110 / 238
番外編
番外編その1※、後宮に咲く花(アムリア妃とサニジン)1、
しおりを挟む
あの人のところへは週に一度、足を向ける。
物々しい門の前で女の警備官に剣を預け、身体を探られたのちに、入出台帳に署名をする。
訪問先と訪問理由を記入するところに手紙を預かったためと記入する。
「二週間ぶりですね。現物はお持ちですか?」
警備官の後半の質問が変わることはない。
サニジンは懐から白封筒を引き出し示す。
どのようなことが書かれているかは、王族の親書であるために確認されたことはなかった。
警備官が現在時刻を確認し後宮への天地門が開かれた。
天地門から一番近い牡丹宮は、その名の通り初夏には庭に艶やかな牡丹が咲き乱れる美しい宮である。
宮の前には、侍女が待っていてその後ろをサニジンは行くが、本当は案内など必要がないほどよく知った宮である。
最奥の部屋に着くまでに、帰路につく恰幅のいい男とすれ違う。
男の顔は高揚している。
サニジンは頭を下げて道を譲った。
ふわっと甘い香りが男の後に残る。
その宮の女主人は、一流の職人たちによる贅を凝らした調度に囲まれて、長椅子に身体を横たえ物憂げに庭を眺めていた。
来客と貴人を隔てる紗幕は、すでに大きく開かれていていた。
美しく結い上げた髪に挿された簪は、牡丹と龍の組み合わせの、彼女のお気に入りのモチーフである。
牡丹と龍は、部屋を仕切る欄干にも、花瓶の柄にも、天井に格子にはめ込まれたいくつも絵にも何度も繰り返されている。
女主人の衣装は、薄手のシルクを何枚も重ねて胸の前で合わせ、一枚一枚に染められた花の模様が、重なるにつれて複雑な花模様にとして浮かび上がせていた。
彼女の美意識の高さをうかがわせる、美麗な装いで、目を凝らせば身体が透けて見えるのではないかと思わせる、夜向きの室内着であった。
夜とするには外はまだ明るい時間帯であり、この格好で先ほどの男と会っていたかと思うと、サニジンの胸がきしんだ。
「……失礼いたします。サニジンが参りました」
サニジンは彼女の前で膝をつき頭を下げ、声がかかるのを待つ。
女主人は侍女たちにカフェテーブルに残された精緻な花模様のカフェセットを下げさせた。
娘の中にはサニジンに恥ずかし気に目をやるものもいる。
サニジンは目を合わせることはない。
後宮の侍女たちの衣装は星の宮の侍女たちと比べてシルク素材の軽やかなものである。
後宮では主人だけでなく、仕える侍女や女官たちも美しさを求められていた。
部屋の中には女とサニジンだけになった。
「久しぶりですね。最近訪れてくれない薄情な息子にならってわたくしのサニジンまで、わたくしを嫌いになったのかとおもいましたわ。かしこまらないで頭を上げてくださいな」
少し舌足らずな話し方をする。
サニジンは顔を上げた。
もう40に届く年頃のはずが、その肌には完璧な手入れの成果なのか皺ひとつない。
日に焼かれることのない肌は雪のように真っ白である。
昔は目じりがとがった印象を与えた顔も、程よく熟してきているというのか、まろやかさを増し、その美しさはとどまるところを知らない。
「アムリアさまを嫌いになるわけがございません。ただただ、忙しく矢のように過ぎる毎日を過ごしておりました」
「まあ。大人の男の言い訳を口にするようになったのですね。あの可愛かったサニジンが」
すねたように唇を尖らせた。
サニジンは5つの時に孤児として国の救児院に拾われた。
7つの時にはその頭脳の良さと、常に怒鳴らずにはいられない孤児院の寮長に一度も怒られたことがないという目端が利くところをかわれて、王妃が後援する学校に進学することになる。
将来の国を担う優秀な子供を育てる施設で、7つから15までサニジンはそこで教育をうけることになる。
その後は、12歳になったばかりジプサム王子の学友となる。
サニジン以外にも年上の優秀な若者たちがジプサム王子を取り巻いていた。
ジプサム王子は母親とその巨大な一族の期待を背負う一方で、父王からは全く関心が寄せられていないことにいら立っていた。
言葉にできない不満を小さな体にいっぱいに詰まらせていた。
学友たちは世間からジプサム王子を隠す壁のような存在だと、サニジンは感じた。
「大丈夫ですよ。すべて母の言う通りにしていたらいいのです」
甘い口調でアムリアはジプサムをなだめて甘やかす。
ジプサム王子がイライラから解放されるのは、一年に一度の草原での数週間の休暇から戻ってきたときだけだった。
だけどそれも、しばらくすると、不満の革袋はいっぱいになっていく。
ジプサム王子の初体験は、15歳の誕生日にアムリア妃がジプサムの寝室に忍ばせた経験豊富な年上の侍女だった。
彼女はジプサムの目の届かないところで、サニジンにも色目を使うような女だった。
次第に足が遠のいていくジプサム王子の様子を、アムリア妃は知りたがった。
何に興味を持ち、来客は誰で、どこに行ったのか。
新しく宮に入ったものは誰の紹介か。辞めたものはいるのか、喧嘩したのはそれは誰と誰で何が原因だったのか。
ジプサム王子と関係がないところの、誰と誰が付き合っているといううわさ話まで、際限なく広がっていく。
サニジンが目が届かないところであったり、あえて口にしないことは、アムリア妃は別のものから聞き出しているようだった。
アムリア妃は後宮の外に、多くの目と耳をもっていた。
アムリア妃の重要な情報源のアリサとは、この牡丹宮でもよくすれ違っていた。
アリサもアムリア妃に恩がある娘だった。
物々しい門の前で女の警備官に剣を預け、身体を探られたのちに、入出台帳に署名をする。
訪問先と訪問理由を記入するところに手紙を預かったためと記入する。
「二週間ぶりですね。現物はお持ちですか?」
警備官の後半の質問が変わることはない。
サニジンは懐から白封筒を引き出し示す。
どのようなことが書かれているかは、王族の親書であるために確認されたことはなかった。
警備官が現在時刻を確認し後宮への天地門が開かれた。
天地門から一番近い牡丹宮は、その名の通り初夏には庭に艶やかな牡丹が咲き乱れる美しい宮である。
宮の前には、侍女が待っていてその後ろをサニジンは行くが、本当は案内など必要がないほどよく知った宮である。
最奥の部屋に着くまでに、帰路につく恰幅のいい男とすれ違う。
男の顔は高揚している。
サニジンは頭を下げて道を譲った。
ふわっと甘い香りが男の後に残る。
その宮の女主人は、一流の職人たちによる贅を凝らした調度に囲まれて、長椅子に身体を横たえ物憂げに庭を眺めていた。
来客と貴人を隔てる紗幕は、すでに大きく開かれていていた。
美しく結い上げた髪に挿された簪は、牡丹と龍の組み合わせの、彼女のお気に入りのモチーフである。
牡丹と龍は、部屋を仕切る欄干にも、花瓶の柄にも、天井に格子にはめ込まれたいくつも絵にも何度も繰り返されている。
女主人の衣装は、薄手のシルクを何枚も重ねて胸の前で合わせ、一枚一枚に染められた花の模様が、重なるにつれて複雑な花模様にとして浮かび上がせていた。
彼女の美意識の高さをうかがわせる、美麗な装いで、目を凝らせば身体が透けて見えるのではないかと思わせる、夜向きの室内着であった。
夜とするには外はまだ明るい時間帯であり、この格好で先ほどの男と会っていたかと思うと、サニジンの胸がきしんだ。
「……失礼いたします。サニジンが参りました」
サニジンは彼女の前で膝をつき頭を下げ、声がかかるのを待つ。
女主人は侍女たちにカフェテーブルに残された精緻な花模様のカフェセットを下げさせた。
娘の中にはサニジンに恥ずかし気に目をやるものもいる。
サニジンは目を合わせることはない。
後宮の侍女たちの衣装は星の宮の侍女たちと比べてシルク素材の軽やかなものである。
後宮では主人だけでなく、仕える侍女や女官たちも美しさを求められていた。
部屋の中には女とサニジンだけになった。
「久しぶりですね。最近訪れてくれない薄情な息子にならってわたくしのサニジンまで、わたくしを嫌いになったのかとおもいましたわ。かしこまらないで頭を上げてくださいな」
少し舌足らずな話し方をする。
サニジンは顔を上げた。
もう40に届く年頃のはずが、その肌には完璧な手入れの成果なのか皺ひとつない。
日に焼かれることのない肌は雪のように真っ白である。
昔は目じりがとがった印象を与えた顔も、程よく熟してきているというのか、まろやかさを増し、その美しさはとどまるところを知らない。
「アムリアさまを嫌いになるわけがございません。ただただ、忙しく矢のように過ぎる毎日を過ごしておりました」
「まあ。大人の男の言い訳を口にするようになったのですね。あの可愛かったサニジンが」
すねたように唇を尖らせた。
サニジンは5つの時に孤児として国の救児院に拾われた。
7つの時にはその頭脳の良さと、常に怒鳴らずにはいられない孤児院の寮長に一度も怒られたことがないという目端が利くところをかわれて、王妃が後援する学校に進学することになる。
将来の国を担う優秀な子供を育てる施設で、7つから15までサニジンはそこで教育をうけることになる。
その後は、12歳になったばかりジプサム王子の学友となる。
サニジン以外にも年上の優秀な若者たちがジプサム王子を取り巻いていた。
ジプサム王子は母親とその巨大な一族の期待を背負う一方で、父王からは全く関心が寄せられていないことにいら立っていた。
言葉にできない不満を小さな体にいっぱいに詰まらせていた。
学友たちは世間からジプサム王子を隠す壁のような存在だと、サニジンは感じた。
「大丈夫ですよ。すべて母の言う通りにしていたらいいのです」
甘い口調でアムリアはジプサムをなだめて甘やかす。
ジプサム王子がイライラから解放されるのは、一年に一度の草原での数週間の休暇から戻ってきたときだけだった。
だけどそれも、しばらくすると、不満の革袋はいっぱいになっていく。
ジプサム王子の初体験は、15歳の誕生日にアムリア妃がジプサムの寝室に忍ばせた経験豊富な年上の侍女だった。
彼女はジプサムの目の届かないところで、サニジンにも色目を使うような女だった。
次第に足が遠のいていくジプサム王子の様子を、アムリア妃は知りたがった。
何に興味を持ち、来客は誰で、どこに行ったのか。
新しく宮に入ったものは誰の紹介か。辞めたものはいるのか、喧嘩したのはそれは誰と誰で何が原因だったのか。
ジプサム王子と関係がないところの、誰と誰が付き合っているといううわさ話まで、際限なく広がっていく。
サニジンが目が届かないところであったり、あえて口にしないことは、アムリア妃は別のものから聞き出しているようだった。
アムリア妃は後宮の外に、多くの目と耳をもっていた。
アムリア妃の重要な情報源のアリサとは、この牡丹宮でもよくすれ違っていた。
アリサもアムリア妃に恩がある娘だった。
0
お気に入りに追加
29
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
命を狙われたお飾り妃の最後の願い
幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】
重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。
イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。
短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。
『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。
僕は君を思うと吐き気がする
月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
とまどいの花嫁は、夫から逃げられない
椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ
初夜、夫は愛人の家へと行った。
戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。
「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」
と言い置いて。
やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に
彼女は強い違和感を感じる。
夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り
突然彼女を溺愛し始めたからだ
______________________
✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定)
✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです
✴︎なろうさんにも投稿しています
私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ
悪役令嬢のビフォーアフター
すけさん
恋愛
婚約者に断罪され修道院に行く途中に山賊に襲われた悪役令嬢だが、何故か死ぬことはなく、気がつくと断罪から3年前の自分に逆行していた。
腹黒ヒロインと戦う逆行の転生悪役令嬢カナ!
とりあえずダイエットしなきゃ!
そんな中、
あれ?婚約者も何か昔と態度が違う気がするんだけど・・・
そんな私に新たに出会いが!!
婚約者さん何気に嫉妬してない?

五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる