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14話:オーストラリア旅行2
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オーストラリアの大自然は圧巻。3つ目は、アトラクション「シーニック・スカイウェイ」は、ジャミソン渓谷の上空270mを約7分間で往復するゴンドラ。底がガラスで透明となっていて、カトゥーンバ滝、スリーシスターズ、オルファン・ロックなどをしっかり見ることができる。 隠れた名所「リンカーンズ・ロック」。 巨大な平らな岩盤でできており、岩の端ギリギリまで行ってスリル満点の体験もできます。リンカーンズロックから眺めるブルーマウンテンズの景色は圧巻。自然の雄大さに圧倒されてしまった。
「次は、世界最古の鍾乳洞ジェノランケーブの近くにあるブルーレイク」、夏には真っ青な湖を見られる。真っ青の湖は、まるでコンピューター・グラフィックのような姿で思わず息を呑む様な非現実的な美しさが魅力。ブルーレイクの周辺では、良く、野生動物に出会える。安田夫妻は、暗くなるまで、ブルーマウンテンズ国立公園を楽しんで、夕食を取り、ホテルに戻ったのは、夜20時。シャワーを帯びてワインを飲んだら、直ぐ眠りについた。
翌朝、2003年4月1日は、ゆっくりと起きて、朝食をとり、シドニー湾をシドニーフェリーズに乗って、シドニーの景色を眺めた。サーキュラー・キー近くでおりて、散策して、ロックス・マーケットので遅めの昼食をタコスの店でサラダと共に食べた。サーキュラーキーとは、オペラハウスからハーバーブリッジまでのエリアの事。
シドニーの交通の要になっていて、ショッピングモール、公園、レストランなど大抵のものがあるので大変便利だ。明日のパースへの移動に、そなえて、早めに、ホテルに戻り、ゆっくりして、床についた。翌、4月2日は、早朝6時に、ホテルを出て、9時半発のパース行きの飛行機に乗った。飛行時間は、なんと5時間10分、日本では考えられない距離だ。
オーストラリアの広さを再確認させられら、西オーストラリアのパースに13時についた。昼食後、ベルタワーへ向かった。ここは、できたばかりの新しいパースのシンボル的な建造物。バラック広場の真ん前にそびえ立っており、2002年にオープンしたばかりで高さは82m。 日本で言うと東京タワーのようなシンボルタワーのようなもの。
建造物の上部についているベルはオーストラリア建国200年祭を記念し、イギリスからパースへ贈られた12個のベルに6個のベルを加えて、合計18個が定時に綺麗な音色を奏でています。その音色たちはいつしか住民たちの癒しともなっているのですよ。しかも、これはなんと世界最大の音階鐘セットで、心に染みるような素敵な音色を響かせてくれた。
その後、聖ジョージ大聖堂を訪ねた。ここは、パース市内に存在するイギリス教会の大聖堂。大聖堂の隣にはイギリス教会聖堂建築の中で最古と認証されている、パース初の首席司祭、ジョージ・パウナルの住居として作られた旧首席司祭館がある。歴史あるこの教会は、ステンドグラスから差し込む光がとても綺麗で、オルガンの音色は身体に染み渡っていくように、癒してくれます。
16時になったので、ホテルに帰り、シドニーからパースへ長い飛行機の旅だったので、早めに床についた。 翌4月3日は、10時にホテルを出て、日帰り観光の出かけ、ロスネット島にフェリーで渡り、島中を自転車で走り、ワジャマップ灯台、最後は、ウエストエンドまで遠のりして帰って来て、帰りのフェリーで疲れが出て、居眠りをした。
スワン川、往復クルーズで、もしかしたらブラック・スワンが見られるかも知れないと心弾ませていたが、残念ながら見られずイルカを見られたのが良かった。往復、約3時間で、珈琲、紅茶が飲み放題だった。その後ホテルまでタクシーで戻り、明日のツアーにそなえて早めに床についた。翌、4月4日は、オーストラリア旅行で最も期待していた、ピナクルズ、サンセット&天体観測ツアーに参加した。
ツアーの出発が午後13時過ぎでツアーにそなえ、ゆっくりを休んで昼食をとって待っていると13時過、ツアーバスが来た。その後、ホテルを出ると、まっすぐで、信号のないオーストラリアらしい道路をひたすら走り250km離れた、夕方、ピナクルズ砂漠へ到着。まるで荒野の墓標のような奇妙な岩々が、立ち並ぶピナクルズ。数万年の歴史が、つまったこの土地の夜は、静まり返り神秘的な雰囲気になる。
見晴らしもよく周囲に大きな街がないため抜群の星空を楽しむことができた。日本で見られる星座はオーストラリアでも見ることができるが、すべてが逆で、オリオン座もちょっと奇妙な形に見え、オリオン座が沈んでいく頃、反対の東の空には天敵のさそり座が尻尾から上ってきます。そして北極星や北斗七星、カシオペア座などが地平線の下になるので見えません。
南十字が西に傾くころ、天頂には天の川の中心部である「いて座、さそり座」が見えた。全天を横切る天の川の星あかりでピナクルズの岩が浮かび上がり、星空ショーは最高潮をとなり自分が銀河の中に存在していることを実感でき最高の天体ショーを食い入るように眺めた。起きてパースの市街地で、お土産を買って、帰り支度をして、ホテルで昼食をとって、タクシーで、パース空港に14時半に到着。
17時過ぎのシンガポール経由、成田行きの飛行機に乗り込んだ。昨日の疲れが残っていたのか、ワインを飲むと寝てしまい、起きると、直ぐに、シンガポール空港へ到着し、80分、空港で待ち、成田空港へ向かった。成田空港に、2003年4月6日、朝8時に到着し、空港で一休みして、朝のラッシュを避けるように、9時半に、成田から高速バスで12時過ぎに横浜に着いた。
「次は、世界最古の鍾乳洞ジェノランケーブの近くにあるブルーレイク」、夏には真っ青な湖を見られる。真っ青の湖は、まるでコンピューター・グラフィックのような姿で思わず息を呑む様な非現実的な美しさが魅力。ブルーレイクの周辺では、良く、野生動物に出会える。安田夫妻は、暗くなるまで、ブルーマウンテンズ国立公園を楽しんで、夕食を取り、ホテルに戻ったのは、夜20時。シャワーを帯びてワインを飲んだら、直ぐ眠りについた。
翌朝、2003年4月1日は、ゆっくりと起きて、朝食をとり、シドニー湾をシドニーフェリーズに乗って、シドニーの景色を眺めた。サーキュラー・キー近くでおりて、散策して、ロックス・マーケットので遅めの昼食をタコスの店でサラダと共に食べた。サーキュラーキーとは、オペラハウスからハーバーブリッジまでのエリアの事。
シドニーの交通の要になっていて、ショッピングモール、公園、レストランなど大抵のものがあるので大変便利だ。明日のパースへの移動に、そなえて、早めに、ホテルに戻り、ゆっくりして、床についた。翌、4月2日は、早朝6時に、ホテルを出て、9時半発のパース行きの飛行機に乗った。飛行時間は、なんと5時間10分、日本では考えられない距離だ。
オーストラリアの広さを再確認させられら、西オーストラリアのパースに13時についた。昼食後、ベルタワーへ向かった。ここは、できたばかりの新しいパースのシンボル的な建造物。バラック広場の真ん前にそびえ立っており、2002年にオープンしたばかりで高さは82m。 日本で言うと東京タワーのようなシンボルタワーのようなもの。
建造物の上部についているベルはオーストラリア建国200年祭を記念し、イギリスからパースへ贈られた12個のベルに6個のベルを加えて、合計18個が定時に綺麗な音色を奏でています。その音色たちはいつしか住民たちの癒しともなっているのですよ。しかも、これはなんと世界最大の音階鐘セットで、心に染みるような素敵な音色を響かせてくれた。
その後、聖ジョージ大聖堂を訪ねた。ここは、パース市内に存在するイギリス教会の大聖堂。大聖堂の隣にはイギリス教会聖堂建築の中で最古と認証されている、パース初の首席司祭、ジョージ・パウナルの住居として作られた旧首席司祭館がある。歴史あるこの教会は、ステンドグラスから差し込む光がとても綺麗で、オルガンの音色は身体に染み渡っていくように、癒してくれます。
16時になったので、ホテルに帰り、シドニーからパースへ長い飛行機の旅だったので、早めに床についた。 翌4月3日は、10時にホテルを出て、日帰り観光の出かけ、ロスネット島にフェリーで渡り、島中を自転車で走り、ワジャマップ灯台、最後は、ウエストエンドまで遠のりして帰って来て、帰りのフェリーで疲れが出て、居眠りをした。
スワン川、往復クルーズで、もしかしたらブラック・スワンが見られるかも知れないと心弾ませていたが、残念ながら見られずイルカを見られたのが良かった。往復、約3時間で、珈琲、紅茶が飲み放題だった。その後ホテルまでタクシーで戻り、明日のツアーにそなえて早めに床についた。翌、4月4日は、オーストラリア旅行で最も期待していた、ピナクルズ、サンセット&天体観測ツアーに参加した。
ツアーの出発が午後13時過ぎでツアーにそなえ、ゆっくりを休んで昼食をとって待っていると13時過、ツアーバスが来た。その後、ホテルを出ると、まっすぐで、信号のないオーストラリアらしい道路をひたすら走り250km離れた、夕方、ピナクルズ砂漠へ到着。まるで荒野の墓標のような奇妙な岩々が、立ち並ぶピナクルズ。数万年の歴史が、つまったこの土地の夜は、静まり返り神秘的な雰囲気になる。
見晴らしもよく周囲に大きな街がないため抜群の星空を楽しむことができた。日本で見られる星座はオーストラリアでも見ることができるが、すべてが逆で、オリオン座もちょっと奇妙な形に見え、オリオン座が沈んでいく頃、反対の東の空には天敵のさそり座が尻尾から上ってきます。そして北極星や北斗七星、カシオペア座などが地平線の下になるので見えません。
南十字が西に傾くころ、天頂には天の川の中心部である「いて座、さそり座」が見えた。全天を横切る天の川の星あかりでピナクルズの岩が浮かび上がり、星空ショーは最高潮をとなり自分が銀河の中に存在していることを実感でき最高の天体ショーを食い入るように眺めた。起きてパースの市街地で、お土産を買って、帰り支度をして、ホテルで昼食をとって、タクシーで、パース空港に14時半に到着。
17時過ぎのシンガポール経由、成田行きの飛行機に乗り込んだ。昨日の疲れが残っていたのか、ワインを飲むと寝てしまい、起きると、直ぐに、シンガポール空港へ到着し、80分、空港で待ち、成田空港へ向かった。成田空港に、2003年4月6日、朝8時に到着し、空港で一休みして、朝のラッシュを避けるように、9時半に、成田から高速バスで12時過ぎに横浜に着いた。
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