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第7話 写真はもうない
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夜の帰り道を、芽吹は1人で歩いた。
先ほど告げられた言葉が、歩みに合わせて脳内に反芻して、そのたびに心が乱される。
芽吹は本来、交友関係に軽薄な人を簡単に懐には入れない。
春にマネージャーとして勧誘されたあのときも、唐突に向けられた懐っこい笑顔に、真っ先に出たのは警戒心だった。
でも、芽吹は次の日にはグラウンドに向かった。警戒していたはずの、あの笑顔に惹かれたからだ。4月のことだ。
「息吹が帰ってくる、前の話じゃないか……」
弁解するような呟きも、どういうわけか後ろ暗い何かが付いて回る。
だって、まさかあんな指摘を受けるなんて思ってもみなかった。
――悪いけど、あんたに芽吹は渡さない。俺の、可愛い妹だからね。
「……っ」
記憶の中の息吹が、やけに甘い耳打ちをした。
包み込まれた少し熱い体温と、振りほどけない、逞しい腕。
薄れかけていた記憶を思い返して、胸がじゅんと甘く痺れる。
こんな心地がするのも、驚くような指摘のせいだ。恋なんかじゃない。
だって、私と息吹は、兄妹なんだから。
「芽吹。おかえり」
「ただいま」
テレビを見ていたらしい息吹が、ソファーの背もたれに肘を置き笑顔で振り返る。
いつも通りの兄の姿がそこにあって、ほっと安堵の吐息が洩れた。
「遅かったねー。こんな時間になるなら、やっぱ学校で待ってればよかったーって思ってたとこ」
「うん。ちょっとね」
「変な奴につけられたりとかー、体調思わしくなかったりとかー、何も問題なし?」
「ん。大丈夫」
語尾が、小さく震える。
どうしてだろう。いつも通りの何気ない会話なのに、胸がいっぱいになる。
息吹の表情が、微かに反応する。何か感じ取ったのか眉を寄せる仕草に、芽吹はぴくりと警戒した。
「どうしたの。やっぱ、何かあった?」
「うん。ちょっとね」
「……さっきと同じ返しだね」
「う、……うん?」
息吹は聡い。
いつもは助けられている長所が、今の芽吹を焦らせる。
ソファーから腰を浮かすと、真正面で芽吹を見据えてくる。その真相をも探るような強い眼差しに、打ち勝つ言葉が見当たらない。
「やっぱり、何かあったんだ。いつもより、帰る時間も微妙に遅かったしね」
「あ、えっと」
「狼狽えてる。なに。お兄ちゃんに話してみ」
お兄ちゃん。お兄ちゃんに、恋。
正常に働いてくれない思考がじりじり焦げていく。
こういう時に限ってやたら凛々しい表情で見下ろすのは、勘弁してほしい。勘弁って、何が。だから、違うんだってば。
「っ……」
「……芽吹?」
いつになく口数の少ない妹に気づいたのか、息吹は小さく首を傾げる。
困惑を隠すこともできず、なおもいい返答を探す。すると、大きな手のひらが芽吹の頭を優しく撫でた。思わず、芽吹の目が細められる。
「どーしたの。もしかして、体調悪い?」
「……ううん。平気」
「最近はやることがたくさんあって、お疲れか。着替えておいで。ご飯、食べるでしょ」
「うん。ありがと」
柔らかな言葉に背を押され、芽吹は自室に向かう。
扉を閉めた後、喉の奥で詰まっていた二酸化炭素を思い切り吐き出した。ひざの間に顔を埋める。
息吹のことは、好きだ。
何も考えていないようで相手を一番に思う優しさも、温かな手のひらも。
でも、だからといって、これは果たして「恋愛」なのか。
「だってそんなこと……どうしたら判断できるの」
考え過ぎて重くなる頭に、乾いた笑いが漏れる。
芽吹は恋愛に疎い。
幼少時代に色々あったこともあり、人と距離を縮めるのに慎重な人間になった。周囲はとっくに恋だの愛だので盛り上がるなか、芽吹はその話の渦中に立たないでいられればそれでよかった。
不意に安達の傷ついた笑顔が、瞼の裏に浮かぶ。
最悪だ、と芽吹は唇を噛んだ。
初恋の人に――少なくとも、自分はそう思っていた人に、あんな顔をさせるなんて。
息吹は今お風呂に入っている。
夕食を済ませた芽吹は、再び2階に上がる。芽吹の部屋でも息吹の部屋でもない、もうひとつの部屋にそっと踏み入れた。
もともと物置に近い形で使われていたこの部屋は、普段扉も明けないためやや埃っぽい。電気を点けた芽吹は、本棚の前にそっと腰を下ろした。
アルバムは確か、本棚の一番下の段にある。
両親が海外に発つ前にも眺めたそれを取り出し、芽吹は再び表紙をめくった。
目当ては、息吹の写真だ。できれば、高校時代のもの。
息吹が高校生の時の写真を見れば、もっと客観的に2人の違いを説得じゃないか――なんて。
「こんなことしても、きっと、意味なんてないんだろうなあ……」
でも、今の自分にできることが、他に思いつかない。
独り言さえ情けなく震えそうになり、きゅっと唇を締める。しかし、目当てものは一切見つからなかった。
他の数冊も、隅から隅まで探し続ける。その中に、息吹の姿はただの1つも見つけることができなかった。
「……どうして?」
どうして、息吹の写真がないんだろう。
念のため、自分が生まれて間もないころがまとめられたアルバムを引っ張り出す。
前に聞いた小笠原の話では、芽吹が0歳の時は、息吹は中学3年生。少なくとも半年くらいは、息吹も一緒に暮らしていたはずだ。
「……ここは……?」
先ほど告げられた言葉が、歩みに合わせて脳内に反芻して、そのたびに心が乱される。
芽吹は本来、交友関係に軽薄な人を簡単に懐には入れない。
春にマネージャーとして勧誘されたあのときも、唐突に向けられた懐っこい笑顔に、真っ先に出たのは警戒心だった。
でも、芽吹は次の日にはグラウンドに向かった。警戒していたはずの、あの笑顔に惹かれたからだ。4月のことだ。
「息吹が帰ってくる、前の話じゃないか……」
弁解するような呟きも、どういうわけか後ろ暗い何かが付いて回る。
だって、まさかあんな指摘を受けるなんて思ってもみなかった。
――悪いけど、あんたに芽吹は渡さない。俺の、可愛い妹だからね。
「……っ」
記憶の中の息吹が、やけに甘い耳打ちをした。
包み込まれた少し熱い体温と、振りほどけない、逞しい腕。
薄れかけていた記憶を思い返して、胸がじゅんと甘く痺れる。
こんな心地がするのも、驚くような指摘のせいだ。恋なんかじゃない。
だって、私と息吹は、兄妹なんだから。
「芽吹。おかえり」
「ただいま」
テレビを見ていたらしい息吹が、ソファーの背もたれに肘を置き笑顔で振り返る。
いつも通りの兄の姿がそこにあって、ほっと安堵の吐息が洩れた。
「遅かったねー。こんな時間になるなら、やっぱ学校で待ってればよかったーって思ってたとこ」
「うん。ちょっとね」
「変な奴につけられたりとかー、体調思わしくなかったりとかー、何も問題なし?」
「ん。大丈夫」
語尾が、小さく震える。
どうしてだろう。いつも通りの何気ない会話なのに、胸がいっぱいになる。
息吹の表情が、微かに反応する。何か感じ取ったのか眉を寄せる仕草に、芽吹はぴくりと警戒した。
「どうしたの。やっぱ、何かあった?」
「うん。ちょっとね」
「……さっきと同じ返しだね」
「う、……うん?」
息吹は聡い。
いつもは助けられている長所が、今の芽吹を焦らせる。
ソファーから腰を浮かすと、真正面で芽吹を見据えてくる。その真相をも探るような強い眼差しに、打ち勝つ言葉が見当たらない。
「やっぱり、何かあったんだ。いつもより、帰る時間も微妙に遅かったしね」
「あ、えっと」
「狼狽えてる。なに。お兄ちゃんに話してみ」
お兄ちゃん。お兄ちゃんに、恋。
正常に働いてくれない思考がじりじり焦げていく。
こういう時に限ってやたら凛々しい表情で見下ろすのは、勘弁してほしい。勘弁って、何が。だから、違うんだってば。
「っ……」
「……芽吹?」
いつになく口数の少ない妹に気づいたのか、息吹は小さく首を傾げる。
困惑を隠すこともできず、なおもいい返答を探す。すると、大きな手のひらが芽吹の頭を優しく撫でた。思わず、芽吹の目が細められる。
「どーしたの。もしかして、体調悪い?」
「……ううん。平気」
「最近はやることがたくさんあって、お疲れか。着替えておいで。ご飯、食べるでしょ」
「うん。ありがと」
柔らかな言葉に背を押され、芽吹は自室に向かう。
扉を閉めた後、喉の奥で詰まっていた二酸化炭素を思い切り吐き出した。ひざの間に顔を埋める。
息吹のことは、好きだ。
何も考えていないようで相手を一番に思う優しさも、温かな手のひらも。
でも、だからといって、これは果たして「恋愛」なのか。
「だってそんなこと……どうしたら判断できるの」
考え過ぎて重くなる頭に、乾いた笑いが漏れる。
芽吹は恋愛に疎い。
幼少時代に色々あったこともあり、人と距離を縮めるのに慎重な人間になった。周囲はとっくに恋だの愛だので盛り上がるなか、芽吹はその話の渦中に立たないでいられればそれでよかった。
不意に安達の傷ついた笑顔が、瞼の裏に浮かぶ。
最悪だ、と芽吹は唇を噛んだ。
初恋の人に――少なくとも、自分はそう思っていた人に、あんな顔をさせるなんて。
息吹は今お風呂に入っている。
夕食を済ませた芽吹は、再び2階に上がる。芽吹の部屋でも息吹の部屋でもない、もうひとつの部屋にそっと踏み入れた。
もともと物置に近い形で使われていたこの部屋は、普段扉も明けないためやや埃っぽい。電気を点けた芽吹は、本棚の前にそっと腰を下ろした。
アルバムは確か、本棚の一番下の段にある。
両親が海外に発つ前にも眺めたそれを取り出し、芽吹は再び表紙をめくった。
目当ては、息吹の写真だ。できれば、高校時代のもの。
息吹が高校生の時の写真を見れば、もっと客観的に2人の違いを説得じゃないか――なんて。
「こんなことしても、きっと、意味なんてないんだろうなあ……」
でも、今の自分にできることが、他に思いつかない。
独り言さえ情けなく震えそうになり、きゅっと唇を締める。しかし、目当てものは一切見つからなかった。
他の数冊も、隅から隅まで探し続ける。その中に、息吹の姿はただの1つも見つけることができなかった。
「……どうして?」
どうして、息吹の写真がないんだろう。
念のため、自分が生まれて間もないころがまとめられたアルバムを引っ張り出す。
前に聞いた小笠原の話では、芽吹が0歳の時は、息吹は中学3年生。少なくとも半年くらいは、息吹も一緒に暮らしていたはずだ。
「……ここは……?」
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