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17話:東日本大震災とボランティアの活躍
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また日の出の時間は、0度前後まで冷え込みますが、日中は、13度くらいまで気温が上がる予想。今年は日差しが暖かな3月11日になりそうです。これが、当時の天気予想の放送の内容であった。ところが、東日本大震災当日、宮城など東北太平洋側では午後は大粒の雪が降った。そして運命の14時46、三陸沖を震源とする、国内観測史上最大のマグニチュード9の巨大地震が発生。
宮城県栗原市で最大震度7、大崎市や石巻市で震度6強を観測し建物の倒壊や道路の崩壊など宮城県内各地に大きな被害を出した。さらに海沿いには、宮城、岩手、福島を中心とした太平洋沿岸を巨大な津波が襲った。津波は石巻市鮎川で高さ8.6メートル以上を記録。場所によっては、陸地を40メートル以上かけ上がった。その様子を気仙沼の菓子屋の店主が、カメラに映していた。
気仙沼湾に面する道路の奥から、静かに津波が迫ってきたかと思うとわずか5分後には、2階付近まで水かさが増し、マンホールからは逆流した黒い水が噴き出した。イメージしていた津波とは全く違って、ただ飲み込まれていくという感じでしたと語る。その様子を見ていた菓子屋の店主は、どうやったってあらがえない、自然の猛威を仙台市宮城野区周辺では、黒煙がもうもうと上がっていた。地震と津波は多くの火災も引き起こしていた。
消防庁の調べでは、確認されているだけで、宮城県内で163件の火災が発生。複数の災害が重なり、消火作業はほとんど進まなかった。それからは、テレビで、当時、放送された通りの地獄絵が、延々と続いた。東京では、会社から、大きな国道を変える人の波が、絶えることなく、長い行列となって、長く長ーく、続いていた。地震から近い、東北に比べれば、関東の海側以外は、洪水もなく、大火が、起こることもなかった。
しかし、湾岸地域では、液状化現象で、水浸しになったり、家が傾いたりした。もちろん電気が止まり、一時、暖房を使えなくなった。それでも、東北の様に水に流されたりして、亡くなる者は、いなかった。ただ、東北での惨劇を通じた電気のおかげで、テレビで、見ているだけ。
「しかし、あまりの惨劇に眠気も起きずに、ただ、ただ、悲しい悲劇の有様を受け入れるかのように眺めているだけしかできなかった」
「あーなんて、人間は、こんな時、無力なんだろうかと、清水浩一の顔には、涙が、浮かび、流れ落ちた」
「それを拭おうともせず、現在、起こっている事を脳裏に焼き付けた」
この感情は、多分、多くの日本人も感じたであろう。その後、福島第一原子炉の冷却装置が、冷却機能を失った。
テレビで、政治家、化学者たちが、炉心が融解すると告げていた。その後の原子力発電所の建屋の爆発のシーンを見たときは、鳥肌がたった。そして、日本は、どうなってしまうのだろうかと漠とした不安だけが、心の中に頭をもたげてきた。
「日本人だから、なんとかできるという気持」
「その他に自然の驚異に人間て、何て、無力なんだろうと言う諦めの気持ち」
「これらが、混然一体となって、どうして良いか、わからなくなっていた」
「父の清水憲一が、生きてるもののために、できる事をしようじゃないかと言い、募金をしようと語った」
「それに対して、息子の憲一が、誰にと聞いた」
「それは、親を亡くして、これから厳しい人生を送っていかねばならない子供達へだと答えた」
「親を亡くした子供達への募金を最優先に考えるべきだと、静かだが、威厳のある声で語った」
「この年、憲一は、親子を超えて長く生きてきた先輩の人生経験って本当にすごいやと感動した」
その話を聞いて、募金の窓口を探してみると言い、パソコンを立ち上げると、すでに、Y社が、震災孤児、遺児の募金の窓口を立ち上げていた。それを利用しようと父に提案して、具体的には、俺がやると、憲一が、父に進言すると、そっちは、任せたと父が言った。こうして清水憲一が、この地区の募金、質屋の常連さん、自治会などを駆け回って募金活動をした。
そして、集まった順から、震災孤児、遺児の募金の窓口に送金し始めた。これは、何も清水だけではなかった。その後、3月中旬の東北は、朝晩、マイナスの気温までさがる。
宮城県栗原市で最大震度7、大崎市や石巻市で震度6強を観測し建物の倒壊や道路の崩壊など宮城県内各地に大きな被害を出した。さらに海沿いには、宮城、岩手、福島を中心とした太平洋沿岸を巨大な津波が襲った。津波は石巻市鮎川で高さ8.6メートル以上を記録。場所によっては、陸地を40メートル以上かけ上がった。その様子を気仙沼の菓子屋の店主が、カメラに映していた。
気仙沼湾に面する道路の奥から、静かに津波が迫ってきたかと思うとわずか5分後には、2階付近まで水かさが増し、マンホールからは逆流した黒い水が噴き出した。イメージしていた津波とは全く違って、ただ飲み込まれていくという感じでしたと語る。その様子を見ていた菓子屋の店主は、どうやったってあらがえない、自然の猛威を仙台市宮城野区周辺では、黒煙がもうもうと上がっていた。地震と津波は多くの火災も引き起こしていた。
消防庁の調べでは、確認されているだけで、宮城県内で163件の火災が発生。複数の災害が重なり、消火作業はほとんど進まなかった。それからは、テレビで、当時、放送された通りの地獄絵が、延々と続いた。東京では、会社から、大きな国道を変える人の波が、絶えることなく、長い行列となって、長く長ーく、続いていた。地震から近い、東北に比べれば、関東の海側以外は、洪水もなく、大火が、起こることもなかった。
しかし、湾岸地域では、液状化現象で、水浸しになったり、家が傾いたりした。もちろん電気が止まり、一時、暖房を使えなくなった。それでも、東北の様に水に流されたりして、亡くなる者は、いなかった。ただ、東北での惨劇を通じた電気のおかげで、テレビで、見ているだけ。
「しかし、あまりの惨劇に眠気も起きずに、ただ、ただ、悲しい悲劇の有様を受け入れるかのように眺めているだけしかできなかった」
「あーなんて、人間は、こんな時、無力なんだろうかと、清水浩一の顔には、涙が、浮かび、流れ落ちた」
「それを拭おうともせず、現在、起こっている事を脳裏に焼き付けた」
この感情は、多分、多くの日本人も感じたであろう。その後、福島第一原子炉の冷却装置が、冷却機能を失った。
テレビで、政治家、化学者たちが、炉心が融解すると告げていた。その後の原子力発電所の建屋の爆発のシーンを見たときは、鳥肌がたった。そして、日本は、どうなってしまうのだろうかと漠とした不安だけが、心の中に頭をもたげてきた。
「日本人だから、なんとかできるという気持」
「その他に自然の驚異に人間て、何て、無力なんだろうと言う諦めの気持ち」
「これらが、混然一体となって、どうして良いか、わからなくなっていた」
「父の清水憲一が、生きてるもののために、できる事をしようじゃないかと言い、募金をしようと語った」
「それに対して、息子の憲一が、誰にと聞いた」
「それは、親を亡くして、これから厳しい人生を送っていかねばならない子供達へだと答えた」
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「この年、憲一は、親子を超えて長く生きてきた先輩の人生経験って本当にすごいやと感動した」
その話を聞いて、募金の窓口を探してみると言い、パソコンを立ち上げると、すでに、Y社が、震災孤児、遺児の募金の窓口を立ち上げていた。それを利用しようと父に提案して、具体的には、俺がやると、憲一が、父に進言すると、そっちは、任せたと父が言った。こうして清水憲一が、この地区の募金、質屋の常連さん、自治会などを駆け回って募金活動をした。
そして、集まった順から、震災孤児、遺児の募金の窓口に送金し始めた。これは、何も清水だけではなかった。その後、3月中旬の東北は、朝晩、マイナスの気温までさがる。
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