寿町の星

ハリマオ65

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17話:リーマンショック、孫誕生とMM21マンション購入

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 円は、対ドル120円前後で推移していた。豪ドル円も円安だったので2007年7月19日に106円で177万豪ドルを売ると16922万円で世之介の残金2億円との合計残高が36922万円と言い、池田さんの残高15000万円との合計残高が31922万円と教えられた。2007年8月7日の米国FOMCでは、政策金利を据え置いた。

 その声明では、足元の金融市場の変動に言及しつつも、米国経済は今後数四半期にわたり穏やかに拡大を続ける見通しだとし、成長の下方リスクは幾分高まったが、最も懸念するのは引き続きインフレ・リスクだと表明していた。8月9日、仏金融大手パリバは、「米サブプライム問題により、三つのファンドの価格の算出、募集、償還を一時的に停止する」と発表した。

 ここから急な円高やユーロ安、株安が進んでいく。パリバの発表当時、円は対ドルで119円50銭程度であったが、8月17日には、一時111円台を付ける「2006年6月以来の円高水準」こととなる。8月9日、ECBは、パリバの発表を受けて、短期金融市場の流動性低下に対応するため948億ユーロの緊急資金供給オペを実施した。しかし、2001年9月の米国同時多発テロ時の供給額「693億ユーロ」を上回る額であったことから、かえって問題の根深さについて市場の憶測を呼ぶこととなった。

 翌日、米FRBは、「金融市場の秩序ある機能を支援するため流動性を供給する」との緊急声明を出し、資金供給オペを実施。市場は一旦落ち着いた。これで落ち着いたかに見え、2007年を終えて、2008年となった。2008年になるとすぐの1月2日に 原油先物相場が急騰が止まらず、ニューヨークでは一時1バレル、100ドルドルを記録し、初の100ドル台をつけた。

 この後も7月半ばまで断続的に価格が上昇した。1月21日に東京証券取引所の日経平均株価が535円35銭値下げしたのをはじめインド・ムンバイ証券取引所で平均株価が一日当たり過去最大の下げ幅を記録するなどアジア各地の証券市場が軒並み暴落。翌1月22日米FRB、前日から続く世界同時株安に対応するため、フェデラルファンド金利の075%緊急利下げを行うが祝日明けのニューヨーク証券取引所でも暴落。

 翌1月23日、日本を含むアジア各国市場は回復も、ヨーロッパではヨーロッパ中央銀行が利下げに慎重な姿勢を示したため不安定な状況が続いた。2008年2月20日に世之介の所に息子の善一から子供ができたと知らせが入り、出産予定日が8月23日とわかった。2008年3月13日 円高が進み、東京外国為替市場で一時1ドル100円を割りこむ。

 100円を下回ったのは1995年以来12年ぶりだった。7月に入ると奥さんのお腹も大きく、検診で双子の可能性が高いと言われた。そして8月18日に産婦人科病院に入院して、大きく育っているので2008年8月19日に出産し2人男の子が生まれ、長男を節男、次男の孝男と名付けた。その後、夢想の家族3人が車で8月20日に忍野村のファナックの社員寮に到着して、2人の男の赤ちゃんをみて、写真を撮ってきた。

 会社の福利厚生はしっかりしてるから、長期の休暇がもらえ、何とかなると言ったた。しかし大変だったら手伝い泊まり込みできてやるよと、母が言うと、善一が、ありがとうと言った。そして遂にリーマンショックが9月15日 起こった。米国大手投資銀行リーマン・ブラザーズが連邦倒産法第11章の適用を申請し、経営破綻したのだった。

 それに対してFRBは早くに対処しアメリカの最大手保険会社AIGの破綻を回避するためにFRBが同社への最大で約850億ドルの融資を承認。このため10月3日、アメリカ合衆国政府、緊急経済安定化法を可決、成立させた。その効果かも知れないが10月13日ニューヨーク証券取引所のダウ平均株価が前日比936ドル42セント、約11%上昇し、史上最大の上げ幅を記録した。

 これによってリーマンショックの非常事態は終わりを告げた。2008年はリーマンショックの年として、ブラックマンデーと共に世界中の投資家の頭に焼きついたであろう。そして2009年となった。世之介にソニーバンクの娘、陽子から1月13日の夜、豪ドル円が60円を切ったので、買い時が近きと言われた。翌日、池田君から同じ内容の電話が入った。

 その後、注意深く、豪ドル円を見ていた2月2日に、57円で175万豪ドルを買って、世之介の残金が26922万円、池田の残金が21922万円となった。そして2009年2月1日に世之介の住んでいる3DKの橫浜市営団地で建て替え工事を来年度、2009年4月から始めると言う知らせが届き、建て替える2年間、住居を移る様にとの要請が届いた。

 確かにマンションといえども50年近い築年数では、やむを得ない考えて同意書にハンコを押して送った。そんな2009年2月3日に池田君から世之介に電話が入り、一度、会って話がしたいと言った。そこで2月4日に橫浜駅で会い、スカイビルの寿司屋へ行き、個室に入った。池田が、実は、橫浜、みなとみらいで売り物件が出てるそうだと夢想に話した。

 2004年に出来たばかりの高級マンション、MMタワーイーストを買った中国人富裕層がアメリカの株の暴落で大きな損害を受けたようで売りたいと言う話がN証券の関連のN不動産の昔からの友人から入ったというのだ。一番良い部屋は、購入時、1億円の3LDK92平米、マンションの真ん中位の高さの部屋で海側だという。

 その他、4軒が売りに出ていると言う。その他2LDK、83平米が8千万円から9千万円だと教えてくれた。購入条件は即金決済だと言うことだった。そして、2LDKの海側を池田が買いたいと言い、夢想も3億円持っているのだから買わないかと言った。話を聞くと、池田はN証券時代、会社から家賃補助が出るので、ずっと東京で駅から、ちょっと遠い12万円で賃貸マンションで生活していたと話した。

 夢想が、うちは、古い橫浜市営団地3DKで家賃が7万円だと言った。それなら話は早いと言った。そして、詳しい見取り図を見せてくれ、夢想が南側の1億円の3LDK92平米を買い、その直ぐ近くの山側の2LDK、83平米が8千2百万円で良いと言った。いつまで答えなければならないというと、良い物件だから3日以内と言った。資料は2部あるからと言い資料をくれた。そして寿司をご馳走になって、帰った。

 家に帰って、その話をすると、奥さんは1億円もするマンションと驚いていたが、兼松幸子さんは、素晴らしい話じゃないかと資料をしっかりと見ていた。そして、明日、電話して、見学させてもらおうかと言うと、そうね、見るだけは無料だしねと、奥さんが笑いながら言った。翌朝、N不動産に電話すると、見学をお受けしますと言い、明日の午前9時から11時ならご覧いただけますと言ったので、お願いした。

 車で出かけると、場所は、なんとパシフィコ横浜の前、みなとみらい駅までも徒歩数分と最高の立地、しかも、けいゆう病院も目と鼻の先ではないか。これには、奥さんも驚いていた。そして、担当者が夢想さんですか聞くので、そうですと言い3人様の見学ですねと確認した。そして、直ぐに歩き出して、最初に一番高い、海側の3LDKの部屋を見せてくれた。そこからの景色、まるで高級ホテルと言った感じで申し分なかった。

 その後、2DKのマンションも見せてくれたが、このマンション自体の立地が良いので北側でさえなければ全く問題なかった。見学後、N不動産の担当者にお礼を言い近日中に返事するというと吉報をお待ちしていますと言われた。その話を夢想は善一と陽子に連絡すると、みなとみらいのMMタワーズと言って陽子は驚いていた。善一も、すごい所に引っ越すねと言い引っ越したら、是非、お邪魔しますと言った。同居人の兼松幸子さんが素晴らしい事ねと自分の事のように喜んでくれた。
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