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第4話 沙羅さんはみんなの人気者
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戸塚さんは、新婚旅行前にどうやら相当無理をしていたらしい。
「そういえば第二編集部の戸塚さん、昨日社内で倒れたんだって? 旅行前なのに大丈夫なのかな」
総務部の先輩が何気なくこぼした話題に、周囲がにわかに反応する。好奇の波が広がる前に、私は精一杯さりげなく口を開いた。
「昨日病院に行って、ひとまず点滴を打ってもらったみたいです。今日は大事を取って休むと言っていたので、旅行は大丈夫かと」
「そっか! せっかくの新婚旅行だもんね!」
「確かハワイでしたっけ。いいなぁ~私も絶対新婚旅行はハワイに行きたいっ!」
「その前に相手探しだけどねぇ~?」
あははは、と快活な先輩の笑い声がまるで合図のように、今日の朝礼が始まる。
良かった。話のせき止めに成功したことに、私はほっと息をついた。「あーっ、そういえば!」
「私昨日は外回りで詳しく聞けなかったんですけど! 小鳥さんと沙羅さんがお付き合いしてるって噂、本当なんですかぁ!?」
「だから! それは誤解だってば!」
……どうやら、こっち側の苦労はいまだ継続中のようだ。
昨日は何度も謝る戸塚さんを制して、引継を受けること小一時間。お陰で戸塚さん不在中に進めておく仕事はあらかた把握できた。
(何かあったらすぐに連絡ちょうだいね? あっちでもメールも電話も繋がるようにしてあるから!)
「よーし。まずはこの記事の最終確認から」
目の前に細かに書き留めた申し送りメモを俯瞰して、よしっと気合いを込めた。
手持ちの案件が数えるほどしかなかった私は、その日以降戸塚さんの担当していた案件をこなすことで社内での一日を過ごしていく。
ほとんどがデスクワークで対応できる内容だ。極力こちらに負担を掛けないようにいう、戸塚さんの性格の現れだろう。
「お疲れさまー……って、あれ? 小鳥、アンタまだ残ってるの?」
「柚」
帰宅姿の柚が目を丸くしながら私の席に寄って来る。
夜もとっぷり暮れた今の時間帯は、総務部のみんなはもうすでに帰宅していた。私の机の端に積まれた資料に、柚は顔をしかめる。
「それ、全部アンタの案件? その資料の山」
「へへ、まあね」
へらりと答える私に、柚はますます眉間にしわを寄せる。
「まさかとは思うけど……それ、沙羅さんのことで受けてる嫌がらせとかじゃないよね?」
「へ?」
「ほら。アンタが沙羅さんと付き合ってるって聞きつけた性悪女が、アンタを妬んで仕向けた嫌がらせとかさ」
声を潜めながらも問いかけてくるその声色は本物だ。柚の想像力豊かな思考に呆気に取られながらも、その気遣いに笑みがこぼれた。
「違う違う。これ、今週いっぱい旅行休暇中の戸塚さんの案件なの。ちょうど私も手が空いてるし、出来る限り進めておこうと思って」
実際、最初こそ追求された沙羅さんとのことだって、みんな本気で詰め寄ってきているわけではないのだ。客観的に見たって沙羅さんと私の間に何かあるなんて考えられない。
当然、追求された時はきちんと説明したし、それでみんなは笑いながら納得してくれる。
「でもまぁ、あまり無理しないようにね。双子の翼兄さんも心配するだろうし」
「ははっ。あれは自分のご飯の心配しかしないよ。ありがとね」
「いや、あれはなかなかのシスコンだと思ってるよ。私は」
会社を後にする柚に、小さく手を振った。
「今日は……すこーし曇り空か」
小休憩がてら、オフィスの窓を覗き込む。
そして誰もいないとわかっている周囲を見渡すと、私はスマホケースから取り出した絆創膏に微笑みかけた。
あんな大々的に話題にされちゃったら、もう手の甲には貼れないけれど。沙羅さんから三枚もらった内の、最後の一枚。天気に寄らずに目に出来る、特別な夜の世界。
「よし。切りの良いところまで仕上げるぞ!」
その小さな美しさに力をもらった私は意気込みを新たに、体を目一杯に伸ばした。
「そういえば第二編集部の戸塚さん、昨日社内で倒れたんだって? 旅行前なのに大丈夫なのかな」
総務部の先輩が何気なくこぼした話題に、周囲がにわかに反応する。好奇の波が広がる前に、私は精一杯さりげなく口を開いた。
「昨日病院に行って、ひとまず点滴を打ってもらったみたいです。今日は大事を取って休むと言っていたので、旅行は大丈夫かと」
「そっか! せっかくの新婚旅行だもんね!」
「確かハワイでしたっけ。いいなぁ~私も絶対新婚旅行はハワイに行きたいっ!」
「その前に相手探しだけどねぇ~?」
あははは、と快活な先輩の笑い声がまるで合図のように、今日の朝礼が始まる。
良かった。話のせき止めに成功したことに、私はほっと息をついた。「あーっ、そういえば!」
「私昨日は外回りで詳しく聞けなかったんですけど! 小鳥さんと沙羅さんがお付き合いしてるって噂、本当なんですかぁ!?」
「だから! それは誤解だってば!」
……どうやら、こっち側の苦労はいまだ継続中のようだ。
昨日は何度も謝る戸塚さんを制して、引継を受けること小一時間。お陰で戸塚さん不在中に進めておく仕事はあらかた把握できた。
(何かあったらすぐに連絡ちょうだいね? あっちでもメールも電話も繋がるようにしてあるから!)
「よーし。まずはこの記事の最終確認から」
目の前に細かに書き留めた申し送りメモを俯瞰して、よしっと気合いを込めた。
手持ちの案件が数えるほどしかなかった私は、その日以降戸塚さんの担当していた案件をこなすことで社内での一日を過ごしていく。
ほとんどがデスクワークで対応できる内容だ。極力こちらに負担を掛けないようにいう、戸塚さんの性格の現れだろう。
「お疲れさまー……って、あれ? 小鳥、アンタまだ残ってるの?」
「柚」
帰宅姿の柚が目を丸くしながら私の席に寄って来る。
夜もとっぷり暮れた今の時間帯は、総務部のみんなはもうすでに帰宅していた。私の机の端に積まれた資料に、柚は顔をしかめる。
「それ、全部アンタの案件? その資料の山」
「へへ、まあね」
へらりと答える私に、柚はますます眉間にしわを寄せる。
「まさかとは思うけど……それ、沙羅さんのことで受けてる嫌がらせとかじゃないよね?」
「へ?」
「ほら。アンタが沙羅さんと付き合ってるって聞きつけた性悪女が、アンタを妬んで仕向けた嫌がらせとかさ」
声を潜めながらも問いかけてくるその声色は本物だ。柚の想像力豊かな思考に呆気に取られながらも、その気遣いに笑みがこぼれた。
「違う違う。これ、今週いっぱい旅行休暇中の戸塚さんの案件なの。ちょうど私も手が空いてるし、出来る限り進めておこうと思って」
実際、最初こそ追求された沙羅さんとのことだって、みんな本気で詰め寄ってきているわけではないのだ。客観的に見たって沙羅さんと私の間に何かあるなんて考えられない。
当然、追求された時はきちんと説明したし、それでみんなは笑いながら納得してくれる。
「でもまぁ、あまり無理しないようにね。双子の翼兄さんも心配するだろうし」
「ははっ。あれは自分のご飯の心配しかしないよ。ありがとね」
「いや、あれはなかなかのシスコンだと思ってるよ。私は」
会社を後にする柚に、小さく手を振った。
「今日は……すこーし曇り空か」
小休憩がてら、オフィスの窓を覗き込む。
そして誰もいないとわかっている周囲を見渡すと、私はスマホケースから取り出した絆創膏に微笑みかけた。
あんな大々的に話題にされちゃったら、もう手の甲には貼れないけれど。沙羅さんから三枚もらった内の、最後の一枚。天気に寄らずに目に出来る、特別な夜の世界。
「よし。切りの良いところまで仕上げるぞ!」
その小さな美しさに力をもらった私は意気込みを新たに、体を目一杯に伸ばした。
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