芽吹と息吹~生き別れ三十路兄と私のつぎはぎな数か月間~

森原すみれ@薬膳おおかみ①②③刊行

文字の大きさ
上 下
46 / 63
第8話 兄妹の価値

(5)

しおりを挟む
「安達先輩」
「悪い、こんな時間にストーカーして」
 シンプルなTシャツにパーカーを羽織り、安達は門柵の前に立っていた。
 苦笑を浮かべながら小さな冗談を言う姿に、ほっと安堵の息をつく。
 保健室での短いやりとりの後、結局部活での最低限度のやりとりに留まったままだったのだ。
「すみません、さっきのは息吹が勝手に……」
「悪いと思ってんなら今すぐ帰れ、ストーカー」
「ちょっと、息吹!」
 後ろで帰れオーラを出し続ける息吹に、芽吹は溜め息とともに鋭い視線を突き刺す。
「息吹はいいから、中に入ってて。聞き耳立てないでよ」
「んー……わかった。それじゃ」
 ガラガラ、ガシャン、と金属音が夜の住宅地に響く。
 いつもは開いたままになっている門扉とその留め具を、息吹がさくっとかけた。胸の高さまである柵に隔たれた2人の姿に、息吹は満足げに頷く。
「5分だけね。ちゃんと迎えに出るから」
 玄関へ消えていった兄の姿に、再びため息が漏れる。
「本当、子どもみたいで……すみません」
「いや。別に気にしねーよ。そんなことより……」
 夜の住宅地を照らすものは、街灯と家からかすかに漏れる明かりしかない。
 そんな中でも、安達の瞳が柔らかく細められたのがわかった。
「その……元気そうだな」
「何とか。と言っても、部活で毎日会ってますよね?」
「だな。でも、なかなか話しかける空気じゃねーから」
「そう、ですね。さすがにお互い気まずいですよね。はは」
「俺はいいんだ。自業自得。でも、お前が……」
 一瞬言葉を詰まらせた後、頭をかきながら続けられた。
「お前の最近見せる笑顔が、時々なんだけど、すっげー脆く見えてさ」
 意外な指摘だった。
 自分では既にほとんど癒えていると思っていた衝撃が、まだ目に見えるほどだったのだろうか。奈津美にも華にも、最近は心配そうな顔をさせていなかったはずだ。
 それとも……安達だけには、伝わってしまっていた?
「本当に、悪い。俺がこんなこと言う立場じゃねえ。こんなお節介焼く資格もねえよな。小笠原先生に言われた通り、覚悟が足りなすぎた」
「先輩……」
「でも、こんな俺でも聞ける話があるなら、吐き出し口に使ってほしい。独り言を言うつもりでも、なんでもいい」
「そんな、使ってだなんて」
「俺は、お前が好きだよ」
 夜風が横切る。
 外なのにどこか籠もっているいるようだった互いの距離に、新しい空気が流れ込んだ。
「あの兄貴が好きなら──なんて、嫉妬まみれの言葉投げつけておいて、しょうもないよな。あんな無様な姿見せて、正直今更お前に好かれようなんて、都合よすぎだってこともわかってる」
「っ……」
「でも……お前の気持ちに関係なく、やっぱ俺は、芽吹のことが好きだ。この1週間話しかけることもできないでいて……つくづく思い知った」
 気持ちを綺麗に映し出した言葉が、芽吹を包んでいく。
 表情を忙しく変えながらもその実直すぎる告白に、胸の奥がぎゅっと苦しいくらい締め付けられた。
 息を吸おうとするも失敗し、唇がかすかに震えを帯びる。
「先輩は、すごいですね」
「え?」
「私はそんなに、潔く、自分のことを認められない」
 目の前の門扉に手をかける。
 もうすぐ息吹が来るかもしれない。涙は、堪えなければ。
「私……怖いんです。最近は大分収まっていると……そう、自分に言い聞かせてました。でも本当は今も、どうしたらいいのか、わからなくなる」
「芽吹」
 柵を掴んだ手に、安達の大きな手のひらがそっと重なった。
「それは、写真のモデルのことでか?」
「いいえ」
「それじゃあ、やっぱその……あの兄貴のことか?」
 安達の問いかけに、芽吹は小さく頷いた。
 大きな不安だけが常に頭の上にあって、でもその正体がわからない。見て見ぬふりをしても、どこまでも追いかけてくる。
「あのさ、すっげーピントずれた答えかもしれないけど」
 小刻みに震える芽吹の手を、安達が力強く包みこんだ。
「あの兄貴にとっては、芽吹の存在が、大きな支えなんだと……思う」
 屋上に呼び出されて起こったいざこざの直後、安達はドア越しに息吹の弱い呟きを聞いていた。
 ──芽吹を支えられない自分なんて、いる意味、ないんだけどな──
「あの言葉を聞いて、正直圧倒された。あの人は変人だし常識外れもいいとこだけど、そういう想いは、つえーよな」
「っ……」
「だから、俺でも友達でも、この際あの兄貴でもいい。話せそうになったら、少しずつ吐き出せばいいって。みんな、お前のことが大切で、心配してる」
 頭を撫でられる。それはとても心地のいい温度で心が少し軽くなった。
 その手が頬に降りてきたのを感じ、芽吹はそっと手を乗せる。安達の指先が、微かに震えた。
「ありがとうございます、安達先輩」
「め、ぶき」
「さっきインターホンが鳴って、安達先輩が会いに来てくれたって知って、……嬉しかった」
 本当は保健室前で鉢合わせたあの時も、同じ気持ちだった。
 もし安達が今の状況を「寂しい」と感じてくれているのなら、自分も同じなんだと、今ならはっきり答えることができる。
「……っ、あの、さ」
「はーい。5分経過しました」
 いつの間にか開けられていた扉に、息吹が無表情でもたれていた。
「もう話は済んだよね。気をつけて帰ってね安達くん。また学校で」
「ちょ、息吹! そんな態度は……」
「っ、明日からの土日、部活休むって聞いた。例の写真撮影の本番なんだよな!?」
 中に引きずりこまれる芽吹に向かって、安達が大きな声を張った。
「頑張れよ! いつも応援されてる野球部の奴らも、お前のこと応援してるってこと、ちゃんと覚えとけ!」
「……はい!」
 扉が閉じられた。
 北海道の夜は、夏の今でもほんのり冷える。それでも、胸の奥は驚くほど温まっていた。
「で。話は済んだの」
「あのね。強制で断ち切っておいて、今更聞く?」
「……5分じゃなくて、3分にしときゃよかった」
 幾分か表情が柔らかくなっている芽吹に、息吹が面白くなさそうに眉を寄せる。
 ぶつくさ言いながらリビングへ向かう兄の姿に、芽吹は密かに笑みを零した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。

すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。 そこで私は一人の男の人と出会う。 「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」 そんな言葉をかけてきた彼。 でも私には秘密があった。 「キミ・・・目が・・?」 「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」 ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。 「お願いだから俺を好きになって・・・。」 その言葉を聞いてお付き合いが始まる。 「やぁぁっ・・!」 「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」 激しくなっていく夜の生活。 私の身はもつの!? ※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 では、お楽しみください。

お茶をしましょう、若菜さん。〜強面自衛官、スイーツと君の笑顔を守ります〜

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
陸上自衛隊衛生科所属の安達四季陸曹長は、見た目がどうもヤのつく人ににていて怖い。 「だって顔に大きな傷があるんだもん!」 体力徽章もレンジャー徽章も持った看護官は、鬼神のように荒野を走る。 実は怖いのは顔だけで、本当はとても優しくて怒鳴ったりイライラしたりしない自衛官。 寺の住職になった方が良いのでは?そう思うくらいに懐が大きく、上官からも部下からも慕われ頼りにされている。 スイーツ大好き、奥さん大好きな安達陸曹長の若かりし日々を振り返るお話です。 ※フィクションです。 ※カクヨム、小説家になろうにも公開しています。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

Husband's secret (夫の秘密)

設樂理沙
ライト文芸
果たして・・ 秘密などあったのだろうか! むちゃくちゃ、1回投稿文が短いです。(^^ゞ💦アセアセ  10秒~30秒?  何気ない隠し事が、とんでもないことに繋がっていくこともあるんですね。 ❦ イラストはAI生成画像 自作

イケメン男子とドキドキ同居!? ~ぽっちゃりさんの学園リデビュー計画~

友野紅子
児童書・童話
ぽっちゃりヒロインがイケメン男子と同居しながらダイエットして綺麗になって、学園リデビューと恋、さらには将来の夢までゲットする成長の物語。 全編通し、基本的にドタバタのラブコメディ。時々、シリアス。

処理中です...