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第5話 最後の写真
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確かにそうだ、と芽吹は思った。でももう遅い。
赤らんだままの安達の顔が、こちらに再び振り返る。頭をぽりぽり掻きながら、安達はしばらく夏空に答えを探した。
「いつからとか、よくわからねーな。気づいたら好きだったって、昨日も言ったろ?」
「そう、ですか」
「だけど、しいて言うならあの時だな」
「え?」
「初めて、芽吹に話しかけた時」
――桜の木、好きなの?
野球部のマネージャーに勧誘されたときの記憶が、一気に頭に流れ入る。
「だって、あんなに迷惑そうな顔返されたのは芽吹だけだったしなー。他に声かけた子はみんな、嬉しそうに顔赤らめてくれたのにさ」
「黙れイケメン」
「はは。でも、芽吹が入部を決めてくれたって聞いたときは、なんか無性に嬉しかった」
まるで噛みしめるみたいに、安達は続けた。
「芽吹は、俺にほんの少しも色目を使わないのに、部内の誰よりも俺のことを見ていてくれた。田沼でも誤魔化せた小さな違和感も、お前だけは見逃さなかったよな」
「それは、マネージャーとして当然じゃ」
「そういうふうに考えるとこ、たぶんお前の悪い癖だな」
芽吹の額に、安達の少し硬い指先がツンと突かれる。
「自分ができることだからって理由で、過小評価するとこ。少なくとも俺は、そうやって周りの様子を見ていられるところ、尊敬してるんだけど?」
「先輩……」
少し屈んで覗き込んでくる瞳は、とても優しい。
本当に太陽みたいな人だな、と思う。
迷惑層なんて言われてるけれど、たぶん、初めて会った時からずっとそう思っていた。
「ありがとうございます。心に留めておきます。」
「ん。そうしたまえ。それと、せっかくだから俺からも1つ質問」
「なんですか?」
「そのー、なんだ。……あの後、兄貴に、その、手とか……出されたりしなかったよな?」
「……兄貴?」
そのフレーズが届くのと同時に、何度目かわからないフラッシュバックが起こる。
保健室で、まるで疑問を持たない唇に与えられた、柔らかな感触。
顔に熱が集まるのを抑えられず、かぶりを振るようにして芽吹は顔を俯けた。
「平気です。家に帰ってからはさすがに説教でしたよ。でも、あの兄には暖簾に腕押しって感じで」
「……ずりーよなあ、お前の兄貴」
「え?」聞き返すのが早いか、安達の腕が素早く芽吹の体を掬い取った。
「あんな格好よく決められちゃ、こっちも半端なことできねえだろ。お前のこと、許してもらえるまでは」
それだけ言うと、安達の胸板は後を引くことなく離れていく。
「でもな。あんまりあのシスコン兄貴に気を許し過ぎんなよ。前科があるんだからな、前科!」
「あ、はい」
いろいろと危ない単語を並べ立てた安達は、今度こそ踵を返した。
シスコン兄貴か。確かに、その表現が正しいのかもしれない。何やらすとんと腑に落ちて笑みがのぼる。
不審に思われない程度に表情を整えた後、芽吹は「前科者」の待つ住まいへ戻っていった。
モデルのことについて、息吹に話すつもりでいた。
奈津美から受け取ったコンテストの提出書類に、被写体(モデル)の保護者承諾欄があったからだ。本音を言えば、モデルをすること自体も相談したかった。
話して、後押ししてほしかったのだ。野球部に復帰したときのように。
それなのに、結局一言も話題にあげることができないまま、芽吹は登校日を迎えていた。
「兄貴が収まったかと思えば、今度はお前が仮病か、来宮」
「はは、さすが小笠原先生」
昼休み。ようやく思いついた相談先を訪れると、小笠原はパソコンから目を離さないまま告げた。
それでも、いつもは不調のとき以外保健室を訪れない芽吹に思うところがあったのか、すぐにタイピング音もなりを潜めた。
「で。用件は」
芽吹は、小さく息を整えた。
「今日はお尋ねしたいことがあるんです」
「内容は」
「その、小笠原先生は、息吹とはクラスメートだったんですよね?」
小笠原の視線が、ゆっくりと芽吹を捉える。帰れ、と言われないことを確認した芽吹は、ベッド前に置かれた簡易椅子に腰を下ろした。
息吹にモデルのことを相談できなかった。それは、息吹の反応が予想できなかったからだった。
息吹は、カメラが嫌いだといった。
そのカメラが関わる活動に、協力するか否かの相談をすることが、息吹の触れてはいけない「何か」に触れてしまうのではないか。そう思うと、つい二の足を踏んだ。
それほどあの時の息吹の瞳は、固く閉ざされた石のようだったから。
「俺があいつとつるんでいたのは中学時代までだ。それから先は知らねえぞ」
「それでもいいんです。実は……以前に息吹、カメラが嫌いだと言っていて」
「あいつが?」
少し切れ長の瞳が、大きく見開かれる。
考えた後、立ち上がった小笠原は保健室の扉を閉め、扉側のカーテンを引いた。小笠原と目が合う。
「悪いな。一応今から話すことは、個人のプライバシーに関わるんでな。人払いだ」
「はは、大丈夫ですよ。息吹がやったんなら警戒しますけど」
「ったく、お前んとこの兄貴は相変わらずだな」
口元に浮かんだ微笑が、ほんの少しその場の空気を砕く。小笠原は再び椅子に腰を掛けた。
「あいつが転校してきたのは小学校のときだな。確か父親が亡くなって、あいつは母親1人に連れられて越して来たって話だったな」
それは、芽吹もうっすら耳にしていた。
「あいつは、初めて会った時からああだった。浮世離れしてるというか、地に足ついてないというか……母子家庭をからかう奴もいたが、綺麗に無視だ。本気で興味がない、そんな感じだった。だからか、からかう方もすぐに飽きてた」
「何となく、わかる気がします」
「性格難有り。でもまあ顔は悪くない。成績も悪くないってことで、割りとすぐに周囲とも打ち解けた。男女問わずな。そんな中であいつが特に注目されたのが、あるコンテストだ」
「え?」
「市主催の写真コンテスト」
赤らんだままの安達の顔が、こちらに再び振り返る。頭をぽりぽり掻きながら、安達はしばらく夏空に答えを探した。
「いつからとか、よくわからねーな。気づいたら好きだったって、昨日も言ったろ?」
「そう、ですか」
「だけど、しいて言うならあの時だな」
「え?」
「初めて、芽吹に話しかけた時」
――桜の木、好きなの?
野球部のマネージャーに勧誘されたときの記憶が、一気に頭に流れ入る。
「だって、あんなに迷惑そうな顔返されたのは芽吹だけだったしなー。他に声かけた子はみんな、嬉しそうに顔赤らめてくれたのにさ」
「黙れイケメン」
「はは。でも、芽吹が入部を決めてくれたって聞いたときは、なんか無性に嬉しかった」
まるで噛みしめるみたいに、安達は続けた。
「芽吹は、俺にほんの少しも色目を使わないのに、部内の誰よりも俺のことを見ていてくれた。田沼でも誤魔化せた小さな違和感も、お前だけは見逃さなかったよな」
「それは、マネージャーとして当然じゃ」
「そういうふうに考えるとこ、たぶんお前の悪い癖だな」
芽吹の額に、安達の少し硬い指先がツンと突かれる。
「自分ができることだからって理由で、過小評価するとこ。少なくとも俺は、そうやって周りの様子を見ていられるところ、尊敬してるんだけど?」
「先輩……」
少し屈んで覗き込んでくる瞳は、とても優しい。
本当に太陽みたいな人だな、と思う。
迷惑層なんて言われてるけれど、たぶん、初めて会った時からずっとそう思っていた。
「ありがとうございます。心に留めておきます。」
「ん。そうしたまえ。それと、せっかくだから俺からも1つ質問」
「なんですか?」
「そのー、なんだ。……あの後、兄貴に、その、手とか……出されたりしなかったよな?」
「……兄貴?」
そのフレーズが届くのと同時に、何度目かわからないフラッシュバックが起こる。
保健室で、まるで疑問を持たない唇に与えられた、柔らかな感触。
顔に熱が集まるのを抑えられず、かぶりを振るようにして芽吹は顔を俯けた。
「平気です。家に帰ってからはさすがに説教でしたよ。でも、あの兄には暖簾に腕押しって感じで」
「……ずりーよなあ、お前の兄貴」
「え?」聞き返すのが早いか、安達の腕が素早く芽吹の体を掬い取った。
「あんな格好よく決められちゃ、こっちも半端なことできねえだろ。お前のこと、許してもらえるまでは」
それだけ言うと、安達の胸板は後を引くことなく離れていく。
「でもな。あんまりあのシスコン兄貴に気を許し過ぎんなよ。前科があるんだからな、前科!」
「あ、はい」
いろいろと危ない単語を並べ立てた安達は、今度こそ踵を返した。
シスコン兄貴か。確かに、その表現が正しいのかもしれない。何やらすとんと腑に落ちて笑みがのぼる。
不審に思われない程度に表情を整えた後、芽吹は「前科者」の待つ住まいへ戻っていった。
モデルのことについて、息吹に話すつもりでいた。
奈津美から受け取ったコンテストの提出書類に、被写体(モデル)の保護者承諾欄があったからだ。本音を言えば、モデルをすること自体も相談したかった。
話して、後押ししてほしかったのだ。野球部に復帰したときのように。
それなのに、結局一言も話題にあげることができないまま、芽吹は登校日を迎えていた。
「兄貴が収まったかと思えば、今度はお前が仮病か、来宮」
「はは、さすが小笠原先生」
昼休み。ようやく思いついた相談先を訪れると、小笠原はパソコンから目を離さないまま告げた。
それでも、いつもは不調のとき以外保健室を訪れない芽吹に思うところがあったのか、すぐにタイピング音もなりを潜めた。
「で。用件は」
芽吹は、小さく息を整えた。
「今日はお尋ねしたいことがあるんです」
「内容は」
「その、小笠原先生は、息吹とはクラスメートだったんですよね?」
小笠原の視線が、ゆっくりと芽吹を捉える。帰れ、と言われないことを確認した芽吹は、ベッド前に置かれた簡易椅子に腰を下ろした。
息吹にモデルのことを相談できなかった。それは、息吹の反応が予想できなかったからだった。
息吹は、カメラが嫌いだといった。
そのカメラが関わる活動に、協力するか否かの相談をすることが、息吹の触れてはいけない「何か」に触れてしまうのではないか。そう思うと、つい二の足を踏んだ。
それほどあの時の息吹の瞳は、固く閉ざされた石のようだったから。
「俺があいつとつるんでいたのは中学時代までだ。それから先は知らねえぞ」
「それでもいいんです。実は……以前に息吹、カメラが嫌いだと言っていて」
「あいつが?」
少し切れ長の瞳が、大きく見開かれる。
考えた後、立ち上がった小笠原は保健室の扉を閉め、扉側のカーテンを引いた。小笠原と目が合う。
「悪いな。一応今から話すことは、個人のプライバシーに関わるんでな。人払いだ」
「はは、大丈夫ですよ。息吹がやったんなら警戒しますけど」
「ったく、お前んとこの兄貴は相変わらずだな」
口元に浮かんだ微笑が、ほんの少しその場の空気を砕く。小笠原は再び椅子に腰を掛けた。
「あいつが転校してきたのは小学校のときだな。確か父親が亡くなって、あいつは母親1人に連れられて越して来たって話だったな」
それは、芽吹もうっすら耳にしていた。
「あいつは、初めて会った時からああだった。浮世離れしてるというか、地に足ついてないというか……母子家庭をからかう奴もいたが、綺麗に無視だ。本気で興味がない、そんな感じだった。だからか、からかう方もすぐに飽きてた」
「何となく、わかる気がします」
「性格難有り。でもまあ顔は悪くない。成績も悪くないってことで、割りとすぐに周囲とも打ち解けた。男女問わずな。そんな中であいつが特に注目されたのが、あるコンテストだ」
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