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第6話 沙羅さんは正義のヒーロー
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何てことないような口調で告げた私に、沙羅さんはタイピングの手を静かに止めた。
「小さい頃はよくそれで虐められていて。男の人が少し苦手になってしまったのも、それが原因で」
「でも、小鳥さんの今の瞳は」
「カラーコンタクトなんです。眼鏡も、慣れないコンタクトを保護するために一緒にかけるようになりました」
「そうだったんですか」
からら、とキャスターが転がる音がする。振り返ると沙羅さんの瞳がすぐそばにあり、ぴくりと小さく身体が跳ねた。
「確かに、よく見るとコンタクトが入っていますね」
「あ……は、はいっ」
眼鏡越しに見つめられること数秒。自分から振ってしまった話題だけに、目を逸らすことが出来ない。
沙羅さんの、少し薄い色素の瞳。
じいっと見つめられる綺麗なそれに、瞳の色どころか心の中まで見透かされているような心地になっていく。
「小鳥さんの本当の瞳の色……見てみたいな」
「あ、え、えっと。良ければ私、今コンタクト外して……!」
「ふ。いいんですよ。無理に見せてもらっても意味がありませんから」
笑みをこぼした沙羅さんが、キャスターを転がせて再び自分の作業場に戻っていく。
どうしたものかと目を白黒させている私に、「そうですね」と口を開く。
「小鳥さんにとって俺が、友達以上の存在になった時──素顔の瞳を見せて下さい」
「それまではお預けですね」目を細めてそう告げた沙羅さんに、しばらく呆然としてした。
そんな私にどこか満足げに笑った沙羅さんは、再びパソコンに向き直る。
友達以上の、存在。それはつまり、沙羅さんとの関係がより親密になったらということだろうか。友達以上の親友になったらということ?
「それじゃあ、お礼に俺の話もひとつ」
いまだ思考の波に飲まれていた私の耳に、沙羅さんの落ち着いた口調が届く。
「前も言いましたが、俺はよく女性と勘違いされることがあるんですよ。きっと、この髪の長さが理由なんですが」
「あ、ははは……」
前から思っていたが、沙羅さんは、自分の持って生まれた美貌にはてんで無頓着らしい。
「髪を切ったらどうかとよく言われるんですが、なかなか難しいんです」
「? それは、どういう……?」
「自分で切っているんです。小さい頃から」
「──へ!?」
自分で自分の髪を切る? そんな芸当、考えたこともなかった。
「すごい。沙羅さんってやっぱり手先が器用なんですね」
「いいえ。実は俺、小四の時に誘拐されたことがありまして」
ゆうかい。さらりと告げられた非日常に、次の句が出てこない。
「事件はつつがなく解決しましたよ。犯人も無事捕まりました。ただ、その時に犯人に面白半分に髪を切られましてね」
「!」
「それ以来、誰かに髪を切られるのが苦手なんです。じゃあ自分で切るかとなりましたが、そうなるとどうしても少し切り口が長めになってしまって」
苦笑しながら自分の髪先を摘む沙羅さんに、胸が締め付けられた。何でもないように話す彼の姿が、遠い日の自分と重なったから。
お母さんが空に逝ったあの時。大丈夫、大丈夫と何度も自分自身に言い聞かせていた、幼い自分の姿と。
「すみません。少し情けない話になってしまいましたね」
「っ、そんなことないです!」
少し目を見張った沙羅さんに、堰を切ったように言葉が漏れた。
「私……沙羅さんの髪、好きですよ」
自分の胸を押さえるように手を添える。急いていく胸の鼓動を感じていた。
「沙羅さんの少し長い髪はいつも綺麗で、柔らかくて、きらきら輝いていて」
「……」
「だから、好きです。私は」
言いながら、「好き」という言葉を連呼している自分に気付く。
途端どうしようもない恥ずかしさに襲われ、全身が火照り上がってしまった。
いやいやいや。これはあくまで、「沙羅さんの髪」が好きという意味であって……!
「好きなのは、髪の毛だけですか?」
「っ、ひえっ!?」
「はは、すみません。冗談です」
「……っ」
子供のような、少しあどけない笑顔。そんな、いつもはなかなか見れない彼の表情が嬉しい。
「か、髪の毛だけじゃありませんっ、わ、私!」
気が付けば、溢れる感情を吐き出していた。
「沙羅さんのことが、好きです。優しい沙羅さんも、少し意地悪な沙羅さんも……全部全部」
好き。その言葉を、家族以外にここまで向けることなんて今までなかった。
どうしてだろう。彼に向ける「好き」という言葉がこんなに自然に、素直に口からこぼれるのは。
「俺も好きですよ」
心臓が、一際大きくうち震えた。
「俺も、小鳥さんが好きです。可愛らしい小鳥さんも、少し頑固な小鳥さんも……貴女の全てが」
「──……っっ」
「小鳥さん」
自分を呼ぶその声色が、酷く甘いものに聞こえてしまうのは何故だろう。呼ばれるたびに、心がきゅうっと締め付けられるのは──。
「話し込んでしまいましたね。作業に戻りましょうか」
「あ、はいっ! そうですね……!」
優しくそう告げて向けられた背中に、ほんのりと胸が痛む。手当たり次第にめくる辞書のページも、殆ど頭に入ってこなかった。
私……どうしたんだろう?
そっと視線を向けた先には、すでに作業に集中している沙羅さんの背中がある。
つきつきと胸に刺さる何かを感じながら、私も静かに作業へと向き直った。
「小さい頃はよくそれで虐められていて。男の人が少し苦手になってしまったのも、それが原因で」
「でも、小鳥さんの今の瞳は」
「カラーコンタクトなんです。眼鏡も、慣れないコンタクトを保護するために一緒にかけるようになりました」
「そうだったんですか」
からら、とキャスターが転がる音がする。振り返ると沙羅さんの瞳がすぐそばにあり、ぴくりと小さく身体が跳ねた。
「確かに、よく見るとコンタクトが入っていますね」
「あ……は、はいっ」
眼鏡越しに見つめられること数秒。自分から振ってしまった話題だけに、目を逸らすことが出来ない。
沙羅さんの、少し薄い色素の瞳。
じいっと見つめられる綺麗なそれに、瞳の色どころか心の中まで見透かされているような心地になっていく。
「小鳥さんの本当の瞳の色……見てみたいな」
「あ、え、えっと。良ければ私、今コンタクト外して……!」
「ふ。いいんですよ。無理に見せてもらっても意味がありませんから」
笑みをこぼした沙羅さんが、キャスターを転がせて再び自分の作業場に戻っていく。
どうしたものかと目を白黒させている私に、「そうですね」と口を開く。
「小鳥さんにとって俺が、友達以上の存在になった時──素顔の瞳を見せて下さい」
「それまではお預けですね」目を細めてそう告げた沙羅さんに、しばらく呆然としてした。
そんな私にどこか満足げに笑った沙羅さんは、再びパソコンに向き直る。
友達以上の、存在。それはつまり、沙羅さんとの関係がより親密になったらということだろうか。友達以上の親友になったらということ?
「それじゃあ、お礼に俺の話もひとつ」
いまだ思考の波に飲まれていた私の耳に、沙羅さんの落ち着いた口調が届く。
「前も言いましたが、俺はよく女性と勘違いされることがあるんですよ。きっと、この髪の長さが理由なんですが」
「あ、ははは……」
前から思っていたが、沙羅さんは、自分の持って生まれた美貌にはてんで無頓着らしい。
「髪を切ったらどうかとよく言われるんですが、なかなか難しいんです」
「? それは、どういう……?」
「自分で切っているんです。小さい頃から」
「──へ!?」
自分で自分の髪を切る? そんな芸当、考えたこともなかった。
「すごい。沙羅さんってやっぱり手先が器用なんですね」
「いいえ。実は俺、小四の時に誘拐されたことがありまして」
ゆうかい。さらりと告げられた非日常に、次の句が出てこない。
「事件はつつがなく解決しましたよ。犯人も無事捕まりました。ただ、その時に犯人に面白半分に髪を切られましてね」
「!」
「それ以来、誰かに髪を切られるのが苦手なんです。じゃあ自分で切るかとなりましたが、そうなるとどうしても少し切り口が長めになってしまって」
苦笑しながら自分の髪先を摘む沙羅さんに、胸が締め付けられた。何でもないように話す彼の姿が、遠い日の自分と重なったから。
お母さんが空に逝ったあの時。大丈夫、大丈夫と何度も自分自身に言い聞かせていた、幼い自分の姿と。
「すみません。少し情けない話になってしまいましたね」
「っ、そんなことないです!」
少し目を見張った沙羅さんに、堰を切ったように言葉が漏れた。
「私……沙羅さんの髪、好きですよ」
自分の胸を押さえるように手を添える。急いていく胸の鼓動を感じていた。
「沙羅さんの少し長い髪はいつも綺麗で、柔らかくて、きらきら輝いていて」
「……」
「だから、好きです。私は」
言いながら、「好き」という言葉を連呼している自分に気付く。
途端どうしようもない恥ずかしさに襲われ、全身が火照り上がってしまった。
いやいやいや。これはあくまで、「沙羅さんの髪」が好きという意味であって……!
「好きなのは、髪の毛だけですか?」
「っ、ひえっ!?」
「はは、すみません。冗談です」
「……っ」
子供のような、少しあどけない笑顔。そんな、いつもはなかなか見れない彼の表情が嬉しい。
「か、髪の毛だけじゃありませんっ、わ、私!」
気が付けば、溢れる感情を吐き出していた。
「沙羅さんのことが、好きです。優しい沙羅さんも、少し意地悪な沙羅さんも……全部全部」
好き。その言葉を、家族以外にここまで向けることなんて今までなかった。
どうしてだろう。彼に向ける「好き」という言葉がこんなに自然に、素直に口からこぼれるのは。
「俺も好きですよ」
心臓が、一際大きくうち震えた。
「俺も、小鳥さんが好きです。可愛らしい小鳥さんも、少し頑固な小鳥さんも……貴女の全てが」
「──……っっ」
「小鳥さん」
自分を呼ぶその声色が、酷く甘いものに聞こえてしまうのは何故だろう。呼ばれるたびに、心がきゅうっと締め付けられるのは──。
「話し込んでしまいましたね。作業に戻りましょうか」
「あ、はいっ! そうですね……!」
優しくそう告げて向けられた背中に、ほんのりと胸が痛む。手当たり次第にめくる辞書のページも、殆ど頭に入ってこなかった。
私……どうしたんだろう?
そっと視線を向けた先には、すでに作業に集中している沙羅さんの背中がある。
つきつきと胸に刺さる何かを感じながら、私も静かに作業へと向き直った。
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