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27話:徳川太郎の米国勤務
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2001年9月11日の米国同時多発テロで延期になっていた、徳川太郎の渡米の話が決まり仲間4人と2003年11月11日に出かけていき、12月にはホンダジェットの初飛行に成功したのを見ることができた。その後、2004年10月には小型ビジネスジェット用エンジン事業化に向けGE Honda エアロ・エンジンズに移った。
やがて2003年11月になると、足早に年の瀬が近づいてきた。12月24日、泰平の実家へ、4人で、大きなクリスマスケーキと、フライドチキンを買って、たずねて、クリスマスパーティーを開いて、楽しんだ。そして2004年がやってきた。今年も初詣で、家内安全と、子供の成長と大病しないことをお願いして帰って来た。
1月20日に、和光市駅の近くに、徳川泰平と義理の父母の家が完成した。義理の母のリウマチは、東京のリウマチの専門科の治療で痛みと炎症が、落ち着いて楽になったと喜んだ。徳川泰平は、新築した翌日、実の両親を呼び、落成披露パーティーを開いた。これで、長生きしなければと、義理の両親も大喜びしてくれた。
2004年は、2月10日、暖かい日に、ワゴン車で、徳川家6人で、練馬から、環状8号線を通り、第三京浜、橫浜新道を通り、藤沢、茅ヶ崎から、平塚から、西湘バイパスを通り、相模湾から見える、富士山を見に行き、小田原港の食堂で、アジフライを食べて、帰って来た。冬の雪をかぶった富士山が前方に見えて、左側が相模湾という素晴らしいドライブで好評だった。
2004年3月に長女の徳川一美が、上智大学英文科を卒業し1年間、以前留学したカリフォルニア大学サンディエゴ校に再び留学したい、父の徳川泰平にお願いした。今回は、カリフォルニア大学サンディエゴ校エクステンションという大学卒業後18歳以上のビジネススクールであり、そこで米国人の仲間と一緒にアメリカで起業したいといった。
そこで、泰平は、1年間やって、起業できなかったら日本に戻って就職するということでいいねと、確認すると、わかりましたというので、了解し、費用を出すと約束した。また、パソコンのスカイプで定期的に泰平のところへ連絡する事も約束させた。その後、2004年5月10日に、サンディエゴへ飛んだ。
2004年4月末に、目黒川の桜を見て歩き、多くの写真を撮ってきた。2時間位して、夕方5時に家に戻ってきた。8月の暑さが厳しかった。11月になると運動のためラジオ体操やヨガをリビングで始めた。12月24日に、徳川家で、恒例の盛大なクリスマスパーティーを開催して、クリスマスパーティーを終えて、家に戻った。2004年12月5日、徳川一美から電話で、同じビジネススクールの仲間3人と一緒に、海外の珍しい品物を、インターネットオークションで売る商売を起業するようになったと連絡があった。
やがて2003年11月になると、足早に年の瀬が近づいてきた。12月24日、泰平の実家へ、4人で、大きなクリスマスケーキと、フライドチキンを買って、たずねて、クリスマスパーティーを開いて、楽しんだ。そして2004年がやってきた。今年も初詣で、家内安全と、子供の成長と大病しないことをお願いして帰って来た。
1月20日に、和光市駅の近くに、徳川泰平と義理の父母の家が完成した。義理の母のリウマチは、東京のリウマチの専門科の治療で痛みと炎症が、落ち着いて楽になったと喜んだ。徳川泰平は、新築した翌日、実の両親を呼び、落成披露パーティーを開いた。これで、長生きしなければと、義理の両親も大喜びしてくれた。
2004年は、2月10日、暖かい日に、ワゴン車で、徳川家6人で、練馬から、環状8号線を通り、第三京浜、橫浜新道を通り、藤沢、茅ヶ崎から、平塚から、西湘バイパスを通り、相模湾から見える、富士山を見に行き、小田原港の食堂で、アジフライを食べて、帰って来た。冬の雪をかぶった富士山が前方に見えて、左側が相模湾という素晴らしいドライブで好評だった。
2004年3月に長女の徳川一美が、上智大学英文科を卒業し1年間、以前留学したカリフォルニア大学サンディエゴ校に再び留学したい、父の徳川泰平にお願いした。今回は、カリフォルニア大学サンディエゴ校エクステンションという大学卒業後18歳以上のビジネススクールであり、そこで米国人の仲間と一緒にアメリカで起業したいといった。
そこで、泰平は、1年間やって、起業できなかったら日本に戻って就職するということでいいねと、確認すると、わかりましたというので、了解し、費用を出すと約束した。また、パソコンのスカイプで定期的に泰平のところへ連絡する事も約束させた。その後、2004年5月10日に、サンディエゴへ飛んだ。
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