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マーク・オースティン
#3
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「アリーシャ……これはまた、懐かしい名前を聞いたものだ」
一瞬だけ瞳に映った驚愕の色を隠すように瞼を沈めた父は、まるで他人の話をする時のような口振りで天使の名前をなぞって嗤う。
「……なぜあの晩、俺にアリーシャがいない事を隠したんですか?俺は……俺は彼の兄で家族だ。少なくともあの日ぐらいは、家族の一員として教えてくれても良かったんじゃないでしょうか……翌日殺されたアリーシャが影武者だったのなら、尚更」
「随分と私の知らないうちに調べたようだな。だがアラン、あの日彼処で死んだのは紛れもなくアリーシャ本人だ」
影武者の話になった途端、プツリと切り上げるような父の言葉に腹わたの底が沸く。鍋に湯を沸かす時のようにひとつ、ふたつ……と昇る水泡は次第に数を増し、畏怖の対象に渾々と怒りがこみ上げる。
「……何を根拠に本人だと言い切れるのです?」
「面白い質問だ……アリーシャは死んだ、彼が死んだからこそ死亡診断書が作成され、故人として受理された──それ以上に何を求める?」
「『死亡診断書』ねぇ……。『事件』を『事故』と表記しても受理される紙切れに、一体どれだけの価値があるのでしょう?」
丁寧な口調のやりとりは夥しいほどの棘を孕み、お互いの腹を抉り出してゆく。言葉を重ねれば重ねるほど荒くなる空気に当てられたマークは、固唾を飲んでその様子に身を委ねる。
「ボス……いえ、父さん、あの日あの時、アリーシャの身に一体何があったんですか?なぜ、彼はあんなにも無残に殺されなければならなかったのでしょう……!」
「黙れッ!!」
咆哮のような父の牽制が、静か過ぎる書斎に大きく響いた。肩で息をする彼の瞳は今にも飛びかかりそうな狼そのもので、後ろに流れる灰色の髪が父の心情を映し出したように荒れ狂う。
「たかだか社会の裏を少し舐めたぐらいで、偉そうにものを言うんじゃない……あの時に『物分かりの悪い子供になってはいけない』と教えてやっただろう。26にもなって私の言っている意味を分からないとでも?」
頭に昇った血を鎮めるように大きく咳払いをした父は、わざとらしく取り繕った穏やかさに拍車を掛けて微笑む。それでも表情を緩める事をしない俺に呆れると、大きく溜息を吐きながら乱れた髪を整えてマークに視線を移す。
「見苦しいところを見せてすまないな」
優しい言葉の裏に隠れた父の本音としては、ひとりの部下でありながら唯一ボスに口出しができる相談役のマークがよほど邪魔なのだろう。下手な事を言って組織に疑問を持たせたくないという意思の表れなのか、遠回しに退出するよう迫る父に、マークは「いえ、お気になさらず」と人当たりのいい笑顔を返す。
その清々しい答えを最後に、書斎は恐ろしいぐらいの静謐に支配される。何かを考え込むような様子の父は徐に椅子から立ち上がると、テーブルの上に立派なワインボトルとワイングラスを1組持ち寄る。いつもなら晩酌すら見かけない父が用意したその光景に目を丸めた俺は、彼がゆったりと栓の空いたワインをガラスの薄いカップに注ぐ様子をジットリと眺める。
「それは……」
「今日はヴァルプルギス・ナイト……たまには親子で晩酌もいいだろうと思って用意していたんだ」
珍しく家族らしい事を舌に乗せた父の顔には笑顔が張り付くも、細めた瞳の奥の奥は凍傷でも起こすんじゃないかと思うほど冷たい。
──嫌な予感ほど的中するもんだな。
父にこの世界のイロハを仕込まれた俺には分かるのだ。彼がこの表情をする時は、必ず裏がある──と。
一瞬だけ瞳に映った驚愕の色を隠すように瞼を沈めた父は、まるで他人の話をする時のような口振りで天使の名前をなぞって嗤う。
「……なぜあの晩、俺にアリーシャがいない事を隠したんですか?俺は……俺は彼の兄で家族だ。少なくともあの日ぐらいは、家族の一員として教えてくれても良かったんじゃないでしょうか……翌日殺されたアリーシャが影武者だったのなら、尚更」
「随分と私の知らないうちに調べたようだな。だがアラン、あの日彼処で死んだのは紛れもなくアリーシャ本人だ」
影武者の話になった途端、プツリと切り上げるような父の言葉に腹わたの底が沸く。鍋に湯を沸かす時のようにひとつ、ふたつ……と昇る水泡は次第に数を増し、畏怖の対象に渾々と怒りがこみ上げる。
「……何を根拠に本人だと言い切れるのです?」
「面白い質問だ……アリーシャは死んだ、彼が死んだからこそ死亡診断書が作成され、故人として受理された──それ以上に何を求める?」
「『死亡診断書』ねぇ……。『事件』を『事故』と表記しても受理される紙切れに、一体どれだけの価値があるのでしょう?」
丁寧な口調のやりとりは夥しいほどの棘を孕み、お互いの腹を抉り出してゆく。言葉を重ねれば重ねるほど荒くなる空気に当てられたマークは、固唾を飲んでその様子に身を委ねる。
「ボス……いえ、父さん、あの日あの時、アリーシャの身に一体何があったんですか?なぜ、彼はあんなにも無残に殺されなければならなかったのでしょう……!」
「黙れッ!!」
咆哮のような父の牽制が、静か過ぎる書斎に大きく響いた。肩で息をする彼の瞳は今にも飛びかかりそうな狼そのもので、後ろに流れる灰色の髪が父の心情を映し出したように荒れ狂う。
「たかだか社会の裏を少し舐めたぐらいで、偉そうにものを言うんじゃない……あの時に『物分かりの悪い子供になってはいけない』と教えてやっただろう。26にもなって私の言っている意味を分からないとでも?」
頭に昇った血を鎮めるように大きく咳払いをした父は、わざとらしく取り繕った穏やかさに拍車を掛けて微笑む。それでも表情を緩める事をしない俺に呆れると、大きく溜息を吐きながら乱れた髪を整えてマークに視線を移す。
「見苦しいところを見せてすまないな」
優しい言葉の裏に隠れた父の本音としては、ひとりの部下でありながら唯一ボスに口出しができる相談役のマークがよほど邪魔なのだろう。下手な事を言って組織に疑問を持たせたくないという意思の表れなのか、遠回しに退出するよう迫る父に、マークは「いえ、お気になさらず」と人当たりのいい笑顔を返す。
その清々しい答えを最後に、書斎は恐ろしいぐらいの静謐に支配される。何かを考え込むような様子の父は徐に椅子から立ち上がると、テーブルの上に立派なワインボトルとワイングラスを1組持ち寄る。いつもなら晩酌すら見かけない父が用意したその光景に目を丸めた俺は、彼がゆったりと栓の空いたワインをガラスの薄いカップに注ぐ様子をジットリと眺める。
「それは……」
「今日はヴァルプルギス・ナイト……たまには親子で晩酌もいいだろうと思って用意していたんだ」
珍しく家族らしい事を舌に乗せた父の顔には笑顔が張り付くも、細めた瞳の奥の奥は凍傷でも起こすんじゃないかと思うほど冷たい。
──嫌な予感ほど的中するもんだな。
父にこの世界のイロハを仕込まれた俺には分かるのだ。彼がこの表情をする時は、必ず裏がある──と。
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