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14話:小泉首相の辣腕と新潟中越地震
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その結果、税引き後利益が、3540万円となった。そして、村沢恵理の残高が、9100万円とりなり柴橋聡の資産も3540万円となった。小泉純一郎首相は、2004年5月に北朝鮮を再訪問し、朝鮮労働党の金正日総書記と会談。拉致被害者の蓮池薫さん、祐木子さん夫妻の子供2人と、地村保志さん、富貴恵さん夫妻の子供3人と一緒に帰国した。曽我ひとみさんと家族3人は7月、インドネシアのジャカルタで再会した。
米兵だった夫ジェンキンスさんは脱走罪などに問われ、軍法会議で有罪判決を受け収監された。この素晴らしいニュースが、日本中に流された。2004年7月、三菱東京フィナンシャル・グループとUFJホールディングスが、経営統合することで基本合意した。2005年10月の統合を目指しており実現すれば世界最大の金融グループの誕生となる。
一方、5月にUFJから信託部門を買収することで合意していた住友信託銀行が、UFJ・三菱東京の信託部門の統合交渉差し止めを求める訴訟を起こすなど統合実現には、まだ障害が、あるかもしれない。2004年10月23日17時56分頃、新潟県中越地方を中心に川口町では、最大震度7を記録する強い地震「新潟県中越地震」があり、特に震源に近い山古志村は震度6強を記録し、さらに断続的な余震に襲われた。
人口約2100人の村は、死者5人、負傷者25人、全壊622棟の被害を受け村内では、地滑り329か所が発生し、道路は寸断され村は孤立。震災から2日後の10月25日、山古志村は、避難勧告を避難指示に切り替えた。そして全村民は、ヘリコプターで長岡市内の8か所の避難所に運ばれた。当初は、ヘリから降りた順に避難所に入ったが、10日後に村内にある14の集落ごとに組み直し日頃の人間関係のつながりを崩さず集落単位にした事で村民に安心感が出た。
村民の多くが「震災で壊滅した山古志村に戻れるのか?」と思っていた頃、当時の長島忠美村長が「帰ろう山古志へ」というキャッチフレーズを全村民に打ち出した。その後、避難所から移った仮設住宅でも集落単位で、入居し、そこに村役場や農協の店舗、郵便局も移ってきて、村民たちの帰村への思いが募ったと言います。震災から半年後の2005年4月、山古志村は長岡市に編入合併さた。
これは以前から決まっていた平成の大合併ですが、旧村民の「帰ろう山古志へ」という願いは変わらなかった。長岡市郊外の仮設住宅で暮らす主婦たちは、近隣の農地を借りて「畑の学校」という営農グループを立ち上げ、地場野菜を生産して販売したり、郷土料理をつくった。「いきがい健康農園」という市民農園をつくり、営農も始めた人たちもいました。仮設住宅でも村で暮らしていたときのように生活することで、帰村に向けて営農意欲を維持することができた。
仮説住宅には生活相談員がつき市街地の生活に慣れない住民を支援し精神的物質的なケアが行われた。住民と交流を重ねた生活相談員の中には、後に山古志応援団として関わりを持つ人も少なくなかった。震災から3年2か月後の2007年12月、旧山古志村で「帰村式」が行われた。地震発生時の以前の全村民数の7割にとどまりますが、全集落の約1400人が帰村した。あまり報道されてませんが、この復興は、素晴らしいものでした。
こうして2004年も紅葉のシーズンを迎え、村沢のパジェロに、村沢家の3人と柴橋家の4人が、乗り込んで、老神温泉に1泊して、園原湖の周辺の紅葉の名所を回り、多くの写真を撮って来た。こうして12月を迎えて、2005年を迎えた。 2005年も、村沢家の3人は、家族の健康、繁栄を祈願してきた。愛知万博が、3月25日から半年間、愛知県内の2会場で開催された。日本での「総合博」は1970年の大阪万博以来である。
日本を含む121カ国、4国際機関が参加した。テーマは「自然の叡智『えいち』」で、最新の環境技術が紹介された。シベリアの冷凍マンモスや企業パビリオンも人気で入場者は2205万人近くに達した。開幕に先立って2月17日、愛知県常滑市沖に開港した中部国際空港の旅客数も順調に延びた。4月25日朝、JR福知山線塚口~尼崎間で、通勤・通学客らを乗せた上り快速電車が脱線した。運転士を含む107人が死亡、555人が負傷し、JR史上最悪の惨事となった。
カーブでの大幅な制限速度オーバーが直接の事故原因。列車自動停止装置「ATS」の不備、余裕のないダイヤ編成、懲罰的な運転士教育なども指摘された。JR西日本は、危機意識に欠ける社員の不祥事も立て続けに発覚。6月19日、福知山線は55日ぶりに運転を再開したが「安全最優先」の企業体質改善が求められた。
一方、海外では、英国やエジプトなど世界各地で同時爆弾テロが相次ぎ、多数の犠牲者が出た。いずれも手口から、テロ組織アルカイダや同組織と関係のあるイスラム過激派の犯行とみられる。ロンドンでは7月7日、地下鉄と2階建てバスを標的とした4件の爆弾テロで56人が死亡。
米兵だった夫ジェンキンスさんは脱走罪などに問われ、軍法会議で有罪判決を受け収監された。この素晴らしいニュースが、日本中に流された。2004年7月、三菱東京フィナンシャル・グループとUFJホールディングスが、経営統合することで基本合意した。2005年10月の統合を目指しており実現すれば世界最大の金融グループの誕生となる。
一方、5月にUFJから信託部門を買収することで合意していた住友信託銀行が、UFJ・三菱東京の信託部門の統合交渉差し止めを求める訴訟を起こすなど統合実現には、まだ障害が、あるかもしれない。2004年10月23日17時56分頃、新潟県中越地方を中心に川口町では、最大震度7を記録する強い地震「新潟県中越地震」があり、特に震源に近い山古志村は震度6強を記録し、さらに断続的な余震に襲われた。
人口約2100人の村は、死者5人、負傷者25人、全壊622棟の被害を受け村内では、地滑り329か所が発生し、道路は寸断され村は孤立。震災から2日後の10月25日、山古志村は、避難勧告を避難指示に切り替えた。そして全村民は、ヘリコプターで長岡市内の8か所の避難所に運ばれた。当初は、ヘリから降りた順に避難所に入ったが、10日後に村内にある14の集落ごとに組み直し日頃の人間関係のつながりを崩さず集落単位にした事で村民に安心感が出た。
村民の多くが「震災で壊滅した山古志村に戻れるのか?」と思っていた頃、当時の長島忠美村長が「帰ろう山古志へ」というキャッチフレーズを全村民に打ち出した。その後、避難所から移った仮設住宅でも集落単位で、入居し、そこに村役場や農協の店舗、郵便局も移ってきて、村民たちの帰村への思いが募ったと言います。震災から半年後の2005年4月、山古志村は長岡市に編入合併さた。
これは以前から決まっていた平成の大合併ですが、旧村民の「帰ろう山古志へ」という願いは変わらなかった。長岡市郊外の仮設住宅で暮らす主婦たちは、近隣の農地を借りて「畑の学校」という営農グループを立ち上げ、地場野菜を生産して販売したり、郷土料理をつくった。「いきがい健康農園」という市民農園をつくり、営農も始めた人たちもいました。仮設住宅でも村で暮らしていたときのように生活することで、帰村に向けて営農意欲を維持することができた。
仮説住宅には生活相談員がつき市街地の生活に慣れない住民を支援し精神的物質的なケアが行われた。住民と交流を重ねた生活相談員の中には、後に山古志応援団として関わりを持つ人も少なくなかった。震災から3年2か月後の2007年12月、旧山古志村で「帰村式」が行われた。地震発生時の以前の全村民数の7割にとどまりますが、全集落の約1400人が帰村した。あまり報道されてませんが、この復興は、素晴らしいものでした。
こうして2004年も紅葉のシーズンを迎え、村沢のパジェロに、村沢家の3人と柴橋家の4人が、乗り込んで、老神温泉に1泊して、園原湖の周辺の紅葉の名所を回り、多くの写真を撮って来た。こうして12月を迎えて、2005年を迎えた。 2005年も、村沢家の3人は、家族の健康、繁栄を祈願してきた。愛知万博が、3月25日から半年間、愛知県内の2会場で開催された。日本での「総合博」は1970年の大阪万博以来である。
日本を含む121カ国、4国際機関が参加した。テーマは「自然の叡智『えいち』」で、最新の環境技術が紹介された。シベリアの冷凍マンモスや企業パビリオンも人気で入場者は2205万人近くに達した。開幕に先立って2月17日、愛知県常滑市沖に開港した中部国際空港の旅客数も順調に延びた。4月25日朝、JR福知山線塚口~尼崎間で、通勤・通学客らを乗せた上り快速電車が脱線した。運転士を含む107人が死亡、555人が負傷し、JR史上最悪の惨事となった。
カーブでの大幅な制限速度オーバーが直接の事故原因。列車自動停止装置「ATS」の不備、余裕のないダイヤ編成、懲罰的な運転士教育なども指摘された。JR西日本は、危機意識に欠ける社員の不祥事も立て続けに発覚。6月19日、福知山線は55日ぶりに運転を再開したが「安全最優先」の企業体質改善が求められた。
一方、海外では、英国やエジプトなど世界各地で同時爆弾テロが相次ぎ、多数の犠牲者が出た。いずれも手口から、テロ組織アルカイダや同組織と関係のあるイスラム過激派の犯行とみられる。ロンドンでは7月7日、地下鉄と2階建てバスを標的とした4件の爆弾テロで56人が死亡。
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