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第9話 トルメキアの姫
83-1、モルガンの匂い
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ユーディアは毛織物を巻き付けて、白い毛皮を内側に向けた羊革のブーツをはく。
それは、倉庫に備蓄し保管していた素材の山の中から、ユーディアが選んで自分でブーツに仕立てたものだ。
丁寧になめした革は履物だけでなく、手袋にもできるし、細長く切って繩にもできる。
毛をよってひも状にしてもいいが、脚の腱は、より丈夫で耐久性のある糸になる。
ゴメスは時間ができれば、防寒が不十分なジプサム一行のために、様々な防寒具を作っていた。
食堂の隅でもくもくとぬい続けているときもあれば、倉庫の横の道具置き場で、様々な道具に囲まれながら小さなかまどに顔を向けて作業をしていることもある。
ゴメスを探してユーディアは倉庫をのぞき、続いて道具置き場へ行く。
無心に手袋でも、革を削って薄くする作業でもなんでもいいから、ゴメスが与えてくれる仕事を何も考えずにやり続けたかった。
何十年も倉庫の主人である白髪の老人は、中央にあるかまどの前でどっしりと腰を落ち着け、銀色に輝く狐の毛皮で帽子を縫っていた。
かまどにかけたヤカンが蒸気を上げ、音を立てていた。
ユーディアが入ってきても、ちらりと目を向けただけで、よく来たなとも出ていけとも白髪の老人は言わなかった。
促されもしないままに、老人の横にお尻を落とした。
こんな風に胡坐をかくのは久しぶりのような気がした。
「……ここは懐かしい匂いがする」
そういってから、かまどの燃料が馬糞であることに気が付いた。
天井に目をやると、かまどの真上に丸い天窓があり、煙を抜けさせる煙突穴があった。
道具部屋はかまどを中心にした丸いつくりであった。
壁には道具をしまう棚や番号が書かれた方形の小さな引き出しが、壁に沿い置かれていた。
「集めていてくれたじゃろう?ここは昔ながらのやり方でやらせてもらっているたいていのベルゼラからの訪問客は糞の燃料に複雑な顔をするのでのう。牛も羊も馬も、生きても死んでも無駄はない。人間もどれだけ回り道をしてもその人の知恵となり、よりよき人生を歩める原動力となる」
老人は縫いかけのものを床に置く。
ユーディアは尻の下の床に敷きつけられているものが、織物ではなく羊毛をたたいて固めたフェルトであることに気が付いた。羊毛に混ざったイラクサがユーディアのちくりと手の平をさした。
形だけでなく、床まで移動式幕舎を模していた。
老人は棚から茶の塊を取り出し腰のナイフで削り出し、ヤカンに放りこんだ。
しばらく煮だす。取っ手のついた器に茶を注ぎ、ミルクを注ぐ。
「……何か入れるか?」
「……バターと栗を」
しわくちゃの顔をさらにしわくちゃにして笑顔になる。
しばらくかき混ぜ出来上がったバター茶をユーディアは受け取った。
手にすっぽりと収まった器は、木地に漆をかけたもので軽い。
モルガンの細工ではない。
漆細工は山岳民族のものなのだろう。
飲むと体の芯から温まる。
ようやく息ができて、目が開いて、背中に力が戻ってきたような気がする。
気になっていたことを言う。
「ここはモルガンの匂いがあふれている。バター茶を飲めるとは思わなかった」
「バター茶はリーンさまもお好きだった。リーンさまも時間があれば、あんたが今座っているところに座っておられた」
「リーンさま……」
「ベルゼラ国内に後ろ盾がないために、正式に妻だと明言できずレグラン王も苦悩さなれた。多くの妻を娶られたが、リーンさまが亡くなられてからのレグラン王の迷走ぶりを見れば、レグラン王の妃はリーンさまだけ。だから、主人がいなくなったこの離宮を、レグラン王はわしを置き当時のままに維持させている」
離宮にはリーンの気配があちらこちらに残っている。
リリーシャ姫がいった獣くさいという表現は、20年も前に亡くなったこの離宮の女主人の、いまだに残る気配のことを言っていたのかもしれない。
「……そこのやつ。立ってないで入ってこい」
再び銀色の毛皮を手に針を動かしだしたゴメスが顔も上げずにいうと、ブルースが音もなく入ってくる。
彼も外にでてもいいような防寒具を身に着けている。
ユーディアを追ってきたのだ。
幕舎を模した道具部屋に入るなり、ユーディアと同様に防寒具を脱いでユーディアの隣に腰を下ろした。
「何がいい?客に茶をふるまうのもこの部屋の主人の役割だからの」
「塩とバターを」
ゴメスは茶を作り手渡した。
出来上がった毛皮の帽子に満足すると、ユーディアの頭にかぶせた。
「お前にやる」
そういうと、雪の具合を見に二人を残してのそり出て行く。
落ち込んだユーディアに気を使ってくれたのかもしれない。
そして茶をすする音と雪が降り積もる音。
「……ユーディア、大丈夫か?」
お茶は飲み切ってしまった。
「うん。落ち着いた。ここはモルガンの匂いでいっぱいだから」
「ああ、懐かしいな。ゴメスはモルガン族ではないと言っていたが、いろいろとやり方を学んだようだな。モルガンの紐の結び方と、俺たちがしない結び方をしている」
それは、倉庫に備蓄し保管していた素材の山の中から、ユーディアが選んで自分でブーツに仕立てたものだ。
丁寧になめした革は履物だけでなく、手袋にもできるし、細長く切って繩にもできる。
毛をよってひも状にしてもいいが、脚の腱は、より丈夫で耐久性のある糸になる。
ゴメスは時間ができれば、防寒が不十分なジプサム一行のために、様々な防寒具を作っていた。
食堂の隅でもくもくとぬい続けているときもあれば、倉庫の横の道具置き場で、様々な道具に囲まれながら小さなかまどに顔を向けて作業をしていることもある。
ゴメスを探してユーディアは倉庫をのぞき、続いて道具置き場へ行く。
無心に手袋でも、革を削って薄くする作業でもなんでもいいから、ゴメスが与えてくれる仕事を何も考えずにやり続けたかった。
何十年も倉庫の主人である白髪の老人は、中央にあるかまどの前でどっしりと腰を落ち着け、銀色に輝く狐の毛皮で帽子を縫っていた。
かまどにかけたヤカンが蒸気を上げ、音を立てていた。
ユーディアが入ってきても、ちらりと目を向けただけで、よく来たなとも出ていけとも白髪の老人は言わなかった。
促されもしないままに、老人の横にお尻を落とした。
こんな風に胡坐をかくのは久しぶりのような気がした。
「……ここは懐かしい匂いがする」
そういってから、かまどの燃料が馬糞であることに気が付いた。
天井に目をやると、かまどの真上に丸い天窓があり、煙を抜けさせる煙突穴があった。
道具部屋はかまどを中心にした丸いつくりであった。
壁には道具をしまう棚や番号が書かれた方形の小さな引き出しが、壁に沿い置かれていた。
「集めていてくれたじゃろう?ここは昔ながらのやり方でやらせてもらっているたいていのベルゼラからの訪問客は糞の燃料に複雑な顔をするのでのう。牛も羊も馬も、生きても死んでも無駄はない。人間もどれだけ回り道をしてもその人の知恵となり、よりよき人生を歩める原動力となる」
老人は縫いかけのものを床に置く。
ユーディアは尻の下の床に敷きつけられているものが、織物ではなく羊毛をたたいて固めたフェルトであることに気が付いた。羊毛に混ざったイラクサがユーディアのちくりと手の平をさした。
形だけでなく、床まで移動式幕舎を模していた。
老人は棚から茶の塊を取り出し腰のナイフで削り出し、ヤカンに放りこんだ。
しばらく煮だす。取っ手のついた器に茶を注ぎ、ミルクを注ぐ。
「……何か入れるか?」
「……バターと栗を」
しわくちゃの顔をさらにしわくちゃにして笑顔になる。
しばらくかき混ぜ出来上がったバター茶をユーディアは受け取った。
手にすっぽりと収まった器は、木地に漆をかけたもので軽い。
モルガンの細工ではない。
漆細工は山岳民族のものなのだろう。
飲むと体の芯から温まる。
ようやく息ができて、目が開いて、背中に力が戻ってきたような気がする。
気になっていたことを言う。
「ここはモルガンの匂いがあふれている。バター茶を飲めるとは思わなかった」
「バター茶はリーンさまもお好きだった。リーンさまも時間があれば、あんたが今座っているところに座っておられた」
「リーンさま……」
「ベルゼラ国内に後ろ盾がないために、正式に妻だと明言できずレグラン王も苦悩さなれた。多くの妻を娶られたが、リーンさまが亡くなられてからのレグラン王の迷走ぶりを見れば、レグラン王の妃はリーンさまだけ。だから、主人がいなくなったこの離宮を、レグラン王はわしを置き当時のままに維持させている」
離宮にはリーンの気配があちらこちらに残っている。
リリーシャ姫がいった獣くさいという表現は、20年も前に亡くなったこの離宮の女主人の、いまだに残る気配のことを言っていたのかもしれない。
「……そこのやつ。立ってないで入ってこい」
再び銀色の毛皮を手に針を動かしだしたゴメスが顔も上げずにいうと、ブルースが音もなく入ってくる。
彼も外にでてもいいような防寒具を身に着けている。
ユーディアを追ってきたのだ。
幕舎を模した道具部屋に入るなり、ユーディアと同様に防寒具を脱いでユーディアの隣に腰を下ろした。
「何がいい?客に茶をふるまうのもこの部屋の主人の役割だからの」
「塩とバターを」
ゴメスは茶を作り手渡した。
出来上がった毛皮の帽子に満足すると、ユーディアの頭にかぶせた。
「お前にやる」
そういうと、雪の具合を見に二人を残してのそり出て行く。
落ち込んだユーディアに気を使ってくれたのかもしれない。
そして茶をすする音と雪が降り積もる音。
「……ユーディア、大丈夫か?」
お茶は飲み切ってしまった。
「うん。落ち着いた。ここはモルガンの匂いでいっぱいだから」
「ああ、懐かしいな。ゴメスはモルガン族ではないと言っていたが、いろいろとやり方を学んだようだな。モルガンの紐の結び方と、俺たちがしない結び方をしている」
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