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3巻番外編「彼等のあれから」
第二話番外編 新社会人の恋の結末
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「孝太朗さん?」
新学期の浮つきがまだ収まらない、四月某日。
北広島市街のとある雑貨店を彷徨っている優人の目に、覚えのある人物の姿が留まった。
気づけば呼び止めていたこちらのほうへ、強い眼差しが注がれる。
「偶然だな。優人」
「本当ですね。お久しぶりです! 孝太朗さんも何かお買い物ですか」
「ああ。店に使う備品を調達にな」
笑顔で駆け寄る優人に、孝太朗もまたまとう空気を僅かに和らげた。
偶然居合わせたこの場所は、最近北広島市街地にできた自然派雑貨を主に取り扱う店舗だ。
確かに、孝太朗が営むあの薬膳カフェの空気にも、とても合っているように思う。
「お前も買い物か」
「はい。実は俺、四月頭にこちらのマンションで一人暮らしを始めたんです。実家もバス一本の近距離なので迷っていたんですが、やっぱり職場により近いほうが何かと便利ってことで」
「独り立ちか。教員生活も始まって、苦労が絶えねえな」
「本当、そうですね。まだ一カ月も経たないのに、親の有り難みが全力で感じていますよ」
そう話す優人の買い物カゴには、雑貨よりも店で評判のインスタント料理のほうが多く収められている。
照れくささに眉を下げる優人に、孝太朗は少しの間を置いたあと口を開いた。
「日鞠のやつも、お前のことを時折話に出しては気にかけている。無理のない程度に食事にも気をつけろよ」
「……!」
さらりと出てきた「日鞠」の名に、優人は小さく目を見張った。
自分との会話の中でわざわざあの人の名を出されたことに、僅かながら驚いたのだ。
「邪魔をしたな。それじゃあ、俺は行く」
「あ、あの」
「あ?」
「……もしよければっ、このあと一緒にご飯でもどうですか!?」
繰り返しになるが、ここは自然派雑貨を主に取り扱う店舗だ。
そのほぼ中央で繰り広げられている、ナンパ真っ最中ともとれる大の男二人のやりとり。
それは徐々に他の客の興味を惹き、最終的には明確な好奇の視線となって二人を取り囲んでいた。
その後、視線の矢から逃げるようにして場所を移した先は、目と鼻の先にあるそば屋だった。
ご飯を作る気力のないときに、よく世話になっている優人の行きつけだ。
ボックス席に通されたあと、優人は改めて孝太朗に深々と頭を下げた。
「先ほどは大変失礼しました……! こんなふうに偶然孝太朗さんに会えることも、きっとなかなかないと思ってしまって」
「まあ、そうだな」
「だからその、もう少しお話しすることができればって……あっ、もちろん昼飯代は俺が出しますし!」
「新社会人にたかるほど、落ちぶれてちゃいねえぞ」
お冷やを口にした孝太朗が、さらりとそんなことを告げる。
そんな言葉少なで、それでいて真摯な空気感を持つ孝太朗の居住まいに、優人は密かに圧倒される。
思えば、初めて彼に出逢ったときからその感覚はあった。
静かな居住まいと眼差しのなかに秘められた、熱く強い心の内を否応なく感じてしまう。
それはまるで、とても俯瞰したところで全てのものを受け容れんとしている、荘厳な統率者であるような──
「何か、悩みがあるのか」
「えっ?」
「だから俺を呼び止めたんだろう」
どうやら優人の呼び止めた理由を、より深刻なほうに解釈していたらしい。
向けられる強い視線を和らげる意味合いも込めて、優人は慌てて手を横に振った。
「いいえ、いいえ。そういうわけじゃあないんです。ただその、孝太朗さんとゆっくり世間話でもできたらなあなんて思って」
「俺と話して楽しいことなんて、そうはないだろう」
「そんなことありませんよ。現に、一緒に働いている日鞠さんも類さんも、孝太朗さんと話しているときはいつもとても楽しそうです」
自然と会話に出てきた二人を想い、懐かしさに目を細める。
つい先月までの優人は、夢の教職に就くことが叶ったのと同時に、かつて親友だったあやかしの『木の子』との再会を願う気持ちが溢れ、しかしその手段が見いだせずにいた。
そんな優人にそっと手を差し伸べてくれたのが、孝太朗をはじめとする薬膳カフェの面々だ。
現在は市内で転居した優人ではあるが、今でも定期的に木の子とも会話を交わしている。
職場に植わった木を宿り木にして時々言葉を交わす程度だが、まだまだ新生活に揉まれている優人には大切な休息の時間だ。
「類はガキの頃からの付き合いだからな。あいつは俺をからかって、反応をはかるのが趣味みたいな奴だ」
「なるほど。お二人は幼馴染みだったんですね」
思いがけない二人の繋がりを知り、優人は深く納得する。
二人の間に感じられた阿吽の呼吸と呼べる空気感は、どうやら自分の思い違いではなかったようだ。
「でも何となくですけれど、日鞠さんは幼馴染みではない……ですよね?」
「ガキの頃に幾度か顔を合わせたことくらいはあるがな。面と向かって言葉を交わしたのは、去年の今ごろだ」
「そうなんですか。去年の今ごろ……」
つまり改めて二人の交流が始まってから、まだ一年弱ということか。
注文した蕎麦が運ばれてくる。優人は天ざる蕎麦、孝太朗は山菜蕎麦だ。
手を合わせ蕎麦に箸をつけた孝太朗に、優人はおもむろに問うた。
「孝太朗さんと日鞠さんて、どっちから告白したんですか?」
「……」
無言。
それでも一瞬孝太朗が微かに息を詰まらせたのを、優人は見逃さなかった。
「はは。やっぱり、二人はお付き合いされていたんですね」
「……まあ、そうだな」
答えるその姿はいつもの凜とした空気をまとってはいるが、ほんの僅かな感情の揺れを感じ取れる。
どうやら自分は、とても珍しいものを目にしているようだ。
「日鞠さん、素敵な人ですもんね。俺が突然謎のお願いをしてきたときも、親身になって耳を傾けてくれましたし」
「そうだな」
「それに、笑った顔もとても可愛らしいですよね。俺なんて、いつも日鞠さんの背景に小花が飛んでる幻まで見えていましたもん。こう、ふわふわーって」
「……そうだな」
「……俺、日鞠さんにだいぶ惹かれていたんです。だから本当のことを言うと、薬膳カフェに木の子のお礼に出向いたあのときも、日鞠さんに告白するつもりでした」
そうだな、はさすがに続かなかった。
こちらを真っ直ぐに見つめる孝太朗に、優人はにかっと笑顔を向ける。
「でも、言う前に諦めました。どうやら日鞠さん、俺と弟さんを重ねていたみたいなんですよね。俺はハナから、あの人の恋愛対象に入っていなかったみたいです」
「優人」
「そうでなくても、日鞠さんにはとっくにいたみたいですからね。何にも代えがたい、大切な存在が」
そこまで言い終えた優人は、ずるずるとつゆに浸らせた蕎麦をすすり上げる。
勢い余って量を多めに含んでしまったが、今はそれも都合がよかった。
思わず口に出た本音に、目の前の相手がどんな反応をするのかわからなかったから。
「あいつにとって代えがたいかはわからねえが、俺のほうはそうだな」
「えっ」
「あいつに逢って、初めて知った感情が数えきれねえほどある。お前に対する感情もそうだ」
「? 俺に対する、というのは」
「お前が日鞠に向ける好意に、俺は初めて嫉妬した」
淡々と告げられた言葉に、優人は箸の動きを止めた。
大きくむせそうになったが、そこは何とか耐え抜く。
「今までも似たことは度々あったが、ここまではっきりとした感情は今回が初めてだ。この歳になって情けねえが」
「……いやいやいや! 孝太朗さんが嫉妬する必要なんて、これっぽっちもないじゃありませんか!?」
思いがけずに受けた告白に、優人は思わず声を張り上げた。
照れくささに頬が熱く火照るのを感じながら、優人は首をぶんぶんと横に振る。
「そもそも孝太朗さんと俺を並べたら、月とすっぽんですからねっ? 孝太朗さんはいつも冷静沈着で頼りになって、周りの人のこともよく見ていて、淹れてくださる薬膳茶もめちゃくちゃ美味しくてっ」
「……」
「っていうか孝太朗さん、普通にめちゃくちゃ綺麗な顔立ちをされてますし! 類さんと並んだ二人を見たときなんて俺、なんだこのモデル事務所はって思いましたもん正直! それこそ、男の俺でもうっかり見惚れそうになくらいの美形で……!」
「優人。ひとまず落ち着け」
「……はっ」
孝太朗の低い声に、優人は我に返る。
まずい。ここは馴染みのそば屋だ。
今は昼食時。周囲にはちゅるちゅるとそばをすすりながらも、こちらに意識を飛ばす客の姿がある。
「す、すみません。ちょっと熱くなってしまいました……」
「別にいい。年下に妙な気を遣わせたな」
「いやいや。ですから気を遣ったとかでは断じてなくてですね」
「お前はいい男だよ。優人」
告げられた言葉の意味を理解したのは、少しの間を置いてからだった。
「長年の空白をもってしても、お前は木の子との思い出をなくさずに胸に留めてきた。お前は忘れてしまっていたというが、ただ、深い心の底に大切に仕舞ってきただけだ。いつかまた来るそのときのために、他の記憶に晒されて本当に消えることのないように」
「孝太朗さん」
「そんな芯のある優しさを持つ奴だ。無闇に卑下するのは感心しねえな」
「……はあああ……さすが孝太朗さんクオリティ……」
「あ?」
「なんでもありませんです……美味しいですね、蕎麦」
「ああ。美味いな」
ぞぞぞ、と揃って響く蕎麦をすする音。
そんな自分たちを取り巻く空気は、どこか一段階気安くなった心地がした。
大神孝太朗。
薬膳カフェ「おおかみ」の店長で、木の子との絆を取り戻してくれた恩人の一人。
一見無愛想で接客業に向かない雰囲気の、けれどきっと、誰よりも客人に対する慈愛ともてなしの精神を忘れていない人。
そして、久しぶりに訪れかけた自分の淡い恋心を、きれいさっぱり打ちのめしてくれた人だ。
それはもう、清々しいほどに。
「今度、薬膳カフェにもお邪魔しますね。日鞠さんと類さんとも久しぶりにお話ししたいですし」
「ああ。待っている」
「へへ、はい!」
笑顔で頷く優人に、孝太朗がふっと目を細める。
その微笑みに似た表情はどこか日鞠のそれと重なるように思え、優人はくすりと笑みをこぼした。
終わり
新学期の浮つきがまだ収まらない、四月某日。
北広島市街のとある雑貨店を彷徨っている優人の目に、覚えのある人物の姿が留まった。
気づけば呼び止めていたこちらのほうへ、強い眼差しが注がれる。
「偶然だな。優人」
「本当ですね。お久しぶりです! 孝太朗さんも何かお買い物ですか」
「ああ。店に使う備品を調達にな」
笑顔で駆け寄る優人に、孝太朗もまたまとう空気を僅かに和らげた。
偶然居合わせたこの場所は、最近北広島市街地にできた自然派雑貨を主に取り扱う店舗だ。
確かに、孝太朗が営むあの薬膳カフェの空気にも、とても合っているように思う。
「お前も買い物か」
「はい。実は俺、四月頭にこちらのマンションで一人暮らしを始めたんです。実家もバス一本の近距離なので迷っていたんですが、やっぱり職場により近いほうが何かと便利ってことで」
「独り立ちか。教員生活も始まって、苦労が絶えねえな」
「本当、そうですね。まだ一カ月も経たないのに、親の有り難みが全力で感じていますよ」
そう話す優人の買い物カゴには、雑貨よりも店で評判のインスタント料理のほうが多く収められている。
照れくささに眉を下げる優人に、孝太朗は少しの間を置いたあと口を開いた。
「日鞠のやつも、お前のことを時折話に出しては気にかけている。無理のない程度に食事にも気をつけろよ」
「……!」
さらりと出てきた「日鞠」の名に、優人は小さく目を見張った。
自分との会話の中でわざわざあの人の名を出されたことに、僅かながら驚いたのだ。
「邪魔をしたな。それじゃあ、俺は行く」
「あ、あの」
「あ?」
「……もしよければっ、このあと一緒にご飯でもどうですか!?」
繰り返しになるが、ここは自然派雑貨を主に取り扱う店舗だ。
そのほぼ中央で繰り広げられている、ナンパ真っ最中ともとれる大の男二人のやりとり。
それは徐々に他の客の興味を惹き、最終的には明確な好奇の視線となって二人を取り囲んでいた。
その後、視線の矢から逃げるようにして場所を移した先は、目と鼻の先にあるそば屋だった。
ご飯を作る気力のないときに、よく世話になっている優人の行きつけだ。
ボックス席に通されたあと、優人は改めて孝太朗に深々と頭を下げた。
「先ほどは大変失礼しました……! こんなふうに偶然孝太朗さんに会えることも、きっとなかなかないと思ってしまって」
「まあ、そうだな」
「だからその、もう少しお話しすることができればって……あっ、もちろん昼飯代は俺が出しますし!」
「新社会人にたかるほど、落ちぶれてちゃいねえぞ」
お冷やを口にした孝太朗が、さらりとそんなことを告げる。
そんな言葉少なで、それでいて真摯な空気感を持つ孝太朗の居住まいに、優人は密かに圧倒される。
思えば、初めて彼に出逢ったときからその感覚はあった。
静かな居住まいと眼差しのなかに秘められた、熱く強い心の内を否応なく感じてしまう。
それはまるで、とても俯瞰したところで全てのものを受け容れんとしている、荘厳な統率者であるような──
「何か、悩みがあるのか」
「えっ?」
「だから俺を呼び止めたんだろう」
どうやら優人の呼び止めた理由を、より深刻なほうに解釈していたらしい。
向けられる強い視線を和らげる意味合いも込めて、優人は慌てて手を横に振った。
「いいえ、いいえ。そういうわけじゃあないんです。ただその、孝太朗さんとゆっくり世間話でもできたらなあなんて思って」
「俺と話して楽しいことなんて、そうはないだろう」
「そんなことありませんよ。現に、一緒に働いている日鞠さんも類さんも、孝太朗さんと話しているときはいつもとても楽しそうです」
自然と会話に出てきた二人を想い、懐かしさに目を細める。
つい先月までの優人は、夢の教職に就くことが叶ったのと同時に、かつて親友だったあやかしの『木の子』との再会を願う気持ちが溢れ、しかしその手段が見いだせずにいた。
そんな優人にそっと手を差し伸べてくれたのが、孝太朗をはじめとする薬膳カフェの面々だ。
現在は市内で転居した優人ではあるが、今でも定期的に木の子とも会話を交わしている。
職場に植わった木を宿り木にして時々言葉を交わす程度だが、まだまだ新生活に揉まれている優人には大切な休息の時間だ。
「類はガキの頃からの付き合いだからな。あいつは俺をからかって、反応をはかるのが趣味みたいな奴だ」
「なるほど。お二人は幼馴染みだったんですね」
思いがけない二人の繋がりを知り、優人は深く納得する。
二人の間に感じられた阿吽の呼吸と呼べる空気感は、どうやら自分の思い違いではなかったようだ。
「でも何となくですけれど、日鞠さんは幼馴染みではない……ですよね?」
「ガキの頃に幾度か顔を合わせたことくらいはあるがな。面と向かって言葉を交わしたのは、去年の今ごろだ」
「そうなんですか。去年の今ごろ……」
つまり改めて二人の交流が始まってから、まだ一年弱ということか。
注文した蕎麦が運ばれてくる。優人は天ざる蕎麦、孝太朗は山菜蕎麦だ。
手を合わせ蕎麦に箸をつけた孝太朗に、優人はおもむろに問うた。
「孝太朗さんと日鞠さんて、どっちから告白したんですか?」
「……」
無言。
それでも一瞬孝太朗が微かに息を詰まらせたのを、優人は見逃さなかった。
「はは。やっぱり、二人はお付き合いされていたんですね」
「……まあ、そうだな」
答えるその姿はいつもの凜とした空気をまとってはいるが、ほんの僅かな感情の揺れを感じ取れる。
どうやら自分は、とても珍しいものを目にしているようだ。
「日鞠さん、素敵な人ですもんね。俺が突然謎のお願いをしてきたときも、親身になって耳を傾けてくれましたし」
「そうだな」
「それに、笑った顔もとても可愛らしいですよね。俺なんて、いつも日鞠さんの背景に小花が飛んでる幻まで見えていましたもん。こう、ふわふわーって」
「……そうだな」
「……俺、日鞠さんにだいぶ惹かれていたんです。だから本当のことを言うと、薬膳カフェに木の子のお礼に出向いたあのときも、日鞠さんに告白するつもりでした」
そうだな、はさすがに続かなかった。
こちらを真っ直ぐに見つめる孝太朗に、優人はにかっと笑顔を向ける。
「でも、言う前に諦めました。どうやら日鞠さん、俺と弟さんを重ねていたみたいなんですよね。俺はハナから、あの人の恋愛対象に入っていなかったみたいです」
「優人」
「そうでなくても、日鞠さんにはとっくにいたみたいですからね。何にも代えがたい、大切な存在が」
そこまで言い終えた優人は、ずるずるとつゆに浸らせた蕎麦をすすり上げる。
勢い余って量を多めに含んでしまったが、今はそれも都合がよかった。
思わず口に出た本音に、目の前の相手がどんな反応をするのかわからなかったから。
「あいつにとって代えがたいかはわからねえが、俺のほうはそうだな」
「えっ」
「あいつに逢って、初めて知った感情が数えきれねえほどある。お前に対する感情もそうだ」
「? 俺に対する、というのは」
「お前が日鞠に向ける好意に、俺は初めて嫉妬した」
淡々と告げられた言葉に、優人は箸の動きを止めた。
大きくむせそうになったが、そこは何とか耐え抜く。
「今までも似たことは度々あったが、ここまではっきりとした感情は今回が初めてだ。この歳になって情けねえが」
「……いやいやいや! 孝太朗さんが嫉妬する必要なんて、これっぽっちもないじゃありませんか!?」
思いがけずに受けた告白に、優人は思わず声を張り上げた。
照れくささに頬が熱く火照るのを感じながら、優人は首をぶんぶんと横に振る。
「そもそも孝太朗さんと俺を並べたら、月とすっぽんですからねっ? 孝太朗さんはいつも冷静沈着で頼りになって、周りの人のこともよく見ていて、淹れてくださる薬膳茶もめちゃくちゃ美味しくてっ」
「……」
「っていうか孝太朗さん、普通にめちゃくちゃ綺麗な顔立ちをされてますし! 類さんと並んだ二人を見たときなんて俺、なんだこのモデル事務所はって思いましたもん正直! それこそ、男の俺でもうっかり見惚れそうになくらいの美形で……!」
「優人。ひとまず落ち着け」
「……はっ」
孝太朗の低い声に、優人は我に返る。
まずい。ここは馴染みのそば屋だ。
今は昼食時。周囲にはちゅるちゅるとそばをすすりながらも、こちらに意識を飛ばす客の姿がある。
「す、すみません。ちょっと熱くなってしまいました……」
「別にいい。年下に妙な気を遣わせたな」
「いやいや。ですから気を遣ったとかでは断じてなくてですね」
「お前はいい男だよ。優人」
告げられた言葉の意味を理解したのは、少しの間を置いてからだった。
「長年の空白をもってしても、お前は木の子との思い出をなくさずに胸に留めてきた。お前は忘れてしまっていたというが、ただ、深い心の底に大切に仕舞ってきただけだ。いつかまた来るそのときのために、他の記憶に晒されて本当に消えることのないように」
「孝太朗さん」
「そんな芯のある優しさを持つ奴だ。無闇に卑下するのは感心しねえな」
「……はあああ……さすが孝太朗さんクオリティ……」
「あ?」
「なんでもありませんです……美味しいですね、蕎麦」
「ああ。美味いな」
ぞぞぞ、と揃って響く蕎麦をすする音。
そんな自分たちを取り巻く空気は、どこか一段階気安くなった心地がした。
大神孝太朗。
薬膳カフェ「おおかみ」の店長で、木の子との絆を取り戻してくれた恩人の一人。
一見無愛想で接客業に向かない雰囲気の、けれどきっと、誰よりも客人に対する慈愛ともてなしの精神を忘れていない人。
そして、久しぶりに訪れかけた自分の淡い恋心を、きれいさっぱり打ちのめしてくれた人だ。
それはもう、清々しいほどに。
「今度、薬膳カフェにもお邪魔しますね。日鞠さんと類さんとも久しぶりにお話ししたいですし」
「ああ。待っている」
「へへ、はい!」
笑顔で頷く優人に、孝太朗がふっと目を細める。
その微笑みに似た表情はどこか日鞠のそれと重なるように思え、優人はくすりと笑みをこぼした。
終わり
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工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。
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“特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。
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工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。
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二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。
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2巻番外編の豆ちゃんも、相変わらず謙虚でかわいいなぁ(*´ω`*)
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美桜さん、素敵なご感想頂きありがとうございました!
豆ちゃんへの温かなお言葉、きっと彼も喜んでクルクル踊っていると思います!☺️✨
第3部連載も楽しみにして頂けてとても嬉しいです…!
美桜さんに楽しんでいただけますよう、張り切ってお届けさせて頂きますね🌸🌸
この度はありがとうございました。
森原すみれ
久しぶりに書籍のほうを読み返して参りました。
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ルドルフさん、お忙しい中のご感想をありがとうございました!
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この度は本当にありがとうございました。
森原すみれ
こちらでははじめまして。
Twitterで宣伝されていてずっと気になっていたのですが、やっと読みにこれました!
感想が書きにくるのが遅くなってすみません💦
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素敵な作品をありがとうございました。
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元気をなくしたときの特効薬として、自分の胸のなかに大切に大切に保存させていただきますね。
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この度は誠にありがとうございました😊✨
森原すみれ