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第9話 トルメキアの姫
84-2、ヨーグルト
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リリーシャ姫は出されたものを無言で口にしていく。
今夜は何も料理についていわなかった。
その代わりに、ジプサムと話をしている。
ジャンとユーディアはほっとして顔を見合わせた。
何も言わないということは、一応姫は気にならなかったのだということだった。
その分、姫の意識がジプサムに向いているのは複雑ではあるが。
「ユーディア、調味料のことや、わからないものがキッチンや倉庫にあって、ずっと気になっていたんだ。その使い道をゴメスに聞きにいくからついてきてくれ」
「いつも、ゴメスは師匠としてついて回っているでしょ。どうして今更僕が必要なんだよ」
「俺の、新たなことにチャレンジしようという気持ちに火をつけたのは、あんただから。料理に関してはこれでも一行の胃袋をまかされたのだという自負がある。実態は、ご存じの通り情けないが半人前なんだけどな。変な自負のために、ゴメスに料理に関することは、素直に聞けていなかったんだ。だから、最初だけついてきてくれ」
必死に頼まれてしまった。
ユーディアはリリーシャの食器も合わせて洗い、キッチンを片付けるジャンを手伝った。
最後に暖炉のそばの、ヨーグルトの元を入れた桶の濡れ布巾を変える。
暖炉の熱で発酵が進めば、うまくいけば明日の朝はヨーグルトができているはずである。
「今日のスープはクリームスープか?うまかったよ」
キッチンのジャンに自分の食器を洗いにきたものたちから次々と声がかかっていた。
「ちぇ、クリームを入れただけなのに、なんでだ?今まで一度もうまかったなんて聞いたことがないぞ」
といいつつジャンはうれしそうである。
暖炉の薪をくべていたゴメスに、ジャンは思い切って声をかけた。
「何?キッチンにある乾燥した茶色の物体が何であるか知りたい?どれどれ……」
気安くゴメスは応じると、ジャンと連れ立ってキッチンへ入っていく。
ユーディアがいなくても、ジャンはゴメスに何に使うのか、どうやって料理をするのか、体内ではどのような作用があるのか、どんな料理に使われるのか、物おじすることを忘れて真剣に聞いている。
手には小さなメモ。
ユーディアはそっとキッチンから離れた。
あの調子なら、ユーディアがいないことにもジャンは気が付かないだろう。
消灯まで時間がある。
見張り役、護衛役以外は完全な自由時間である。
ジプサムはみんなとともにまだ食堂にいるのだろうか。
リリーシャ姫も一緒だろうか。
ユーディアは食堂に目をやった。
「もう大丈夫なのか?」
ブルースが、視界を遮るように立った。
ブルースはこんなに見上げるほど背が高かっただろうか。
一歩前に足を寄せられると、同じだけ足を引いてしまいたくなる。
近さが怖い。こんな緊張感、初めてだった。
昼間のキスのせいだった。
口の中に彼の舌の感覚を思い出してしまいそうになる。
「ジャンは、きっともう大丈夫だよ」
「ジャンじゃなく、あなた」
「わたしは、僕は、わたしは、大丈、だいじょうぶ!」
どもってしまった。
ブルースはあきれた。
彼は、いつもと同じだった。
緊張しているのはユーディアだけ。
「ったく。久々に乳しぼりをして疲れているんじゃないか。早く風呂に入って寝た方がいいんじゃないか?見張っておいてやるから」
ブルースは、無理強いはしない。
普段と変わらず、どこまでも優しかった。
翌日、ジャンはナッツを練りこんだパンに、薫製肉のスライスと煎り卵を添える。
出来たての若いヨーグルトは酸味が少なくマイルド。
ドライフルーツはそのままで食べても、お好みでヨーグルトに入れてもいいということにジャンはしたようである。
リリーシャ姫はまじまじとヨーグルトと、小さな器に添えられたドライフルーツを見た。
ジプサムがどのように食べるのかをうかがい、食べ方を確かめる。
そうしてジプサムを手本に、おもむろにドライフルーツの器を取るとヨーグルトの中に入れた。
そして無言でひとくち、ふたくち、そして平らげた。
口元をハンカチでぬぐう。
ばちばちと瞬いた。
「ジャン、ここにおいでなさい。……これはなんですか?」
緊張気味にジャンはリリーシャの横に直立する。
「今年2頭の子羊が生まれました。その母羊から乳を少しずついただきまして一晩発酵させてヨーグルトにいたしました。栄養たっぷりでドライフルーツと相性抜群です。腸の健康にも滋養にも抜群に良いですし、引いてはお肌も抜群にツヤツヤにしてくれるでしょう!」
緊張で話し方がおかしくなっている。
リリーシャはあきれたようにジャンを見た。
「ツヤツヤの効能はともかく、おいしかったわ。それで、その二頭の母羊がたくさん乳をだしてくれるのならば、毎朝だしなさい」
ふたりの会話を固唾を飲んで見守っていた全員が、リリーシャ姫から下されたジャンへのお褒めの言葉にどっと沸く。
ジャンがすました顔して席に戻ると、リリーシャに見えないようにガッツポーズを作る。
隣の席のサンとドルシェがジャンの頭や肩を激励に叩いた。
その日から、ジャンの作る食事が変わる。
同じ食材を使っても同じ料理にはならなかった。
こんなの食べたいんだが作れるかな?との要望に、ジャンは気軽に応じ、知らないことは詳しく聞き、工夫を凝らして応えた。
乾燥させた薫り高かったり歯ごたえのよかったりするキノコを料理に加え、リリーシャから時折飛び出す難題に応えるべくジャンはゴメスやユーディアたちを巻き込み奮闘し、蟄居生活とはいえ満足できる食事を提供したのである。
今夜は何も料理についていわなかった。
その代わりに、ジプサムと話をしている。
ジャンとユーディアはほっとして顔を見合わせた。
何も言わないということは、一応姫は気にならなかったのだということだった。
その分、姫の意識がジプサムに向いているのは複雑ではあるが。
「ユーディア、調味料のことや、わからないものがキッチンや倉庫にあって、ずっと気になっていたんだ。その使い道をゴメスに聞きにいくからついてきてくれ」
「いつも、ゴメスは師匠としてついて回っているでしょ。どうして今更僕が必要なんだよ」
「俺の、新たなことにチャレンジしようという気持ちに火をつけたのは、あんただから。料理に関してはこれでも一行の胃袋をまかされたのだという自負がある。実態は、ご存じの通り情けないが半人前なんだけどな。変な自負のために、ゴメスに料理に関することは、素直に聞けていなかったんだ。だから、最初だけついてきてくれ」
必死に頼まれてしまった。
ユーディアはリリーシャの食器も合わせて洗い、キッチンを片付けるジャンを手伝った。
最後に暖炉のそばの、ヨーグルトの元を入れた桶の濡れ布巾を変える。
暖炉の熱で発酵が進めば、うまくいけば明日の朝はヨーグルトができているはずである。
「今日のスープはクリームスープか?うまかったよ」
キッチンのジャンに自分の食器を洗いにきたものたちから次々と声がかかっていた。
「ちぇ、クリームを入れただけなのに、なんでだ?今まで一度もうまかったなんて聞いたことがないぞ」
といいつつジャンはうれしそうである。
暖炉の薪をくべていたゴメスに、ジャンは思い切って声をかけた。
「何?キッチンにある乾燥した茶色の物体が何であるか知りたい?どれどれ……」
気安くゴメスは応じると、ジャンと連れ立ってキッチンへ入っていく。
ユーディアがいなくても、ジャンはゴメスに何に使うのか、どうやって料理をするのか、体内ではどのような作用があるのか、どんな料理に使われるのか、物おじすることを忘れて真剣に聞いている。
手には小さなメモ。
ユーディアはそっとキッチンから離れた。
あの調子なら、ユーディアがいないことにもジャンは気が付かないだろう。
消灯まで時間がある。
見張り役、護衛役以外は完全な自由時間である。
ジプサムはみんなとともにまだ食堂にいるのだろうか。
リリーシャ姫も一緒だろうか。
ユーディアは食堂に目をやった。
「もう大丈夫なのか?」
ブルースが、視界を遮るように立った。
ブルースはこんなに見上げるほど背が高かっただろうか。
一歩前に足を寄せられると、同じだけ足を引いてしまいたくなる。
近さが怖い。こんな緊張感、初めてだった。
昼間のキスのせいだった。
口の中に彼の舌の感覚を思い出してしまいそうになる。
「ジャンは、きっともう大丈夫だよ」
「ジャンじゃなく、あなた」
「わたしは、僕は、わたしは、大丈、だいじょうぶ!」
どもってしまった。
ブルースはあきれた。
彼は、いつもと同じだった。
緊張しているのはユーディアだけ。
「ったく。久々に乳しぼりをして疲れているんじゃないか。早く風呂に入って寝た方がいいんじゃないか?見張っておいてやるから」
ブルースは、無理強いはしない。
普段と変わらず、どこまでも優しかった。
翌日、ジャンはナッツを練りこんだパンに、薫製肉のスライスと煎り卵を添える。
出来たての若いヨーグルトは酸味が少なくマイルド。
ドライフルーツはそのままで食べても、お好みでヨーグルトに入れてもいいということにジャンはしたようである。
リリーシャ姫はまじまじとヨーグルトと、小さな器に添えられたドライフルーツを見た。
ジプサムがどのように食べるのかをうかがい、食べ方を確かめる。
そうしてジプサムを手本に、おもむろにドライフルーツの器を取るとヨーグルトの中に入れた。
そして無言でひとくち、ふたくち、そして平らげた。
口元をハンカチでぬぐう。
ばちばちと瞬いた。
「ジャン、ここにおいでなさい。……これはなんですか?」
緊張気味にジャンはリリーシャの横に直立する。
「今年2頭の子羊が生まれました。その母羊から乳を少しずついただきまして一晩発酵させてヨーグルトにいたしました。栄養たっぷりでドライフルーツと相性抜群です。腸の健康にも滋養にも抜群に良いですし、引いてはお肌も抜群にツヤツヤにしてくれるでしょう!」
緊張で話し方がおかしくなっている。
リリーシャはあきれたようにジャンを見た。
「ツヤツヤの効能はともかく、おいしかったわ。それで、その二頭の母羊がたくさん乳をだしてくれるのならば、毎朝だしなさい」
ふたりの会話を固唾を飲んで見守っていた全員が、リリーシャ姫から下されたジャンへのお褒めの言葉にどっと沸く。
ジャンがすました顔して席に戻ると、リリーシャに見えないようにガッツポーズを作る。
隣の席のサンとドルシェがジャンの頭や肩を激励に叩いた。
その日から、ジャンの作る食事が変わる。
同じ食材を使っても同じ料理にはならなかった。
こんなの食べたいんだが作れるかな?との要望に、ジャンは気軽に応じ、知らないことは詳しく聞き、工夫を凝らして応えた。
乾燥させた薫り高かったり歯ごたえのよかったりするキノコを料理に加え、リリーシャから時折飛び出す難題に応えるべくジャンはゴメスやユーディアたちを巻き込み奮闘し、蟄居生活とはいえ満足できる食事を提供したのである。
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