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13:若子の合格、ごほうび旅行と父の投資
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そして部屋に帰り子供達の小さな時からの話や父が投資をしていたときの話などが出た。特に父の投資話は、子供達が興味を持って聞いてきた。そして資産額を聞いて驚いた。すると若子が大船に乗った気分で、これから色々頼めるわねと、ニヤッと笑った。すると馬鹿言なよ、これは、俺と女房の分だよと言い放った。
お前達は、お前達の力で財産を作れよ、俺たちの財産を当てにするなと言った。博和が、確かにそうだと言い、でも相談にのってくれよなと聞くので、もちろんだよと答えた。そして床についた。翌朝は、4人で海辺を散歩してから朝食をとり10時にチェックアウト。熱海峠の曲がりくねった登り道を登って50分ほどで箱根関所に出て少し見学した。
その後、芦ノ湖スカイラインを走って、途中景色の良いところで泊まりながら桃源台へ向かい桃源台で昼食をとった。その後、運転手の父以外の3人が、桃源台から遊覧船に乗り、元箱根に向かった。もちろん雄大な富士山の景色や箱根の景色を満喫したのは言うまでもない。旧東海道を走り、箱根湯本へおりた。
そして湯本の高級温泉ホテルに入った。箱根湯本の川沿いの道を散策し多くの写真を撮った。その後、冷めた体を温めるように天然温泉につかった温泉を出てからビールや飲み物を飲んで19時からの夕食会場へ。ここのレストランの洋食は味で定評が、あり、今夜のディナーはフルコースで、前菜から始まり、少しずつ、料理が運ばれ20時半に夕食を終えた。
たまには、こんな、ゆっくりとした夕食も良いものだねと、父が言うと娘の若子が、私は性に合わないと言うと大笑いとなった。その後も、部屋で、子供達の将来の就きたい仕事を聞くと、博和は、父みたいに、ゆっくりと働いて、十分に休めて、そこそこの給料を取れれば良いと言った。体を壊すようなハードワークは、嫌だと言った。
そして人生を楽しみながら生きたいと静かに言った。すると若子が、金は、どうやって稼ぐのと聞くと、これからの社会の資産づくりは、何と言っても投資だよと言った。株のように、かなりアクティブなハイリスクハイリターンもある。しかし為替取引のようにミドルリスクミドルリターンの方が間違いないかも知れないといった。
父の株取引は、まだ、日本が成長期だったこともあって、それ程難しくなかったのかも知れないと冷静に分析した。それを聞いていた、父が、確かに、それは、言えるかも知れないと言った。年単位で投資を考えるなら株投資。5年単位の投資なら為替取引。10年単位で考えるならアメリカに流行している投資信託「ファンド」良いかも知れないねと言った。
ただ、投資は博打ではないので信用できないもの、いくつが通っていない物には手を出さないこと。また、自分では、手に負えないと思うような物にも手を出さない方が怪我しなくて済むと言った。それを聞いて、若子がわからない時には父に聞けば良いって事ねとあっさり言った。それに対して、俺も間違えるときもある。
第一、いつ死ぬか、わからないぞと言うと、母が、縁起でもないことは言わないのと父の肩をたたいた。そんな話をしていると22時過ぎ、それぞれ部屋に帰り床についた。翌朝は、朝食をとって、今日は、横浜を回って帰るから、直ぐ出発するぞと言い、8時にホテルを出て、小田原、平塚、茅ヶ崎、藤沢、戸塚を抜けて、桜木町から山下公園に10時過ぎに着いた。
そして咲き始めた花壇の花を見て回った。その後、元町をぶらついて、11時過ぎに、中華街に入り、素敵な店構えの料理屋に入って、昼食をとった。赤いチャーシュー、フカヒレスープ、旨いチャーハン、大きな魚の丸揚げのあんかけも4人で、食べたが、甘酸っぱくて、とても美味しかった。その後、14時過ぎに家に帰った。
その後、若子が氷川神社に行って、絵馬を奉納し、お礼参りに生き、お賽銭も多めに置いてきた。そして、1999年も夏が過ぎて、秋が来て、12月を迎えた。1999年12月30日、株式取引最終日、大納会の早朝、30300円の気配値が出てたので善継が令二への成り行き売り指示した。
するとソニー株、30300円で、全株が、直ぐに売れた。そして、令二が、リベートも抜いた、最終残金が59004万円で、善継がリベート込みで最終残金が22381万円と、とんてもない大金を得た。
お前達は、お前達の力で財産を作れよ、俺たちの財産を当てにするなと言った。博和が、確かにそうだと言い、でも相談にのってくれよなと聞くので、もちろんだよと答えた。そして床についた。翌朝は、4人で海辺を散歩してから朝食をとり10時にチェックアウト。熱海峠の曲がりくねった登り道を登って50分ほどで箱根関所に出て少し見学した。
その後、芦ノ湖スカイラインを走って、途中景色の良いところで泊まりながら桃源台へ向かい桃源台で昼食をとった。その後、運転手の父以外の3人が、桃源台から遊覧船に乗り、元箱根に向かった。もちろん雄大な富士山の景色や箱根の景色を満喫したのは言うまでもない。旧東海道を走り、箱根湯本へおりた。
そして湯本の高級温泉ホテルに入った。箱根湯本の川沿いの道を散策し多くの写真を撮った。その後、冷めた体を温めるように天然温泉につかった温泉を出てからビールや飲み物を飲んで19時からの夕食会場へ。ここのレストランの洋食は味で定評が、あり、今夜のディナーはフルコースで、前菜から始まり、少しずつ、料理が運ばれ20時半に夕食を終えた。
たまには、こんな、ゆっくりとした夕食も良いものだねと、父が言うと娘の若子が、私は性に合わないと言うと大笑いとなった。その後も、部屋で、子供達の将来の就きたい仕事を聞くと、博和は、父みたいに、ゆっくりと働いて、十分に休めて、そこそこの給料を取れれば良いと言った。体を壊すようなハードワークは、嫌だと言った。
そして人生を楽しみながら生きたいと静かに言った。すると若子が、金は、どうやって稼ぐのと聞くと、これからの社会の資産づくりは、何と言っても投資だよと言った。株のように、かなりアクティブなハイリスクハイリターンもある。しかし為替取引のようにミドルリスクミドルリターンの方が間違いないかも知れないといった。
父の株取引は、まだ、日本が成長期だったこともあって、それ程難しくなかったのかも知れないと冷静に分析した。それを聞いていた、父が、確かに、それは、言えるかも知れないと言った。年単位で投資を考えるなら株投資。5年単位の投資なら為替取引。10年単位で考えるならアメリカに流行している投資信託「ファンド」良いかも知れないねと言った。
ただ、投資は博打ではないので信用できないもの、いくつが通っていない物には手を出さないこと。また、自分では、手に負えないと思うような物にも手を出さない方が怪我しなくて済むと言った。それを聞いて、若子がわからない時には父に聞けば良いって事ねとあっさり言った。それに対して、俺も間違えるときもある。
第一、いつ死ぬか、わからないぞと言うと、母が、縁起でもないことは言わないのと父の肩をたたいた。そんな話をしていると22時過ぎ、それぞれ部屋に帰り床についた。翌朝は、朝食をとって、今日は、横浜を回って帰るから、直ぐ出発するぞと言い、8時にホテルを出て、小田原、平塚、茅ヶ崎、藤沢、戸塚を抜けて、桜木町から山下公園に10時過ぎに着いた。
そして咲き始めた花壇の花を見て回った。その後、元町をぶらついて、11時過ぎに、中華街に入り、素敵な店構えの料理屋に入って、昼食をとった。赤いチャーシュー、フカヒレスープ、旨いチャーハン、大きな魚の丸揚げのあんかけも4人で、食べたが、甘酸っぱくて、とても美味しかった。その後、14時過ぎに家に帰った。
その後、若子が氷川神社に行って、絵馬を奉納し、お礼参りに生き、お賽銭も多めに置いてきた。そして、1999年も夏が過ぎて、秋が来て、12月を迎えた。1999年12月30日、株式取引最終日、大納会の早朝、30300円の気配値が出てたので善継が令二への成り行き売り指示した。
するとソニー株、30300円で、全株が、直ぐに売れた。そして、令二が、リベートも抜いた、最終残金が59004万円で、善継がリベート込みで最終残金が22381万円と、とんてもない大金を得た。
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