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素直になる薬
素直になる薬
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俺の名前は月影晃。つい3ヶ月前に子どもが生まれたばかりの幸せ絶好期。しかし、今俺には悩みがある。
「紅葉、光莉が泣いてる。俺が鍋見とくから見てあげて。」
俺はキッチンにいる妻、月影紅葉に声をかける。紅葉は俺の声を聞くと黙って菜箸を置く。
「分かった。」
そう言うと娘、光莉の元へ行き、抱き抱える。その姿はまさに愛溢れる母親そのもの、のはずなのだが、紅葉は無表情で口元は僅かも緩まない。そう、これが俺の悩みの1つ、妻の笑顔が見えないこと。
結婚して1年は経っているとはいえまだ新婚。愛も薄れることも無くひとつ屋根の下で一緒に暮らすもの同士、せっかくなら笑顔で過ごしたいのだが妻は段々と笑顔が少なくなっていく。そして他にも悩みはある。
「紅葉、最近何か悩みとかある?何かあったら言って?」
「…いや、無いよ。」
「そう?」
紅葉は俺の言葉に、ちらりと目線を向けるとすぐに目を逸らし、ぶっきらぼうに言った。そう、これがもう1つの悩み。妻が俺に素直になってくれないこと。俺だって紅葉のことはよく見てるから、どう見ても様子がおかしい、何か困ってたり悩みがあるのは分かってる。でもこうやって聞いてみても何も無い、と言われるだけ。俺に悩みを打ち明けようとしない。俺はそれが少し寂しかった。
ある日、俺はとある薬を手に入れた。その名も「素直になる薬」。仕事帰りにふらっと寄った占いで買ったもので、安全性や効力は俺自身で試した。今日俺は、これを妻に飲ませて、妻の悩みを受け止めようと思う。
「紅葉、良かったらこれ飲んで。」
「何これ?」
「コーヒー。俺が淹れた。」
「…私コーヒー苦手だけど。」
しまった。どうしよう、でももう薬は入れてしまったし後には引けない。
「まあまあ、せっかく淹れたから、飲んでよ。」
「…うん。」
紅葉は少ししぶしぶといった感じではあったけど、飲んでくれた。よし、飲ませるところまでは成功。この薬は即効性で飲んで5分ほどで効き目が現れる。効力は質問に素直に答えてくれる、というものではなく、言動が素直になるというもの。簡単に言えば欲求に正直になる、我慢を止める、今まで言えなかったことを言ってしまう、などなど。効果時間は10分程度と短いけど、これできっと、妻も俺にずっと言えなかった悩みなんかを打ち明けてくれるはずだ。
「晃さん…。」
紅葉がふらっと立ち上がって俺に近づく。さっそく効いてきたみたいだ。俺は「なに?」と少し頭を傾ける。その傾けた頭を、紅葉が両手で包むようにガシッと掴んだ。
「私…ずっと晃さんに言いたかったことがあるの。」
「うん、聞くよ。」
紅葉はそう言うとわずかに口元を緩ませた、と思ったその瞬間、紅葉は俺の首に手をかけた。
「え?あの、紅葉?」
「私ね、晃さんのこと、ずーっと、鬱陶しかった。」
「え?」
混乱する俺を前に、紅葉は俺の首をギシギシと絞め始めた。
「ちょ、紅葉!何…」
「ずーっと邪魔だった!子どもが生まれて私は家事と育児でいっぱいいっぱいなのに何一つ手伝ってくれない貴方が!貴方何か育児に参加した!?あぁ、してるね、外に行くと子どもお風呂入れるだの食事を手伝うだのイクメンアピールしてるもんね、どこがだよ!湯船に一緒に入るだけか“お風呂に入れる”じゃねぇんだよ!嫌がる光莉の服を脱がせて!体洗って!濡れた体拭いて!逃げ回るのを抑えながら服を着せる!ここまでやるのが“お風呂に入れる”なんだよ!食事だって!私が作ったものを食べさせるだけじゃない!作るのも後片付けも全部私!それが大変なのに!」
首にかかる手の力はどんどん強まっていく。俺はもう声も出せない。
「何が困ったことがあるなら言って!だよ!困ってそうだろうがどう見ても!畳まれてない洗濯物の山!洗われてない食器!睡眠不足の隈!見れば分かるだろうが!見てわかるなら!食器洗ってくれても!洗濯物畳んでくれても!それくらいしてくれてもいいじゃない!光莉が泣いた時あやすのもオムツの交換もいつも私!家事をしてても途中で手を止めさせる!何が鍋は俺が見てるから、よ!見てるだけなんて子どもでも出来る!その間にお皿の準備くらいできたと思うけど!?」
紅葉は全体重を手に込める。その手は力を込めすぎなのか、はたまた別の気持ちがあるのか、ぷるぷると震えている。
「それに!貴方私に労いの声すら掛けない!『いつもありがとう』その言葉すら言えない!?手伝ってくれなくても、その言葉さえあれば頑張れるのに!私がやって当たり前とでも思ってるの!?私は貴方が快適に生活できるようにするための召使いなんかじゃない!妻なの!生きてる人間なの!このコーヒーだってそう!私苦手だって知らないの!?口に出して伝えても『せっかく作ったから』!?ふざけんな!自分のことしか考えないのも大概にしろ!!!」
俺は朦朧とした意識の中で紅葉の言葉だけを聞いていた。そして遂に意識が途切れそうになったその瞬間、紅葉の手が緩んだかと思うと、紅葉はそのまま床に倒れた。薬の効果切れか、なんて考える間もなく、俺も意識を失った。
3日後、俺は綺麗さっぱり心を入れ替えていた。
「紅葉、俺食器洗っちゃうからご飯食べたらお皿頂戴。」
「え?何急に…?」
紅葉は薬のせいで喋ったこと、やったことを全部覚えていないみたいだった。でもそれでいい。紅葉は何もしていないけど俺は変わった、それでいい。俺は確かに自分のことしか考えず、無意識に家事育児は女性のものだと思っていたんだと思う。一重に食事と言ってもすることは沢山ある、それに気づいてあげられず、そして紅葉を苦しめていた。でも今の俺は違う、気づくことが出来た。
「紅葉、何か今までごめん。いつもありがとうね。」
「…うん。」
紅葉は少し驚いたように目を見開いた後、笑顔を見せてくれた。俺のプロポーズに答えてくれた時と同じ、満面の笑み。俺はこれから、この笑顔を守るために生きていく。
素直になる薬は、今もまだ引き出しに入ってる。
「紅葉、光莉が泣いてる。俺が鍋見とくから見てあげて。」
俺はキッチンにいる妻、月影紅葉に声をかける。紅葉は俺の声を聞くと黙って菜箸を置く。
「分かった。」
そう言うと娘、光莉の元へ行き、抱き抱える。その姿はまさに愛溢れる母親そのもの、のはずなのだが、紅葉は無表情で口元は僅かも緩まない。そう、これが俺の悩みの1つ、妻の笑顔が見えないこと。
結婚して1年は経っているとはいえまだ新婚。愛も薄れることも無くひとつ屋根の下で一緒に暮らすもの同士、せっかくなら笑顔で過ごしたいのだが妻は段々と笑顔が少なくなっていく。そして他にも悩みはある。
「紅葉、最近何か悩みとかある?何かあったら言って?」
「…いや、無いよ。」
「そう?」
紅葉は俺の言葉に、ちらりと目線を向けるとすぐに目を逸らし、ぶっきらぼうに言った。そう、これがもう1つの悩み。妻が俺に素直になってくれないこと。俺だって紅葉のことはよく見てるから、どう見ても様子がおかしい、何か困ってたり悩みがあるのは分かってる。でもこうやって聞いてみても何も無い、と言われるだけ。俺に悩みを打ち明けようとしない。俺はそれが少し寂しかった。
ある日、俺はとある薬を手に入れた。その名も「素直になる薬」。仕事帰りにふらっと寄った占いで買ったもので、安全性や効力は俺自身で試した。今日俺は、これを妻に飲ませて、妻の悩みを受け止めようと思う。
「紅葉、良かったらこれ飲んで。」
「何これ?」
「コーヒー。俺が淹れた。」
「…私コーヒー苦手だけど。」
しまった。どうしよう、でももう薬は入れてしまったし後には引けない。
「まあまあ、せっかく淹れたから、飲んでよ。」
「…うん。」
紅葉は少ししぶしぶといった感じではあったけど、飲んでくれた。よし、飲ませるところまでは成功。この薬は即効性で飲んで5分ほどで効き目が現れる。効力は質問に素直に答えてくれる、というものではなく、言動が素直になるというもの。簡単に言えば欲求に正直になる、我慢を止める、今まで言えなかったことを言ってしまう、などなど。効果時間は10分程度と短いけど、これできっと、妻も俺にずっと言えなかった悩みなんかを打ち明けてくれるはずだ。
「晃さん…。」
紅葉がふらっと立ち上がって俺に近づく。さっそく効いてきたみたいだ。俺は「なに?」と少し頭を傾ける。その傾けた頭を、紅葉が両手で包むようにガシッと掴んだ。
「私…ずっと晃さんに言いたかったことがあるの。」
「うん、聞くよ。」
紅葉はそう言うとわずかに口元を緩ませた、と思ったその瞬間、紅葉は俺の首に手をかけた。
「え?あの、紅葉?」
「私ね、晃さんのこと、ずーっと、鬱陶しかった。」
「え?」
混乱する俺を前に、紅葉は俺の首をギシギシと絞め始めた。
「ちょ、紅葉!何…」
「ずーっと邪魔だった!子どもが生まれて私は家事と育児でいっぱいいっぱいなのに何一つ手伝ってくれない貴方が!貴方何か育児に参加した!?あぁ、してるね、外に行くと子どもお風呂入れるだの食事を手伝うだのイクメンアピールしてるもんね、どこがだよ!湯船に一緒に入るだけか“お風呂に入れる”じゃねぇんだよ!嫌がる光莉の服を脱がせて!体洗って!濡れた体拭いて!逃げ回るのを抑えながら服を着せる!ここまでやるのが“お風呂に入れる”なんだよ!食事だって!私が作ったものを食べさせるだけじゃない!作るのも後片付けも全部私!それが大変なのに!」
首にかかる手の力はどんどん強まっていく。俺はもう声も出せない。
「何が困ったことがあるなら言って!だよ!困ってそうだろうがどう見ても!畳まれてない洗濯物の山!洗われてない食器!睡眠不足の隈!見れば分かるだろうが!見てわかるなら!食器洗ってくれても!洗濯物畳んでくれても!それくらいしてくれてもいいじゃない!光莉が泣いた時あやすのもオムツの交換もいつも私!家事をしてても途中で手を止めさせる!何が鍋は俺が見てるから、よ!見てるだけなんて子どもでも出来る!その間にお皿の準備くらいできたと思うけど!?」
紅葉は全体重を手に込める。その手は力を込めすぎなのか、はたまた別の気持ちがあるのか、ぷるぷると震えている。
「それに!貴方私に労いの声すら掛けない!『いつもありがとう』その言葉すら言えない!?手伝ってくれなくても、その言葉さえあれば頑張れるのに!私がやって当たり前とでも思ってるの!?私は貴方が快適に生活できるようにするための召使いなんかじゃない!妻なの!生きてる人間なの!このコーヒーだってそう!私苦手だって知らないの!?口に出して伝えても『せっかく作ったから』!?ふざけんな!自分のことしか考えないのも大概にしろ!!!」
俺は朦朧とした意識の中で紅葉の言葉だけを聞いていた。そして遂に意識が途切れそうになったその瞬間、紅葉の手が緩んだかと思うと、紅葉はそのまま床に倒れた。薬の効果切れか、なんて考える間もなく、俺も意識を失った。
3日後、俺は綺麗さっぱり心を入れ替えていた。
「紅葉、俺食器洗っちゃうからご飯食べたらお皿頂戴。」
「え?何急に…?」
紅葉は薬のせいで喋ったこと、やったことを全部覚えていないみたいだった。でもそれでいい。紅葉は何もしていないけど俺は変わった、それでいい。俺は確かに自分のことしか考えず、無意識に家事育児は女性のものだと思っていたんだと思う。一重に食事と言ってもすることは沢山ある、それに気づいてあげられず、そして紅葉を苦しめていた。でも今の俺は違う、気づくことが出来た。
「紅葉、何か今までごめん。いつもありがとうね。」
「…うん。」
紅葉は少し驚いたように目を見開いた後、笑顔を見せてくれた。俺のプロポーズに答えてくれた時と同じ、満面の笑み。俺はこれから、この笑顔を守るために生きていく。
素直になる薬は、今もまだ引き出しに入ってる。
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