に響いたのだ。
目の前の逢坂さんの姿が、記憶の中の誰かと重なっていく。昨日にかすかに感じたデジャヴよりも、より色濃く。
あれは確か、私がまだ子供の頃──。
「……!」
ようやくたどり着いた記憶に、私は息をのんだ。電話にすがるような情けない瞳も、我が子に責め立てられて見えた無力感も、すべてに見覚えがあったのだ。
「ッ、おうさ……っ」
ピリッ……。
「Hello?」
一瞬響いた機械音に、逢坂さんはすぐさま反応した。携帯電話を耳に当てた瞬間、瞳がそっと見開かれる。
「……Yeah, I see.」
逢坂さんの口元にふわりと笑みが咲く。同時に、目元から綺麗な滴がこぼれ落ちた。
「お待たせしてすみません、堀井さん」
「今の電話は……奥様からですよね?」
自然と紡がれた言葉だった。
見開かれた逢坂さんの瞳。その中にある真実を見極めたくて、不躾を承知で私はじっとみつめる。
タイガ君の目に付かないように、逢坂さんは入院中の奥さんと連絡を取っていた。そんなことをする理由は、たった一つしか思いつかなかった。
そうだとしたら、きっと、タイガ君のお母さんは──。
「……ああ、そうか」
逢坂さんは、まるで子どものような笑みをこぼした。
「君、本当は瞳は青色なんだな」
予想外の返答に、今度は私が驚く方だった。
「コンタクトをしているね。メガネ越しだったから、今の今まで分からなかったけれど」
「え、ええっと……」
「だからかな。君と話していると、自然とアリスの顔が浮かんでくる」
「……アリス?」
「タイガの母親だよ」
もう切れたはずの携帯電話を眺めて、逢坂さんは笑った。
「大丈夫だって、頭ではわかっているんだ。わざわざこの国まできて、名医と言われる医者に頼んだ。だからこそアリスとも話したんだ。タイガには伝えないでおこう、無駄な心配をかける必要はないって」
「逢坂さん」
「それなのに、大切な子供1人だまし通せないなんて……俳優失格だな」
大切だからこそ、心配をかけたくなくてついた嘘。でもその優しさが今、親子の間をどうしようもなく引き裂いている。
「っ、堀井さん?」
驚きをはらんだ呼びかけを背に、私はレストランを飛び出した。きっと余計なお世話になるだろう。それでも、このまま傍観者でいられなくて、私はタイガ君の姿を探した。
お父さんは、貴方を裏切っているわけじゃないよ、タイガ君……!
まるで、昔の自分の背中を追う心地だった。
ひとまず、取材のために貸し切っている二十階のフロアに向かう。エレベーターのボタンを連打し、到着すると同時に飛び出した。
手当たり次第にフロアをぐるりと駆け抜ける。するとすぐそばの階段で、何か小さな物陰が動くのが分かった。
「タイガ君!?」
逃げられまいと慌てて駆け寄った私は、階段の前までたどり着きその足を止めた。タイガ君は、逃げることなくそこにいたのだ。
小さな身体が階段にもたれるように、ぐったりと気を失って。
「タ、──っ!?」
タイガ君、と悲鳴を上げかけたものの、それはかなわなかった。
誰かに強引に後ろから腕を回され、羽交い締めにされる。反射的に抵抗するも、振り返ろうと捩った身体はいとも容易く封じられた。
足下で、カシャンと何かが落ちる音がする。
「大人しくしろ」
低い声がしたかと思うと、妙な臭いのする何かが口元を覆う。息苦しさと同時に襲ってきたのは、強力な睡魔だった。
意識が……遠く……。
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