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8話:野麦峠でスキー
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2011年、太一は家族5人で2月11日から、2泊でスキー旅行に出かけた。2月11日の早朝4時に橫浜を出て、保土ヶ谷バイパスをひた走り、橋本から高尾山インターチェンジから入り、中央高速で松本へ、松本には6時半に到着して、松本インターチェンジ近くのファミリーレストランで朝食をとった。7時過ぎに松本を出て、松本電鉄に沿って、上高地方面に向かった。
梓湖の手前を左折して奈川方面に向かい川沿いを走り、9時に、予約しておいた温泉旅館に到着した。そこで一休みして、準備体操をした後、10時からゲレンデに出て、子供達はそりのゲレンデで、そり遊びを楽しみ、百合はスキーをやりたいと言うので、太一がスキー場のレンタルスキーを大人用と子供用を借りて、百合に、合うサイズのスキー板と靴を借りて、履かせた。
その後、スキーを履いた後、屈伸運動をしてスキーリフトに乗って、初心者用ゲレンデに行き、スキーをハの字して、体重移動で曲がる「プルーク・ボーゲン」を教えた。すると運動神経の良い百合は、体重移動で曲がることを学び、スキー板の先に体重をかけると泊まる事を数回の練習でマスターした。その後は、自由に初心者用ゲレンデを楽しそうに滑り出した。
転んでも直ぐ立ち上がり、うれしそうに何回もリフトに乗って満足そうにスキーを楽しんでいた。お昼になり、スキー場の入り口のそれゲレンデにいた、太郎と謙二と由美子さんを見つけ、一緒にレストランヘ入った。そして温かそうな、麺類を頼んで、昼食をとった。すると、百合子さんはデジタルカメラで、何枚も写真を撮ったようで、遠くから、望遠で、百合の滑る姿も写真に収めていた。
昼食後、太一が、午後16時にレストラン前に集合して、スキーを終えて、直ぐ近くの温泉旅館に帰ると、みんなに伝えた。そして少し休んで13時前から、再び、男の達は、そりゲレンデへ歩いて行き、太一と百合は、初心者用ゲレンデにリフトに乗って行った。そして、初心者用ゲレンデに慣れて来たので、その上にある中級者用ゲレンデに行きたいと、百合が言うので移動した。
中級者ゲレンデに行って、太一が、百合に滑り方を教え、少し先に行って、その後、百合が、父の見てる前を滑った。2回すべると上手に滑るので、一番下まで行って、待つことにした。すると、真剣なまなざしで、百合が、滑っていた。その後、プルーク・ボーゲンはできたから、その上のレベルを教えてと、百合が言うので、次の段階の滑り方を教える事にした。
太一がプルークボーゲンで曲がった後、山側のスキー板を谷側のスキー板に合わせる方法を教えた。そして、斜めに滑って、プルークボーゲンで曲がると、直ぐに山側のスキー板を谷側のスキー板につける方法を練習を始めた。決して急がず慌てず、着実にやるようにと、太一が指示すると、完全にプルークボーゲンで曲がり終わった後に、慎重に山側のスキー板につけられるようになった。
これで、スキー板をつけるのを早くして、体重移動ができると、パラレル・クリスチャニアが完成できて、格好良く滑れると言うと、百合は、大喜びし、練習を続けた。やがて、16時近くなり、これが今日の最後の練習だと父が言い、わかったと百合が言い、終了後、レストランの前に16時ちょっと前につき、奥さんの由美子さんと太郎、謙二と、そりとスキーを返却した。
その後、温泉旅館に帰って着替えて温泉に入った。スキーをした後の温泉は、最高と太一は喜んだ。その後、18時過ぎに食堂へ行き、夕食のビーフシチューが最高に旨かった。子供達は、しっかり食べていた。太一は、野沢菜を肴に、ビールを飲んで、真っ赤な顔して、ゆっくりと夕食を食べていた。その後、部屋に戻り、2本目のビールを空けて、由美子さんと飲み真っ赤になった。
子供達も疲れたようで、眠たそうな目をして20時過ぎに、布団に入り、21時には消灯して、全員寝てしまった。翌朝、6時に起きたが、さすがに、高原のスキー場の気温は低く、7時過ぎまで寝床に入っていた。その後、8時に朝食を食べに、食堂に行くと、生卵と野沢菜、卵焼き、ハム、バター、イチゴ、オレンジジャムが用意され、トーストか、御飯のどちらかを選べるようになっていた。
珈琲も紅茶もセルフサービスで飲めるようになっていた。そこで、ゆっくりとして9時に部屋に戻って、今日は10時にゲレンデに行くと、太一が言った。すると、いつも、ぐずぐずしている子供達も、ちゃんと着替えて、スキーの服に着替えて、定刻に、部屋を出て、10時前にスキーを借りて、出かける用意をした。そして、昨日同様に、男の子は、そり、百合は、父と中級ゲレンデにあがった。
そして、父が、今日は、中級ゲレンデから一番下まで、長い距離を滑ろうと言うと、百合が、その方が楽しいわねと笑った。そして、午前中、何回も長い距離を滑って、楽しんだ。11時半に、レストランの前に、集合して、昼食をとっているときに、百合が、今日、中級ゲレンデの上の中上級ゲレンデに行きたいと父に言うと、じゃー行こうと行ったので、うれしいと叫んだ。
今日は15時半に終了して、着替えて、すぐ帰ると、みんなに伝えて、怪我しないように十分注意して、楽しんでくれと伝えた。そして百合と共にリフト2つ乗り変えて、中上級者コースに行くと、標高が高いので、素晴らしい景色が見えた。思わず、百合が、素敵な景色ねと喜んだ。太一が、少し下で待ってるから、無理しないで、自分のペースで、降りてこいと指示し、滑っていった。
そして、父が、上を見上げて、百合に、慎重に降りてこいと言うと、最初はプルーク・ボーゲンで慎重に降りてきた。その後、少しして、リズムをつかみ、足をそろえる、リズムが上手になった。そうだ、その調子と誉めると、ますます、リズミカルに上手になっていった。そして、降りるまで早くなったので、何回も滑れて、父の方が、ちょっと一休みしようよと言うほどになった。
4回目には、一番下まで、降りようと言うと、百合が喜んだ。その後、3つのゲレンデ、約1kmを休まずに滑れるようになった。そして15時になり、これが最後ねと言うと、百合が了解と言い、勢いよく滑り出した。その後、太一がおって、斜度が、小さくなったので、直滑降で、スピードを上げて、滑り出すと、百合も真似して、着いてきたが、途中で、派手に転んだ。
しかし、直ぐに起き上がって、直滑降で一気に、母の百合子さんの目の前までやって着るのを見て、上手になったわねと、由美子さんが拍手した。そして、弟たちも、お姉ちゃん、スゲーと驚いていた。その後、スキーを返して、温泉旅館へ行き、精算を済ませた。そして、16時前に宿を出て、17時過ぎに松本インターチェンジから中央高速に乗った。
そして山梨の大きなパーキングエリアまで1時間で着いて、トイレ休憩をした。その後、富士五湖からの合流点で少し渋滞したが、20時前に、みなとみらいのマンションに到着し、風呂に入り直した。その後、太一はビールを飲んで、子供達もベッドに入り、早めに寝た。太一と由美子は、子供達の成長を喜んで、スキー場での様子を、話し合っていた。
ビールを飲み終え22時には、床についた。
梓湖の手前を左折して奈川方面に向かい川沿いを走り、9時に、予約しておいた温泉旅館に到着した。そこで一休みして、準備体操をした後、10時からゲレンデに出て、子供達はそりのゲレンデで、そり遊びを楽しみ、百合はスキーをやりたいと言うので、太一がスキー場のレンタルスキーを大人用と子供用を借りて、百合に、合うサイズのスキー板と靴を借りて、履かせた。
その後、スキーを履いた後、屈伸運動をしてスキーリフトに乗って、初心者用ゲレンデに行き、スキーをハの字して、体重移動で曲がる「プルーク・ボーゲン」を教えた。すると運動神経の良い百合は、体重移動で曲がることを学び、スキー板の先に体重をかけると泊まる事を数回の練習でマスターした。その後は、自由に初心者用ゲレンデを楽しそうに滑り出した。
転んでも直ぐ立ち上がり、うれしそうに何回もリフトに乗って満足そうにスキーを楽しんでいた。お昼になり、スキー場の入り口のそれゲレンデにいた、太郎と謙二と由美子さんを見つけ、一緒にレストランヘ入った。そして温かそうな、麺類を頼んで、昼食をとった。すると、百合子さんはデジタルカメラで、何枚も写真を撮ったようで、遠くから、望遠で、百合の滑る姿も写真に収めていた。
昼食後、太一が、午後16時にレストラン前に集合して、スキーを終えて、直ぐ近くの温泉旅館に帰ると、みんなに伝えた。そして少し休んで13時前から、再び、男の達は、そりゲレンデへ歩いて行き、太一と百合は、初心者用ゲレンデにリフトに乗って行った。そして、初心者用ゲレンデに慣れて来たので、その上にある中級者用ゲレンデに行きたいと、百合が言うので移動した。
中級者ゲレンデに行って、太一が、百合に滑り方を教え、少し先に行って、その後、百合が、父の見てる前を滑った。2回すべると上手に滑るので、一番下まで行って、待つことにした。すると、真剣なまなざしで、百合が、滑っていた。その後、プルーク・ボーゲンはできたから、その上のレベルを教えてと、百合が言うので、次の段階の滑り方を教える事にした。
太一がプルークボーゲンで曲がった後、山側のスキー板を谷側のスキー板に合わせる方法を教えた。そして、斜めに滑って、プルークボーゲンで曲がると、直ぐに山側のスキー板を谷側のスキー板につける方法を練習を始めた。決して急がず慌てず、着実にやるようにと、太一が指示すると、完全にプルークボーゲンで曲がり終わった後に、慎重に山側のスキー板につけられるようになった。
これで、スキー板をつけるのを早くして、体重移動ができると、パラレル・クリスチャニアが完成できて、格好良く滑れると言うと、百合は、大喜びし、練習を続けた。やがて、16時近くなり、これが今日の最後の練習だと父が言い、わかったと百合が言い、終了後、レストランの前に16時ちょっと前につき、奥さんの由美子さんと太郎、謙二と、そりとスキーを返却した。
その後、温泉旅館に帰って着替えて温泉に入った。スキーをした後の温泉は、最高と太一は喜んだ。その後、18時過ぎに食堂へ行き、夕食のビーフシチューが最高に旨かった。子供達は、しっかり食べていた。太一は、野沢菜を肴に、ビールを飲んで、真っ赤な顔して、ゆっくりと夕食を食べていた。その後、部屋に戻り、2本目のビールを空けて、由美子さんと飲み真っ赤になった。
子供達も疲れたようで、眠たそうな目をして20時過ぎに、布団に入り、21時には消灯して、全員寝てしまった。翌朝、6時に起きたが、さすがに、高原のスキー場の気温は低く、7時過ぎまで寝床に入っていた。その後、8時に朝食を食べに、食堂に行くと、生卵と野沢菜、卵焼き、ハム、バター、イチゴ、オレンジジャムが用意され、トーストか、御飯のどちらかを選べるようになっていた。
珈琲も紅茶もセルフサービスで飲めるようになっていた。そこで、ゆっくりとして9時に部屋に戻って、今日は10時にゲレンデに行くと、太一が言った。すると、いつも、ぐずぐずしている子供達も、ちゃんと着替えて、スキーの服に着替えて、定刻に、部屋を出て、10時前にスキーを借りて、出かける用意をした。そして、昨日同様に、男の子は、そり、百合は、父と中級ゲレンデにあがった。
そして、父が、今日は、中級ゲレンデから一番下まで、長い距離を滑ろうと言うと、百合が、その方が楽しいわねと笑った。そして、午前中、何回も長い距離を滑って、楽しんだ。11時半に、レストランの前に、集合して、昼食をとっているときに、百合が、今日、中級ゲレンデの上の中上級ゲレンデに行きたいと父に言うと、じゃー行こうと行ったので、うれしいと叫んだ。
今日は15時半に終了して、着替えて、すぐ帰ると、みんなに伝えて、怪我しないように十分注意して、楽しんでくれと伝えた。そして百合と共にリフト2つ乗り変えて、中上級者コースに行くと、標高が高いので、素晴らしい景色が見えた。思わず、百合が、素敵な景色ねと喜んだ。太一が、少し下で待ってるから、無理しないで、自分のペースで、降りてこいと指示し、滑っていった。
そして、父が、上を見上げて、百合に、慎重に降りてこいと言うと、最初はプルーク・ボーゲンで慎重に降りてきた。その後、少しして、リズムをつかみ、足をそろえる、リズムが上手になった。そうだ、その調子と誉めると、ますます、リズミカルに上手になっていった。そして、降りるまで早くなったので、何回も滑れて、父の方が、ちょっと一休みしようよと言うほどになった。
4回目には、一番下まで、降りようと言うと、百合が喜んだ。その後、3つのゲレンデ、約1kmを休まずに滑れるようになった。そして15時になり、これが最後ねと言うと、百合が了解と言い、勢いよく滑り出した。その後、太一がおって、斜度が、小さくなったので、直滑降で、スピードを上げて、滑り出すと、百合も真似して、着いてきたが、途中で、派手に転んだ。
しかし、直ぐに起き上がって、直滑降で一気に、母の百合子さんの目の前までやって着るのを見て、上手になったわねと、由美子さんが拍手した。そして、弟たちも、お姉ちゃん、スゲーと驚いていた。その後、スキーを返して、温泉旅館へ行き、精算を済ませた。そして、16時前に宿を出て、17時過ぎに松本インターチェンジから中央高速に乗った。
そして山梨の大きなパーキングエリアまで1時間で着いて、トイレ休憩をした。その後、富士五湖からの合流点で少し渋滞したが、20時前に、みなとみらいのマンションに到着し、風呂に入り直した。その後、太一はビールを飲んで、子供達もベッドに入り、早めに寝た。太一と由美子は、子供達の成長を喜んで、スキー場での様子を、話し合っていた。
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