自己満足

世万江生紬

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隣のクラスの人殺し

隣のクラスの人殺し

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  私の通う学校には、人殺しがいる。

 私はごく普通の中学校へ通うごく普通の中学生。けれど、私の通う中学校には最近他生徒から必要以上に目立つ生徒がいる。名前は黒江柚、クラスは隣、年は一つ上だけど留年しているから同級生、中学生で留年なんて珍しいことが起こった原因は、彼女が実の父親を殺したから。この四つの情報は彼女と接点のない学校生活を送っていても、嫌でも私の耳に入り込んで来た。中学生なんてものは、自分とは違う異端の存在を忌み嫌いながらも噂や憶測をやめようとしない、くだらない年頃。当然彼女は周りからは関わりたくないオーラを出され非難されているのに、彼女の悪口や悪評を流す人は後を絶えない。私はそんな現状に心底嫌気を感じていた。


 「櫻子、次体育だよ。早くいこ?」

ある日の六限目、この時間の授業は体育だった。男子は外、女子は体育館に分かれてそれぞれ野球とバスケ。そしてこの体育の授業は隣のクラスの合同だった。

「体育はそんなに嫌いじゃないけど、隣のクラスと合同なのが本当に嫌。てかさ、大体みんな思ってるんだし先生も分かってるんなら何とかしてほしいよね、このシステム。」

隣のクラスには例の彼女がいる。そのことに不満を持つ人は多くいるレベルじゃない、不満を持たない人なんていないレベルだった。そしてその理由が明確なことから、教師でさえも生徒に同情していた。

「授業のシステムなんて気軽に変えられないんでしょ。この授業さえ終わればもう帰れるんだから。早く行こ。」

私は不満を並び立てる友人の手を引いて体育館へ向かった。


 「はい、じゃあバスケの前に二人一組で準備運動ねー。みんなはまだ若いから分からんと思うけど、マジ準備運動って大切だから、やるのとやらないんじゃ後の体の痛み全然違うから。ちゃんとやってねー。」

 体育教師の声に、生徒たちはいつも通りテキトーに二人一組を作って、いつも通り気の抜けた準備運動をする。そしていつものように彼女だけが余った。いつもなら奇数でどうしても一人余るから、仕方なく先生と組んでいたけど、今日は違った。

「あー今日は一人休みだから偶数のはずなんだけど、誰か黒江と組んでやってくれー。」

教師が体育館中に響き渡るくらい大きな声で呼びかける。でも聞こえないから誰も返事しないんじゃない、関わりたくないから返事しないんだ。本当にまだ一人二組が作れていなくて余っている人でも、すでに一人二組になっている人でも、今ここで一言でも声を出せば犠牲になるとみんな分かっている。だから誰も返事をしない。でもここで、誰もこのまま返事をしなければこの場はいつまでも収束しない、それだけ、それだけの理由で私は手を上げた。


 背中を合わせて腕を組み、片方が前かがみになる。黒江さんが黙って前かがみになるので、私はされるがままに背中を伸ばす。
準備運動中、私も黒江さんもずっと無言だった。別に喋りたいとも思っていなかったけど、周りにる女子みんなが「可哀想」「ごめんね」みたいな顔で見つめてくるのが鬱陶しくて黙ってた。黒江さんもずっと黙っていたけど、何を考えているのかは分からない。彼女はずっと真顔で表情を崩さない、こんなにも噂や悪評が広まっているのに擁護や制止の声が一つもないのはこの変わらない表情のせいじゃないかと私は思う。

「じゃあそろそろバスケするから、チーム分けするよー。」

教師の声にみんなが体育館の中央に集まる。私も黒江さんと別れて中央に向かおうとしたその時、ほんの少しだけ、彼女が頭を下げたように見えた。


 「じゃあね、櫻子。日誌頑張れー。」

「手伝ってくれてもいいんだよ?」

「やだー。私部活行くから。じゃ、また明日ね。」

「はーい、部活頑張れ。またね。」

放課後、私は友達に手を振ると机の上の日誌に向き直る。今日は日直で、日誌を書いて職員室に持っていかないと帰れない。私は部活もしてないし別に早く帰りたいわけでもないのでゆっくり日誌の項目を埋めていく。十分か十五分か経った頃日誌の項目はすべて埋まっていた。あとは職員室に出すだけ、そう思って教室を出て職員室に向かう途中、足元に消しゴムが転がってきた。来た道は隣のクラスの教室。よく廊下にまで転がったな、なんて考えながら教室にただ一人残る女子生徒に声をかけようとして、上げかけた手を止めた。そこにいたのは黒江柚だった。私と同じく日直だったのだろうか、一人で黙々と日誌を書いている。私は上げかけた手を降ろして教室に入った。

「ねぇ、黒江さん。消しゴム、廊下まで転がってきた。すごい耐久力だね。」

私は拾った消しゴムを乗せた手を出しながら声をかけた。別になんてことない、クラスの友達に話しかけるのと変わらない口調で。

「あ...ありがとう。放ってても良かったのに。」

黒江さんは私の手の上にある消しゴムを受け取りながら答えた。正直ちょっと意外だった。誰とも会話しているのを見たことがなかったから、話しかけられたらもちょっとおずおずするものだと思ってたけど黒江さんはごく普通に話返していた。

「それよりも、その日誌、職員室に持っていくんだよね。早く持ってった方がいいよ。私と教室に二人きりでいると変な噂立てられそう。」

「上坂櫻子は人殺しと仲いい、とか?」

別に意地悪で言ったとか、そういうわけじゃないかった。変な噂の具体例を上げただけのつもりだった、けど言った後に皮肉に聞こえるかも、なんて考えて訂正しようとすると、黒江さんは表情を変えずに「そう」と言った。
私は、皮肉に聞こうと思えば聞こえそうな言葉もそのままの意味として、客観的に判断して会話をする彼女に少し興味が湧いた。だから彼女に質問をした。

「実の父親を殺した、だから少年院に入った、だから留年して年上だけど同級生、この噂本当?」

黒江さんはさすがに少し驚いた顔をするかと思ったけど、この質問でも表情一つ変えなかった。黙って私の顔を見てゆっくり喋り出した。

「本当。何一つ嘘はない。私は実のお父さんを包丁で刺したし、警察に捕まって少年院に入ったし、おかげで留年して、年上なのに上坂さんとは同級生。誰も聞きたがらないこと、普通に聞いてくるんだね。」

「自分で聞いといてなんだけど、すごいしっかり答えてくれるね。私の名前を知っていることにも驚き。」

「さっき自分で上坂櫻子って名乗ったじゃん。」

「確かに。黒江さん、結構普通に会話してくれるんだね。普段話しているとこ見たことないから人と関わりたくないのかと思ってた。」

「私さ、別に人と会話するのが嫌ってわけじゃないんだよ。質問されたら答えるし、関わってこられたら関わりに行く。でも現状そうじゃないから、誰も私と関わりたくないから私も関わらない、それだけ。なのに上坂さんは関わりに来た。なんで?なんで私と会話をしようとする?」

黒江さんは心底分からない、といった顔で私の顔を覗きこんでくる。相変わらず無表情なのに、疑問に思っていることが伝わってくる。もしかして彼女は無表情なんじゃなくて感情が表情に出にくいだけなのかな、なんて思った。
彼女は本心で話してる、本当に思っていることを言って、本当に聞きたいことを聞いてくる。だから私は、本当に思っていることを、本当に聞きたいだけのことを、聞いた。

「人殺しの黒江さんは、私のことも殺す?」

黒江さんはほんの少し目を見開いた。彼女は表情は変わらないけど、よくよく見れば目の動き、口の開き具合、顔の傾きなんかは変わっていたりする。その辺見てれば表情も読み取れるのかな、なんてぼんやり思った。

「殺すわけないじゃん、理由もないのに。」

「じゃあそれが答え。」

「は?」

「黒江さんが人殺しなんだとしても、だからといって私も殺されるわけじゃない、私には関係ない、だから話す。」

そう、彼女が人殺しであることなんて、私には何の関係ない。享楽殺人者で私も殺される危険性があるとかならともかく、私自身に被害が被らないなら彼女がどんな人殺しかなんて関係ない。むしろ黒江柚という人間は、裏表のない喋り方をし、皮肉も込めず言葉をその言葉の意味通り受け取り、他人の立場や気持ちを考えることが出来る。私にとって、黒江柚は人殺しである、ということよりも、そう言った人間性の方が、関わる上では大事にしたい。

「そもそも実の父親を殺した理由は?」

「...虐待。昔から、母親は仕事に追われてほぼネグレクト状態、父親は酒浸りの身体虐待。ずっと我慢してたけど、犯されそうになって、必死で抵抗して、母親がさすがに止めようとして、母親にも殴りだして。...何かが切れた。気づいたら包丁で刺してた。今まで我慢してたものが爆発したんだろうね。」

「父親クズだね。」

「そうだね、クズだ。」

「じゃあ父親が悪い。」

まっすぐに前を向いて無表情で話していった黒江さんが、私の言葉を聞いて私の方に顔を向けた。相変わらず無表情で何を考えているのか分からない。でも口をわずかに開け、瞳がわずかに揺れている。

「全部悪いのは被害者なのに、それでもずっと加害者が辛い思いをし続ける。なんか、良心捨てたもん勝ちって感じ。くだらない。そんで、理由も何も知らない癖に、起こった結果だけを見て語るやつもくだらない。」

「割り切った考え方だね。」

「まあね。でもこれ全部、私が関係のない他人だから言えること。当事者になったら多分そんなこと考えられないだろうし、当事者からしたらうるせぇって理論かもしれない。」

「でも私は今嬉しいと感じてる。」

私はバッと黒江さんの方を見た。初めて彼女の今感じている感情が伝わった。表情からは分からないけど、言葉で。何も飾らないストレートな言葉で、彼女の感情を理解できた。

「私の味方、みたいな思いを持っているという人が一人でもいるって分かったことだけで、今私は救われた気持ちになった。ありがとう。」

「...確かに黒江さんにとっての味方かもしれない。でも、今私は友達から変な目で見られたくないって気持ちが勝ってる。」

「別にいい。心の中ではこう思ってるってこと教えてもらえただけで満足。でも陰口とか、物を投げつけるのとかされるのはやめてもらえると助かる。」

「分かった。善処する。」

「約束はしてくれないんだ。いいけど。」

黒江さんは少し首を傾げて、軽く息を吐きながら軽口を叩く。それから「あ、そうだ」と何かを思い出したみたいに私の方に向き直る。

「体育の時、空気変えてくれてありがとう。」

私は少し息を飲んだ。お礼を言われたことにじゃない。感謝していることを知ったからじゃない。ペアになってくれてありがとう、じゃなくて空気を変えてくれてありがとう、と言ったことに。だってそれは、黒江さんに対してだけのものじゃないから。彼女は自分を助けてくれたことにじゃなくて、みんながしていた嫌な思いを取り払ったことに感謝している。そのことに気づいて、私はほんの少しいイラっとしたと同時にほんの少し悲しくなった。

「うん。...じゃあ、私は日誌出しに行くね。」

「行ってらっしゃい。それから、バイバイ。...明日になればいつも通りの、隣のクラスの人殺しってことで。」

私はその場を離れたくて黒江さんの言葉に軽く頷くと、教室から出て走って職員室に向かった。


 次の日、私たちに変わったことは無かった。変わらずお互い干渉しない。私は変わらず流れ続ける噂にくだらないと感じながら生活する。でも昨日と変わったこともある。お互いがお互いにどんな思いを持っているのか知ってる。別に関わり方を変える必要なんてない、違った関係性になる必要もない。ただ、思っていることだけは伝えていればいい。そうするだけで、胸のもやもやをほんの少し軽く出来る。私があの時黒江さんに声をかけたのは、きっとずっと感じていたもやもやを軽くしたかったからなんだと思う。
もし、彼女に私以外の味方が出来て、仲良くしている友達が出来たら、私も仲間に入れてもらえるだろうか。気持ちをストレートに言葉で伝えてくれる、私の言葉をまっすぐに聞いてくれる彼女と友達になれるだろうか。味方だと言っときながら何も変わろうとしなかった、彼女よりも今の居場所を取った私を、友達と見てくれるだろうか。分からない、分からない。でも、いつかそんな日がくることを願って、今は彼女は、

 隣のクラスの人殺しだ。

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