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第1部 第1話 大和薫英学院
1,ド田舎には高校はありません。
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藤日々希(ふじひびき)は自分のことを、田舎育ちなだけのどこにでもいる平凡な15才だと思う。
学校のトイレで手を洗う度に見る己の顔は、特段整っているわけでもない。
変わりばえしない鏡の中の自分より、外に目をやればそこかしこに神秘的で壮大な自然が広がっているのだ。
朝日を返して千に煌めく白波。
朝露にしどどに濡れる道端のカルガヤ。
梢をさらさらと揺らしながら清涼な香りを運ぶ風。
刻々と色を変えかたちを変える里山の景色。
生きることに迷いのないつぶらな目をしたウサギや鹿。ふかふか尻尾のキツネやもっさり毛皮のたぬきもいる。森の中を群れとなって猿が甲高く鳴きながら飛んで渡る。
藤日々希の育ったところは竜崎村。
最寄りの鉄道の駅まで行くには起伏のあるつづれ折りの道をがたがたと車でゆられること1時間。ショッピングモールには、一日に二本の一両電車でさらに一時間……。
正真正銘のド田舎の限界集落であった。
都会の生活に疲れた日々希の両親は、自然以外に何にもないところに惹かれ縁もゆかりもなかった竜崎村にアイターンしたそうである。
今ではこの限界集落にすっかり根を下ろす。
父の恭一郎は、国の森林組合に所属し風雨の度に荒れる道を整備し狩猟の管理をする。
音楽大学を卒業している母の由美子は、子供たちにピアノや歌を教えている。
日々希はというと小学校、中学校の成績は常にトップである。
とはいえ、一学年十人ほどしかいないわけであり、たいして自慢できるものでもない。
小さな木造校舎を小学校と中学校が共有する。毎日全員が顔を合わす。
上級生がどのような進路に進むのか見るとはなしに見て育つ。
山向こうの唯一の高校に通う先輩も多い。
彼らは山越えの通学に毎日三時間。帰宅すれば家の手伝い。
卒業後は家の仕事を引き継いでいた。
都会に出る先輩もいる。
彼らは戻ってくるたびに洗練されていく。
生活環境は、はたから思われるほど不便ではない。
日々希の両親などの新参者から電子通信事業者(キャリア)への熱心な働きかけもあり、集落にはWifi環境も早々に整備されている。
やろうとさえ思えば、受験勉強だって、ネットを介したオンデマンドの充実したコンテンツを利用することで都会の学生と遜色なく学習できるのだ。
日々希は中学三年になったとき、友人たちの例にもれず寮のある高校を探しまくった。
ネット試験だけで合否が決まる学校を受験する。
合格通知の中に「大和薫英学院」があった。
「大和薫英学院」の合格通知書はずしりと重い。
封筒から取り出すとまず目に入ったのは、大きく書かれた特待生の文字だった。
そういえば、願書申請画面に特待生申請をするかどうかのチェックボックスがあったことを思い出す。
合格通知書に書かれていたのは以下の通りである。
特待生合格通知書 藤日々希 様
貴殿は、当学院の入学試験に合格したことをお知らせすると同時に、授業料及び授業に関わる必要教材、寮費等当学院での在籍中にかかる貴殿の費用の全てを当学院側が負担し、貴殿が支払い義務を負わないことを決定する。
大和薫英学院理事長 北条久嗣
日々希は手が震えた。
あり得ないぐらいの好条件だった。
大和薫英学院以外はすべて忘れ去った。
日々希の家は取り立てて貧しいというわけではないが、かといって裕福でもない。
費用全額免除の特待生にどうしようもなく惹かれたのである。
最大の難関は己の決意を両親に告げること。
茶の間で三者で膝を突き合わせた。
「よりによって、なぜここを選ぶのあなたは……」
母の由美子は学校のパンフレットと頑なな表情の日々希を見比べ言う。
パンフレットには大和薫英学院卒業生の進路も記載されている。
東大、阪大、京大など誰もが知る難関大学がずらっと並ぶのが壮観だった。
大学卒業後は政治家、官僚、財界、大企業、ベンチャー企業の立ち上げなど。日本だけでなく世界の第一線で活躍している者も多いようである。
大手企業のCEOとなった卒業生からの寄稿文も寄せられている。
「父さんもお母さんも反対したとしても僕は行くことに決めたんだ」
母の言葉になにか引っ掛かるものを感じはしたが、だからといってあきらめることはできなかった。 日々希にこの村に留まり続ける選択肢はない。
母の横で口を真一文字に引き絞り固く腕を組んでいた父は、重い口をようやく開いた。
「俺たちの息子も自分の歩く道を自分で決める年頃になったということだよ。由美子さんもそうだっただろう?そして俺と出会って、世界中を旅して、ここに落ち着いた。
愛する俺たちの息子を、この世界が危険に満ちているからといって、狭い腕の中に閉じ込めて守り続けることはできないんだよ。覚悟を決めるときが来たんだ」
「でも、だって、そんな……。わたしたちの息子を」
「由美子。お前には俺がずっといてやる。ひびきを信じていつでも帰ってこれる場所としてあり続けよう……」
父が母を優しく慰めた。
深刻そうなのが心配だが、結論が出たようである。
母は父に肩を支えられながら鼻を盛大にすすり、日々希の見ている前で臆面もなく父の強い胸に顔を押し付けた。
問題の中心であるはずの自分は両親の世界ではわき役に過ぎないということをいつも目の当たりにしているような気がする。
なにはともあれ、このド田舎を出ることを許されたのだった。
同級生たちの進路も方々へ決まっていく。
卒業証書の黒筒を弄びながら、同級生の十人は固いつぼみの桜の木の傍で、それぞれが描いた将来を語り合う。
彼らの目の前にはいかようにもなれる可能性の扉が大きく開かれていた。
これから一歩足を踏み出すだけだった。
彼らにできないことは何もないように思われた。
だが、熱い希望の中には冷たく凍える一点がある。
その一点に触れないでいようとした中で唯一、日々希の一番の親友、海斗だけは無視できなかった。
「ひびき、ひびき。お前が越してきてから十年近く兄弟同然に一緒に過ごしたんだぜ?
お前の顔が見ない日があるなんて想像できないよ。俺のことを、絶対に、毎日思い出してくれ」
海斗は日々希の肩を掴んだ。
声を圧し殺しむせび泣く。
先ほどまで意気揚々に語り合っていた仲間たちは海斗の姿に驚いた。
最近は子供のころの甘さがそぎ落ちてきて、女子を前にかっこよさを気にしていたその海斗が、恥も外聞もなく友との別れを悲しんで泣く姿を見て言葉を失った。
未来への希望と別離の悲しみは表裏一体だった。
己の気持ちに素直な海斗をみてもう堪えることはできなかった。
お互いの胸や肩や背中に顔を押し付けあい、日々希たちは友との別れを惜しんで泣いたのだった。
日々希は歯ブラシと筆記用具と着替えを一抱えほどの大きさの鞄につめた。
一人で電車に乗った。携帯を握りしめ乗り換え検索で何度も何度も次の電車を確認する。
乗り換えるごとに車両は長くなった。駅は大きくなり乗り込む人は途切れなくなる。
家を一歩でたときからずっと、はらってもはらって心細さが日々希にまとわりつく。
日々希は目まぐるしく変わる車窓の景色に意識を集中することでなんとかしのごうとする。
沸き上がる漠然とした不安をより大きな期待で抑え込む。
固かった桜のつぼみはふっくらと膨らんでいる。
未来への希望も大きく膨らんでいる。
これから、友人や両親と離れ、都会での高校生活を満喫するのだ。
この時の日々希には、これから過ごすことになる大和薫英学院がどいういう学校なのか全くわかっていなかったのである。
学校のトイレで手を洗う度に見る己の顔は、特段整っているわけでもない。
変わりばえしない鏡の中の自分より、外に目をやればそこかしこに神秘的で壮大な自然が広がっているのだ。
朝日を返して千に煌めく白波。
朝露にしどどに濡れる道端のカルガヤ。
梢をさらさらと揺らしながら清涼な香りを運ぶ風。
刻々と色を変えかたちを変える里山の景色。
生きることに迷いのないつぶらな目をしたウサギや鹿。ふかふか尻尾のキツネやもっさり毛皮のたぬきもいる。森の中を群れとなって猿が甲高く鳴きながら飛んで渡る。
藤日々希の育ったところは竜崎村。
最寄りの鉄道の駅まで行くには起伏のあるつづれ折りの道をがたがたと車でゆられること1時間。ショッピングモールには、一日に二本の一両電車でさらに一時間……。
正真正銘のド田舎の限界集落であった。
都会の生活に疲れた日々希の両親は、自然以外に何にもないところに惹かれ縁もゆかりもなかった竜崎村にアイターンしたそうである。
今ではこの限界集落にすっかり根を下ろす。
父の恭一郎は、国の森林組合に所属し風雨の度に荒れる道を整備し狩猟の管理をする。
音楽大学を卒業している母の由美子は、子供たちにピアノや歌を教えている。
日々希はというと小学校、中学校の成績は常にトップである。
とはいえ、一学年十人ほどしかいないわけであり、たいして自慢できるものでもない。
小さな木造校舎を小学校と中学校が共有する。毎日全員が顔を合わす。
上級生がどのような進路に進むのか見るとはなしに見て育つ。
山向こうの唯一の高校に通う先輩も多い。
彼らは山越えの通学に毎日三時間。帰宅すれば家の手伝い。
卒業後は家の仕事を引き継いでいた。
都会に出る先輩もいる。
彼らは戻ってくるたびに洗練されていく。
生活環境は、はたから思われるほど不便ではない。
日々希の両親などの新参者から電子通信事業者(キャリア)への熱心な働きかけもあり、集落にはWifi環境も早々に整備されている。
やろうとさえ思えば、受験勉強だって、ネットを介したオンデマンドの充実したコンテンツを利用することで都会の学生と遜色なく学習できるのだ。
日々希は中学三年になったとき、友人たちの例にもれず寮のある高校を探しまくった。
ネット試験だけで合否が決まる学校を受験する。
合格通知の中に「大和薫英学院」があった。
「大和薫英学院」の合格通知書はずしりと重い。
封筒から取り出すとまず目に入ったのは、大きく書かれた特待生の文字だった。
そういえば、願書申請画面に特待生申請をするかどうかのチェックボックスがあったことを思い出す。
合格通知書に書かれていたのは以下の通りである。
特待生合格通知書 藤日々希 様
貴殿は、当学院の入学試験に合格したことをお知らせすると同時に、授業料及び授業に関わる必要教材、寮費等当学院での在籍中にかかる貴殿の費用の全てを当学院側が負担し、貴殿が支払い義務を負わないことを決定する。
大和薫英学院理事長 北条久嗣
日々希は手が震えた。
あり得ないぐらいの好条件だった。
大和薫英学院以外はすべて忘れ去った。
日々希の家は取り立てて貧しいというわけではないが、かといって裕福でもない。
費用全額免除の特待生にどうしようもなく惹かれたのである。
最大の難関は己の決意を両親に告げること。
茶の間で三者で膝を突き合わせた。
「よりによって、なぜここを選ぶのあなたは……」
母の由美子は学校のパンフレットと頑なな表情の日々希を見比べ言う。
パンフレットには大和薫英学院卒業生の進路も記載されている。
東大、阪大、京大など誰もが知る難関大学がずらっと並ぶのが壮観だった。
大学卒業後は政治家、官僚、財界、大企業、ベンチャー企業の立ち上げなど。日本だけでなく世界の第一線で活躍している者も多いようである。
大手企業のCEOとなった卒業生からの寄稿文も寄せられている。
「父さんもお母さんも反対したとしても僕は行くことに決めたんだ」
母の言葉になにか引っ掛かるものを感じはしたが、だからといってあきらめることはできなかった。 日々希にこの村に留まり続ける選択肢はない。
母の横で口を真一文字に引き絞り固く腕を組んでいた父は、重い口をようやく開いた。
「俺たちの息子も自分の歩く道を自分で決める年頃になったということだよ。由美子さんもそうだっただろう?そして俺と出会って、世界中を旅して、ここに落ち着いた。
愛する俺たちの息子を、この世界が危険に満ちているからといって、狭い腕の中に閉じ込めて守り続けることはできないんだよ。覚悟を決めるときが来たんだ」
「でも、だって、そんな……。わたしたちの息子を」
「由美子。お前には俺がずっといてやる。ひびきを信じていつでも帰ってこれる場所としてあり続けよう……」
父が母を優しく慰めた。
深刻そうなのが心配だが、結論が出たようである。
母は父に肩を支えられながら鼻を盛大にすすり、日々希の見ている前で臆面もなく父の強い胸に顔を押し付けた。
問題の中心であるはずの自分は両親の世界ではわき役に過ぎないということをいつも目の当たりにしているような気がする。
なにはともあれ、このド田舎を出ることを許されたのだった。
同級生たちの進路も方々へ決まっていく。
卒業証書の黒筒を弄びながら、同級生の十人は固いつぼみの桜の木の傍で、それぞれが描いた将来を語り合う。
彼らの目の前にはいかようにもなれる可能性の扉が大きく開かれていた。
これから一歩足を踏み出すだけだった。
彼らにできないことは何もないように思われた。
だが、熱い希望の中には冷たく凍える一点がある。
その一点に触れないでいようとした中で唯一、日々希の一番の親友、海斗だけは無視できなかった。
「ひびき、ひびき。お前が越してきてから十年近く兄弟同然に一緒に過ごしたんだぜ?
お前の顔が見ない日があるなんて想像できないよ。俺のことを、絶対に、毎日思い出してくれ」
海斗は日々希の肩を掴んだ。
声を圧し殺しむせび泣く。
先ほどまで意気揚々に語り合っていた仲間たちは海斗の姿に驚いた。
最近は子供のころの甘さがそぎ落ちてきて、女子を前にかっこよさを気にしていたその海斗が、恥も外聞もなく友との別れを悲しんで泣く姿を見て言葉を失った。
未来への希望と別離の悲しみは表裏一体だった。
己の気持ちに素直な海斗をみてもう堪えることはできなかった。
お互いの胸や肩や背中に顔を押し付けあい、日々希たちは友との別れを惜しんで泣いたのだった。
日々希は歯ブラシと筆記用具と着替えを一抱えほどの大きさの鞄につめた。
一人で電車に乗った。携帯を握りしめ乗り換え検索で何度も何度も次の電車を確認する。
乗り換えるごとに車両は長くなった。駅は大きくなり乗り込む人は途切れなくなる。
家を一歩でたときからずっと、はらってもはらって心細さが日々希にまとわりつく。
日々希は目まぐるしく変わる車窓の景色に意識を集中することでなんとかしのごうとする。
沸き上がる漠然とした不安をより大きな期待で抑え込む。
固かった桜のつぼみはふっくらと膨らんでいる。
未来への希望も大きく膨らんでいる。
これから、友人や両親と離れ、都会での高校生活を満喫するのだ。
この時の日々希には、これから過ごすことになる大和薫英学院がどいういう学校なのか全くわかっていなかったのである。
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