芽吹と息吹~生き別れ三十路兄と私のつぎはぎな数か月間~

森原すみれ@薬膳おおかみ①②③刊行

文字の大きさ
上 下
50 / 63
第9話 この繋がりの名を何と呼ぶ

(4)

しおりを挟む
 泣いてないよ、と鼻声で答えると、母親も鼻声で笑った。
「本当はね。私たちが日本を発つ前に、芽吹に改めて息吹のことを話すことも考えたの。息吹のことを正確に説明するには腰を据えて話す必要があったけれど、そんな機会をなかなかとれないまま来てしまったからね」
「うん」
「そのことを息吹にも伝えたの。でも、息吹は話さなくてもいいって言ったわ。自分は芽吹を大切な妹だと思ってる。それで十分でしょ──ってね」
 息が詰まった。
 熱くて、寂しくて、優しい想いが、いっぱいに膨らんで。
「正直言うとね、私たちもそれがいいと思ったの。あなたたち2人には仲良く暮らして欲しかったから。少しずつでもいい、兄妹としての絆を築いて欲しかったのよ。息吹に、あなたの帰る家はここにあるよって、感じて欲しくて……」
 語尾が震え、母親の言葉が途切れた。
 自分の帰る家がない。そんなことは想像したこともなかった。その瞬間、胸を巣喰うような大きな不安が一気に押し寄せてくる。
 幼い頃に両親を亡くし、新たな家族と苗字を違えたまま、高校進学と同時に実家を去った。国をまたいでカメラを抱えて過ごす日々さえも、今は断ち切られて。
 その腕を掴んで引き留める術を、自分は持っているんだろうか。
「ねえ、お母さん」
「……うん?」
「私ね、息吹のこと、もっと知りたい」
 その後、時間を気にしつつ母子の会話を交わした。着信を切った後も、しばらくその余韻を含む息が漏れる。
 よかった、と思った。息吹のことを少しでも知ることができたから。そして、今までなかなか踏ん切りがつかなかった覚悟も。
 時計の長針が、思いがけず傾きを急にしていく。あれ? そう思った瞬間、芽吹は血が滲む方の足を踏み込んだ。ズキリと走る痛みを押して、部屋の扉を開ける。
 ビニル袋が擦れる音が、小さく廊下に響いた。
 ドアノブにかけられたその中には、包帯と絆創膏と消毒液と痛み止めが複数個詰め込まれている。
「……、ばか」
 こんなものを大量に買い込んで、肝心のあんたはどこに行った!
 靴擦れの足にのみ急いで靴下を履き、スニーカーに足を通す。目についたスマホと財布をひったくるように掴み、芽吹は部屋を後にした。

 息吹は携帯電話を持っていない。
 衝動的に飛び出した芽吹は、ひとまず駐車場の方へ足を運んだ。日が傾いている今でも悪目立ちするだろう赤い外車は、目に映らない。
 車で行くにしても、変に遠くには行かないだろう。じゃないと私たち3人は、土地勘のないこの宿に置いてきぼりだ。
 それならいっそ、部屋で大人しく待っているという選択肢もある。冷静に自分に告げる声が聞こえたが、今の芽吹には完全に思考の外に弾き出された。
 息吹に、さっきの会話を聞かれた。
 それは芽吹には決して後ろ暗い内容ではなかったが、息吹は一体どう受け止めて解釈されたのか。一体どの部分を聞かれた? 何を思って解放道具だけ残して姿を消したのか?
 浮かんでは消え、浮かんでは消える疑問符は、芽吹の胸をただただ苦しめる。
 息吹がこんな風に姿を消すなんて、今までなかった。
 どんなに気まずい出来事があっても、息吹はいつも通りだった。飄々とした雰囲気で、何かあったっけみたいな顔をしていたのに。
「……っ、息吹!」
 駐車場を抜けだし、細い通りを駆け上がる。ズキズキ痛む足の傷も、まるで奮起した自分の背を押す気がするから不思議だ。
 だって、本当は、ちゃんと話したかった。
 面と向かって、泣いても笑ってもいいから、話したかったんだよ──息吹(あんた)と。
 大通りに出る。観光時期では閑散期ということもあり、車通りは驚くほど少ない。
 夕焼けが辺りを染める。まだまだ明るいはずの時間帯なのに、目にする無人の光景は酷く暗く感じた。
 同時に、最近、こんな光景を見た、と思った。
「……悪夢」
 最近、忘れかけた頃によぎる夢。
 誰もいない暗い道をひたすら歩いて、いつの間にか早足になり、ついには全速力で駆け出している。
 何か大声で叫んでいるんだけど、その声は聞こえなくて、ますます恐怖が胸を上っていく。
 自分は一体何を叫んでいるのか、何を求めているのか。それを考え始めた頃に、いつもふっと瞼が開くのだ。
「っ……息吹! どこ行ったの!」
 でも、今は違う。夢じゃない、現実だ。
 足を止めるのももどかしく、勝手に選んだ道を進み声を張る。
 何度かその名を呼んだ後、小さくむせ込んで膝に手を付いた。履いているスニーカーが視界に入る。
「足、痛いって言ってるでしょ、ばか……」
 ぐず、と鼻が鳴る。
 迷子になったときの心細さって、こんな感じだったっけ。でも今迷子になってるのは、三十路のいい大人の方だ。
 そのとき、傍らに1台の車が止まった。車体の色は派手な黄色。タクシーだ。
「どうかしましたかー。体調でも?」
「……だい、じょうぶです」
 愛想笑いを浮かべる。しかしすぐに、親切で開けてもらった窓ガラスを両手で掴みかかった。
「あの、兄が乗ってる車を探していて。赤い外車、見かけませんでしたか!」
「あ、え? 赤い外車?」
 唐突な言動に、当然のように運転手が顔を引きつらせる。
 それでも、ゆっくり言葉をかみ砕いた様子で「ああ」と声を漏らした。
「見た見た。10分くらい前だったかな。あの通りを真っ直ぐ走っていく赤い車をね」
「追ってください!」
 どこの刑事ドラマか知らない台詞の返事を待たず、芽吹はタクシーに乗り込んだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。

すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。 そこで私は一人の男の人と出会う。 「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」 そんな言葉をかけてきた彼。 でも私には秘密があった。 「キミ・・・目が・・?」 「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」 ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。 「お願いだから俺を好きになって・・・。」 その言葉を聞いてお付き合いが始まる。 「やぁぁっ・・!」 「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」 激しくなっていく夜の生活。 私の身はもつの!? ※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 では、お楽しみください。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

お茶をしましょう、若菜さん。〜強面自衛官、スイーツと君の笑顔を守ります〜

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
陸上自衛隊衛生科所属の安達四季陸曹長は、見た目がどうもヤのつく人ににていて怖い。 「だって顔に大きな傷があるんだもん!」 体力徽章もレンジャー徽章も持った看護官は、鬼神のように荒野を走る。 実は怖いのは顔だけで、本当はとても優しくて怒鳴ったりイライラしたりしない自衛官。 寺の住職になった方が良いのでは?そう思うくらいに懐が大きく、上官からも部下からも慕われ頼りにされている。 スイーツ大好き、奥さん大好きな安達陸曹長の若かりし日々を振り返るお話です。 ※フィクションです。 ※カクヨム、小説家になろうにも公開しています。

Husband's secret (夫の秘密)

設樂理沙
ライト文芸
果たして・・ 秘密などあったのだろうか! むちゃくちゃ、1回投稿文が短いです。(^^ゞ💦アセアセ  10秒~30秒?  何気ない隠し事が、とんでもないことに繋がっていくこともあるんですね。 ❦ イラストはAI生成画像 自作

イケメン男子とドキドキ同居!? ~ぽっちゃりさんの学園リデビュー計画~

友野紅子
児童書・童話
ぽっちゃりヒロインがイケメン男子と同居しながらダイエットして綺麗になって、学園リデビューと恋、さらには将来の夢までゲットする成長の物語。 全編通し、基本的にドタバタのラブコメディ。時々、シリアス。

処理中です...