お夜食処おやさいどき~癒やしと出逢いのロールキャベツ~

森原すみれ@薬膳おおかみ①②③刊行

文字の大きさ
上 下
2 / 8

(2)

しおりを挟む
「……ん」

 気づけば辺りには、温かくて豊かな匂いが立ちこめていた。

 くつくつと小さく耳に届くのは、何かを煮詰める音だろうか。
 伏せられたまつげに、ふわりと湯気が触れる心地がする。

 ……伏せられた?

「……っ!」

 我に返った望は、がばりと顔を上げた。
 瞬間、肩に乗せられていたものが床にするりと落ちていくのがわかる。

 顔を上げた先には、少し小さめの鍋に向き合い口元を綻ばせている女性の横顔があった。
 小皿に注いだ味を確かめた女性は、とても幸せそうに微笑む。

 最愛の人に笑いかけるような表情に、望は一瞬目を奪われた。

「あ。目を覚まされたんですね」
「……っ、すみません。店内でうたた寝なんて、とんだご迷惑を……!」
「いえいえ。そんなに時間は経っていませんよ。十分弱といったところです」

 気に留める風でもない女性だったが、望は内心冷や汗を掻いていた。

 今日は重要書類を持ち帰ってはいないが、初見の場所で眠り込んでしまうなんて自分にとってはあり得ない。

 先ほど肩から滑り落ちたものを拾い上げる。
 ふわふわと柔らかな手触りの膝掛けだ。
 どうやら女性がかけてくれたらしい。

「ここの開店時間は夜遅くですから。皆さんお疲れで、待ち時間に眠ってしまうこともそう珍しくはないんです」
「そ、そうですか」
「それに、不思議なことに皆さん、お料理ができあがる頃合いにはすうっと自然に起きてくださるんですよ」

 ふふ、と微笑みながら、女性は手慣れた様子で器に料理を盛り付けていく。

 小さな手で進められていく細やかな作業を眺めていると、あっという間に木製のトレー上に料理たちが出揃った。

 カウンターを出た女性が、望の元まで歩みを進める。

「お待たせいたしました。お客さまの本日のお夜食、ロールキャベツでございます」

 目の前に置かれたのは、ほかほかと温かな湯気をたたえた夜食たちだった。

 真っ白にピンと立ち上がった白米に、中で味噌の濃淡がふわふわと揺れるお味噌汁。
 そしてメインの器に控えるのは、きれいな俵型に整えられたロールキャベツだ。

 着物のように美しく巻かれたキャベツは鮮やかな黄緑色で、豊かなだしの香りをたっぷりとまとっている。

「美味そうですね」
「ふふ。今の季節は、春キャベツが一番の旬なんですよ」

 無意識に漏れていた言葉に、女性は嬉しそうに答えた。

「キャベツに含まれる主な栄養素はビタミンCやカルシウムがありますが、とくに特徴的なものがビタミンUです。こちらは胃薬に用いられることもある栄養素で、疲れた胃の働きを助けてくれると言れています。キャベツは大きく春キャベツと夏キャベツ、冬キャベツに分けられますが、今はまさに春キャベツの季節ですね」
「そうなんですね。春キャベツと冬キャベツは知っていましたが、夏キャベツは初めて聞きました」
「そうでしたか。冬キャベツは葉っぱは厚く、巻き具合が締まっていますね。煮込んでも形が崩れにくいことから、ロールキャベツやミルフィーユ煮におすすめとされることが多いです。夏キャベツは、春キャベツと冬キャベツの中間の特徴を持っていて、葉っぱは柔らかいですが巻き具合はきっちりしていますね」
「な、なるほど」
「春キャベツは巻き具合が優しく、葉っぱもとても柔らかいんです。煮物に向かないと言われることもありますが、そのぶん噛み切りやすくてとても食べやすいんですよ。よろしければぜひ、だし汁までお楽しみください。しみ出たキャベツの栄養素までしっかりお客さまの身体の一部になって、頼もしい応援団になってくれると思います!」
「……!」

 高揚感を宿した赤色の頬に、小さなえくぼが見えた。

「ではどうぞ、ごゆっくり過ごされてくださいね」
「……ありがとうございます」

 カウンターへと戻っていった彼女を見送り、望は今一度目の前に置かれたトレーを眺める。

 ふわふわと食欲をそそる香りと、こちらを労るような淡い湯気。
 思えばこんな風に食べ物とゆっくり向き合う時間も、久しくなかったように思う。
 
 自分の身体の一部になる、頼もしい応援団──か。

 手を合わせ、望はレンゲを手に取った。

 ロールキャベツのだし汁をひとすくいし、口に運ぶ。
 瞬間、口内に広がったまろやかな味わいが、身体にじんわりと沁みていくのがわかった。

 手に取った箸で、キャベツをそっと解していく。
 すると中からは、予想以上に色どり豊かなタネ部分が姿を見せた。

「ロールキャベツの中身は、挽肉とタマネギだけではないんですね」
「はい。鶏挽肉の中に、タマネギとにんじん、パプリカにブロッコリー、それから卵とお豆腐が入っています」
「すごいな。自分の想像以上に、たくさんの野菜が入っていたみたいです」
「お野菜もそうですが、特にお豆腐のタンパク質は優秀で、溜まった疲れを解してくれると言われているんですよ」

 自分はそんなに疲れを溜めているように見えたのだろうか。
 望は密かに苦笑するが、確かにそうかもしれないと思った。

 いつもそれなりに多忙な仕事ではある。
 しかし最近はそれに加え、プロジェクト主戦力の男性社員の妻が緊急入院になった。

 彼の分の仕事は早急に現場で割り振られたものの、内容を熟知している自分に加わった業務割合はやはり小さくはない。

 こういった事態は持ちつ持たれつなので、不満は特になかった。
 それでもその分、仕事以外の時間は確実に削られていた。
 必要があれば遠慮なく仕事を振ってくれと部下たちに言われても、この程度なら自分で対処できると判断し、キャパシティーを見誤った。

 ああ。そうか。
 自分は疲れていたのだな。

 だから身体が無意識に、この店へと引き寄せてくれたのかもしれない。

 何か、美味しいものを喰わせてほしいと。



「ご馳走さまでした」
「はい。お粗末さまでした」

 代金の支払いを終えた望が丁寧に告げると、女性もまた深く頭を下げた。

 そのとき、エプロンの胸元に留められた小さな名札に気づく。

 淡い色彩のフェルトで作られたらしいそれは、どうやら手作りのようだった。
 名前の横には可愛らしい人形の頭が添えられ、ダークブラウンのボブショートに緑色のベレー帽を被っている。

「素敵な名札ですね」
「お得意さまの奥さまが作ってくださったんです。お客さまに、私の名前をすぐに覚えていただけるようにと」
「そうでしたか」

 それならば、自分が女性の名を覚えても差し支えないのだろうか。

 誰に言い訳するわけでもなく心の中で呟くと、望は再度ちらりと女性の名札に視線をやった。

 沙都さと
 花岡はなおか、沙都さん。

「よろしければまたどうぞお越しください。それから、お客さまにこちらを」
「え」

 そう言って沙都から手渡されたのは、二つ折りに丁寧に畳まれた一枚の紙だった。
 レジカウンターを出てから差し出されたそれに、思わずどきっと心臓が跳ねた。

「春キャベツをおうちでご笑味いただくときの、おすすめの調理レシピです。とても簡単なものなので、よろしければおうちでもぜひ作ってみてくださいね」
「……」

 ああ、なるほど。
 レシピか。

「それは、わざわざありがとうございます」

 店員として向けられた厚意に、わずかでも期待してしまった自分が情けない。
 落胆を気取られないように素早く笑顔を浮かべ、望はその紙を受け取った。

 扉を開く。

 夜が更けた街並みは星が瞬き、徐々に望を現実世界へと誘っていく。
 それでも、訪れたときよりもよほど夜の街並みが美しく映っていた。

「ごはん、きちんと食べなくちゃ駄目ですよ」

 振り返ると、扉先で何かを抱えながら見送る沙都がいる。
 両手に抱えたそれは、大きな春キャベツだ。

「身体は食べたもので作られるんです。忙しいときほど、美味しいものを食べることを忘れないでくださいね」
「……はい。ありがとうございます」

 まるで春キャベツを人形に見立てるみたいに話す沙都に、自然と笑みが漏れる。
 今一度頭を深く下げ、望は今度こそ家路についた。

 背中の向こうでは、春キャベツを抱えたあの人がいつまでも自分を見守ってくれているような気がした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

すこやか食堂のゆかいな人々

山いい奈
ライト文芸
貧血体質で悩まされている、常盤みのり。 母親が栄養学の本を読みながらごはんを作ってくれているのを見て、みのりも興味を持った。 心を癒し、食べるもので健康になれる様な食堂を開きたい。それがみのりの目標になっていた。 短大で栄養学を学び、専門学校でお料理を学び、体調を見ながら日本料理店でのアルバイトに励み、お料理教室で技を鍛えて来た。 そしてみのりは、両親や幼なじみ、お料理教室の先生、テナントビルのオーナーの力を借りて、すこやか食堂をオープンする。 一癖も二癖もある周りの人々やお客さまに囲まれて、みのりは奮闘する。 やがて、それはみのりの家族の問題に繋がっていく。 じんわりと、だがほっこりと心暖まる物語。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

『 ゆりかご 』  ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。

設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。 最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。 古い作品ですが、有難いことです。😇       - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - " 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始 の加筆修正有版になります。 2022.7.30 再掲載          ・・・・・・・・・・・  夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・  その後で私に残されたものは・・。            ・・・・・・・・・・ 💛イラストはAI生成画像自作  

幽閉された花嫁は地下ノ國の用心棒に食されたい

森原すみれ@薬膳おおかみ①②③刊行
キャラ文芸
【完結・2万8000字前後の物語です】 ──どうせ食べられるなら、美しく凜々しい殿方がよかった── 養父母により望まぬ結婚を強いられた朱莉は、挙式直前に命からがら逃走する。追い詰められた先で身を投げた湖の底には、懐かしくも美しい街並みが広がるあやかしたちの世界があった。 龍海という男に救われた朱莉は、その凛とした美しさに人生初の恋をする。 あやかしの世界唯一の人間らしい龍海は、真っ直ぐな好意を向ける朱莉にも素っ気ない。それでも、あやかしの世界に巻き起こる事件が徐々に彼らの距離を縮めていき──。 世間知らずのお転婆お嬢様と堅物な用心棒の、ノスタルジックな恋の物語。 ※小説家になろう、ノベマ!に同作掲載しております。

ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます

沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

ヤクザの若頭は、年の離れた婚約者が可愛くて仕方がない

絹乃
恋愛
ヤクザの若頭の花隈(はなくま)には、婚約者がいる。十七歳下の少女で組長の一人娘である月葉(つきは)だ。保護者代わりの花隈は月葉のことをとても可愛がっているが、もちろん恋ではない。強面ヤクザと年の離れたお嬢さまの、恋に発展する前の、もどかしくドキドキするお話。

儚い花―くらいばな―

江上蒼羽
ライト文芸
その蕾が開く夜、小さな奇跡が起こる。 謎の露店商が売る、儚い花(くらいばな)の種。 店主の男が言う。 「儚い花は、奇跡を咲かせる」 と。 さて、この謎の花が起こす奇跡とは……?

処理中です...