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第9話 トルメキアの姫
89、喧嘩
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トルメキアの姫が落としていった疑惑の種は、一晩のうちにジプサムの中で萌芽する。
根をはりつるを伸ばす。
いっぱいに膨れ上がったそれを、内側にとどめておけなくなる。
外へと突き破るとジプサムはもう制御できなかった。
ジプサムが欲しいのは、ユーディアが女かもしれないという疑惑の払拭。
男であることの確証。
もしくは、ユーディアが胸の包帯の下に隠している事実。
トルメキアの姫を拒絶したことは、後悔していない。
昨夜の一件で、距離をおいてくれたらと思っている。
ジプサムがこの腕の中に捕らえたい女は、子供のころからずっと変わらない。
草原や砂漠に散らばったモルガンの各部族や家族が集まる祭りの時にだけ現れる娘、ディア。
ジプサムが人前で恥をさらすような踊りなどもっての他だと思っているときに、無邪気に踊りの輪のなかに引き入れた娘。
ジムサムのかたくなな気持ちを容易く溶かせる美しい娘。
ユーディアがディアであるはずがないではないか。
ユーディアは男髪。
ディアは女。
祭りの時、ユーディアはどこにいた?
朝は一緒にいた記憶がある。
人が集まり始めてからは、それぞれが忙しくなりいつも見失ってしまっていたのだった。
もしかして、自分はモルガン族の男髪に思い込みを植え付けられていたのか?
男髪をしながら、その実、女であったなんてことはあるのだろうか?
ユーディアのことをジプサム以上に知っているものがここにいる。
ブルースだった。
食事を終えて、午後の鍛錬の準備をしていたブルースは、ジプサムのためらいがちな質問に硬直した。
見習い騎士たちもこぶしに布を巻き付けている。
こぶしをぶつけ合う勝負は正式な武術ではなかったが、どんな状況でも戦えるように鍛錬していた。
突きを入れるこぶしと蹴りを入れる脛には布を巻く。
質問の意味を飲み込んだブルースの顔に、じんわりと勝ち誇ったような笑みが浮かぶ。
そのような内面を伝えるような表情が浮かぶのは珍しい。
「ユーディアが男か女か?そんなこと、改めて聞く必要もないことだろ。本人に尋ねればいいだけだろ?っていうか、知らないということは色小姓が根も葉もない噂だったとわかって安心したよ。もっとも俺は信じたことなど一度もなかったが」
「友人にそんなことさせられないだろ。性別などいまさら聞けないじゃないか。俺が出会ったころからユーディアは悪友と一緒に駆け回って遊んでいたし、その後に会ったときには男髪をしていた。ブルースも」
「なら、男なんだろ」
こぶしに巻き終わったブルースは、もう会話は終わりというようにもくもくと足首から脛にかけて巻きはじめる。
「胸のやけどはどのような状況で起こったんだ?」
「さあ?」
「いつも共にいるブルースが、ひどい痕が残るようなやけどを起こした状況を知らないはずないだろ。ブルースはいつもユーディアと一緒にいたのだから」
ジプサムは食らいつく。
曖昧なままに終わらせるつもりなどなかった。
ブルースは顔を上げた。
「そうだ。ジプサム王子。今までも、これからも。俺はあんたがいなくなってもユーディアと一緒にいる」
その言葉に含まれる強い断定に気が付かないジプサムではない。
いずれ、ユーディアは草原に帰る。
それも、ブルースと共に。
いきなり、いずれ訪れるであろうその未来をジプサムは急に否定したくなった。
反発心、対抗心。
この男にだけは、負けたくないという気持ち。
そしてこの胸のむかむかする気持ちは何なのか。
「ユーディアは俺と共にいる方が、モルガンのためになるかもしれないとは思わないか?ユーディアに執着しないでブルースは生き残ったモルガン族の元に戻り、ベルゼラの窓口にユーディアにはしかるべき役職を与えて立てれば、全てうまくいくとは思わないか?ユーディアの自由なものの見方は、硬直したベルゼアの内部だけでなく、他国との交渉にも新たな視点をもたらしてくれそうだ」
「勝手に思い描くのは結構なことだが、ユーディアは俺と帰る」
ふたたびなされた断定的な物言いに、頭に血が上る。
ブルースは巻いていた布の残りを投げてよこした。
切れあがった目は、異様な色を帯びている。
そんな切り付けるような殺意を向けられたのは初めてだった。
手早くジプサムも自分のこぶしに巻き付けた。
「以前から気になっていたんだが、ユーディアとブルースの関係は何なんだ?兄弟ではないのを知っている。親友のような、義兄弟のようなもんだろ?もうそろそろ、弟離れをしたらどうだ?ユーディアを解放しろよ」
「東のモルガンを率いる世継ぎのユーディアを、俺が補佐することがきまっている!ユーディアは、俺の許嫁だ!」
それが合図だった。
ジプサムはブルースに殴りかかった。
ブルースは後ろにとびすさりながら、戦える空間の開いている広間の真ん中へ向かう。
ジプサムが何度も突き出したこぶしの一つがブルースの腹にあたり、ブルースはクの字になるがそのまま、ジプサムの方に突進し、肩でぶつかりジプサムを押し倒した。
馬乗りになって今度はブルースがジプサムにこぶしをふるう。
ジプサムは膝でブルースの尻を蹴りあげ、足を振り上げてその顔を挟んで横倒しにした。
二人は転がりながら体制を整えた。
片膝をつき、荒い息を肩でつぎながら、互いをにらみつけた。
根をはりつるを伸ばす。
いっぱいに膨れ上がったそれを、内側にとどめておけなくなる。
外へと突き破るとジプサムはもう制御できなかった。
ジプサムが欲しいのは、ユーディアが女かもしれないという疑惑の払拭。
男であることの確証。
もしくは、ユーディアが胸の包帯の下に隠している事実。
トルメキアの姫を拒絶したことは、後悔していない。
昨夜の一件で、距離をおいてくれたらと思っている。
ジプサムがこの腕の中に捕らえたい女は、子供のころからずっと変わらない。
草原や砂漠に散らばったモルガンの各部族や家族が集まる祭りの時にだけ現れる娘、ディア。
ジプサムが人前で恥をさらすような踊りなどもっての他だと思っているときに、無邪気に踊りの輪のなかに引き入れた娘。
ジムサムのかたくなな気持ちを容易く溶かせる美しい娘。
ユーディアがディアであるはずがないではないか。
ユーディアは男髪。
ディアは女。
祭りの時、ユーディアはどこにいた?
朝は一緒にいた記憶がある。
人が集まり始めてからは、それぞれが忙しくなりいつも見失ってしまっていたのだった。
もしかして、自分はモルガン族の男髪に思い込みを植え付けられていたのか?
男髪をしながら、その実、女であったなんてことはあるのだろうか?
ユーディアのことをジプサム以上に知っているものがここにいる。
ブルースだった。
食事を終えて、午後の鍛錬の準備をしていたブルースは、ジプサムのためらいがちな質問に硬直した。
見習い騎士たちもこぶしに布を巻き付けている。
こぶしをぶつけ合う勝負は正式な武術ではなかったが、どんな状況でも戦えるように鍛錬していた。
突きを入れるこぶしと蹴りを入れる脛には布を巻く。
質問の意味を飲み込んだブルースの顔に、じんわりと勝ち誇ったような笑みが浮かぶ。
そのような内面を伝えるような表情が浮かぶのは珍しい。
「ユーディアが男か女か?そんなこと、改めて聞く必要もないことだろ。本人に尋ねればいいだけだろ?っていうか、知らないということは色小姓が根も葉もない噂だったとわかって安心したよ。もっとも俺は信じたことなど一度もなかったが」
「友人にそんなことさせられないだろ。性別などいまさら聞けないじゃないか。俺が出会ったころからユーディアは悪友と一緒に駆け回って遊んでいたし、その後に会ったときには男髪をしていた。ブルースも」
「なら、男なんだろ」
こぶしに巻き終わったブルースは、もう会話は終わりというようにもくもくと足首から脛にかけて巻きはじめる。
「胸のやけどはどのような状況で起こったんだ?」
「さあ?」
「いつも共にいるブルースが、ひどい痕が残るようなやけどを起こした状況を知らないはずないだろ。ブルースはいつもユーディアと一緒にいたのだから」
ジプサムは食らいつく。
曖昧なままに終わらせるつもりなどなかった。
ブルースは顔を上げた。
「そうだ。ジプサム王子。今までも、これからも。俺はあんたがいなくなってもユーディアと一緒にいる」
その言葉に含まれる強い断定に気が付かないジプサムではない。
いずれ、ユーディアは草原に帰る。
それも、ブルースと共に。
いきなり、いずれ訪れるであろうその未来をジプサムは急に否定したくなった。
反発心、対抗心。
この男にだけは、負けたくないという気持ち。
そしてこの胸のむかむかする気持ちは何なのか。
「ユーディアは俺と共にいる方が、モルガンのためになるかもしれないとは思わないか?ユーディアに執着しないでブルースは生き残ったモルガン族の元に戻り、ベルゼラの窓口にユーディアにはしかるべき役職を与えて立てれば、全てうまくいくとは思わないか?ユーディアの自由なものの見方は、硬直したベルゼアの内部だけでなく、他国との交渉にも新たな視点をもたらしてくれそうだ」
「勝手に思い描くのは結構なことだが、ユーディアは俺と帰る」
ふたたびなされた断定的な物言いに、頭に血が上る。
ブルースは巻いていた布の残りを投げてよこした。
切れあがった目は、異様な色を帯びている。
そんな切り付けるような殺意を向けられたのは初めてだった。
手早くジプサムも自分のこぶしに巻き付けた。
「以前から気になっていたんだが、ユーディアとブルースの関係は何なんだ?兄弟ではないのを知っている。親友のような、義兄弟のようなもんだろ?もうそろそろ、弟離れをしたらどうだ?ユーディアを解放しろよ」
「東のモルガンを率いる世継ぎのユーディアを、俺が補佐することがきまっている!ユーディアは、俺の許嫁だ!」
それが合図だった。
ジプサムはブルースに殴りかかった。
ブルースは後ろにとびすさりながら、戦える空間の開いている広間の真ん中へ向かう。
ジプサムが何度も突き出したこぶしの一つがブルースの腹にあたり、ブルースはクの字になるがそのまま、ジプサムの方に突進し、肩でぶつかりジプサムを押し倒した。
馬乗りになって今度はブルースがジプサムにこぶしをふるう。
ジプサムは膝でブルースの尻を蹴りあげ、足を振り上げてその顔を挟んで横倒しにした。
二人は転がりながら体制を整えた。
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