寿町の星

ハリマオ65

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2話:夢想が彼女と結婚、出産

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 池田君が夢想に彼女で来たかと聞くと、そんなの無理だと笑いながら言うと、実は夢想と同じで大学を出たけれど会社での人間関係が上手くできなくて、退職し、家庭教師のアルバイトで生活してる女性がいて夢想のことを話したら興味を持ったと言い、今度、紹介しようかというので夢想が是非、お願いしたいと頼んだ。じゃー今年の忘年会を3人でやろうかというと夢想が楽しみにしています伝えた。

 夢想が池田に証券会社の仕事って大変だろうと聞くと、そりゃー大変だよ、だから、たくさんの給料ももらっているんだ。安い給料なら、とっくにやめてるよと、笑いながら話した。あまり司や客に文句を言われると頭にきて仕事をやめたいと思う事もあるが我慢して、はやく大金を掴んで40歳代で早期退職したいと考えてると言った。

 そして実は証券会社の従業員は株投資できないのだが、両親に、お願いして口座を作ってももらい投資資金は現金で渡して証券口座に入れて、その口座を使って投資していると言った。その後、12月24日、上野の居酒屋に岩瀬勝子という以前話した対人恐怖症で正社員になれずに家庭教師で食いつないでいるという女性を紹介してくれた。

 背が高く色白の美人で、うつむき加減で声も小さめだった。そして初対面の挨拶をすると、あなたが私と同じ境遇の人ですかと言い、外見からは、そう見えませんねと言うと彼女が先に言っておきますが、臭いに敏感で特に外人が駄目で臭い人、怒鳴る人、威張る人がきらいですと言った。チームで仕事するのも気を使いすぎるので、できないと言うと、私と同じですねと笑った。

 すると夢想が料理はどうですかと聞くと、つくるのも食べるのも好きです。少し株で儲けたが収入も少ない。そこで売れ残り商品を安く買ってると話した。そのため料理も決まってしまいますと言った。最近は、お米も標準価格米を買えるようになり、おかずも普通の商品を買ってくるようになった。以前は、焼きそば、小麦粉、業務用1kgで100円以下で買った。

 その他、スーパーで苦学生だからと言い、パンの耳も同じ様に無料でもらっていたと話した。しばらくして1974年を迎えた。そして、あろうことか、あの岩瀬勝子が新年の挨拶に来て一緒に初詣でに行き、今後、人生が好転するようにと願ってきた。1974年2月10日の寒い日の朝、N証券の池田から電話が入り化粧品大手の資生堂が下げているから207円で2万株買いを入れろ言われ了解してお願いした。

 昼に電話で買えたと連絡が入り414万円でかけて残金が投資残金が198万円になったと言われた。その後、岩瀬勝子が池田の家を訪ねてくるようになり、一緒に食事したるすると安心できると言い一緒に暮らすようになった。すると不思議に経費が少なった様で、お金の減り方が少なくなって、以前よりも生活が楽になり、悩み事も相談でき勝子は安心でき居心地が良くなった。

 すると不思議なことに2人とも以前よりも性格が明るくなった様で家庭教師の申し込みが増えた。岩瀬勝子は夢想世之介のために炊事洗濯、お掃除をしっかりとして家庭教師のアルバイトに出かけ、以前よりも充実し楽しい生活になったと感じ、たまに喫茶店のモーニングサービスを食べに行ったり、公園を散歩したりして楽しく人生になったのを実感した。そして何と家庭教師のアルバイト代金の方が生活費を超えるようもなり少しだが預金をする事ができるようになった。

 少しずつ温かくなると山下公園へ行ったり野毛山動物園に出かけるようになり、岩瀬勝子の顔に笑顔が浮かぶようになり、性格も明るくなってきた感じを世之介は感じた。この2人を見ていた、近くの自転車修理屋の親父さんが、最初に中古の自転車を1台、タダで譲ってくれた。そして4月に女性用の赤い中古自転車をくれた。店主が若い二人が仲良く歩いているのは気持ちの良いものだと良い服装を見ると金がないのが一目で分かったので寄付してやったのさと笑った。

 こう言う良い行いをすると、必ず、お天道様が見ていて、きっと商売繁盛してくるはずだと言い世之介の肩をたたいた。そして世之介だけを呼んで、でも子供を作るんじゃないぞ、貧乏人の子だくさん程、ひどいものはないからなと言い、何故かというとうちがそうだからと言い、必ず、子供を作らないように注意しろと肩をたたいた。

 暑い夏になり、家の風呂場で早朝に水を張っていて午後に温まった温水風呂に入る様にして水遊びと風呂両方を一度に住ますようになった。この所、家計にの収支で2万円近く黒字になったと世之介が言った。すると面白いもので学生時代の友人が世之介の話を聞いて手土産持参で遊びに来るようになり友人も増え、2人の生活が一層、充実してきた。

 以前から世之介が家庭教師に行っている橫浜で貿易商を営んでる黒木家の当主の黒木利和が世之介と彼女が同棲している話を聞いていた。正式に結婚したらと言い人間何か目標を持つと、そのために頑張れるのさと言い結婚を奨めた。この話を岩瀬勝子にすると、うれしいけど結婚式の費用がと言うと、そうだなと世之介も同意した。

 この話を黒木利和に話すと2人だけの結婚式、たいして費用かからないし俺が出してやるよと言ってくれた。良かったら、うちの応接間で貸衣装を借りて写真を撮ると良いそれ位の金なら費用出してやると言い同席した奥さんも、そうしたら良いと言ってくれた。この話を聞いた岩瀬勝子は感極まって大泣きした。

 是非、結婚式がしたいと懇願し結婚をすることが決まり1974年12月10日、黒木家の家族5人に見守られクリスチャンの黒木利和が牧師の代わりをして結婚指輪も用意して自宅の応接間で結婚式をしてカメラマンもお願いして洋装と和装の2つのタイプの結婚写真を撮ってくれた。費用は全部、黒木さんが出してくれたが、奥さんも久しぶりに良い行いができて私達にも幸せが来るはずよと大喜びした。

 やがて1975年があけた。初詣で今年の目標として自分達の資産合計が100万円を越えたら子供を作ろうと世之介が勝子に言うと目に涙を一杯ため、うれしい、世之介さんが大好きと抱き付いた。よせよ、みんなが見てるじゃないかと、てれた。100万円が貯まったら、そうしましょう、お天道様も、きっと私達の味方をしてくれるはずだと勝子が言った。

 その後も、せっせと奥さんは、炊事、洗濯、世之介は買い物、掃除をして、契約している学生への家庭教師に自転車で出かけていった。やがて春になり、今年は、橫浜の桜の名所へ、2人で弁当持参で自転車で出かけ、桜木町の海側の桜並木や野毛山動物園、掃部山公園、上大岡の大岡川の桜を眺めて来た。橫浜にも数多くお桜の名所があると驚いたくらいだった。

 5月、6月と暑くなり、お盆を過ぎて涼しくなった。その後も2人は暇ができると横浜の海や野毛山動物園を楽しそうに散歩して、秋、冬が過ぎ、やがて1976年を迎えた。新年のおせち料理も今迄よりも品数が増えて豪華にした。そして1976年2月に岩瀬勝子に子供ができたことがわかり赤飯を炊いて祝った。その後、1976年4月17日に資生堂株が上昇してるとN証券の池田から電話が入り指示通り770円で全株売りを指示した。

 昼に売れたと電話が入り純利益1400万で投資残金1600万円になったと報告され、あまりの金額に信じられないと、絶句した。そして奥さんの出産予定日が1976年8月10日とわかった。その後、夢想勝子の出産のために万全を尽くして生活をして、家庭教師は7月中に辞め、その代わりに世之介が家庭教師をする事を生徒に告げた。
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