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第10話 約束を写真に結んで
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「意気地なしの情けねえ三十路はとっとと失せろ」
辛辣な旧友の言葉が、授業時間の保健室に明瞭に響く。
息吹はむくりとベッドから顔を上げると、心底不快そうな小笠原と視線が合った。
その通りだなと内心賛同しつつ、視線から逃げるように再びベッドに身を投げる。
「お前がそんなだと、妹の方だって何の覚悟もできやしねえだろ」
「覚悟なんてそもそも必要ない。俺はもう、カメラを持てない人間なんだから」
「その逃げる余地を残した言い振り、妹が気付いてないとでも思ってんのか」
小笠原の容赦ない指摘が、昨夜の芽吹を彷彿とさせた。
居てもたってもいられない。そんな表現がぴったりだった。いつもはあんなに感情的にならない質な妹なのに。
あの後は手渡されたらしいサンドイッチを腹に収めた後、一昨日と同じように同じベッドで眠りについた。
一緒に寝ようと言った芽吹は、昨日もベッドでは始終息吹に背を向けていた。
「今日の朝一で、安達が駆け込んできた」
「ああん?」
嫌悪を隠さない息吹に、小笠原も気付かないふりを決め込んで口を動かす。
「お前たち兄妹が血の繋がりがないこと、妹から聞いたみたいだな」
別に、言う必要なんてないのに、と息吹は思った。
「へえ。それで?」どうせ、今までの兄貴節に文句でも漏らしていったのだろう。続く展開を察しながら促すと、続いた言葉は意外なものだった。
「嬉しそうだったな。不謹慎かもしれないと、自分でも言ってたが」
「……嬉しそう? どうして」
「真意は聞いてねえ。面倒な兄貴に口答えできる、口実が見つかったからかもしれねえな」
「あいつはそんな奴じゃないでしょ」
「へえ。庇うのか」
「そんなんじゃない」
安達は気にくわない。
それはきっとずっと変わることがないだろう。芽吹が安達のことを、あんな目で見続ける限りは。
でももし俺が──そう考えかけた例え話に気付き、くしゃりと前髪を握りつぶす。
「いらいらしてんな」
「誰かさんが要らない情報をぶっ込んでくるからだ」
「心配か。妹が」
わかりきった問いかけに眉を潜める。そんな息吹に、小笠原は小さく鼻を鳴らした。
「自業自得だろ。自分が決意さえすれば、いつでも何でも、そう都合よく離れることができると思うなよ」
言葉尻に込められた感情の震えに気付く。
小笠原は真正面の窓の向こうに視線を馳せている。しかし、その目が真実見ている光景は、到底測ることはできなかった。
「自分の折り合いさえつければ、跡形もなく消えてなくなれるなんて思うな。現にその相棒とやらはお前を追って、こんな面白みのない街にまでやってきたんだろうが」
「葵」
「甘えんな。悩んで傷ついて傷つけても、結局は覚悟するしかねえんだ。……互いにな」
旧友のこんな横顔を、息吹は前にも見たことがあった。
記憶が曖昧だから、恐らくは中学の頃。進学先を東京の全寮制高校に決めたと告げたとき。
「……もしかして葵、俺が上京しちゃって寂しかった?」
「死ね」
「保健室の先生が言っていい台詞じゃないでしょー」
けたけた笑う息吹に、小笠原の口元も自然とつられる。
それは十数年経っても変わらない2人の光景だった。
あれから数日過ぎた。例のリミットまで、あと3日。
「っ……すごい」
「うん。1枚の絵みたい。素敵」
久しぶりに訪れた昼休みの屋上。
華とともに自然に引き出された短い感想に、奈津美はとても嬉しそうに目を細めた。
「ありがとう。これもそれも全部、みんなのお陰だよ。私の個人的な夢のために、たくさん力になってくれたから」
そんなことはない、と芽吹は笑い、手元の写真を見た。
まだ記憶に新しい工場の廃墟と、青く澄んだ空、そして自分が纏った白いワンピース。
ひとつひとつは何も繋がりのない存在のはずなのに、この写真の枠に閉じ込められたそれらは、まるで当然のように手を取り合い、1つの世界を作り上げていた。
ああ、すごいな、と心から思う。
構図や経験なんて理屈だけじゃない。溢れるほどに感じる写真への思いが、安易な感想さえ塞いでしまう。
「息吹さんにも、後でちゃんと伝えるよ。心から感謝してるってね」
唐突に呼ばれた兄の名に、芽吹ははっと我に返った。
「そんな、いいよ。そんな大げさにしなくても」
「ううん、絶対伝えるよ。私には、きっとそのくらいしかできないからね」
見上げるとそこには、予想外に真剣な奈津美の眼差しがそこにはあった。
思わず目を見張る芽吹に、奈津美が小さく息を吐く。
「息吹さんも、早くカメラに復帰できるといいよね」
「……え?」
「あの人も、本当は撮りたいんだよね。撮りたくて撮りたくて、堪らないんだ。私なんかよりもずっと」
淡い晩夏の風が、辺りに立ちこめる。
いつになく穏やかな奈津美の言葉が、じんわりと胸に染みるのがわかった。
「この写真を撮ってるときもね、ずっと隣にいてくれたけれど、ずっとずっと感じてた。本当は、自分が今の芽吹を撮りたい。自分の手でこの瞬間を切り取りたい。シャッターを切りたい……ってね」
「奈津美……」
「難しい事情があるんだろうなって思う。でも、いつかまた、復帰できたらいいよね」
だってあんなに、カメラが好きなんだから。
そう言う奈津美に、華も静かに頷いた。その純粋すぎる思いが滴って、こびりついていた子どもみたいな意地を優しくふやかしていく。
そうだ。私も、本当は知っていた。
だって毎日、息吹の撮った写真を見て育ってきたから。
リビングでいつも私たち家族を見つめてくれていた。フレーム越しに、何も言わなくても、言葉がなくても。
「うん。私も、そう思ってる」
ようやく吐き出した本音に、情けなく笑顔が歪む。
知っていたはずの本音を耳にしてようやく、見えなくなっていた自分の芯がすっと伸びた気がした。
辛辣な旧友の言葉が、授業時間の保健室に明瞭に響く。
息吹はむくりとベッドから顔を上げると、心底不快そうな小笠原と視線が合った。
その通りだなと内心賛同しつつ、視線から逃げるように再びベッドに身を投げる。
「お前がそんなだと、妹の方だって何の覚悟もできやしねえだろ」
「覚悟なんてそもそも必要ない。俺はもう、カメラを持てない人間なんだから」
「その逃げる余地を残した言い振り、妹が気付いてないとでも思ってんのか」
小笠原の容赦ない指摘が、昨夜の芽吹を彷彿とさせた。
居てもたってもいられない。そんな表現がぴったりだった。いつもはあんなに感情的にならない質な妹なのに。
あの後は手渡されたらしいサンドイッチを腹に収めた後、一昨日と同じように同じベッドで眠りについた。
一緒に寝ようと言った芽吹は、昨日もベッドでは始終息吹に背を向けていた。
「今日の朝一で、安達が駆け込んできた」
「ああん?」
嫌悪を隠さない息吹に、小笠原も気付かないふりを決め込んで口を動かす。
「お前たち兄妹が血の繋がりがないこと、妹から聞いたみたいだな」
別に、言う必要なんてないのに、と息吹は思った。
「へえ。それで?」どうせ、今までの兄貴節に文句でも漏らしていったのだろう。続く展開を察しながら促すと、続いた言葉は意外なものだった。
「嬉しそうだったな。不謹慎かもしれないと、自分でも言ってたが」
「……嬉しそう? どうして」
「真意は聞いてねえ。面倒な兄貴に口答えできる、口実が見つかったからかもしれねえな」
「あいつはそんな奴じゃないでしょ」
「へえ。庇うのか」
「そんなんじゃない」
安達は気にくわない。
それはきっとずっと変わることがないだろう。芽吹が安達のことを、あんな目で見続ける限りは。
でももし俺が──そう考えかけた例え話に気付き、くしゃりと前髪を握りつぶす。
「いらいらしてんな」
「誰かさんが要らない情報をぶっ込んでくるからだ」
「心配か。妹が」
わかりきった問いかけに眉を潜める。そんな息吹に、小笠原は小さく鼻を鳴らした。
「自業自得だろ。自分が決意さえすれば、いつでも何でも、そう都合よく離れることができると思うなよ」
言葉尻に込められた感情の震えに気付く。
小笠原は真正面の窓の向こうに視線を馳せている。しかし、その目が真実見ている光景は、到底測ることはできなかった。
「自分の折り合いさえつければ、跡形もなく消えてなくなれるなんて思うな。現にその相棒とやらはお前を追って、こんな面白みのない街にまでやってきたんだろうが」
「葵」
「甘えんな。悩んで傷ついて傷つけても、結局は覚悟するしかねえんだ。……互いにな」
旧友のこんな横顔を、息吹は前にも見たことがあった。
記憶が曖昧だから、恐らくは中学の頃。進学先を東京の全寮制高校に決めたと告げたとき。
「……もしかして葵、俺が上京しちゃって寂しかった?」
「死ね」
「保健室の先生が言っていい台詞じゃないでしょー」
けたけた笑う息吹に、小笠原の口元も自然とつられる。
それは十数年経っても変わらない2人の光景だった。
あれから数日過ぎた。例のリミットまで、あと3日。
「っ……すごい」
「うん。1枚の絵みたい。素敵」
久しぶりに訪れた昼休みの屋上。
華とともに自然に引き出された短い感想に、奈津美はとても嬉しそうに目を細めた。
「ありがとう。これもそれも全部、みんなのお陰だよ。私の個人的な夢のために、たくさん力になってくれたから」
そんなことはない、と芽吹は笑い、手元の写真を見た。
まだ記憶に新しい工場の廃墟と、青く澄んだ空、そして自分が纏った白いワンピース。
ひとつひとつは何も繋がりのない存在のはずなのに、この写真の枠に閉じ込められたそれらは、まるで当然のように手を取り合い、1つの世界を作り上げていた。
ああ、すごいな、と心から思う。
構図や経験なんて理屈だけじゃない。溢れるほどに感じる写真への思いが、安易な感想さえ塞いでしまう。
「息吹さんにも、後でちゃんと伝えるよ。心から感謝してるってね」
唐突に呼ばれた兄の名に、芽吹ははっと我に返った。
「そんな、いいよ。そんな大げさにしなくても」
「ううん、絶対伝えるよ。私には、きっとそのくらいしかできないからね」
見上げるとそこには、予想外に真剣な奈津美の眼差しがそこにはあった。
思わず目を見張る芽吹に、奈津美が小さく息を吐く。
「息吹さんも、早くカメラに復帰できるといいよね」
「……え?」
「あの人も、本当は撮りたいんだよね。撮りたくて撮りたくて、堪らないんだ。私なんかよりもずっと」
淡い晩夏の風が、辺りに立ちこめる。
いつになく穏やかな奈津美の言葉が、じんわりと胸に染みるのがわかった。
「この写真を撮ってるときもね、ずっと隣にいてくれたけれど、ずっとずっと感じてた。本当は、自分が今の芽吹を撮りたい。自分の手でこの瞬間を切り取りたい。シャッターを切りたい……ってね」
「奈津美……」
「難しい事情があるんだろうなって思う。でも、いつかまた、復帰できたらいいよね」
だってあんなに、カメラが好きなんだから。
そう言う奈津美に、華も静かに頷いた。その純粋すぎる思いが滴って、こびりついていた子どもみたいな意地を優しくふやかしていく。
そうだ。私も、本当は知っていた。
だって毎日、息吹の撮った写真を見て育ってきたから。
リビングでいつも私たち家族を見つめてくれていた。フレーム越しに、何も言わなくても、言葉がなくても。
「うん。私も、そう思ってる」
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