お夜食処おやさいどき~癒やしと出逢いのロールキャベツ~

森原すみれ@薬膳おおかみ①②③刊行

文字の大きさ
上 下
5 / 8

(5)

しおりを挟む
「ええっ、それじゃあ榊木さん、関西転勤の噂は本当だったんですかっ?」
「うそー……」

 若い声がオフィスの一角に小さく響く。

 顔を見合わせるのは、勤続五年目ほどの女性社員二人だ。
 新人時代に望が教育係についていたこともあり、今でも慕ってくれている。

「そうなんだ。こちらので大きなプロジェクトもようやく一段落ついたしね。バタバタするけれど引き継ぎはしっかりさせてもらうし、何かあればいつでも連絡してくれて構わないから」
「ありがとうございます……でも! 榊木さんがいなくなるのはやっぱり寂しいですよ!」
「仕事もそうですけれど! これからいったいどうしたらいいんですか? 私たちの日々の目の保養はっ!?」
「ははは……目の保養ね」

 苦笑するしかない望に、「笑い事じゃないです!」と二人が揃って喰ってかかる。

 浮いた話がなかなか出ない自分は、どうやら若い子たちにとっては丁度いい話のネタらしい。
 とはいえ別れを惜しんでくれる後輩の存在は、やはり嬉しいものに変わりなかった。

 先ほど自販機で買ってきた飲み物を差し出しながら、望は微笑む。

「はい。ひとまず飲み物でも飲んで、午後の仕事も乗り切ろう。微糖のカフェラテと、炭酸オレンジでよかったよね?」
「うう……ありがとうございます、榊木さん」
「榊木さん優しい……別れが辛いいい」
「ありがとう。俺も寂しいよ」

 目を細める望に、二人の頬がふわりと桃色に染まる。

 そのとき、ポケットのスマホが震えていることに気づき、望は足早にオフィスをあとにした。

 廊下の先に行き着いたところで着信ボタンを押す。
 母からだ。

「もしもし。母さん、どうかした?」
「ああ、望。仕事中だったかしら、一応昼休憩かと思ってかけたんだけど」
「大丈夫だよ。元気そうだね。身体の具合はどう?」
「お陰さまでとっても元気よ。最近は近所の奥さまたちと小旅行に出掛けたりしてね」

 受話器越しに聞こえてくる弾むような声色に、望は小さく安堵の息を吐く。

 望の母親は、昔から身体が弱い人だった。
 一人で黙々と無理を重ねては、突然倒れてしまうことも一度や二度ではなかった。

 女手ひとつで自分を育て上げてくれた母親に、望は心から感謝している。

 今は無理のないペースで楽しく働いて、友人との時間も取れている。
 母親のとりとめない近況を聞くたびに、望は心穏やかになれた。

「ところで昇兄から聞いたんだけど。あなた、ようやくどなたかいい人が出来たんだって?」
「……はっ?」

 まずい。つい大声を張ってしまった。

 幸い周囲に人の影はないものの、受話器からは母親の愉しげな笑い声が届く。

「実は最近私の職場の人からも、お見合いの話を結構な頻度で頂いていたのよ。あ、私のじゃないわよ。もちろん望のね。お断りの文句を考えるのも結構大変だけれど、お相手がいるなんて嘘を吐くのも、何となく気が咎めたりしていたものだから」
「お相手なんていないって。期待させて悪いけど」
「え、そうなの? でも昇兄が」
「昇伯父さんのいうことは真に受けるなって、いつも言ってるだろ?」

 とはいえ、心底がっかりした声を出されてはこちらの罪悪感も多少は疼く。

 単身上京した息子の行く末を案じているのだろうが、もう三十一。立派な大人だ。
 加えて、結婚を選ばない人生を送る人なんてごまんといる。

「別に母さん、早く結婚してほしいなんてせっついているわけじゃあないのよ。だってほら、現に私自身、結婚直前で大失敗しでかしたいい見本だものねえ?」

 きゃはっと笑う母親に苦笑が漏れる。
 ブラックジョークだ。

「でもあなたってば私に似て、仕事ばかりに明け暮れていると自分を省みなくなってしまうから。ふと周りを見回して、立ち止まれる存在があれば安心だわあなんて、母さん思うのよ。恋人さんじゃなくてもいいの。お友達とか、趣味とか」
「……馴染みのお店とか?」
「そうそう、それよお」

 嬉しそうに語る母親に相づちを入れながら、望の脳裏には先日訪れた店の情景が浮かんでいた。

 彩り豊かな野菜たちを愛して止まない、小柄で可愛らしいあの人の姿も。



 母親との通話をしている中、とある準備が着々と進んでいたらしい。

 望がオフィスに戻る頃には、入り口横のホワイトボードにスケジュール調整の赤ペン文字が多数入り組んでいた。

 話によると、今夜二十時、望の送別会が急遽開催されることとなったらしい。
 先ほどの話を聞いていた社員たちが協力し、時間調整をしてくれたようだった。

 伯父の会社というひいき目なしに、ここはとてもいい会社だ。

 仕事のやりがいも勿論のこと、何より社員同士の人間関係もとても良好だ。

 例えば人生の岐路と呼べる子の出産時も、産休育休は男女問わず取ることが昔からの慣例となっている。
 緊急時の仕事の割り振りや人員補充の仕組みも確立され、それらの負担も見込まれた給与体制も整っていた。

 社員を大切にする風潮があるからこそ、社内の空気も清々しい。

 関西でもきっと、うまくやっていける。
 新鮮な仕事環境が、自分をさらに成長させてくれるに違いない。

 だからこそ望は、真っ先に転勤の打診に手を上げたのだ。

「飲み会の企画は、いつも榊木さんが率先してやってくれていましたからね!」
「こういうときくらい、遠慮せずに誘われてくださいよ!」
「ああ。ありがとう」

 照れくささを覚えながらはにかむ望に、周囲の社員たちが一様に笑顔になる。

 いつも一生懸命な仲間たちに恵まれた幸運を、望は改めて噛みしめていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

すこやか食堂のゆかいな人々

山いい奈
ライト文芸
貧血体質で悩まされている、常盤みのり。 母親が栄養学の本を読みながらごはんを作ってくれているのを見て、みのりも興味を持った。 心を癒し、食べるもので健康になれる様な食堂を開きたい。それがみのりの目標になっていた。 短大で栄養学を学び、専門学校でお料理を学び、体調を見ながら日本料理店でのアルバイトに励み、お料理教室で技を鍛えて来た。 そしてみのりは、両親や幼なじみ、お料理教室の先生、テナントビルのオーナーの力を借りて、すこやか食堂をオープンする。 一癖も二癖もある周りの人々やお客さまに囲まれて、みのりは奮闘する。 やがて、それはみのりの家族の問題に繋がっていく。 じんわりと、だがほっこりと心暖まる物語。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

『 ゆりかご 』  ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。

設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。 最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。 古い作品ですが、有難いことです。😇       - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - " 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始 の加筆修正有版になります。 2022.7.30 再掲載          ・・・・・・・・・・・  夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・  その後で私に残されたものは・・。            ・・・・・・・・・・ 💛イラストはAI生成画像自作  

幽閉された花嫁は地下ノ國の用心棒に食されたい

森原すみれ@薬膳おおかみ①②③刊行
キャラ文芸
【完結・2万8000字前後の物語です】 ──どうせ食べられるなら、美しく凜々しい殿方がよかった── 養父母により望まぬ結婚を強いられた朱莉は、挙式直前に命からがら逃走する。追い詰められた先で身を投げた湖の底には、懐かしくも美しい街並みが広がるあやかしたちの世界があった。 龍海という男に救われた朱莉は、その凛とした美しさに人生初の恋をする。 あやかしの世界唯一の人間らしい龍海は、真っ直ぐな好意を向ける朱莉にも素っ気ない。それでも、あやかしの世界に巻き起こる事件が徐々に彼らの距離を縮めていき──。 世間知らずのお転婆お嬢様と堅物な用心棒の、ノスタルジックな恋の物語。 ※小説家になろう、ノベマ!に同作掲載しております。

ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます

沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

瞬間、青く燃ゆ

葛城騰成
ライト文芸
 ストーカーに刺殺され、最愛の彼女である相場夏南(あいばかなん)を失った春野律(はるのりつ)は、彼女の死を境に、他人の感情が顔の周りに色となって見える病、色視症(しきししょう)を患ってしまう。  時が経ち、夏南の一周忌を二ヶ月後に控えた4月がやって来た。高校三年生に進級した春野の元に、一年生である市川麻友(いちかわまゆ)が訪ねてきた。色視症により、他人の顔が見えないことを悩んでいた春野は、市川の顔が見えることに衝撃を受ける。    どうして? どうして彼女だけ見えるんだ?  狼狽する春野に畳み掛けるように、市川がストーカーの被害に遭っていることを告げる。 春野は、夏南を守れなかったという罪の意識と、市川の顔が見える理由を知りたいという思いから、彼女と関わることを決意する。  やがて、ストーカーの顔色が黒へと至った時、全ての真実が顔を覗かせる。 第5回ライト文芸大賞 青春賞 受賞作

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

ヤクザの若頭は、年の離れた婚約者が可愛くて仕方がない

絹乃
恋愛
ヤクザの若頭の花隈(はなくま)には、婚約者がいる。十七歳下の少女で組長の一人娘である月葉(つきは)だ。保護者代わりの花隈は月葉のことをとても可愛がっているが、もちろん恋ではない。強面ヤクザと年の離れたお嬢さまの、恋に発展する前の、もどかしくドキドキするお話。

処理中です...