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17話:早期退職と株の儲けでMM21マンション購入
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そして2001年5月17日、伊東吾郎と徹子が話合いを持って資産が5億円を超したので、早期退職しないかと言うと伊東徹子がもう少し考えさせてと言った。その後、伊東吾郎の勤めるイトーヨーカ堂で2001年中に早期退職者の募集が出て対象者は50歳以上。50歳で現在の退職金の200%、1歳ごとに10%減り55歳で150%という社内情報が流れた。そこで伊東吾郎が、これに乗ると2001年12月のボーナスをもらい、やめたいと言った。
退職金が1200万円で180%で2160万円で、現在の自分の預金残高と合計して2500万円と言うと、伊東徹子がわかりましたと答えた。翌日、久松賢人部長に面会して自分の亭主が、株で7億円以上稼いで、お前も退職して良いと言い、その後、ゆっくりと、したい事をやっていこうと言われたのですか、どう思われますかと単刀直入に聞いた。すると笑いながら素晴らしい米国流のアーリー・リタアメントですね、素晴らしい事だと思いますよと言った。
伊東徹子さんも特殊能力があるために随分苦労したことも十分わかっている。だから私としては喜んでアーリー・リタアメントをして残りの長い人生を楽しんで元気で生きてもらいたいと思いますよと言ってくれた。それを聞いている内に徹子は、昔からの事を思い出して知らず知らずのうちに、大粒の涙を流していた。そして久松賢人部長が、徹子、肩に手を置いて、よく頑張ってね、ご苦労さんでしたと最敬礼した。
そこで思わず長い間、お世話になりましたと言って2001年5月18日局長室を後にした。徹子の資産が5千万円となった。その他、伊東吾郎からもらった1500万円で総合計6500万円となった。その後2人きりになって今後の人生設計を考えた。そして古くなった東京の賃貸マンションを出て、もっと良い所に引っ越しましょうと言うと吾郎が徹子にどこが良いと聞くと個人的には橫浜のみなとみらいに1997年に完成したMMタワーが良いと言った。
現在の不況で、きっと売り物件が出ているはずよと言った。それでは、早速、明日、2001年7月7日に行く事にした。そして、みなとみらい周辺の大手不動産屋に購入希望を出して電話をくれるように指示した。その後、7月末迄に8件、6800万円から2億円までの物件が出ていた。その中でM不動産の池田誠さんが、もう少し待った方が、きっと安くて良い物件が出るから、2002年まで待った方が良いと言われた。
そこで伊東吾郎が手数料100万円やるから、我々に良い物件を斡旋してくれと頼んだ。すると、驚いた様に、わかりましたと言い、現在売りに出てる物件の、良い点、悪い点を書き込んだレポートを、メールで送ってくれるようになった。
そして夏が過ぎ駆け足で秋、冬となりアメリカのカリフォルニア大学サンディエゴ校・UCSDのビジネスコースの留学を終えてシリコンバレーの5つの企業に就職試験応募を出したと伊藤一恵も伊東肇からメールが入った。その後、11月6日に、伊東肇が就職希望の2番目の企業に、合格したと連絡が入った。その後、11月8日に、伊藤一恵から、就職希望の3番目の企業に、合格したと連絡が入った。
これでアメリカでの生活が始まると喜んでる姿がメールからも感じ取れるような文面だった。
そして2002年を迎えて日本ネットバブルが完全に崩壊し2002年3月6日に橫浜みなとみらいMタワーの良い売り物件が出て8900万円で85平米で2LDK、南向きで海が見える地上18階の物件が出たと連絡が入り購入の手続きを取った。手数料込みで9千万円を支払った。
その後、引っ越した。余り家具を多くせずにベッドと、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、ソファーで過ごすようにして新しく買い込んだのは電動自転車2台だった。そして天気の良い日には、港の見える丘公園、橫浜駅、遠い所は三渓園まで足を伸ばすようになった。また中華街や関内の素敵な洋食屋にも頻繁に出かけるようになった。伊東徹子が退職して1年が過ぎた2002年5月8日、何か仕事がしたいと言い出した。
そして本当に好きな占いの仕事を中華街の若い人達が来る様な素敵な事務所を借りて、やりたいと言うた。そこで伊東吾郎も事務所探しを手伝った。すると元町中華街駅から徒歩3分で11階建てのビルの2階の小さな店が閉店するのと聞きつけてテナント料金を聞くと、広さ8坪、26.5平米で賃料が着き8.5万円だった。そこで借りる契約を取った。その後、女性の学生アルバイトを1人募集して電話と入れて開始した。
インターネットで広告を打ち雇ったアルバイトの娘と旦那さんの3人で元町中華街駅や繁華街でビラを配って回った。そして、健康占い、手相、人相、恋占いなど、軽めのメニューで初めた。最初は、1日5~10人で、1人最大10分で千円とした。すると3ヶ月を過ぎると土日は30人を超える日も出て来て、口コミ、紹介で若い女の子を中心に増えてきた。その後、自分のむいてる商売は何かとか進路は、とか予期しない相談も増えた。
しかし上手く話を聞き出して対処した。やはり土日祭日中心に混み合うので朝9時から夜7時前の営業にして月、火を定休日にした。半年が過ぎる頃には、多い日で50人を超えたので、夜7時で終了とした。その後、ある若い女性から、メールでの相談は、出来ないのですかと言われ、やはり、本人と向かい合っての方が良いと言い、やっていませんと断った。2002年12月は、遂に平均40人を超えて利益も出るようになった。やがて2003年となった。
退職金が1200万円で180%で2160万円で、現在の自分の預金残高と合計して2500万円と言うと、伊東徹子がわかりましたと答えた。翌日、久松賢人部長に面会して自分の亭主が、株で7億円以上稼いで、お前も退職して良いと言い、その後、ゆっくりと、したい事をやっていこうと言われたのですか、どう思われますかと単刀直入に聞いた。すると笑いながら素晴らしい米国流のアーリー・リタアメントですね、素晴らしい事だと思いますよと言った。
伊東徹子さんも特殊能力があるために随分苦労したことも十分わかっている。だから私としては喜んでアーリー・リタアメントをして残りの長い人生を楽しんで元気で生きてもらいたいと思いますよと言ってくれた。それを聞いている内に徹子は、昔からの事を思い出して知らず知らずのうちに、大粒の涙を流していた。そして久松賢人部長が、徹子、肩に手を置いて、よく頑張ってね、ご苦労さんでしたと最敬礼した。
そこで思わず長い間、お世話になりましたと言って2001年5月18日局長室を後にした。徹子の資産が5千万円となった。その他、伊東吾郎からもらった1500万円で総合計6500万円となった。その後2人きりになって今後の人生設計を考えた。そして古くなった東京の賃貸マンションを出て、もっと良い所に引っ越しましょうと言うと吾郎が徹子にどこが良いと聞くと個人的には橫浜のみなとみらいに1997年に完成したMMタワーが良いと言った。
現在の不況で、きっと売り物件が出ているはずよと言った。それでは、早速、明日、2001年7月7日に行く事にした。そして、みなとみらい周辺の大手不動産屋に購入希望を出して電話をくれるように指示した。その後、7月末迄に8件、6800万円から2億円までの物件が出ていた。その中でM不動産の池田誠さんが、もう少し待った方が、きっと安くて良い物件が出るから、2002年まで待った方が良いと言われた。
そこで伊東吾郎が手数料100万円やるから、我々に良い物件を斡旋してくれと頼んだ。すると、驚いた様に、わかりましたと言い、現在売りに出てる物件の、良い点、悪い点を書き込んだレポートを、メールで送ってくれるようになった。
そして夏が過ぎ駆け足で秋、冬となりアメリカのカリフォルニア大学サンディエゴ校・UCSDのビジネスコースの留学を終えてシリコンバレーの5つの企業に就職試験応募を出したと伊藤一恵も伊東肇からメールが入った。その後、11月6日に、伊東肇が就職希望の2番目の企業に、合格したと連絡が入った。その後、11月8日に、伊藤一恵から、就職希望の3番目の企業に、合格したと連絡が入った。
これでアメリカでの生活が始まると喜んでる姿がメールからも感じ取れるような文面だった。
そして2002年を迎えて日本ネットバブルが完全に崩壊し2002年3月6日に橫浜みなとみらいMタワーの良い売り物件が出て8900万円で85平米で2LDK、南向きで海が見える地上18階の物件が出たと連絡が入り購入の手続きを取った。手数料込みで9千万円を支払った。
その後、引っ越した。余り家具を多くせずにベッドと、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、ソファーで過ごすようにして新しく買い込んだのは電動自転車2台だった。そして天気の良い日には、港の見える丘公園、橫浜駅、遠い所は三渓園まで足を伸ばすようになった。また中華街や関内の素敵な洋食屋にも頻繁に出かけるようになった。伊東徹子が退職して1年が過ぎた2002年5月8日、何か仕事がしたいと言い出した。
そして本当に好きな占いの仕事を中華街の若い人達が来る様な素敵な事務所を借りて、やりたいと言うた。そこで伊東吾郎も事務所探しを手伝った。すると元町中華街駅から徒歩3分で11階建てのビルの2階の小さな店が閉店するのと聞きつけてテナント料金を聞くと、広さ8坪、26.5平米で賃料が着き8.5万円だった。そこで借りる契約を取った。その後、女性の学生アルバイトを1人募集して電話と入れて開始した。
インターネットで広告を打ち雇ったアルバイトの娘と旦那さんの3人で元町中華街駅や繁華街でビラを配って回った。そして、健康占い、手相、人相、恋占いなど、軽めのメニューで初めた。最初は、1日5~10人で、1人最大10分で千円とした。すると3ヶ月を過ぎると土日は30人を超える日も出て来て、口コミ、紹介で若い女の子を中心に増えてきた。その後、自分のむいてる商売は何かとか進路は、とか予期しない相談も増えた。
しかし上手く話を聞き出して対処した。やはり土日祭日中心に混み合うので朝9時から夜7時前の営業にして月、火を定休日にした。半年が過ぎる頃には、多い日で50人を超えたので、夜7時で終了とした。その後、ある若い女性から、メールでの相談は、出来ないのですかと言われ、やはり、本人と向かい合っての方が良いと言い、やっていませんと断った。2002年12月は、遂に平均40人を超えて利益も出るようになった。やがて2003年となった。
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