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第8話 兄妹の価値
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頭が痛い。でももう慣れてきた。
さあ、いつも通りの日々が続く。自分が何を知ろうと、何を思おうと。それは非常に有り難い。
「ね、あれ見て」
「何あれ。撮影?」
ぼんやり耳に届いた誰かの声が、カメラのシャッター音にかき消えた。
最近では、撮影の練習を人目のある場所に広げていた。主に1年教室をつなぐ踊り場だ。許可は奈津美が巧みな話術で獲得したらしい。
すう、と息を吸い込んで、動きを止める。その瞬間を逃さず切られる音の響きが、今ではなかなか心地いいことに気づく。
その一瞬だけは、自分とは違う自分になっている気がして。
「……やばいね。今の表情(かお)、すごいいいよ」
「はは、奈津美、さっきから『やばい』しか言ってないよ」
「あ、まじか」
カメラのファインダーを覗いたままの体勢で、奈津美が何か少し考える。
「でも、なんだろ。撮る瞬間、芽吹がなんか、違う人に見えるよ」
妙に鋭い奈津美の指摘に、自然と苦笑が浮かぶ。
そんな表情も逃さずシャッターを切る奈津美が、ようやくファインダーから顔を離した。
同時にみなぎっていた心地いい緊張感がほどけ、すっと冷たいものが体の芯に落ちてくる。
あれ、「これで終わり」コールがまだだ。頭の片隅で考えながら、小さくよろめく体を踏みとどませる。
瞬間、柔らかい温もりに包まれ、目を見開いた。
「んー。また、終わった瞬間に貧血だね」
「あ……ごめんね。でも大丈夫。ありがとう」
「撮影、無理させた?」
「ううん、違う。撮影は最近、すごく気持ちがいいよ」
本音だったので、真っ先に首を横に振る。するとこちらを覗き込んできた奈津美の目が、すうと細められる。真実を見極めようとする眼差しだ。
胸の奥が、焦ったように震えた。
「撮影が原因じゃないなら、何かあった? 最近のあんた、ずっとなんか違うよ」
「……ん。そうだよね。本当にごめん」
「謝ってほしいんじゃないからね。ただ知りたいだけ。こっちの勝手な都合」
振り向かされる。思いのほか至近距離でかち合った視線に気づき、思わずふっと笑みが漏れた。
「ふふ、わー、奈津ちゃんにキスされるー」
「キスされたくなかったら、いい加減、最近凹んでる理由を述べよ」
「え、あの、まじでくっつく、わ……っ」
「何してるの、奈津美」
近づいてくる薄く色づいた綺麗な唇。その色香の漂う光景に狼狽えそうになっていると、横から華の突っ込みが入った。
別の用事があって、時間ギリギリなのにわざわざ来てくれたらしい。
「無理矢理口を割らせる方法、よくないと思う」
「そうかな。それじゃあひとまずキスだけしちゃう?」
「いや訳わからないから。そして華さんグッジョブ」
「いいよ。それで芽吹、最近凹んでる理由、そろそろ話してくれてもいいよ」
「あれ? 華さんも結局同じこと言ってる?」
にこりと笑顔を向けられる。それは奈津美のそれとはまるで違う、無言の強制力が働いていた。
でも、と芽吹の唇が小さく震える。
「ごめんね。でも今回のことは、もう少し自分で考えたいんだ」
無意識に笑顔を向けて答えると、2人は揃ってなんとも言えない顔をした。もしかして、またよくわからない笑顔になっちゃったのかな。
「でも、といったらあれだけど、写真の方はもう大分平気になってきたみたいだよ。奈津美たちのお陰だね」
「その代わり、最後にぷつりとスイッチがオフになるけどね」
オフなのかな、と芽吹は思った。
実はオフになっているのは撮影中で、終わると同時にオンになってしまうのかもしれない。待っていましたと言いたげに、考えたくないたくさんの出来事が、ものすごい勢いで頭の中に流れ込んでくるのだ。
カメラが苦手で逃げ惑っていたはずなのに、今はまるでカメラに逃避しているみたいだ。芽吹は小さく自嘲した。
「でも、確かに芽吹、カメラの前だと空気が変わるみたいになったね」
「正直、それは撮影する側としては嬉しいんだけどね」
「それならよかった。これ以上、誰にも迷惑かけたくないからね」
余計なことを言った。油断するとすぐこれだ。
しかし幸いなことに、奈津美が口を開きかけたとき、予鈴が鳴った。
「へえ、こんな第2の屋上があったなんて、知りませんでした」
日差しが雲で陰り、かすかに夏風が立ちこめる。
辺りを気のなさそうな様子で見やる安達に、鈍く光る眼光が向けられた。
「にしても、無茶苦茶ですねあんた。授業中の時間帯に、生徒を呼び出しますか普通?」
「少しでも邪魔されず、穏便に話し合いをしたくてね」
「話し合いって」
ひゅ、と安達の耳元に鋭い風が切る。
瞬間、息吹の拳が安達の頬を掠めた。勢いはそのまま、すぐそこの壁に打ち込まれる。
ゆっくりと拳を離したそこには、赤黒い血の跡が刻まれた。
肩が壁にぶつかり、安達は自分が後ずさったのだと知った。壁際でなければ、このまま尻餅をついていただろう。
つい最近、自業自得で男たちからたこ殴りにされる経験をしたばかりだ。
それでも──ここまで躊躇なく拳を向けられる感覚は、生まれて初めてのことだった。
「っ……あん、た。何を」
「芽吹に何したの、あんた」
さあ、いつも通りの日々が続く。自分が何を知ろうと、何を思おうと。それは非常に有り難い。
「ね、あれ見て」
「何あれ。撮影?」
ぼんやり耳に届いた誰かの声が、カメラのシャッター音にかき消えた。
最近では、撮影の練習を人目のある場所に広げていた。主に1年教室をつなぐ踊り場だ。許可は奈津美が巧みな話術で獲得したらしい。
すう、と息を吸い込んで、動きを止める。その瞬間を逃さず切られる音の響きが、今ではなかなか心地いいことに気づく。
その一瞬だけは、自分とは違う自分になっている気がして。
「……やばいね。今の表情(かお)、すごいいいよ」
「はは、奈津美、さっきから『やばい』しか言ってないよ」
「あ、まじか」
カメラのファインダーを覗いたままの体勢で、奈津美が何か少し考える。
「でも、なんだろ。撮る瞬間、芽吹がなんか、違う人に見えるよ」
妙に鋭い奈津美の指摘に、自然と苦笑が浮かぶ。
そんな表情も逃さずシャッターを切る奈津美が、ようやくファインダーから顔を離した。
同時にみなぎっていた心地いい緊張感がほどけ、すっと冷たいものが体の芯に落ちてくる。
あれ、「これで終わり」コールがまだだ。頭の片隅で考えながら、小さくよろめく体を踏みとどませる。
瞬間、柔らかい温もりに包まれ、目を見開いた。
「んー。また、終わった瞬間に貧血だね」
「あ……ごめんね。でも大丈夫。ありがとう」
「撮影、無理させた?」
「ううん、違う。撮影は最近、すごく気持ちがいいよ」
本音だったので、真っ先に首を横に振る。するとこちらを覗き込んできた奈津美の目が、すうと細められる。真実を見極めようとする眼差しだ。
胸の奥が、焦ったように震えた。
「撮影が原因じゃないなら、何かあった? 最近のあんた、ずっとなんか違うよ」
「……ん。そうだよね。本当にごめん」
「謝ってほしいんじゃないからね。ただ知りたいだけ。こっちの勝手な都合」
振り向かされる。思いのほか至近距離でかち合った視線に気づき、思わずふっと笑みが漏れた。
「ふふ、わー、奈津ちゃんにキスされるー」
「キスされたくなかったら、いい加減、最近凹んでる理由を述べよ」
「え、あの、まじでくっつく、わ……っ」
「何してるの、奈津美」
近づいてくる薄く色づいた綺麗な唇。その色香の漂う光景に狼狽えそうになっていると、横から華の突っ込みが入った。
別の用事があって、時間ギリギリなのにわざわざ来てくれたらしい。
「無理矢理口を割らせる方法、よくないと思う」
「そうかな。それじゃあひとまずキスだけしちゃう?」
「いや訳わからないから。そして華さんグッジョブ」
「いいよ。それで芽吹、最近凹んでる理由、そろそろ話してくれてもいいよ」
「あれ? 華さんも結局同じこと言ってる?」
にこりと笑顔を向けられる。それは奈津美のそれとはまるで違う、無言の強制力が働いていた。
でも、と芽吹の唇が小さく震える。
「ごめんね。でも今回のことは、もう少し自分で考えたいんだ」
無意識に笑顔を向けて答えると、2人は揃ってなんとも言えない顔をした。もしかして、またよくわからない笑顔になっちゃったのかな。
「でも、といったらあれだけど、写真の方はもう大分平気になってきたみたいだよ。奈津美たちのお陰だね」
「その代わり、最後にぷつりとスイッチがオフになるけどね」
オフなのかな、と芽吹は思った。
実はオフになっているのは撮影中で、終わると同時にオンになってしまうのかもしれない。待っていましたと言いたげに、考えたくないたくさんの出来事が、ものすごい勢いで頭の中に流れ込んでくるのだ。
カメラが苦手で逃げ惑っていたはずなのに、今はまるでカメラに逃避しているみたいだ。芽吹は小さく自嘲した。
「でも、確かに芽吹、カメラの前だと空気が変わるみたいになったね」
「正直、それは撮影する側としては嬉しいんだけどね」
「それならよかった。これ以上、誰にも迷惑かけたくないからね」
余計なことを言った。油断するとすぐこれだ。
しかし幸いなことに、奈津美が口を開きかけたとき、予鈴が鳴った。
「へえ、こんな第2の屋上があったなんて、知りませんでした」
日差しが雲で陰り、かすかに夏風が立ちこめる。
辺りを気のなさそうな様子で見やる安達に、鈍く光る眼光が向けられた。
「にしても、無茶苦茶ですねあんた。授業中の時間帯に、生徒を呼び出しますか普通?」
「少しでも邪魔されず、穏便に話し合いをしたくてね」
「話し合いって」
ひゅ、と安達の耳元に鋭い風が切る。
瞬間、息吹の拳が安達の頬を掠めた。勢いはそのまま、すぐそこの壁に打ち込まれる。
ゆっくりと拳を離したそこには、赤黒い血の跡が刻まれた。
肩が壁にぶつかり、安達は自分が後ずさったのだと知った。壁際でなければ、このまま尻餅をついていただろう。
つい最近、自業自得で男たちからたこ殴りにされる経験をしたばかりだ。
それでも──ここまで躊躇なく拳を向けられる感覚は、生まれて初めてのことだった。
「っ……あん、た。何を」
「芽吹に何したの、あんた」
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