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第4話 単純馬鹿なお兄ちゃん
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「息吹っ」
瞬間、大男の拳が息吹の頬を吹き飛ばした。
それでも1,2歩後退した息吹の足元は、その場でゆっくり体勢を整える。まるで、攻撃を予期していたように。
「ね、わかったでしょ。これがあんたの妹の本音。合成写真も、器物損壊も、遠回しに指示されたんじゃないの。そのほとんどが、妹に疑いがかからない、絶妙なタイミングでさ」
「ああ、知っていたさ。でもそれがどうした?」
……え?
大男の意外な返しに、芽吹は目を見開いた。
「こんなん、別に初めてじゃねえ。妹に粗雑に扱われるのだって、都合よく利用されるのだって慣れっこさ。でもな、妹が俺を頼ってくるなんて、こんな時ぐらいしかねーんだよ。こんな出来の悪い兄貴を持ったせいで、あいつにはもう随分苦労を掛けてきたからな」
地に視線を落としていた大男は、再びゆっくりと息吹を見据える。その目に迷いはない。ただ、凶暴な光が浮かんでいた。
「もう腹は決まってんだ。こんな時くらいはあいつの言うことをなんでも聞くってな」
「なるほど、それがあんたのお兄ちゃん心ってやつ?」
息吹が会得したように微笑む。そしてさも当然のように、大男の頬に拳をめり込ませた。
「……っ、あ」
凄まじい音が後を引く。芽吹は思わず震える声を洩らした。
「それじゃあ、引くわけにはいかないね。あんたも、俺も」
「おう、前田。俺が伸びたときの後処理、悪いが頼んだぜ」
「え、あの、シゲさん……!」
いつの間にか意識を取り戻していた脇役Bの男に告げたのを皮切りに、2人は交互にその拳を振るっていく。
やめて、と何度も口にしようとしたが、もはや言葉にならなかった。芽吹には立ち入れない場所で、息吹は拳を振るっていた。
結局夕日が地平線に吸い込まれるまで、緑地には2人の影が伸びていた。
「全部、話を聞いたんだ?」
翌日の昼休み。
芽吹を屋上に呼び出してきた相手が、不遜な表情で吐き捨てた。
「あなたの、お兄さんのことだよね」
「失敗すんなってあれだけ釘刺したのに。やっぱり、歳を食っても馬鹿は馬鹿か」
盛大な溜め息をつき、相手は笑った。笑いながら、芽吹の出方を窺っているのが見てとれた。
「お兄さん。あなたの本心、ちゃんと知ってたよ」
相手の笑い声が、ぴたりと止んだ。
「それでも、自分ができることはこれしかないって。あなたにも苦労かけたからって。だからずっと、あなたに騙されたふりをしていたんだよ」
「はは、なにそれ。それで贖罪のつもり? そんなの当然よ!」
女の声が、辺りに霧散した。
震える細い拳が、スカートの横で固く作られる。
「あの男が兄だったせいで、私が今までどんな目に遭ってきたのか、あんた、わかる? 騒ぎを起こすたびに家族は謝罪参り、一生懸命作った友だちは見る間に去っていく、急に世界が変わるのよ、私のことを好きって言ってた男の子だってね!」
はあ、と女が涙の籠った息を吐く。
前に廊下で目にした涙よりも、よほど色濃く感じられた。
「でも、苦しそうだね、あなたも」
「……っ」
「本当は、お兄さんの気持ち、気づいていたんじゃないの? だから、そんなに苦しいんじゃないの?」
ざあ、と屋上一体に暑い夏の風が吹きつけた。
「……本当、あんたってムカつくくらい、人の図星をついてくるよね」
緩くウェーブがかかった髪をそっとどかすと、どこか清々しい表情がそこにはあった。
「正直、安達先輩のことは自分でもよくわからないの。ぶっちゃけ最初は顔目当てだったしね。あっさり振られてプライドが傷つけられて、ムカついただけかもしれない」
でも、もういいや――そう、倉重百合は言った。
「安達先輩も随分苦しんでくれたみたいだし。何だか空しいって、最近気づいたから。自分を愛してくれない人を追いかけ回してもね」
克哉さん、から安達先輩、に変わっていることに、この時ようやく気付いた。
「欲しいならくれてやるわよ、来宮さん。あんな意気地なしのへっぴり腰でよければね!」
降り注ぐ日の中で見た百合は、今までで一番美しく見えた。
「ひとまず俺の怪我は、階段を踏み外して怪我をしたってことにするから。みんなもそのつもりでね」
昨日の緑地での乱闘は、結局誰に知られることもなく終焉した。
百合の兄は手下2人に連れられて帰ったきり、下手に学校側に通報することもしなかったらしい。向こうにもいろいろと思うところがあったのだろう。
「そんで君の怪我は、個人的な痴話喧嘩が過ぎた故の怪我ってことにしといたよ。それ以上追及されにくい最善の言い訳でしょ」
「本当にご迷惑をおかけしました。ありがとうございます」
「いいよお礼なんて。……で?」
保健室に響いた重い一言に、何故か床で正座をしている安達がびくりと肩を震わせた。
「俺の可愛い妹を巻き込んでおいて、ただで済むなんて思ってないよね」
「おっしゃる通りです」
「……えと。小笠原先生、これは一体どういう……?」
「どうやらこのシスコンにとっちゃ、今回の主犯云々より、事態の元凶の方に怒りの矛先が向いてるみたいだな」
小笠原の席に我が物顔で腰を据えた息吹が、床に坐する安達を冷たく見下ろす。
安達も自分の責を認めているからか、今の状況を打破しようという気は見られなかった。
「確かにあの百合? っていう子はプライドがめちゃくちゃ高そうだよね。でもさ、振られた腹いせだけでここまでのことする?」
「それは……」
「それとも、あの女が全て悪いんだ、で終結させてもいいわけ?」
瞬間、大男の拳が息吹の頬を吹き飛ばした。
それでも1,2歩後退した息吹の足元は、その場でゆっくり体勢を整える。まるで、攻撃を予期していたように。
「ね、わかったでしょ。これがあんたの妹の本音。合成写真も、器物損壊も、遠回しに指示されたんじゃないの。そのほとんどが、妹に疑いがかからない、絶妙なタイミングでさ」
「ああ、知っていたさ。でもそれがどうした?」
……え?
大男の意外な返しに、芽吹は目を見開いた。
「こんなん、別に初めてじゃねえ。妹に粗雑に扱われるのだって、都合よく利用されるのだって慣れっこさ。でもな、妹が俺を頼ってくるなんて、こんな時ぐらいしかねーんだよ。こんな出来の悪い兄貴を持ったせいで、あいつにはもう随分苦労を掛けてきたからな」
地に視線を落としていた大男は、再びゆっくりと息吹を見据える。その目に迷いはない。ただ、凶暴な光が浮かんでいた。
「もう腹は決まってんだ。こんな時くらいはあいつの言うことをなんでも聞くってな」
「なるほど、それがあんたのお兄ちゃん心ってやつ?」
息吹が会得したように微笑む。そしてさも当然のように、大男の頬に拳をめり込ませた。
「……っ、あ」
凄まじい音が後を引く。芽吹は思わず震える声を洩らした。
「それじゃあ、引くわけにはいかないね。あんたも、俺も」
「おう、前田。俺が伸びたときの後処理、悪いが頼んだぜ」
「え、あの、シゲさん……!」
いつの間にか意識を取り戻していた脇役Bの男に告げたのを皮切りに、2人は交互にその拳を振るっていく。
やめて、と何度も口にしようとしたが、もはや言葉にならなかった。芽吹には立ち入れない場所で、息吹は拳を振るっていた。
結局夕日が地平線に吸い込まれるまで、緑地には2人の影が伸びていた。
「全部、話を聞いたんだ?」
翌日の昼休み。
芽吹を屋上に呼び出してきた相手が、不遜な表情で吐き捨てた。
「あなたの、お兄さんのことだよね」
「失敗すんなってあれだけ釘刺したのに。やっぱり、歳を食っても馬鹿は馬鹿か」
盛大な溜め息をつき、相手は笑った。笑いながら、芽吹の出方を窺っているのが見てとれた。
「お兄さん。あなたの本心、ちゃんと知ってたよ」
相手の笑い声が、ぴたりと止んだ。
「それでも、自分ができることはこれしかないって。あなたにも苦労かけたからって。だからずっと、あなたに騙されたふりをしていたんだよ」
「はは、なにそれ。それで贖罪のつもり? そんなの当然よ!」
女の声が、辺りに霧散した。
震える細い拳が、スカートの横で固く作られる。
「あの男が兄だったせいで、私が今までどんな目に遭ってきたのか、あんた、わかる? 騒ぎを起こすたびに家族は謝罪参り、一生懸命作った友だちは見る間に去っていく、急に世界が変わるのよ、私のことを好きって言ってた男の子だってね!」
はあ、と女が涙の籠った息を吐く。
前に廊下で目にした涙よりも、よほど色濃く感じられた。
「でも、苦しそうだね、あなたも」
「……っ」
「本当は、お兄さんの気持ち、気づいていたんじゃないの? だから、そんなに苦しいんじゃないの?」
ざあ、と屋上一体に暑い夏の風が吹きつけた。
「……本当、あんたってムカつくくらい、人の図星をついてくるよね」
緩くウェーブがかかった髪をそっとどかすと、どこか清々しい表情がそこにはあった。
「正直、安達先輩のことは自分でもよくわからないの。ぶっちゃけ最初は顔目当てだったしね。あっさり振られてプライドが傷つけられて、ムカついただけかもしれない」
でも、もういいや――そう、倉重百合は言った。
「安達先輩も随分苦しんでくれたみたいだし。何だか空しいって、最近気づいたから。自分を愛してくれない人を追いかけ回してもね」
克哉さん、から安達先輩、に変わっていることに、この時ようやく気付いた。
「欲しいならくれてやるわよ、来宮さん。あんな意気地なしのへっぴり腰でよければね!」
降り注ぐ日の中で見た百合は、今までで一番美しく見えた。
「ひとまず俺の怪我は、階段を踏み外して怪我をしたってことにするから。みんなもそのつもりでね」
昨日の緑地での乱闘は、結局誰に知られることもなく終焉した。
百合の兄は手下2人に連れられて帰ったきり、下手に学校側に通報することもしなかったらしい。向こうにもいろいろと思うところがあったのだろう。
「そんで君の怪我は、個人的な痴話喧嘩が過ぎた故の怪我ってことにしといたよ。それ以上追及されにくい最善の言い訳でしょ」
「本当にご迷惑をおかけしました。ありがとうございます」
「いいよお礼なんて。……で?」
保健室に響いた重い一言に、何故か床で正座をしている安達がびくりと肩を震わせた。
「俺の可愛い妹を巻き込んでおいて、ただで済むなんて思ってないよね」
「おっしゃる通りです」
「……えと。小笠原先生、これは一体どういう……?」
「どうやらこのシスコンにとっちゃ、今回の主犯云々より、事態の元凶の方に怒りの矛先が向いてるみたいだな」
小笠原の席に我が物顔で腰を据えた息吹が、床に坐する安達を冷たく見下ろす。
安達も自分の責を認めているからか、今の状況を打破しようという気は見られなかった。
「確かにあの百合? っていう子はプライドがめちゃくちゃ高そうだよね。でもさ、振られた腹いせだけでここまでのことする?」
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