死に損ないの春吹荘 

ちあ

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六章 おでかけ

昔話

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 俺は、きっとどこかで間違えた。
 俺は、きっと何かを間違えた。
 そうでなければ、こんなことには、ならないはずだから。
 あの人たちが、俺を恨んだ理由がない。
 あの人たちが、俺を憎しむ理由がない。
 理由がないのにあんなことになったのならそれは……
 俺が耐えられない。









『昔話』

 俺は、父親と、母親との三人家族。
 父は起業家で、そこそこの成績を収めると、昔から両親が望んでいた[海の見える宿を作る]ため、建物を買った。
 海のことを話す父と母の姿はとても楽しそうだった。
 父は、
『海はな、広くって、でっかくて、俺たちの悩みなんてちっぽけで情けない、気にしなくていいんだって教えてくれるんだ』
 それが、口癖だった。
 海を見るたび、朝焼けを、夕焼けを見るたび父は俺に言って聞かせた。
 母は、
『私たちの大切なものが海とあなたなの。私たちは海を理由してであったのよ。だから、私たちの象徴は海なの。海はとても大切なの』
 父のことを話し終わった後には必ずそう言っていた。
 俺は、そんな話を聞いて育ったからかなんなのか、海が好きだった。
 夏になれば、父と母がすぐそこにある海で遊んでくれる。
 お客さんも来て、同い年の子もたまにいて……楽しかった。




 五歳になるまでは。
 五歳になる少し前だろうか。
 父の仕事の羽振りがよくなくなった。それでも、きっと大丈夫だと、少しの間だけだと父も、母も、その姿を見ていた俺も思っていた。
 けれども、結果は大失敗。
 多額の借金を抱えた。
 助けを求めようにも、羽振りが良かった頃は良くしてきて、たまに金を借りてきていた親族も離れていった。
 もちろん、貸したことのある金は帰ってこない。

 毎日扉が叩かれては、罵声を浴びせられ、催促される。
 そんな宿には、誰も泊ろうと思わない。余計に生活が厳しくなっていった。
 それからだ。
 父さんと母さんは、少しおかしくなった。
 父さんは酒を飲まなかったのに、弱かったのに、飲むようになった。
 母さんは、若手のアイドルか何かの出ているテレビばかり見て、家事をしなくなった。
 それでも、父は飯はまだかと叫び散らす。
 母は動くことなくテレビに釘付けだ。
 だから、俺が作った。
 初めはまずいと怒られた。
 そこまで暴れてはいなかった。
『こんなまずい飯が食えるか』
 父はそう言って、外の食べ物を買ってきただけだった。
 母は、冷蔵庫を漁って、好きなものだけ食べていた。
 心配だったから必死に家事を覚えた。
 そして、そこそこ上手くなったころ。
 俺が、五歳三ヶ月くらいのとき。
 そうのような、別荘のような家の少し先にある場所に連れて行かれた。



 部屋に入るなり、扉は鍵で閉められ、窓もきつく閉められていた。
『なにをするの?』
 と振り返り聴こうとしたとき、突き飛ばされて、床に転がった。
 背中の痛みを覚えている。
 困惑していると、すぐさま父が俺にかぶさった。
 首元に手を当てられ、グッと力を入れられた。
 苦しくて、苦しくて仕方なかった。


 仕方ないのよ
 だってこうするしかないんだ
 恨まないでね
 あんたのせいだ
 お前なんていなければ
 みんな一緒よ
 足りないんだから仕方ないじゃない
 一人で先に逝ってくれ
 後で私たちも
 眠れ
『嫌だ』
 愛してるわ
『嘘だ』
 海と共にいられることを誇りに
『海は嫌い』
 おまえの幸せを願って
『ならこのてはなに?』
 もう嫌なんだよ
『なんで僕まで?』
 こうするしかないの 
 許してね
『他にもあるでしょ!』
 許してくれるよな?な?
 許す許さないの選択はないわ
 許すしかあんたにはないの
『許さなきゃダメなの……?』
 バイバイ
 じゃあな
 可愛い俺のーーー
 可愛い私のーーー
『二人なんて大嫌いだ!』


 二人に首を絞められ、俺は意識を失った。
 気がつけば、苦しくて、咳き込むと、黙々と煙が出ていて、木炭が焚かれていた。
 上へ上がる階段は、荷物が散乱していて、椅子が転がっていて、逃げられなかった。

 父と母は、床に転がり、口元からよだれを垂らしていた。
 

 俺はその後異変に気がついた近所からの通報で駆けつけた警察と救急車によって、病院へ運ばれた。

 助かったのは俺だけで、あれは一家心中をしようとしていたらしい。









 それが、この部屋。
 俺の、死にかけた、昔の、家族の、家。
「はぁ……っ。はぁっ」
 息が荒くなる。
 胸の内が苦しい。
 煙は嫌だ。
 思い出したくない。
 死なないで、母さん、父さん。
 俺を、僕を、置いて行かないで。
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