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第3話:それぞれの進路と就職
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小諸恵子は、田舎の生活の方が好きで、性に合っていたため東京ではなく、東北大学経済学部に合格して東北大学の女子寮に入り、休みの日には、女友達と登山をしたり海に行ったり牛タンを食べたりして楽しんだ。
春は、タケノコ掘り、温泉と山の新緑を楽しみ、夏は、海水浴場に泳ぎに行ったり、登山を楽しんだりした。秋には、キノコ狩り、紅葉を身に出かえた。冬になると、スキーに出かけて学生生活を楽しみ、あっという間に4年間が過ぎた。
小諸恵子は、大学を卒業すると、就職せずに実家のある鹿沼に帰った。そして、父の縁故で、鬼怒川の一流ホテルKホテルに入って、将来、ここの女将さんになるためホテルに住み込み女中さんの修行を開始した。
そのため、長男の四宮一利は、高校生になると故郷を離れ東京で下宿して東京大学法学部に合格した。長女の俊子も兄の下宿の近くに住み高校生の時、東京へ向かった。
その後、四宮一利は、大学を出ると1991年上級公務員試験に合格し1992年、国家公務員となった。長女の俊子は、慶応大学経済学部に合格して女子寮に入り1994年4月卒業しM物産に入社した。
その後、兄弟の後を追うようにして四宮俊次も東京へ行き、早稲田大学理工学部電気科に合格。勉強もしたが、秋葉原へ行って一流の音楽を聴き秋葉原電気街でマイコンの黎明期の活気あふれる空気を楽しんでいた。
さらに牛肉が、好きだったので、金ができれば、秋葉原の「万世のすき焼き」を食べに行った。その他、築地の場外市場の旨い寿司も大好きで、小遣いの半分は食費、遊興費に使っていた。
1991年8月、20歳になった四宮俊次は、大学の夏休みに、父、四宮泰蔵の所へ行き、株で稼ぎたいから100万円貸して欲しいと言うと、そんな少額では、話にならないと言い500万円を貸してくれた。
しかし、5年後には、全額を返せよと告げた。投資と言うのは、いつも緊張感を持って自分の知能を全て使って当たっていかないと、負けてしまうと、厳しい口調で、言った。絶対に、負け犬になるなと肩をたたいた。
こうして、四宮俊次は、N証券の秋葉原支店に証券口座を開き、父から、500万円を送金してもらった。この話を友人の重光太蔵に伝えると、どこで証券口座を開いたと質問されN証券の秋葉原支店と言うと俺もN証券に入りたいと語った。
重光は、現在、一橋大学の株投資研究会で、東京都内の大学の投資選手権大会に出場して競い合っていると述べた。だから、良い情報を持ってるから、お前は大船の乗ったつもりで、俺のいう事を聞け。
そうすれば、間違いなく、金を稼げると豪語していた。そして、俺が証券会社に入ったら、俺の口座にお前の資金の全額移せと言った。余りに、言いたいことばかり言うので、それは、その時になってみなと分からないと答えた。
俺につけば、間違いないと、笑いながら言った。そこで、そういう奴に限って、調子に乗りすぎて、大きな失敗をやらかすものだというと、そんなことない自信があると言うので証明しないと信じないと四宮が、笑いながら言った
1992年8月初旬、四宮俊次が、証券会社の担当者にソニー株を買いたいので、安くなり買い時になったら知らせて欲しいと電話を入れた。この頃までに四宮俊次は、家庭教師のバイトで100万円を振込み資金を600万円に増やした。
1992年8月19日、早朝、証券会社の担当者から、ソニー株の気配値3600円で買いと言われ、同意し、1500株、成り行き買いを指示。その後、すぐに、1500株、540万円で買え、残金60万円と言われた。
そして 四宮俊次は、1994年3月、早稲田大学理工学部電気科を卒業。当時、銀行のオンライン化を進めていたので、大手銀行でもソフトウェアの子会社を設立していた。その会社を受験し1994年4月、M銀行系ソフトウェア会社に入社した。
学生時代のライバルだった重光太蔵は、一橋大学商学部を卒業して日本橋の1994年にN証券に就職。しかし、既に1991年には、日本のバブルが、はじけていた。
しかし、彼は、またバブルが来るはずだとの信念を曲げなかった。1994年6月、戦後初めて1ドル・100円を突破。東京外国為替市場でも、一時99円50銭と戦後最高値を更新した。
春は、タケノコ掘り、温泉と山の新緑を楽しみ、夏は、海水浴場に泳ぎに行ったり、登山を楽しんだりした。秋には、キノコ狩り、紅葉を身に出かえた。冬になると、スキーに出かけて学生生活を楽しみ、あっという間に4年間が過ぎた。
小諸恵子は、大学を卒業すると、就職せずに実家のある鹿沼に帰った。そして、父の縁故で、鬼怒川の一流ホテルKホテルに入って、将来、ここの女将さんになるためホテルに住み込み女中さんの修行を開始した。
そのため、長男の四宮一利は、高校生になると故郷を離れ東京で下宿して東京大学法学部に合格した。長女の俊子も兄の下宿の近くに住み高校生の時、東京へ向かった。
その後、四宮一利は、大学を出ると1991年上級公務員試験に合格し1992年、国家公務員となった。長女の俊子は、慶応大学経済学部に合格して女子寮に入り1994年4月卒業しM物産に入社した。
その後、兄弟の後を追うようにして四宮俊次も東京へ行き、早稲田大学理工学部電気科に合格。勉強もしたが、秋葉原へ行って一流の音楽を聴き秋葉原電気街でマイコンの黎明期の活気あふれる空気を楽しんでいた。
さらに牛肉が、好きだったので、金ができれば、秋葉原の「万世のすき焼き」を食べに行った。その他、築地の場外市場の旨い寿司も大好きで、小遣いの半分は食費、遊興費に使っていた。
1991年8月、20歳になった四宮俊次は、大学の夏休みに、父、四宮泰蔵の所へ行き、株で稼ぎたいから100万円貸して欲しいと言うと、そんな少額では、話にならないと言い500万円を貸してくれた。
しかし、5年後には、全額を返せよと告げた。投資と言うのは、いつも緊張感を持って自分の知能を全て使って当たっていかないと、負けてしまうと、厳しい口調で、言った。絶対に、負け犬になるなと肩をたたいた。
こうして、四宮俊次は、N証券の秋葉原支店に証券口座を開き、父から、500万円を送金してもらった。この話を友人の重光太蔵に伝えると、どこで証券口座を開いたと質問されN証券の秋葉原支店と言うと俺もN証券に入りたいと語った。
重光は、現在、一橋大学の株投資研究会で、東京都内の大学の投資選手権大会に出場して競い合っていると述べた。だから、良い情報を持ってるから、お前は大船の乗ったつもりで、俺のいう事を聞け。
そうすれば、間違いなく、金を稼げると豪語していた。そして、俺が証券会社に入ったら、俺の口座にお前の資金の全額移せと言った。余りに、言いたいことばかり言うので、それは、その時になってみなと分からないと答えた。
俺につけば、間違いないと、笑いながら言った。そこで、そういう奴に限って、調子に乗りすぎて、大きな失敗をやらかすものだというと、そんなことない自信があると言うので証明しないと信じないと四宮が、笑いながら言った
1992年8月初旬、四宮俊次が、証券会社の担当者にソニー株を買いたいので、安くなり買い時になったら知らせて欲しいと電話を入れた。この頃までに四宮俊次は、家庭教師のバイトで100万円を振込み資金を600万円に増やした。
1992年8月19日、早朝、証券会社の担当者から、ソニー株の気配値3600円で買いと言われ、同意し、1500株、成り行き買いを指示。その後、すぐに、1500株、540万円で買え、残金60万円と言われた。
そして 四宮俊次は、1994年3月、早稲田大学理工学部電気科を卒業。当時、銀行のオンライン化を進めていたので、大手銀行でもソフトウェアの子会社を設立していた。その会社を受験し1994年4月、M銀行系ソフトウェア会社に入社した。
学生時代のライバルだった重光太蔵は、一橋大学商学部を卒業して日本橋の1994年にN証券に就職。しかし、既に1991年には、日本のバブルが、はじけていた。
しかし、彼は、またバブルが来るはずだとの信念を曲げなかった。1994年6月、戦後初めて1ドル・100円を突破。東京外国為替市場でも、一時99円50銭と戦後最高値を更新した。
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