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第4話 単純馬鹿なお兄ちゃん
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昨日の何気ない質問は、きっと自分の失言だったのだろう。
あの一瞬を除いて、息吹はどこまでもいつも通りだった。その事実が、余計に芽吹の後悔を膨らませる。
あんな石のような芽吹の瞳を見るなんて、思ってもみなかった。
「そんなん、家族間ならよくあることでしょうよ」
あっけらかんと告げた奈津美は、ノートで芽吹の頭を軽く小突いた。角でやらないあたり、奈津美はさり気に優しい。
「家族なんて世界で1番身近な人間なんだから、そういう小さな傷のつけあいってお互い様じゃない? やばいやつは謝らなくちゃかもだけどさ」
奈津美の言うことはわかる。でも、それはきっと長年培ってきた家族のなせる業なのだろう。
芽吹と息吹の間にはまだ、そんな魔法を引き出すほどの時間は流れていない。
「それはそうと。まず解決すべきはあの性悪女よ。あの女、あんな見え透いた演技披露しておいて、いまだに野球部マネージャーに居座ってるって?」
「倉重さんね」
結局あの後、1年選手の引きとめにあい、退部を撤回したらしい。
「信じられん。あの安い涙はなんだったの。面の皮の千枚張りってやつだわね」
百合嫌いに拍車がかかっている。憤る奈津美に苦笑するも、隣に座る華もそれに同調するように深く頷いた。
「私も、あの人嫌い。芽吹を貶めようとしてる。芽吹、何もしてないのに」
「華、よく言った。共に杯を交わそうぞ」
「こらこら、2人とも落ち着いて」
正直、こちらに八つ当たりしたくなる気持ちもわからなくはなかった。
1人で必死に切り盛りしていたマネージャー業に、気まぐれで復帰されては気に食わない気持ちもあるだろう。加えて、あんなに熱を上げていた安達とも別れた。ストレスが溜まっていて当然だ。
「奈津ちゃん思うんですけど。安達先輩が受けてる嫌がらせ? それももしかして、あの性悪女がやってたりってこと、ない?」
推測にすぎないとわかってか、奈津美の口調はひどく慎重だった。
芽吹もそれは考えた。安達に悪意を向ける人物を考えたら、真っ先に上がるのが百合だろう。
「たぶん、それはないと思う」
安達に聞いたところ、受けた嫌がらせの中には、明らかに百合には無理なシチュエーションで起こったものもあったらしい。2年の教室内や、百合が監督に呼ばれたタイミングにも。
「とにかく、嫌がらせなんてバカなことは早急にやめてほしいもんだわね」
校長室に乗り込んで自ら被害を受けたランニングシューズをさらした、あの時の安達は毅然としていた。その表情が脳裏に浮かんでは、やるせなさに芽吹を苦しめる。
「本当に」
早く先輩に、無心で野球に専念してほしい。
「どうしたのー来宮さん。なんか怖い顔して」
先日の涙の演出は存在しなかった、という設定になったらしい。
花のような笑顔で首をかしげる百合に、芽吹は乾いた笑みで応えた。花のようだと思うのに、裏にあるトゲの鋭い光が、ちらちらとこちらに向いている。
珍しく2人は共に、野球部小屋の掃除を進めていた。
中は簡易カーペットが敷いているが、選手や監督が入れ代わり立ち代わりするため、グラウンドの砂が否応でも入り込む。イタチごっこのような掃除機をかける芽吹に、窓ふきをする百合は思い出したように口を開いた。
「そういえば、来宮さんに聞きたいことがあったんだよね」
「聞きたいこと?」
「来宮さんってさ、克哉さんのこと、どう思ってるの?」
今度は、「克哉さん」が誰のことか、すぐに思い出すことができた。
「どうしたの、急に」
「急じゃないよー。本当はずっと聞いてみたかったんだ。だって来宮さん、彼とすごく仲がいいみたいだし」
「太陽みたいな人」
真意を探るのも、すぐに諦めた。
お互い本気で深入りしたいと思わない間柄だ。芽吹は浮かんだ言葉をそのまま告げる。
「ふふ、ポエムみたいだね。可愛い」百合の瞳が、嬉しそうに細められた。
「そんな可愛い来宮さんだから、克哉さんもつい構っちゃうのかなあ。あ、もしかして来宮さん、甘え上手な末っ子?」
甘え上手かはさておき、「うん。一応、兄がいるよ」と端的な返答をする。ドア付近の砂が、なかなか吸い取れない。壁をこすらないように、何度も掃除機を往復させる。
「実は私もなんだ。年が少し離れてる兄なんだけど。妹がいる兄ってさ、何か単純~って感じしない?」
「そうかな」
「そうだよ。妹好きな、単純馬鹿」
最近日常を占領する兄の姿を思い起こす。
息吹は、単純に見えて意外に手綱が引きにくい。
こちら側には無遠慮に入り込むのに……なんだろう。向こう側に入ることは、慎重に監視されているような気がするのだ。
「来宮さん、ぼーっとしてるもんねえ。いいなあ、そういうことに鈍感だと楽だもん、羨ましい」
「そうかな」
「だから、克哉さんの口車に乗せられて、また野球部に戻っちゃったんだ?」
そうかな、と言いかけて、はたと我に返る。そして気づかないでもいいことに気づいた。
あれ、もしかして今、喧嘩売られてる?
「いつもみたいにぼーっとしていればよかったのにねえ。そうすれば変な期待もせずに済むことだってあるよ?」
屈んでいた上体を起こすと、思いのほか近距離に百合は立っていた。
笑顔にかかる薄い影に、芽吹の胸のどこかが冷えていく。
「克哉さんも罪作りだよねえ。来宮さんみたいな慣れない子をからかうんだもん」
「……」
「正直ね、あっちのことでも、克哉さんのお願いに付き合わされて、体が辛いこともあったし……『待て』ができない男なんだよね、あの人って」
「安達先輩のこと、まだ、好きなの?」
あの一瞬を除いて、息吹はどこまでもいつも通りだった。その事実が、余計に芽吹の後悔を膨らませる。
あんな石のような芽吹の瞳を見るなんて、思ってもみなかった。
「そんなん、家族間ならよくあることでしょうよ」
あっけらかんと告げた奈津美は、ノートで芽吹の頭を軽く小突いた。角でやらないあたり、奈津美はさり気に優しい。
「家族なんて世界で1番身近な人間なんだから、そういう小さな傷のつけあいってお互い様じゃない? やばいやつは謝らなくちゃかもだけどさ」
奈津美の言うことはわかる。でも、それはきっと長年培ってきた家族のなせる業なのだろう。
芽吹と息吹の間にはまだ、そんな魔法を引き出すほどの時間は流れていない。
「それはそうと。まず解決すべきはあの性悪女よ。あの女、あんな見え透いた演技披露しておいて、いまだに野球部マネージャーに居座ってるって?」
「倉重さんね」
結局あの後、1年選手の引きとめにあい、退部を撤回したらしい。
「信じられん。あの安い涙はなんだったの。面の皮の千枚張りってやつだわね」
百合嫌いに拍車がかかっている。憤る奈津美に苦笑するも、隣に座る華もそれに同調するように深く頷いた。
「私も、あの人嫌い。芽吹を貶めようとしてる。芽吹、何もしてないのに」
「華、よく言った。共に杯を交わそうぞ」
「こらこら、2人とも落ち着いて」
正直、こちらに八つ当たりしたくなる気持ちもわからなくはなかった。
1人で必死に切り盛りしていたマネージャー業に、気まぐれで復帰されては気に食わない気持ちもあるだろう。加えて、あんなに熱を上げていた安達とも別れた。ストレスが溜まっていて当然だ。
「奈津ちゃん思うんですけど。安達先輩が受けてる嫌がらせ? それももしかして、あの性悪女がやってたりってこと、ない?」
推測にすぎないとわかってか、奈津美の口調はひどく慎重だった。
芽吹もそれは考えた。安達に悪意を向ける人物を考えたら、真っ先に上がるのが百合だろう。
「たぶん、それはないと思う」
安達に聞いたところ、受けた嫌がらせの中には、明らかに百合には無理なシチュエーションで起こったものもあったらしい。2年の教室内や、百合が監督に呼ばれたタイミングにも。
「とにかく、嫌がらせなんてバカなことは早急にやめてほしいもんだわね」
校長室に乗り込んで自ら被害を受けたランニングシューズをさらした、あの時の安達は毅然としていた。その表情が脳裏に浮かんでは、やるせなさに芽吹を苦しめる。
「本当に」
早く先輩に、無心で野球に専念してほしい。
「どうしたのー来宮さん。なんか怖い顔して」
先日の涙の演出は存在しなかった、という設定になったらしい。
花のような笑顔で首をかしげる百合に、芽吹は乾いた笑みで応えた。花のようだと思うのに、裏にあるトゲの鋭い光が、ちらちらとこちらに向いている。
珍しく2人は共に、野球部小屋の掃除を進めていた。
中は簡易カーペットが敷いているが、選手や監督が入れ代わり立ち代わりするため、グラウンドの砂が否応でも入り込む。イタチごっこのような掃除機をかける芽吹に、窓ふきをする百合は思い出したように口を開いた。
「そういえば、来宮さんに聞きたいことがあったんだよね」
「聞きたいこと?」
「来宮さんってさ、克哉さんのこと、どう思ってるの?」
今度は、「克哉さん」が誰のことか、すぐに思い出すことができた。
「どうしたの、急に」
「急じゃないよー。本当はずっと聞いてみたかったんだ。だって来宮さん、彼とすごく仲がいいみたいだし」
「太陽みたいな人」
真意を探るのも、すぐに諦めた。
お互い本気で深入りしたいと思わない間柄だ。芽吹は浮かんだ言葉をそのまま告げる。
「ふふ、ポエムみたいだね。可愛い」百合の瞳が、嬉しそうに細められた。
「そんな可愛い来宮さんだから、克哉さんもつい構っちゃうのかなあ。あ、もしかして来宮さん、甘え上手な末っ子?」
甘え上手かはさておき、「うん。一応、兄がいるよ」と端的な返答をする。ドア付近の砂が、なかなか吸い取れない。壁をこすらないように、何度も掃除機を往復させる。
「実は私もなんだ。年が少し離れてる兄なんだけど。妹がいる兄ってさ、何か単純~って感じしない?」
「そうかな」
「そうだよ。妹好きな、単純馬鹿」
最近日常を占領する兄の姿を思い起こす。
息吹は、単純に見えて意外に手綱が引きにくい。
こちら側には無遠慮に入り込むのに……なんだろう。向こう側に入ることは、慎重に監視されているような気がするのだ。
「来宮さん、ぼーっとしてるもんねえ。いいなあ、そういうことに鈍感だと楽だもん、羨ましい」
「そうかな」
「だから、克哉さんの口車に乗せられて、また野球部に戻っちゃったんだ?」
そうかな、と言いかけて、はたと我に返る。そして気づかないでもいいことに気づいた。
あれ、もしかして今、喧嘩売られてる?
「いつもみたいにぼーっとしていればよかったのにねえ。そうすれば変な期待もせずに済むことだってあるよ?」
屈んでいた上体を起こすと、思いのほか近距離に百合は立っていた。
笑顔にかかる薄い影に、芽吹の胸のどこかが冷えていく。
「克哉さんも罪作りだよねえ。来宮さんみたいな慣れない子をからかうんだもん」
「……」
「正直ね、あっちのことでも、克哉さんのお願いに付き合わされて、体が辛いこともあったし……『待て』ができない男なんだよね、あの人って」
「安達先輩のこと、まだ、好きなの?」
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