舞姫の君

藤雪花(ふじゆきはな)

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第10話 雪山離宮 襲撃

97、滑落

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 雪を無造作に丸めた塊は、はずみながらユーディアの雪靴にぶつかり砕け散った。
 まるで、誰かが狙って転がしたかのような?
 次々に向かってくる。
 中にはこぶしよりも大きいものもあった。
 当たっても、少し痛いぐらいだった。
 それは、転がりながら大きくなっていく……。

「雪崩の前兆だよ!ここから今すぐ逃げよう!」

 空に突き抜けるように甲高く叫んだのは誰だったのか。
 それが合図だった。

「ジプサムさま、先に行きます!」
 サニジンが子供を背負ったまま、追い抜き滑降する。
「ユーディア!ブルース!俺たちも滑り降りるぞ!」

 ユーディアは必死にジプサムに追いついた。
「そんなに急いで離れなくてはいけないものなの?雪崩って?ただの雪のかたまりが落ちてきただけじゃあ?」
「雪崩とは限らないがその可能性もある!このままコースを行く!ばらばらになれば道を失いかねない!赤い目印を目指していく!」
 前方のサニジンがこぶしを突き上げて了解を示す。
「ショウ殿、ご忠告感謝する!」
 ジプサムは後ろをすべるショウにいう。
 先ほどの警告をジプサムはショウだと理解したのだ。
 だが返事はなかった。

「ショウ殿?リリーシャ姫!?」
 ジプサムが振り返る。
 つられてついユーディアも振り返った。
 背後にはブルースだけ。
 ついてきているはずのトルメキアの姫とその護衛はいない。 
 ブルースの顔が引きつった。

「ユーディア!危ないッ、前を見ろ!木をよけろ!」

 巨大な白樺の幹が目の前にあった。
 悲鳴を上げる余裕もない。
 ジプサムは左へ。
 ユーディアは右の斜面によけた。
 ふかふかの雪の小山に突っ込こみ蹴散らかした。
 それでもスピードは落ちない。
 道を見失わないうちに、ジプサムの方へもどらなければならなかった。
 再び巨大な白樺の幹が目前である。
 
 一つ、二つ、三つ。

 ユーディアは次々と目前に立ちふさがる樹木との激突を避けることしかできなかった。
 コースを完全に外れたために、急こう配やぼこりと膨らんだ小山が予測不能に現れた。
 何度も飛び上がり、曲がり、転びかけ、足を取られないように踏ん張り立て直す。

 突如、樹木層が変わった。
 視界が明るくなる。
 背丈よりもわずかに高いぐらいの、樹齢の若い白樺の森に入ったのだった。
 とたんに勾配がきつくなる。
 低い位置で横に伸ばした枝に、頬を腕を脚を、鞭のように打たれた。引っ掛かれた。
 ジプサムとブルースの二人の叫びが背後で小さくなっていく。
 止まらなければならなかったが、そのたびに障害物が邪魔をする。
 スティックが枝に絡まりもぎ取られた。
 
 雪を浴びた鼻も唇も喉も肺も冷たい。
 息をする度に細かな粒状の氷のミストを吸い込んでいるような気がした。

 ジプサム達は完全に自分を見失ってしまっただろう。
 ユーディアは何があっても転んで止まることを決意する。
 
 それは突然だった。
 突如、森が途切れた。
 ユーディアは、真っ青な空の下に滑り出ていた。
 薄闇の森の中に白銀の巨大で長い帯を敷いたような、すとんと開けた場所だった。
 前方にうっすらと白化粧した草原が見えた。
 空と草原の境目はおぼろにかすむ。
 このまま滑り降りたら、故郷の草原まで行けそうな気がした。
 

 その時、誰かに名前を呼ばれたような気がした。
 前方へと続く森に、いくつかの人影をみた。
 ユーディアの滑る先に、森からスキー靴をはいた男が小さくジャンプをして飛び出していた。
 男だ。
 黒いマントがひらめいた。
 黒貂の帽子に金糸を縫い込んだ豪奢な衣装。
 ユーディアの横に触れんばかりに並んだ。
 氷のやすりに削られたかのような、険しい目つき。
 朽ちた洞のような闇の広がる眼。
 その目はユーディアの心を、秘密を暴こうとのぞき込み飲み込んだ。
 心臓がはねあがった。
 その目をユーディアは知っている。

 黒貂の帽子の脇から銀色の筋が混ざる黒髪が流れでた。
 男は口鼻を覆うショールをずらし、腕を伸ばして体をさらに寄せた。

「何してる!今すぐ体を俺の方に倒せ!受け止めてやる!」

 圧倒的な存在感。
 彼の存在がもたらす安心感。
 彼にまかせていればすべてうまくいくという根拠のない安堵感。
 年が倍ほど違うからか。
 
 ユーディアには彼に逆らうという選択肢はなかった。
 彼に命令されれば誰でも従わずにはいられない。 
 立ちふさがるものを屈服させ、すでに自己を完成させた、望むものすべてを手に入れた男。

 ユーディアは腰を落とし体を預けた。
 彼が取り落とせば、ユーディアは受け身も取れずに雪の斜面でしたたかに体を打ち付けて怪我をするだろう。
 だが、そんな心配はかけらもよぎりもしなかった。
 強靭なかいながユーディアを受け止めた。

「食いしばれ!」

 目も瞑り歯を食いしばった。
 ふわりと宙を浮く感覚。
 続いての衝撃は男がすべて吸収してくれる。
 男の荒い息がユーディアの頭にかかる。
 呼吸が苦しい。
 強く抱き締められて体が痛い。
 男の胸と腕と足に閉じ込められて、体の芯から熱が渦き噴きだし、体じゅうを駆けめぐり、出口を求めて顔に向かう。

「……大丈夫か?」
「だ、大丈夫。ち、ちょっと、すすす、滑ってしまったらけ……」
「ちょっと!?」

 ぐいっと肩を掴まれて顔を男の胸からわずかに引き離された。
 横倒しになり雪をかぶりったまま、男はユーディアの顔を検分する。
 氷に研磨され研ぎ澄まされた刃のようだった表情が、目の前で緩んでいく。
 氷の像が日差しにとろけるように。

「ディア、あれは滑るというよりも滑落というんだ。もう少し先には小さいが崖がある。あなたは跳躍でもするつもりだったのか」
「崖!?」
「跳躍できれば問題ないが、あの様子なら訓練は受けてないんだろ」

 よく見れば20メートルより向こうには、その先がなかった。
 そのまま行けば、確実に死ぬか大けがをしていただろう。
 たちまち、どこか浮かれた気持ちが冷え込んだ。

「で、俺の舞姫は、俺に再会の挨拶はないのか?もしくは助けてやったお礼とか?舌が凍えているのなら、俺が温めてやってもいいが」
「れ、レギー、ど、どうしてここに……」
「やはり、まずは温めてやらなければならないか?」

 レグラン王は笑った。
 ユーディアが彼の胸の中で動けないままにレグラン王は唇を寄せようとした。
 黒づくめの王騎士が口々に王の名を呼んで滑り寄る。
 レグラン王の唇がユーディアの凍った唇に触れる前に、いくつもの腕が雪の中に埋もれた二人を救出したのである。

 
 

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