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第3話 沙羅さんは素敵なお友達
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(※「Twinkle, Twinkle, Little Star」:著作権満了によるパブリックドメインにつき一部歌詞を引用させて頂きました)
今夜の天気は、どんより重い曇り空。
いつもなら足を向けないはずの最上階に、いつも以上に気配を消して足を踏み入れていた。この階に来て屋上に行かないのは、なかなか久しぶりかもしれない。
骨組みの木棚が所狭しと立ち並ぶ、資料庫2。ここには撮影関係の資材や古い書籍など、様々な物資が所狭しと詰め込まれている。
埃を乗せたファイルが不格好に立ち並ぶ一角に私は腰を据えていた。その内のファイルをいくつかピックアップし、内容の確認をひたすら続ける。
「ええっと。確かこの辺りに……あった!」
ほんのり黄ばみを帯びた書類たちにマークを施し、状態を傷めないようにそっとファイルから外していく。
めぼしい資料をあらかた揃え終えた私は、クリアファイルにそれらを整えるとほう、と息をついた。
「これだけの資料があれば、きっと沙羅さんの役に立てるよね」
仕事を定時で終え、真っ直ぐこの資料庫2に訪れた目的はそれだった。きっかけをもらったのは、昼過ぎに印刷室で拾い上げたあの指示書。
あの内容から考えると、この辺りの資料があれば随分掘り下げやすいはずだ。
「余計なお世話かもしれないけれど……」
それでも期待してしまうのは、沙羅さんの穏やかな微笑みだった。
雑用の場数をこなしてきた分、資料集めには少しだけ自信がある。この力でもし、沙羅さんに頼りにしてもらえるのなら。
「よしっ。さっさとファイルを片付けようっと!」
そして、明日沙羅さんにこの資料を渡すんだ。時間はいつにしようか。なるべく誰の目にも付かないように渡せたらいい。
──Twinkle,twinkle,litle star. How I wonder what you are.
小唄を口ずさみながら、私はファイルを元あった場所に戻していった。その際、使ったファイルの場所をメモしておくことも忘れない。
最後のファイルは先ほども使った木箱に乗って、一番高い段へと戻す。よいしょと背伸びをして奥に収めようとしたとき、足下で不穏な音が鳴った。下に視線を向けたのと体が沈んでいくのは、ほとんど同時だった。
「ッ、きゃああっ!」
派手な音が資料庫に轟いた後、水を打ったように静かになる。私は向かい側の棚にぶつけた頭をそうっと撫で、投げ出された上体をゆっくりと起こした。
「い、たたたたー……」
見てみると木箱が古くて重みに耐えきれなかったらしい。抜けてしまった天井板にがっくり肩を落として私は起きあがった。
あ、久しぶりに怪我。右手の甲に滲む血の存在に苦笑した。
「でもこの程度なら絆創膏も必要はないかな」
「誰かいるんですか」
「ひゃあっ!?」
突然の人の声にびくつき、再び後ろの棚に頭をぶつけた。すらりとした人影が、薄暗い資料庫の明かりを遮る。
さ、沙羅さん……!
資料庫で尻餅を付いている私に、彼は目を丸くした。それでも壊れた木箱の残骸にさっと視線を送り、事を理解したように眉を下げる。
「少し、登場が遅かったみたいですね」
「あ、あああ、あの……っ」
「大丈夫ですか。怪我はありませんか」
こちらに差し伸べられる手。何の見返りも求めず、困る者を助けようとする手。私もいつか、そんな手を差し伸べる側になれるだろうか。
「す、すみません。いつも沙羅さんには、情けないところを見られてばっかりで──、」
その時だった。こちらに少し屈む沙羅さんを見上げると同時に、棚の上でぐらりと揺れる何かが目に入る。それがいよいよ支えを失い、棚から落ちて──。
「沙羅さん!」
無我夢中だった。
差し出された手を目一杯に引っ張って、自分の体を持ち上げた。沙羅さんの驚愕の瞳が近くで交わされたが、躊躇する余裕なんてまるでなかった。
落ちてきたのは使用済みらしいペンキ缶だった。床に弾け飛ぶその音は室内全体を突き刺すような轟音だ。それでも、きっと彼にぶつかってはいないと思う。
「……っ、さ、ら、さん……」
「助けるつもりが、逆に助けられてしまいましたね」
「え……?」
「ありがとうございます。小鳥さん」
それは、資料収集をする中でおこがましくも想像していた、沙羅さんの感謝の言葉。
そのあまりに綺麗な笑顔が目と鼻の先にあることに、今更ながら気付く。
抱きかかえるように沙羅さんに腕を回している体勢に、私はしばらく硬直した。
「し、しししし失礼しました……ッ!」
舌の呂律も危ういまま、急いで沙羅さんの上を飛び退いた。棚が息苦しく配置された室内で大した距離が取れはしないけれど。
「す、すみません! 突然のし掛かるようなことをして……!」
「いいえ全然。小鳥さんは軽いですね。翼が生えているみたいです」
「そ、そんなそんなっ!」
思い切り首を横に振る私に、沙羅さんはくすくすと肩を揺らす。
「あ……ええっと、あれっ? そういえば沙羅さんはどうしてここに……っ?」
今夜の天気は、どんより重い曇り空。
いつもなら足を向けないはずの最上階に、いつも以上に気配を消して足を踏み入れていた。この階に来て屋上に行かないのは、なかなか久しぶりかもしれない。
骨組みの木棚が所狭しと立ち並ぶ、資料庫2。ここには撮影関係の資材や古い書籍など、様々な物資が所狭しと詰め込まれている。
埃を乗せたファイルが不格好に立ち並ぶ一角に私は腰を据えていた。その内のファイルをいくつかピックアップし、内容の確認をひたすら続ける。
「ええっと。確かこの辺りに……あった!」
ほんのり黄ばみを帯びた書類たちにマークを施し、状態を傷めないようにそっとファイルから外していく。
めぼしい資料をあらかた揃え終えた私は、クリアファイルにそれらを整えるとほう、と息をついた。
「これだけの資料があれば、きっと沙羅さんの役に立てるよね」
仕事を定時で終え、真っ直ぐこの資料庫2に訪れた目的はそれだった。きっかけをもらったのは、昼過ぎに印刷室で拾い上げたあの指示書。
あの内容から考えると、この辺りの資料があれば随分掘り下げやすいはずだ。
「余計なお世話かもしれないけれど……」
それでも期待してしまうのは、沙羅さんの穏やかな微笑みだった。
雑用の場数をこなしてきた分、資料集めには少しだけ自信がある。この力でもし、沙羅さんに頼りにしてもらえるのなら。
「よしっ。さっさとファイルを片付けようっと!」
そして、明日沙羅さんにこの資料を渡すんだ。時間はいつにしようか。なるべく誰の目にも付かないように渡せたらいい。
──Twinkle,twinkle,litle star. How I wonder what you are.
小唄を口ずさみながら、私はファイルを元あった場所に戻していった。その際、使ったファイルの場所をメモしておくことも忘れない。
最後のファイルは先ほども使った木箱に乗って、一番高い段へと戻す。よいしょと背伸びをして奥に収めようとしたとき、足下で不穏な音が鳴った。下に視線を向けたのと体が沈んでいくのは、ほとんど同時だった。
「ッ、きゃああっ!」
派手な音が資料庫に轟いた後、水を打ったように静かになる。私は向かい側の棚にぶつけた頭をそうっと撫で、投げ出された上体をゆっくりと起こした。
「い、たたたたー……」
見てみると木箱が古くて重みに耐えきれなかったらしい。抜けてしまった天井板にがっくり肩を落として私は起きあがった。
あ、久しぶりに怪我。右手の甲に滲む血の存在に苦笑した。
「でもこの程度なら絆創膏も必要はないかな」
「誰かいるんですか」
「ひゃあっ!?」
突然の人の声にびくつき、再び後ろの棚に頭をぶつけた。すらりとした人影が、薄暗い資料庫の明かりを遮る。
さ、沙羅さん……!
資料庫で尻餅を付いている私に、彼は目を丸くした。それでも壊れた木箱の残骸にさっと視線を送り、事を理解したように眉を下げる。
「少し、登場が遅かったみたいですね」
「あ、あああ、あの……っ」
「大丈夫ですか。怪我はありませんか」
こちらに差し伸べられる手。何の見返りも求めず、困る者を助けようとする手。私もいつか、そんな手を差し伸べる側になれるだろうか。
「す、すみません。いつも沙羅さんには、情けないところを見られてばっかりで──、」
その時だった。こちらに少し屈む沙羅さんを見上げると同時に、棚の上でぐらりと揺れる何かが目に入る。それがいよいよ支えを失い、棚から落ちて──。
「沙羅さん!」
無我夢中だった。
差し出された手を目一杯に引っ張って、自分の体を持ち上げた。沙羅さんの驚愕の瞳が近くで交わされたが、躊躇する余裕なんてまるでなかった。
落ちてきたのは使用済みらしいペンキ缶だった。床に弾け飛ぶその音は室内全体を突き刺すような轟音だ。それでも、きっと彼にぶつかってはいないと思う。
「……っ、さ、ら、さん……」
「助けるつもりが、逆に助けられてしまいましたね」
「え……?」
「ありがとうございます。小鳥さん」
それは、資料収集をする中でおこがましくも想像していた、沙羅さんの感謝の言葉。
そのあまりに綺麗な笑顔が目と鼻の先にあることに、今更ながら気付く。
抱きかかえるように沙羅さんに腕を回している体勢に、私はしばらく硬直した。
「し、しししし失礼しました……ッ!」
舌の呂律も危ういまま、急いで沙羅さんの上を飛び退いた。棚が息苦しく配置された室内で大した距離が取れはしないけれど。
「す、すみません! 突然のし掛かるようなことをして……!」
「いいえ全然。小鳥さんは軽いですね。翼が生えているみたいです」
「そ、そんなそんなっ!」
思い切り首を横に振る私に、沙羅さんはくすくすと肩を揺らす。
「あ……ええっと、あれっ? そういえば沙羅さんはどうしてここに……っ?」
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