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4話:市営住宅を出て家を建てる
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1986年11月のNTT株の公募で3口分、360万円で購入でき、翌年1987年4月に300万円で全部売却して660万円の利益を得た。しかし、1986年のプラザ合意でバブルがはじけてしまい金利が低下した。 それでも1989年で金井家の資産は、曾祖母からの6500万円となり莫大金額になった。
その後、徹底した高金利郵便定額預金、ワリコーなど割引債券、一時払い養老保険を駆使して1972年の2500万円を6千万に増やし、総合計12500万円になった。1990年になり金井猛は60歳になりセメント会社を定年退職したが65歳まで非常勤で働いて欲しいと言われ日給月給制で月に15万円の給料で契約した。
期間は1995年の65歳まで契約をむすび、退職金として1千万円をもらった。その後も高利回りの預金を続けて1993年には15000万円になた。金利が一気に下がってきて住んでいる市営住宅もぼろくなったので、長女の出雲悦子が嫁ぎ先のお父さん出雲虎夫に頼んで大きな家が2つ建てられる位の土地を安く売ってくれるよう話した。
すると定期借地権という形が一番、費用が安いからと行って年に60万円で50年契約。それで160坪の土地を貸す契約を結んだ。その後、金井一郎が4千万円の大きな4LDKの一軒家と建てて出雲浩一が隣に4LDKのモダンな一軒家を4500万円で建て、大きな8人乗りのワゴン車を金井一郎が買った。車は両家で共用して使い、買い物や多き家具なども買い入れて、家庭菜園も楽しんだ。
長津田駅まで、裏道を使えば10分弱で着く、便利な場所だった。東急田園都市線が渋谷まで30分でいける、交通の便の良い所。また子供の国など、のどかな田園風景も残る地域であった。家や車を買ったりして残金が1億円ほどになった。しかし、金井猛と金井はつの痴呆が出てきて、家で面倒をみれなくなり、近くの介護老人施設に入所させた。
週に3回、交代で面会に通い続け1993年の12月3日に金井猛が風邪をこじらせて、3日後、肺炎を併発して亡くなった。近くの斎場で葬儀を行い、この地のお寺に葬ってもらった。その現実を見て金井はつも元気がなくなり痴呆が一層ひどくなり心臓の動きが弱くなって意識を無くすようになった。
翌年、1994年2月12日に亡くなって、金井猛と同じ斎場で葬儀をして、同じ、お寺の金井猛のお墓に葬ってもらった。金井猛、享年94歳、金井はつ、享年89歳だった。この時、金井一郎が金井家の偉大な先人達の功績に感謝しつつ、これからは俺たちが、ファミリーを引っ張って行くんだと、世代交代の意識を強く持った。
もちろん、さみしかったけれど隣に長女の出雲悦子の一家4人と可愛い孫2人がいて、よく遊びに来てくれるのが楽しみだった。天気の良い日は散歩に出てお菓子を買ってやり仲良く暮らした。
1994年4月に長男の金井義朗が金井一郎の家に来て、実は1980年から自分で株投資を始めて資産合計が8千万円になったと言い、一緒にやらないかと言ってきた。金井一郎が俺は大工をやっていて、良い学校も出てないし無理だと話した。
もし投資して欲しいというなら参加しても良いが、自分ではとてもできないと言うと、じゃー、俺が金井家の大蔵大臣になってやるよと言うので任せたと言った。でも、あまり無理するなよと肩をたたいた。いくら貸して欲しいんだというと3千万円を入金して欲しいと言われ義朗の口座を聞いて数日中に入金すると約束した。
その後、義朗が一緒に旅行でも行かないかと誘ってくれた。行き先や切符など全て俺が手配するからと言い、おやじも、おふくろも苦労ばっかりの人生で大変だっただろうと言た。もう年なんだから旅でも楽しんだら良いと言った。すると、母のかなえが、そうだね日本の良い温泉に行ってみたいよと本音を漏らした。
北海道、沖縄、鹿児島、行ってみたいところはいっぱいあるよと笑った。いつもテレビで見てるだけじゃ味気ないしねというと一郎が、そのうち連れて行ってくれと言った。計画が立ったら、電話するよと言った。そして1994年7月の梅雨が明けた頃、2泊3日で熱海温泉と箱根周遊と箱根温泉の旅を計画した。
車は、一郎の8人乗りのワゴン車、一郎の奥さんの和美さんの運転で7月22日、朝6時に長津田を出発して東名で御殿場経由で熱海に入った。熱海港近くの魚料理の店で昼食をとって海を眺めて14時、ローマ風呂で有名な温泉ホテルにチェックインした。
大理石をふんだんに使ったローマ風呂を堪能してデラックスで大きな和室の別館を2室借りて、夕食後、日本酒を持って、一郎の部屋で宴会を楽しんだ。10時頃に、一郎が眠って、次女の絵美も寝たので宴会はお開きになって各部屋に帰った。翌朝、8時半に朝食をとり、外は良い天気で行楽日和だった。
9時半にホテルを出て、早川港の市場で金目鯛や鯵の干物を買って早めの昼食として鯵フライ定食をたべた。その後、箱根ターンパイクを使って芦ノ湖へ、遊覧船にのって、景色を楽しんで、駒ヶ岳ロープウェイにのったりして3時過ぎに、喫茶店でお茶してから4時過ぎに湯本富士屋ホテルにチェックインした。
温泉にゆっくりとつかり夕食をとって一郎の部屋にあつまり酒を飲んだ。80歳でなくなった曾祖母、金井八重さんの金の菩薩像の話をすると1900年代、初頭の日立製作所ができた頃の東京の大学を出たエリート技術屋さんとの悲恋物語を話すと義朗の奥さんの和美さんが何て素晴らしい話なんでしょうと言った。
旨い酒も入っていたせいか涙を流すほど感動してくれた。そんな激しい恋。そして愛した人だけに教えた秘密。その秘密を守り続けて田舎に置いておくと、すぐに金に換えられてしまうと思い、その亡きうるわしの彼氏の思い出の品を守り続けた女心。
また70歳を越えて故郷を捨てて大都会へついてきた金井八重さんの女としての誠実さ一途さを思うと涙が止まらなくなったようだ。その姿を見ていた金井一郎も奥さんのかねえさんも八重さんを思い出すのか大泣きしてした。泣き疲れて22時過ぎに和美さんが良い話を聞かせてくれてありがとうと言い部屋に帰った
翌日、9時に朝食を食べて、お土産を近くに買いに言って10時過ぎにチェックアウトした。そして箱根から小田原から西湘バイパスを相模湾の素敵な景色を右に見て国府津、大磯、平塚、茅ヶ崎、藤沢から16号バイパスに入り、昼頃に長津田へ帰ってきた。
その後、徹底した高金利郵便定額預金、ワリコーなど割引債券、一時払い養老保険を駆使して1972年の2500万円を6千万に増やし、総合計12500万円になった。1990年になり金井猛は60歳になりセメント会社を定年退職したが65歳まで非常勤で働いて欲しいと言われ日給月給制で月に15万円の給料で契約した。
期間は1995年の65歳まで契約をむすび、退職金として1千万円をもらった。その後も高利回りの預金を続けて1993年には15000万円になた。金利が一気に下がってきて住んでいる市営住宅もぼろくなったので、長女の出雲悦子が嫁ぎ先のお父さん出雲虎夫に頼んで大きな家が2つ建てられる位の土地を安く売ってくれるよう話した。
すると定期借地権という形が一番、費用が安いからと行って年に60万円で50年契約。それで160坪の土地を貸す契約を結んだ。その後、金井一郎が4千万円の大きな4LDKの一軒家と建てて出雲浩一が隣に4LDKのモダンな一軒家を4500万円で建て、大きな8人乗りのワゴン車を金井一郎が買った。車は両家で共用して使い、買い物や多き家具なども買い入れて、家庭菜園も楽しんだ。
長津田駅まで、裏道を使えば10分弱で着く、便利な場所だった。東急田園都市線が渋谷まで30分でいける、交通の便の良い所。また子供の国など、のどかな田園風景も残る地域であった。家や車を買ったりして残金が1億円ほどになった。しかし、金井猛と金井はつの痴呆が出てきて、家で面倒をみれなくなり、近くの介護老人施設に入所させた。
週に3回、交代で面会に通い続け1993年の12月3日に金井猛が風邪をこじらせて、3日後、肺炎を併発して亡くなった。近くの斎場で葬儀を行い、この地のお寺に葬ってもらった。その現実を見て金井はつも元気がなくなり痴呆が一層ひどくなり心臓の動きが弱くなって意識を無くすようになった。
翌年、1994年2月12日に亡くなって、金井猛と同じ斎場で葬儀をして、同じ、お寺の金井猛のお墓に葬ってもらった。金井猛、享年94歳、金井はつ、享年89歳だった。この時、金井一郎が金井家の偉大な先人達の功績に感謝しつつ、これからは俺たちが、ファミリーを引っ張って行くんだと、世代交代の意識を強く持った。
もちろん、さみしかったけれど隣に長女の出雲悦子の一家4人と可愛い孫2人がいて、よく遊びに来てくれるのが楽しみだった。天気の良い日は散歩に出てお菓子を買ってやり仲良く暮らした。
1994年4月に長男の金井義朗が金井一郎の家に来て、実は1980年から自分で株投資を始めて資産合計が8千万円になったと言い、一緒にやらないかと言ってきた。金井一郎が俺は大工をやっていて、良い学校も出てないし無理だと話した。
もし投資して欲しいというなら参加しても良いが、自分ではとてもできないと言うと、じゃー、俺が金井家の大蔵大臣になってやるよと言うので任せたと言った。でも、あまり無理するなよと肩をたたいた。いくら貸して欲しいんだというと3千万円を入金して欲しいと言われ義朗の口座を聞いて数日中に入金すると約束した。
その後、義朗が一緒に旅行でも行かないかと誘ってくれた。行き先や切符など全て俺が手配するからと言い、おやじも、おふくろも苦労ばっかりの人生で大変だっただろうと言た。もう年なんだから旅でも楽しんだら良いと言った。すると、母のかなえが、そうだね日本の良い温泉に行ってみたいよと本音を漏らした。
北海道、沖縄、鹿児島、行ってみたいところはいっぱいあるよと笑った。いつもテレビで見てるだけじゃ味気ないしねというと一郎が、そのうち連れて行ってくれと言った。計画が立ったら、電話するよと言った。そして1994年7月の梅雨が明けた頃、2泊3日で熱海温泉と箱根周遊と箱根温泉の旅を計画した。
車は、一郎の8人乗りのワゴン車、一郎の奥さんの和美さんの運転で7月22日、朝6時に長津田を出発して東名で御殿場経由で熱海に入った。熱海港近くの魚料理の店で昼食をとって海を眺めて14時、ローマ風呂で有名な温泉ホテルにチェックインした。
大理石をふんだんに使ったローマ風呂を堪能してデラックスで大きな和室の別館を2室借りて、夕食後、日本酒を持って、一郎の部屋で宴会を楽しんだ。10時頃に、一郎が眠って、次女の絵美も寝たので宴会はお開きになって各部屋に帰った。翌朝、8時半に朝食をとり、外は良い天気で行楽日和だった。
9時半にホテルを出て、早川港の市場で金目鯛や鯵の干物を買って早めの昼食として鯵フライ定食をたべた。その後、箱根ターンパイクを使って芦ノ湖へ、遊覧船にのって、景色を楽しんで、駒ヶ岳ロープウェイにのったりして3時過ぎに、喫茶店でお茶してから4時過ぎに湯本富士屋ホテルにチェックインした。
温泉にゆっくりとつかり夕食をとって一郎の部屋にあつまり酒を飲んだ。80歳でなくなった曾祖母、金井八重さんの金の菩薩像の話をすると1900年代、初頭の日立製作所ができた頃の東京の大学を出たエリート技術屋さんとの悲恋物語を話すと義朗の奥さんの和美さんが何て素晴らしい話なんでしょうと言った。
旨い酒も入っていたせいか涙を流すほど感動してくれた。そんな激しい恋。そして愛した人だけに教えた秘密。その秘密を守り続けて田舎に置いておくと、すぐに金に換えられてしまうと思い、その亡きうるわしの彼氏の思い出の品を守り続けた女心。
また70歳を越えて故郷を捨てて大都会へついてきた金井八重さんの女としての誠実さ一途さを思うと涙が止まらなくなったようだ。その姿を見ていた金井一郎も奥さんのかねえさんも八重さんを思い出すのか大泣きしてした。泣き疲れて22時過ぎに和美さんが良い話を聞かせてくれてありがとうと言い部屋に帰った
翌日、9時に朝食を食べて、お土産を近くに買いに言って10時過ぎにチェックアウトした。そして箱根から小田原から西湘バイパスを相模湾の素敵な景色を右に見て国府津、大磯、平塚、茅ヶ崎、藤沢から16号バイパスに入り、昼頃に長津田へ帰ってきた。
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