死に損ないの春吹荘 

ちあ

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八章 訪問者①

隆の過去

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ーーー 隆目線 ーーー
 宵衣ちゃんが、ゲームをするから少し、とこじつけの理由でシーを僕に預けてから、そこそこの時間が経つ。
 僕が最近、疲れてたり、悩んでたり、一人でいるのを怖がってるの、きっと、分かってたんだろうな。宵衣ちゃんのことだし。
 ……でも、さすがに遅い。シーは、あんまり焦ってないけど、さすがにおかしいと思ってるみたい。
 シーが少し不安そうに「クゥ」と鳴く。
 僕は、そんなシーの首元を撫でると、春吹荘の色々な場所に設置しているカメラの一つ、リビングカメラを起動させ、映像をパソコンに映す。
「……誰も、いない……?」
「クゥ?」
 シーは『なんで?』と、言いたげに首を傾げるけど、僕もわからない。ただ、ここに人がいない、それだけだ。
 次はーーー玄関。
 なんだか、少し嫌な予感がして、マウスに添えた手が震える。
 来客かもしれないけど、それすら怖い。
 そんな僕に寄り添うようにシーは、左手を優しく舐める。
「……ありがとう」
 僕は、少し嬉しくなって、勇気づけられて、マウスを押した。
 するとそこには、見慣れた、思い出したくない人がいた。
「うっ……」
 思わず、シーが舐めててくれたことや、パソコンの操作なんて忘れて、口を手で塞ぐ。
 胃物を、吐き出してしまいそうになった。
 シーが不安そうに見つめて、ベッドの上の僕の周りをくるくるしだすけど、そんなの気にしてあげられなかった。
 な、なんで……。なんで、あの人が……。
 怖い、寒い。一気に血の気が引いた。これが現実だと、信じたくない、信じられなかった。
「……ね、えさん……」
 怖い、怖い、怖い、怖い……。
 情けないけど、目尻に涙が浮かんだ。
「クゥ?ワン」
 シーが『なに?どうした』と言いたげに見つめてくる。僕はなにも言わずに、シーに抱きつくしかなかった。
 普通の動物は嫌がったりするんだろうけど、シーは逃げもせず、抱きしめ返すかのように、僕にギュッとくっついてくれた。
「うぅ……」
「クゥ?クゥーン……」
 シーは『なに?どうしたの……』と心配げに鳴く。
「嫌だ……嫌だ……」
 なんで、なんで……。
 許してください、許して。
 母さんと父さんはあげたよ。場所も、期待も、幸せも、全部あげた。
 だから、兄さんの場所には触らないで。僕の居場所を壊していかないで。
 パソコンのスピーカーから、宵衣ちゃんの声がする。

『帰ってくれ』

 何度も、何度も。宵衣ちゃんは、そう言って、アノヒト(ねえさん)を追い返そうとしてくれる。
 こんな僕の話し相手になってくれて、こんな僕を分かろうとしてくれて。宵衣ちゃんは、自分を嘘つきと罵るけど、たとえその通りの嘘つきだとしても、宵衣ちゃんは、優しい。
「……ごめ、なさい……」
 なのに、僕は宵衣ちゃんに迷惑をかけてばかりだ。
 心配させて、気遣わせて、その上アノヒト(ねえさん)の相手までしてもらって……。
 こんなの、嫌だ。……でも、怖いよ。
 あの日々がトラウマになって、もう、なにもできないよ。


ーーーー
 僕には、兄が一人いた。六歳年上の兄だった。
 両親は兄をとても溺愛していた。僕のことなど、眼中になかった。これは、例えではない。本当に、僕のことを見ていなかった。
 殴られる、蹴られる、罵られる……そういったDVじみたことはされなかったけど、ご飯を用意されない、なにもいってもらえない。いないと同じ扱いを受けた。
 兄が自分のことをしっかりできるようになって、余裕が出て僕の状態に気がつくまで、ずっと、孤独に耐えて過ごした。
 もちろん。そんなのだから、学校でもいじめられた。
 兄は、いつも僕を守ってくれた。
 けど、兄は、僕が小学五年の時に、僕に似た子を助けようとして死んだ。僕にいろいろなものを、感情を、遺産を、将来を、優しさを、わずかな愛を、少ない幸せな記憶を……たくさんのものを残して死んだ。
 僕はそれから友達に依存した。でも、その子に、金ヅルとしてしか見られていなかった。
 その上、両親は兄を失うと、今まで放置し続けていた僕に急に期待した。
 育ててやった恩だの、なんだの言って。そんなの、感じたことなんてないのに。
 両親は、僕の他にも期待の先を探して、従姉妹の兄と同い年の女の子をホームステイさせた。
 義姉さんは、僕をいじめた。軟禁も、しようとした。
 僕は怖くなって、母さんたちのせいで陥っていた人間不信をより拗らせた。
ーーーー


 僕が、僕になった所以。それが、良心と、何より、義姉さんだ。
 それに立ち向かうなんて、無理だ……。宵衣ちゃんは、好きだけど、大切だけど、でも、それでも……。
 僕が蹲って泣き出しそうになると、シーは、ぺろっと僕の頬を舐める。
『クゥ、ワンワン!』
 シーは、そう吠えて、ドアの方にかけていく。
 僕が首を傾げると、こちらに戻ってきて、パソコンの下をくるくる回って、またドアへ行く。
「……玄関に行けっていうの?」
「ワン!」
 『そうだよ』とでもいうかのようにシーは吠える。
「む、無理だよ……。怖いよ……」
 僕は、クッションを抱きしめ、その場から動かないと示す。
 シーは諦めず、僕の服の裾を掴んで、引っ張り続ける。

『隆には、いくらでも道があるんだから、好きに生きろよ。 俺みたいに、あの人たちに支配されるな。あの人たちは、お前になにもしてくれてねーんだ。 お前が恩を感じる理由もなんにもないんだよ』

 病院での、兄さんの声が蘇る。
 僕が、母さんたちに縛られる必要はない。母さんたちのせいで人間不信になる必要もない。
 でも、でも……怖いんだよ。
 怖いのと、情けなさと、申し訳なさで、涙が出る。義姉さんへの恐怖、宵衣ちゃんを助けられない情けなさ、兄さんの言葉に従えない申し訳なさ……。
 パーカーの袖で目元を拭う。
 パソコンからは、音声が漏れた。

『ボクは絶対に譲らないよ。 リューくんは、ボクの大事な友達だ。リューくんを傷つける奴は、許さない』

 僕は顔を上げる。
「宵衣、ちゃん……」
 こんな僕なのに。知っていて、助けにも行けず、泣きじゃくるだけなのに。
 なんでそんなことをしてくれるの?なんでそんなに優しいの?
 僕は、僕は、そんなの……知らないよ……。
「シー」
「クゥン?」
「……ついてきて、くれる?」
「ワンっ!」
 シキは、尻尾を振りながら答える。僕がベッドから降りると、その足元にぴったりとくっついて、部屋から出る。
 人がいる中で部屋から出るのは、夜中以来初めてだ。大抵、人のいない時間を狙って動くから……。
 怖さで、体が震えて、強張って、立ち止まりたい。
 でも、宵衣ちゃんは、僕のことを信じてくれてた。こんな僕を、大事な友達と言ってくれた。
 それなら、僕も、信じたい。
 宵衣ちゃんが、いれば、平気だと。
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