舞姫の君

藤雪花(ふじゆきはな)

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第3部 冬山離宮 第7話 盗賊

60、モデリア

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 マーシャン領主の館は、幾重にも塀を巡らした外郭に、槍を持つ門番の横を通り内部に入ると、手入れの行き届いた砂と岩と池の庭がある。庭には彩豊な鯉が泳ぎ、アーチ状の橋が架かっていた。建物内部は二階建ての小規模のものだが、見るもの触れるもの、すべて贅を凝らした絢爛なものである。
 グラント領とゴールデン領が王家内部で牽制しあうところがあるが、マーシャン領は地理的に若干離れていることもあり、ベルゼラ国内でどちらにも属さない、あたりのよい言い方をすれば中立、別の味方をすれば王家からの干渉を嫌う独立を貫いている。
 そのような立場を保つための財力、国境での紛争が起こった場合の兵力をマーシャン領主は持っていた。

 現在のマーシャンの領主は高齢ながら矍鑠カクシャクとして、王子一行が自分に知らせもせず離宮に行こうとしたことを責めた。
 30代の息子の、見るからに精力的な男、ファイザーは、父の代行として実務全般を取り仕切る。
 赤毛の短髪は額の上でくるりと巻いている。だが、若いころには美男で通っていた面影は薄れ、頭頂から薄くなりはじめていた。

 ジプサムが前触れもなく訪れた非礼を領主に詫びているうちに、その横に控えるファイザー領主代行に、様々な商売を行う者たちや、他国からの貿易商の訪問、美都で起こった強盗や暴力事件などの報告に、入れ替わり立ち代わり彼に耳うちするものがいる。

 そのファイザーの横では、赤毛を高く結い上げ、孔雀の羽模様が描かれた服を着るモデリアが艶やかな笑みを浮かべ、おとなしく座っている。
「着飾ることが好きで政治に無関心の、残念な妹だが、よい縁談を探している。だがなかなかうまく運ばなくて困ったものなのだ」
 とのことである。暗に、兄からジプサム王子に婚姻を進められた形であるが、残念な妹といわれてもまるで理解できていないようすで、モデリアは笑顔を崩さなかった。
 ジプサムはジプサムで、よい方がいましたらご連絡いたしましょう、と深入りせずにさらりと流す。

 その夜開かれた歓迎の祝宴でモデリアは、扇子を広げて口元を隠し楽し気に会話をする様子は、昨日街中で抱きついてこようとした女とはまるで別人の、おとなしいお嬢様であった。
 ファイザーは終始笑顔であったが、時折抜け目のなさそうな蛇のような目になるのは隠しきれない。
 王都での流行のことを知りたがり、かと思えば最近手に入れた蒔絵を施した盤ゲームや、金糸を織り込んだ美しい織物、生花の寿命を長くする薬剤の話など、ほうぼうに話題が飛ぶ。
 そして、合間合間に、見習い騎士たちをほぼ無視し、サニジンには探るような視線を送り、ユーディアを執拗に眺めた。
 
 ユーディアはファイザーの視線が会話に無関係なのにも関わらず、頻繁に自分に向かうので、居心地が悪くなる。
 彼は勢力的に仕事をこなし、酒を飲んだら底のない甕のようである。
 夜に関しては、男も女も盛んだという噂があるが、それらの噂はかなり真実なのだろう。
 彼の美しい妻は早々に退席してしまった。

「……あなたの、彼女は小姓ですか?」
「彼は、小姓だが」
「モルガン族の捕虜を手に入れたと史上最高額で手に入れたという噂が以前流れていましたが」
 ユーディアはゾクリとくる。
 視線がユーディアの身体を嘗め回していた。
 ファイザーはジプサムに身を乗り出してささやいた。
「わたしの元によい若者がおりますよ。今晩、交換して……」
「申し訳ないが、自分のものを貸してやることはない」
 即、ジプサムはファイザーの言葉を流した。
「ああ、そうでしたか。それはそれは。なら、今度良いところにご案内いたしましょうか。ぜひ彼もご一緒に」
 ファイザーはあきらめていない。
「そういう視察は今回の予定に入っていない」
「では、またの機会にいたしましょう」

 ファイザーは残念そうだが、それ以上深追いをすることはなかった。
 ユーディアはサニジンに、部屋の準備を手伝うようにと言われて席を立った。
 いつもはユーディアと共に席をたつベッカムやブルースはこの館にはいない。
 安全が敷地内は確保されているからということで、護衛兵士であるベッカムやブルースたちは館の外に置かれたのだ。
 ジャンとハルビンははじめから招待されていなかった。

 グランド領、ゴールデン領とくらべ、一段と身分がはっきりと分かれた領地だった。土地土地で身分に対する態度が微妙に違っていた。
 廊下にでて、外の空気に当たる。
 山から吹き下ろす風はひんやりとしていて、思いっきり吸い込んで熱くなった体に冷気が染み入るのにまかせた。
 ジプサムは冷静だったが、あの場にいたらユーディアは、ファイザー領主代行のいやらしい趣味に自分も王子も巻き込むなと啖呵を切っていたかもしれず、席を外させてくれたサニジンに感謝である。

 
 最初に案内された一階の客室のジプサムの部屋に入ると、人の気配があった。
 天蓋の紗幕の向こう側に腰を下ろす赤毛の娘がいる。
 先ほどまで艶やかな笑みを浮かべたモデリアであった。
 紗幕を掴んだまま、ユーディアはため息をつく。
 この旅で、何度、ジプサムのベッドに女が忍んでいるのを見つけたことになるのだろう。
 今回の領主代行の妹のモデリアは、服を着ているだけましであるが。

「モデリアさま。申し訳ないのですが、ベッドを整えますので、速やかに出てくださいませんか?ジプサムさまが、あなたのご訪問を了承されているとは思えないのですが」 
「兄がいけとうるさいから仕方なく来ただけよ。命令に従わないと本当に迷惑被るのよ。兄はジプサム王子の弱みを握ろうと必死なのよ。さらにわたしを利用して王家にあわよくば食い込もうっていう魂胆もみえみえで、本当にうんざりよね」

 なんて答えていいいかわからない。
 ここではおとなしい猫の皮をかぶるのをやめたようである。


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