ことりの上手ななかせかた

森原すみれ@薬膳おおかみ①②③刊行

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第2話 沙羅さんは雲の上の御人

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 ほぼ酸欠状態のまま、気付けば私は会社の休憩室まで運ばれていた。
「日下部先生は今、若い女性から爆発的な人気の作家さんなのよ」
 偶然通りかかったらしい戸塚さんが、苦笑しながら私に話す。
「金髪に和装のミスマッチもあのイケメンなら胸きゅん要素のひとつってね。人混みのど真ん中で正体バレたらそりゃ大騒ぎだわ」
「そ、そうだったんですか」
 額に貼られて冷えピタをさすりながら、私は乾いた笑いをこぼした。
 運びこまれた社内の休憩室を感慨深げに見渡す。思えばここにお世話になるのも随分と久しぶりだ。情けないことに入社したての頃は、環境の変化に付いていけずによく貧血を起こしていたから。
「それでいて、日下部先生は沙羅さんのことが大のお気に入り」
 戸塚さんは辺りを確認すると、小声で私に耳打ちした。
「もったいないけどねー。イケメン同士ビジュアル的には申し分ないわよね。いつも隙あらば沙羅君を落としにかかってるわ」
 むふふ、と楽しげにポニーテールを揺らす戸塚さんにつられ、私も再度二人の立ち姿を思い返した。確かにお互い、引けを取らない美形同士だった。
 今日詰め込まれていた取材スケジュールにひとつが、日下部先生の対談インタビューだったらしい。きっと昨日から準備されていたもののひとつだろう。
 押しているスケジュールにも関わらず、沙羅さんはわざわざ私をこの休憩室に運んでくれたのだ。
 日下部先生にも沙羅さんにも、迷惑かけてしまった。そこまで耳にした私は、言いようのない罪悪感が胸に重くのし掛かった。



「お疲れさまです」
「お疲れさまでしたー!」
 応接間の方から聞こえてきた挨拶の合奏に、私は背筋をぴんと伸ばした。
 誰が見ているわけでもないのに物音を立てないように立ち上がり、そそそ、とエレベーターで一階まで下りていく。
(日下部先生はね、いつも自分の送り迎えに沙羅君を指名するのよ)
 先ほどの戸塚さんの言うとおり、数分後エレベーターから下りてきたのは日下部先生と沙羅さんだった。互いに笑顔があるところから察するに、取材は無事に済んだということだろうか。内心ほっとしていると、私は勇気を奮い立たせて一歩踏み出した。
「く、日下部先生。沙羅さん」
「小鳥さん」
「ん?」
 いち早く気付いてくれたらしい沙羅さんが、目を見開きながらこちらに駆けてくる。
「もう体調は大丈夫ですか。無理はされない方がいいですよ」
「あ、もう、全然平気です! それより、お二人にお詫びをと思いまして……っ」
「お詫び、だぁ?」
 先ほどまでの笑顔がいつの間にか立ち消え、不機嫌を絵に描いたような日下部先生がこちらを見下ろしていた。
「なんなのお前。一度ならず二度までも俺と沙羅君の時間を邪魔するわけ。んん?」
「っ、あ、そ、す、すみません……っ」
「あんたみたいなちんちくりんに詫びられたって、こちとらなーんも得なんてねぇんだよ」
「……そ、」
 それは、重々承知しているのだけれど、でも。
「日下部先生」
 すっかり畏怖に捕らわれてしまっていた私の前に、大きな壁が出来た。
 その壁は私より遙かに高いものなのに……不思議と、温かく思える背中だった。
「女性に対して威圧的に迫るのは感心しませんね」
「沙羅さん……」
 自身の後ろにそっと促した沙羅さんの手に、何故だか酷く安心してしまう。何度も自分を助けてくれたからだろうか。沙羅さんの言葉にはもう、安堵の気持ちしか浮かばなかった。
「へぇ。沙羅君も随分とそれの肩を持つじゃねーの」
「貴方の態度が極端なんですよ。全国の女性ファンの方に逃げられても知りませんよ?」
「あれれ。今のって嫉妬?」
「さあ。どうでしょうね」
「……」
 ああ、何だか、完全に大人の世界に入り込んでしまったらしい。
 今もなお周囲から視線を総なめにしているお二人の世界に、ちんちくりんの私は最早手出しできるはずもなかった。
 結局日下部先生は、沙羅さんが手配していた車に上機嫌で乗り込んだ。そして私のことなど目もくれず、開けた窓から沙羅さんの頬に唇を……って。
 えええええええええええええええ!?
 動揺に動揺が何重にも重なる。
 車が見えなくなった後、沙羅さんは小さく息をつく。そしてこちらに振り返った瞬間、その綺麗な瞳を再び丸くした。
「小鳥さん、顔が真っ赤ですよ。まさか、熱をぶり返したんじゃ」
「あ、え、ち、違います!」
 確かに今なら熱があるかもしれないけれど!
「ま、まさか、こんな不意打ちで人様のキスシーンを拝むことになるとは思わなかったもので……へ、平気ですっ!」
 熱を散らすように首を振る私に、沙羅さんは一瞬ぽかんとする。しかしながらその後すぐ、小さく肩を震わせていた。え? 何で?
「さ、沙羅さん?」
「ふ、ふふ。いや、体調が何ともないのなら、良かったです」
 はぐらかされた感もあったが、柔らかな微笑みにそれ以上何も言えなかった。
 エレベーターが到着すると、沙羅さんの長い指が総務部のある十五階のボタンを押す。しかし沙羅さんはそのままエレベーターを下り、一階に残った。
「俺は、次のエレベーターで戻ります」
 柔らかに告げられた一言に、私は思わず目を剥いた。そんな私を、沙羅さんは優しい笑顔で見送る。
「今日は星が綺麗ですよ。小鳥さん」
 そう、小さな約束を言い残して。
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