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第1部 第1話 大和薫英学院
3、彼は奪う側。
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朝食は指定された食堂へ行く。
きちんと制服を着ているところが、パジャマで食べていたのと違って、他人と寝起きを共にしているんだと思う。
寮毎に食堂、大浴場があるという。
生活の場所や授業のとり方等は昨日の内に東郷寮長から説明を受けている。
午後から来た一般クラスの5人と同じテーブルである。
朝食の間中、特に5人はキョロキョロと顔を上気させながら、落ち着きのある内部生を見て、興奮している。
日々希は多くの人の気配に落ち着かず、周りを見る余裕はない。
「彼らのように様になる学院生になってやる!」
一人が言った。今野、山崎、川嶋、広田、下田だったか?
彼らは自分のことを話す。
将来の不安も希望も入り交じる。
日々希はキラキラと眩しく思う。
彼らの夢の第一歩が今日から始まるのだ。
所属したいところも決まっているようだった。
そんな少し冷めた目をしている日々希に気がついたのだろうか、ルームメイトの西野剛が言った。
「ひびきはゆっくりでいいんじゃない?普通に授業を普通の高校生のように頑張っていたら、普通の高校生のように何か見えてくるかもよ?」
コーヒーカップの中に、桜の花びらがひとひら、落ちてくる。
いつまでも沈まずにカップの湖に揺れていた。
日々希はあせる必要なんてないと自分に言い聞かせる。
剛のいう通り、自分は平凡な15才なのだ。なんにも決まっていなくて、それが普通なのだ。
昨日の剛の話がつくり話だったのかと思うぐらい、しごく全うに入学式が行われ、授業が進む。
高等科から入った総合クラスは西野剛と日々希だけだったので、二人は常に一緒だった。
笑いも、注目も、物怖じしない愛嬌のある剛がさらっていく。
だけど、張り合う気持ちは全く湧きでない。
注目を一身に集めてくれる剛に、感謝しかない。
日々希は30人クラスははじめてで、はじめて自己紹介をするときに、何を思っているかわからない、値踏みするような探るようなたくさんの目を見たときに、卒倒するかと思ったのだ。
自分の語る震える声が、どこか遠くから聞こえる。
春から別の高校に行った海斗たちも、多くの同年代を前にして、同じことを思っているのだろうか?と思う。
そう思うと、気が紛れたが、話しかけてくる男女混合の同級生の迫力に、すぐに限界がくる。
初日の放課後、クラブ活動の見学に誘う剛を振り切って、日々希は落ち着ける場所に逃げ込んだ。
それは、初日に目を付けていた、敷地内に広がる森の中である。
遊歩道が慎ましやかに設えてあり、どんどん奥に誘う。
はじめからこの場所にあったのだろう、樹齢100年は優に超えそうな巨木も多い、昔ながらの広葉樹の森だった。
鼻先を掠める羽虫。
甲高く鳥がなき、風に葉がさざめき、水の流れるさらさらという音に心が落ち着いていく。
ウサギも鹿もきつねも狸も普通にいそうだった。
だが、ここは大都会にある学校である。
森が残るとはいえいるはずもなかった。
ようやく呼吸が楽にできる。
隅々まで酸素が行き渡るような気がする。
さんぽ道は小さな泉に続く。
桜の巨木が泉に被るようにピンクの毬をたわわに抱えた枝を伸ばす。
「ああ」
美しい。と日々希は思う。
桃源郷もかくあるかな。
こんな素敵な場所があるなら、この学院生活も乗り切れるかも。
どこか腰をおろそうかと思って視線を水辺の縁に走らせると、森に同化しているものに気がついた。
「あんたも逃げてきたのか?」
それはいう。
はっと日々希はそれを見た。
桜の枝がかかる泉の、その枝をすり抜けた日差しがあたたかく差し込む芝の上に体を投げ出した、男子生徒の体。
高等科の同じ制服。
紺のジャケットの下のシャツは胸元を大きく開けている。
少し体を起こして、こちらを眺める目は、肉食系の野性動物のような鋭さのようだと一瞬思う。
縄張に侵入されて威嚇をしている。
だが何回かまばたきをすると、獰猛な鋭さもなく、日々希と同じ普通の同年代の少年がそこにいた。
「いちばんいいところはここだよ?」
誘われるまま、日々希は彼の近くまで歩き寄り、横の日溜まりに腰を下ろす。
日差しがあたたかく心地よかった。
「あんたもって、君も逃げてきたの?」
日々希はいう。
再び横になって目を閉じていた、先客はパッチリと目を開いた。
その長いまつげの縁取る目元が暗い。
隈がある。
彼は眠れていないのかもしれないと思う。
日頃のストレスだろうか?
日々希の目下のストレスといえば、人目と人の気配の多さである。
「わたしが逃げることなんてないよ?」
「ふうん、そうなんだ」
軽く日々希は流した。
別に言い負かそうとも思わない。
逃げる、逃げないは他人に言われるものではなくて、自分がわかっていればいいだけのものである。
いつから彼はいたのだろう、ピンとアイロンのあたった細かなチェックのスラックスに、淡いピンクの花びらが幾つも散らばっていた。
つい、日々希は自分の鼻先に留まる花びらを落とすついでに、彼のスラックスの桜をさっさっと払う。
日々希は全てを払い落として満足して身を引こうとしたその手首を捕まれた。
その強さにびっくりする。
「痛っ!な、何を?」
先客は眉を寄せて、日々希の目を覗きこんだ。
その目は不快感を隠そうとしない。
人の服の桜を払うなんて、お節介だったかもと日々希はすぐに後悔する。
「やっぱり、あんたは新手の刺客かなんか?呼んだらすぐにへこへこ近寄ってきて。
女になびかないからといって、今度は男かよ?きれいな顔してるからって容赦しないぜ?」
「はあ?」
日々希の戸惑いの顔を見て、剥き出しになった不穏な表情が弛む。
弛むと男でもはっとするような整った、秀麗な顔立ち。
「刺客じゃないなら、北見の付けた新しい目付けか?」
日々希の手首はグイッと引かれ、芝の上に落とされた。体を入れ換えられる。
「刺客でも目付けでも少しなら遊んでやってもいいぜ」
顔に似合わない凶悪な言葉遣い。
獲物を逃がさない、鋭い目。
まだ少年らしい幼さを残しているが、その美しく整った顔が日々希に近付く。
日々希の唇に、唇が重なる。
温かさと柔らかさにビックリして、やめろよ、と云おうと開いた口に、舌が押し込まれる。
押し退けようとするが、体が動かない。
全ての神経が彼との触れあっているところに集中して、自分の体でないようだった。
「、、、あんた、刺客じゃあないな。へたくそだ。目付けの方か?」
ようやく解放される。
びっくりしたように、はじめてみるように、日々希を見る。
へたくそといわれてムッとすべきだろうか。
日々希にとって今のそれはファーストキスだったのだ。
「刺客?でも、目付け?でもないよ。ただの新入生。でもって今のは僕のファーストキス。で、放してもらえる?」
心臓がドキドキしている。
ようやく日々希は解放され、今度は用心深く距離をとる。
彼から離れよ、この少年は危険だ。
森の奥つ城に忘れられたようにある、この美しい桃源郷から直ちに尻尾を巻いて逃げ去れ!と、日々希の本能は告げている。
ファーストキスは奪われた。
彼はお前の全てを持っていくぞ!
本能が警笛を鳴らしている。
どうして日々希に本能がかつてないほど危険を告げるかわからない。
彼は甘やかされて育ったどこかの社長のボンボンなだけのようではないか?
本能は、もうひとつ危険な気配の存在を告げる。
森からこちらを何かが伺っている。
少年とそれと、どちらが危険だろうかとどこか他人事のように日々希は思う。
「ねえ、本当のあんたの刺客ってあれのことなの?」
日々希は後ろの森を顎で指した。
ギラリと光を平べったいミラーのように反射させて、それはいた。
きちんと制服を着ているところが、パジャマで食べていたのと違って、他人と寝起きを共にしているんだと思う。
寮毎に食堂、大浴場があるという。
生活の場所や授業のとり方等は昨日の内に東郷寮長から説明を受けている。
午後から来た一般クラスの5人と同じテーブルである。
朝食の間中、特に5人はキョロキョロと顔を上気させながら、落ち着きのある内部生を見て、興奮している。
日々希は多くの人の気配に落ち着かず、周りを見る余裕はない。
「彼らのように様になる学院生になってやる!」
一人が言った。今野、山崎、川嶋、広田、下田だったか?
彼らは自分のことを話す。
将来の不安も希望も入り交じる。
日々希はキラキラと眩しく思う。
彼らの夢の第一歩が今日から始まるのだ。
所属したいところも決まっているようだった。
そんな少し冷めた目をしている日々希に気がついたのだろうか、ルームメイトの西野剛が言った。
「ひびきはゆっくりでいいんじゃない?普通に授業を普通の高校生のように頑張っていたら、普通の高校生のように何か見えてくるかもよ?」
コーヒーカップの中に、桜の花びらがひとひら、落ちてくる。
いつまでも沈まずにカップの湖に揺れていた。
日々希はあせる必要なんてないと自分に言い聞かせる。
剛のいう通り、自分は平凡な15才なのだ。なんにも決まっていなくて、それが普通なのだ。
昨日の剛の話がつくり話だったのかと思うぐらい、しごく全うに入学式が行われ、授業が進む。
高等科から入った総合クラスは西野剛と日々希だけだったので、二人は常に一緒だった。
笑いも、注目も、物怖じしない愛嬌のある剛がさらっていく。
だけど、張り合う気持ちは全く湧きでない。
注目を一身に集めてくれる剛に、感謝しかない。
日々希は30人クラスははじめてで、はじめて自己紹介をするときに、何を思っているかわからない、値踏みするような探るようなたくさんの目を見たときに、卒倒するかと思ったのだ。
自分の語る震える声が、どこか遠くから聞こえる。
春から別の高校に行った海斗たちも、多くの同年代を前にして、同じことを思っているのだろうか?と思う。
そう思うと、気が紛れたが、話しかけてくる男女混合の同級生の迫力に、すぐに限界がくる。
初日の放課後、クラブ活動の見学に誘う剛を振り切って、日々希は落ち着ける場所に逃げ込んだ。
それは、初日に目を付けていた、敷地内に広がる森の中である。
遊歩道が慎ましやかに設えてあり、どんどん奥に誘う。
はじめからこの場所にあったのだろう、樹齢100年は優に超えそうな巨木も多い、昔ながらの広葉樹の森だった。
鼻先を掠める羽虫。
甲高く鳥がなき、風に葉がさざめき、水の流れるさらさらという音に心が落ち着いていく。
ウサギも鹿もきつねも狸も普通にいそうだった。
だが、ここは大都会にある学校である。
森が残るとはいえいるはずもなかった。
ようやく呼吸が楽にできる。
隅々まで酸素が行き渡るような気がする。
さんぽ道は小さな泉に続く。
桜の巨木が泉に被るようにピンクの毬をたわわに抱えた枝を伸ばす。
「ああ」
美しい。と日々希は思う。
桃源郷もかくあるかな。
こんな素敵な場所があるなら、この学院生活も乗り切れるかも。
どこか腰をおろそうかと思って視線を水辺の縁に走らせると、森に同化しているものに気がついた。
「あんたも逃げてきたのか?」
それはいう。
はっと日々希はそれを見た。
桜の枝がかかる泉の、その枝をすり抜けた日差しがあたたかく差し込む芝の上に体を投げ出した、男子生徒の体。
高等科の同じ制服。
紺のジャケットの下のシャツは胸元を大きく開けている。
少し体を起こして、こちらを眺める目は、肉食系の野性動物のような鋭さのようだと一瞬思う。
縄張に侵入されて威嚇をしている。
だが何回かまばたきをすると、獰猛な鋭さもなく、日々希と同じ普通の同年代の少年がそこにいた。
「いちばんいいところはここだよ?」
誘われるまま、日々希は彼の近くまで歩き寄り、横の日溜まりに腰を下ろす。
日差しがあたたかく心地よかった。
「あんたもって、君も逃げてきたの?」
日々希はいう。
再び横になって目を閉じていた、先客はパッチリと目を開いた。
その長いまつげの縁取る目元が暗い。
隈がある。
彼は眠れていないのかもしれないと思う。
日頃のストレスだろうか?
日々希の目下のストレスといえば、人目と人の気配の多さである。
「わたしが逃げることなんてないよ?」
「ふうん、そうなんだ」
軽く日々希は流した。
別に言い負かそうとも思わない。
逃げる、逃げないは他人に言われるものではなくて、自分がわかっていればいいだけのものである。
いつから彼はいたのだろう、ピンとアイロンのあたった細かなチェックのスラックスに、淡いピンクの花びらが幾つも散らばっていた。
つい、日々希は自分の鼻先に留まる花びらを落とすついでに、彼のスラックスの桜をさっさっと払う。
日々希は全てを払い落として満足して身を引こうとしたその手首を捕まれた。
その強さにびっくりする。
「痛っ!な、何を?」
先客は眉を寄せて、日々希の目を覗きこんだ。
その目は不快感を隠そうとしない。
人の服の桜を払うなんて、お節介だったかもと日々希はすぐに後悔する。
「やっぱり、あんたは新手の刺客かなんか?呼んだらすぐにへこへこ近寄ってきて。
女になびかないからといって、今度は男かよ?きれいな顔してるからって容赦しないぜ?」
「はあ?」
日々希の戸惑いの顔を見て、剥き出しになった不穏な表情が弛む。
弛むと男でもはっとするような整った、秀麗な顔立ち。
「刺客じゃないなら、北見の付けた新しい目付けか?」
日々希の手首はグイッと引かれ、芝の上に落とされた。体を入れ換えられる。
「刺客でも目付けでも少しなら遊んでやってもいいぜ」
顔に似合わない凶悪な言葉遣い。
獲物を逃がさない、鋭い目。
まだ少年らしい幼さを残しているが、その美しく整った顔が日々希に近付く。
日々希の唇に、唇が重なる。
温かさと柔らかさにビックリして、やめろよ、と云おうと開いた口に、舌が押し込まれる。
押し退けようとするが、体が動かない。
全ての神経が彼との触れあっているところに集中して、自分の体でないようだった。
「、、、あんた、刺客じゃあないな。へたくそだ。目付けの方か?」
ようやく解放される。
びっくりしたように、はじめてみるように、日々希を見る。
へたくそといわれてムッとすべきだろうか。
日々希にとって今のそれはファーストキスだったのだ。
「刺客?でも、目付け?でもないよ。ただの新入生。でもって今のは僕のファーストキス。で、放してもらえる?」
心臓がドキドキしている。
ようやく日々希は解放され、今度は用心深く距離をとる。
彼から離れよ、この少年は危険だ。
森の奥つ城に忘れられたようにある、この美しい桃源郷から直ちに尻尾を巻いて逃げ去れ!と、日々希の本能は告げている。
ファーストキスは奪われた。
彼はお前の全てを持っていくぞ!
本能が警笛を鳴らしている。
どうして日々希に本能がかつてないほど危険を告げるかわからない。
彼は甘やかされて育ったどこかの社長のボンボンなだけのようではないか?
本能は、もうひとつ危険な気配の存在を告げる。
森からこちらを何かが伺っている。
少年とそれと、どちらが危険だろうかとどこか他人事のように日々希は思う。
「ねえ、本当のあんたの刺客ってあれのことなの?」
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