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40話:株投資再開と茂田先輩の急死
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そして茂田と茂田グループ、甘太で5千株ずつ、合計1万5千株を14220万円で買った。2011年8月に15000円を超え、2012年12月に20000円を超えた。2013年に入ると上昇に加速度がつき3月には3億円を越えた。
2013年5月23日、早朝、茂田さんからの電話で、気配値が42000円で出ているので成行売りだそう言われ、指示通り成行売りで、全株42000円で売れ、税引き後利益52270万円となった。
この利益が出て、茂田の貸した金が全額戻って来た。そして茂田と甘太と茂田グループの連名で1億円を東日本大震災に寄付した。もちろん甘太も茂田に借りていた金を返すと言ったが、とっとけと茂田先輩が言った。
そして2013年の夏も暑く熱中症に気をつけて茂田さん達も甘太夫妻もエアコンの下で生活をして、涼しい秋を待っていた。そして、9月になってが30度を超える日が多く10月になっても30度を超える日があった。まさに異常気象だった。
11月になり、朝晩涼しくなり、11月26日、箱根の有名温泉ホテルに茂田グループの38人が集まって、盛大に、一足早い忘年会を催した。昼に続々とメンバーが来て、13時には全員そろって、ホテルにチェックインした。
そして露天風呂や、その他多くの風呂に入って、ゆっくりした。17時からホテルの大広間を借り切って、忘年会を開いた。やがて17時になり、茂田さんが、今回、ユニクロ株を売買して成功して東日本大震災の時の家の建て替え借家の借り換えの金もでき本当に良かったと言った。
そして、全員で乾杯した。その後、茂田さんが、私も今年65才となり、いつ死んでもおかしくない年になったので、会長を青山寛太にゆずろうと思うと言った。この発言は、誰も聞いていなかったので、どよめきが起きた。
そして茂田先輩が、甘太に、後は頼むとあっさりいうので、驚いた顔で、甘太がマイクを持った。そして、私には、荷は重くて、できるかどうかわからないので、茂田先輩に聞きながら、やっていきたいと思いますと言うしかなかった。
するとフロアーから宜しくおねがしますと声がかかった。そして甘太がマイクで、これからも宜しくお願いしますと言って、茂田先輩が、乾杯の音頭をとれというので、乾杯と大きな声で言った。
終わると、大きな拍手が巻き起こった。そして、無礼講の飲み会となって、茂田と甘太の所に、ビルを次に来るグループのメンバーが、入れ替わり立ち替わりやってきて、スペイン、ポルトガルの旅行の話や今年のユニクロ株の売買の話で盛り上がった。そして甘太もすっかりで上がってしまった。
そして21時に忘年会がお開きとなって、各自、ホテルのカラオケに行ったり、2次会を開いたりして遅くまで楽しんだが、甘太は、奥さんと部屋に帰り、直ぐ寝てしまった。そして、翌日、茂田グループの仲間38人が、茂田と甘太に、あいさつして、帰って行った。
2013年12月になり茂田と彼女と甘太夫妻の4人で、平日の昼間に聘珍樓の小さな個室を借りて4人だけの忘年会を開いた。そこで紹興酒を飲みながら茂田が俺は、小さい時から頑張りすぎたので体の至る所に無理がかかってるらしいと笑いながら言った。
そこで、もしもの時があったら、俺の10億円以上の資産を甘太、お前に託すと言った。そして茂田先輩の彼女で甘太と同じ年の澄子さんと一緒に社会奉仕と東日本大震災のような大災害の時の募金などに使って欲しい。
また、彼女が会社をつくっていたので、それを利用して、旨く運用していくのを指導してやってくれと言われた。それについては甘太も同意した。そして、甘太の奥さんの恵さんにも宜しく頼むと言った。
それに対して、恵さんが、でも何か縁起でもない事を言うのですねと笑いながら言った。しかし、何か、あってから言うわけには行かないでしょうと、返答した。まーそうですがと言い、茂田先輩に紹興酒をついだ。
そして22時に、聘珍樓を出てタクシーでMMタワーに帰った。やがて2014年があけた。そして甘太の奥さんの恵さんが、伊勢山皇大神宮に初詣でに行きましょうと、甘太を誘って、元旦に出かけた。
2013年5月23日、早朝、茂田さんからの電話で、気配値が42000円で出ているので成行売りだそう言われ、指示通り成行売りで、全株42000円で売れ、税引き後利益52270万円となった。
この利益が出て、茂田の貸した金が全額戻って来た。そして茂田と甘太と茂田グループの連名で1億円を東日本大震災に寄付した。もちろん甘太も茂田に借りていた金を返すと言ったが、とっとけと茂田先輩が言った。
そして2013年の夏も暑く熱中症に気をつけて茂田さん達も甘太夫妻もエアコンの下で生活をして、涼しい秋を待っていた。そして、9月になってが30度を超える日が多く10月になっても30度を超える日があった。まさに異常気象だった。
11月になり、朝晩涼しくなり、11月26日、箱根の有名温泉ホテルに茂田グループの38人が集まって、盛大に、一足早い忘年会を催した。昼に続々とメンバーが来て、13時には全員そろって、ホテルにチェックインした。
そして露天風呂や、その他多くの風呂に入って、ゆっくりした。17時からホテルの大広間を借り切って、忘年会を開いた。やがて17時になり、茂田さんが、今回、ユニクロ株を売買して成功して東日本大震災の時の家の建て替え借家の借り換えの金もでき本当に良かったと言った。
そして、全員で乾杯した。その後、茂田さんが、私も今年65才となり、いつ死んでもおかしくない年になったので、会長を青山寛太にゆずろうと思うと言った。この発言は、誰も聞いていなかったので、どよめきが起きた。
そして茂田先輩が、甘太に、後は頼むとあっさりいうので、驚いた顔で、甘太がマイクを持った。そして、私には、荷は重くて、できるかどうかわからないので、茂田先輩に聞きながら、やっていきたいと思いますと言うしかなかった。
するとフロアーから宜しくおねがしますと声がかかった。そして甘太がマイクで、これからも宜しくお願いしますと言って、茂田先輩が、乾杯の音頭をとれというので、乾杯と大きな声で言った。
終わると、大きな拍手が巻き起こった。そして、無礼講の飲み会となって、茂田と甘太の所に、ビルを次に来るグループのメンバーが、入れ替わり立ち替わりやってきて、スペイン、ポルトガルの旅行の話や今年のユニクロ株の売買の話で盛り上がった。そして甘太もすっかりで上がってしまった。
そして21時に忘年会がお開きとなって、各自、ホテルのカラオケに行ったり、2次会を開いたりして遅くまで楽しんだが、甘太は、奥さんと部屋に帰り、直ぐ寝てしまった。そして、翌日、茂田グループの仲間38人が、茂田と甘太に、あいさつして、帰って行った。
2013年12月になり茂田と彼女と甘太夫妻の4人で、平日の昼間に聘珍樓の小さな個室を借りて4人だけの忘年会を開いた。そこで紹興酒を飲みながら茂田が俺は、小さい時から頑張りすぎたので体の至る所に無理がかかってるらしいと笑いながら言った。
そこで、もしもの時があったら、俺の10億円以上の資産を甘太、お前に託すと言った。そして茂田先輩の彼女で甘太と同じ年の澄子さんと一緒に社会奉仕と東日本大震災のような大災害の時の募金などに使って欲しい。
また、彼女が会社をつくっていたので、それを利用して、旨く運用していくのを指導してやってくれと言われた。それについては甘太も同意した。そして、甘太の奥さんの恵さんにも宜しく頼むと言った。
それに対して、恵さんが、でも何か縁起でもない事を言うのですねと笑いながら言った。しかし、何か、あってから言うわけには行かないでしょうと、返答した。まーそうですがと言い、茂田先輩に紹興酒をついだ。
そして22時に、聘珍樓を出てタクシーでMMタワーに帰った。やがて2014年があけた。そして甘太の奥さんの恵さんが、伊勢山皇大神宮に初詣でに行きましょうと、甘太を誘って、元旦に出かけた。
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