芽吹と息吹~生き別れ三十路兄と私のつぎはぎな数か月間~

森原すみれ@薬膳おおかみ①②③刊行

文字の大きさ
上 下
37 / 63
第7話 写真はもうない

(3)

しおりを挟む
 妹の次はお姫様か。
 奈津美に言わせれば、また「いや有り得ないでしょ」と数秒の間もなく突っ込まれそうだ。
 そのお姫様がいる空間にはそぐわない、ガサガサうるさいビニル袋の音が辺りにひしめく。
 仕方なしに指定されたソファーに腰を下ろすと、息吹は芽吹の目の前の床にひざを立てて跪いた。ん? なんだ。
「背中浮いてるとやりづらいな。あ、クッション挟めよっか」
「何を……、え、それなに、化粧品?」
「大体当たり。お肌を休ませ潤いたっぷりジェルローション」
「……よくわからないけど」
「いいから。俺に任せといて」
 いかにも高そうなパッケージに構わず、無造作に透明フィルムを引きはがす。
 裏の使用方法を「ふんふん」と不安なほど流し読みした息吹は、豪快にジェルローションとやらを自身の手のひらにぶちまけた。
「ちょ、よく知らないけど高級品でしょそれ。もっと丁寧に使った方が」
「はーい、芽吹さん、顎を少し上にあげてー」
 人の話聞けよ。近づいてくるジェル付きの指先に、突っ込みたい気持ちをぐっと抑えて言われたとおりにする。
「っ、つめた」
「あ、手のひらで温めた方がいいって、隅っこに書いてあった」
 手のひらの温度に馴染ませ、再度息吹の指が芽吹の頬に触れる。
 あ、いい香り。
 ついうっとり香りに浸る芽吹に、息吹も満足げに指を滑らせていく。その動きはとても繊細で、不思議と気づいていなかった体中の強張りが解けていく気がした。
「芽吹は、部活も屋外だしカメラの負荷もあるし、今相当疲れてるでしょ。だからお兄ちゃんが、こうして癒してあげるのー」
「……うー」
 飼いならされている。
 癪な気持ちもないではなかったが、今の心地よさに身を委ねる方を選んだ。息吹は本当に、何でもそつなくこなしてしまう。
「……息吹は、体調とか大丈夫? 無理してない?」
 カメラから距離を置いていた兄を、半強制的に引き込んだのは自分だ。
 何気ない風を装って質問を投げると、息吹はふっと口元を柔らげた。
「思いのほか平気。自分でファインダーを覗きさえしなければ」
「無理、しないでね。私が守るって言ったんだから、何かあったらすぐに話してね」
「ん。わかってる」
 あいにく芽吹は、兄のように察しのいい方ではない。
 多少の変化は煙に巻かれる気がして、薄れ良く意識の中くぎを刺す言葉を探した。
「うそ、ついちゃ、だめだからね」
「……芽吹?」
「ちゃんと、なんでも、はなしてね……」
 重くなる瞼が、ついに動くことをやめ、芽吹はくたりと体をクッションに預けた。
 その体をそっと支えた息吹が、しばらく小さな寝息を立てる姿を眺める。
 余分なジェルを優しく取り除いてもなお、芽吹は目を覚まさなかった。
「うそをついちゃだめ――か」
 まるで重い鉛を飲み込んだように、腹の奥がぎゅっと重くなる。
 ぽつりと零れた呟きは、誰に拾い上げられることのないまま、リビングの片隅に溶けていった。


「はあ? 兄からチョコを直接口に? ジェルパックをしてもらう? 断固として拒否するわそんなん」
 眉間のしわを濃くしながら、倉重百合は言った。
「大体、あいつと家で会話もまともにしないから。暗黙の行動パターンがあるくらいだから。あいつと私が極力家の中でかち合わないようにね」
「わあ、飛行計画みたいだね」
 淡々と辛らつな言葉を吐く百合に、芽吹は感心に近い返答をする。
 件の事件があった後も、百合は芽吹とともにマネージャーとして野球部に在籍している。
 あの事件をきっかけに、代わったこともいくつかあった。
 1つ目は、百合と芽吹の仲が想像以上に縮まったこと。屋上での話し合いがあったからか、百合は必要以上の皮をかぶることを辞めたらしい。
 他の部員の目の届かない部活中となると、前述のような素の口調で芽吹との会話に応じた。その方が芽吹にとっても好ましかった。
「っていうか……うちの兄妹仲も大概だけど、あんたのところも相当だね。もしかして、兄とヤってんの。マジで」
「違う。違うよ断じて」
 じとりと向けられた視線に、強く否定する。
「そらそーだわ。そこまでいったら最早私の手に負えないわ」
「マネージャー、今日の練習メニューのことなんだけど」
「はい。昼休みに監督から受け取っていますよ。今日はポジション別に別れて――」
 おお。清々しいほどの切り替えに脱帽。
 不意に話しかけてきた田沼に迷わず極上スマイルで答える百合に、ほうと感心してしまう。
「ほう、じゃない。今のメニュー内容、来宮さんも聞いてた?」
「あ、ごめん。今日は監督会議で遅いんだよね。それで今からノックに入るから……、あ」
「今日はバッティングマシンの後、そのまま対抗形式のフリーバッティング。だろ? 倉重」
「安達先輩」
 助け舟を出してくれた安達に、百合は大きなため息を吐く。
「加えて、安達がまた来宮にちょっかいを出さないか見張ることも指示されていますから。こちらの報告次第では、来週の練習試合は暇になるかもですね、先輩」
「え。それマジ? いやでも、今日はまだちょっかい出してねーだろ?」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。

すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。 そこで私は一人の男の人と出会う。 「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」 そんな言葉をかけてきた彼。 でも私には秘密があった。 「キミ・・・目が・・?」 「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」 ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。 「お願いだから俺を好きになって・・・。」 その言葉を聞いてお付き合いが始まる。 「やぁぁっ・・!」 「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」 激しくなっていく夜の生活。 私の身はもつの!? ※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 では、お楽しみください。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

お茶をしましょう、若菜さん。〜強面自衛官、スイーツと君の笑顔を守ります〜

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
陸上自衛隊衛生科所属の安達四季陸曹長は、見た目がどうもヤのつく人ににていて怖い。 「だって顔に大きな傷があるんだもん!」 体力徽章もレンジャー徽章も持った看護官は、鬼神のように荒野を走る。 実は怖いのは顔だけで、本当はとても優しくて怒鳴ったりイライラしたりしない自衛官。 寺の住職になった方が良いのでは?そう思うくらいに懐が大きく、上官からも部下からも慕われ頼りにされている。 スイーツ大好き、奥さん大好きな安達陸曹長の若かりし日々を振り返るお話です。 ※フィクションです。 ※カクヨム、小説家になろうにも公開しています。

Husband's secret (夫の秘密)

設樂理沙
ライト文芸
果たして・・ 秘密などあったのだろうか! むちゃくちゃ、1回投稿文が短いです。(^^ゞ💦アセアセ  10秒~30秒?  何気ない隠し事が、とんでもないことに繋がっていくこともあるんですね。 ❦ イラストはAI生成画像 自作

イケメン男子とドキドキ同居!? ~ぽっちゃりさんの学園リデビュー計画~

友野紅子
児童書・童話
ぽっちゃりヒロインがイケメン男子と同居しながらダイエットして綺麗になって、学園リデビューと恋、さらには将来の夢までゲットする成長の物語。 全編通し、基本的にドタバタのラブコメディ。時々、シリアス。

処理中です...